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ナポレオン戦争に迷い込んだ女子大生、おねぇ提督とフランス軍を救います  作者: もふおのしっぽ
第三章:フランス・スペイン連合艦隊

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第43話:残像のプロファイル

 夜の帳が下りたカディス港。


 一隻の小さなボートが、荒れる波間を抜けて岸壁へと滑り込んだ。


 ボートから降り立った男は、いつもの端正な軍服を脱ぎ捨てていた。


 飾り気のない麻のシャツに厚手のベスト。スペインの街並みに溶け込むための「迷彩」を纏った、アドリアンだ。


 彼は迷うことなく、人気のない倉庫街の影へと足を踏み入れる。


 そこには、一人の男が待っていた。


「……そろそろ来る頃だと思っていたぜ、アドリアン」


 暗がりに火を灯したのは、ディエゴ提督の『用心棒』、ロドリゴだ。


 彼は、あの不届きな『お貴族様』を捕らえ、そして「処分」した男である。


「状況はどうだ」


 アドリアンの短い問いに、ロドリゴは忌々しげに煙草を地面で踏み消した。


「……ああ。例の『幽霊ゴースト』のことか」



「幽霊……?」


 ロドリゴは、かつての潜伏先であった高級ホテルの方向を顎で示した。


「あの部屋には毎晩、女が呼ばれていた形跡があった。だがな、その女を買いに行っていたのは、あのお貴族様じゃねぇ。常にマントを羽織った、あの連れの男だ」


 アドリアンは眉を微かに動かす。


「……男が、女を買いに?」


「ああ。店側の証言じゃ、男はいつも一人で現れ、流暢なスペイン語を話していたそうだ。顔を深く隠していたが、間違いなく東洋人の顔つきだったとよ」


 ロドリゴは少し間を置いて、自身の見立てを口にした。


「東洋人は若く見えるらしいが、声や喋り方からするに……三十代前半、といったところだと。男はその日のお貴族様の機嫌に合わせた女を選び、金と時間を指定してホテルへ運ばせていた。……まるで、家畜に餌を与えるようにな」


 アドリアンは、ロドリゴが語る「マントのルカ」の行動を頭の中で整理する。


(三十代前半……。ナギサとは、かなり歳が離れているな……)


 それは、経験を積んだ「プロ」であることを示唆していた。


「……女たちはスペイン語しか話せねぇ。一方で、部屋の中の主導権を握るマントの男とあのお貴族様は、常にフランス語で密談を続けていたそうだ」


「女はただの飾り、あるいは目隠しか」


「ああ。女が言うには、男は一度も女に手を出さず、あのお貴族様が女を抱いている間も、死んだような魚の目でじっとこちらを見ていただけだったそうだ。……女の一人が震えながら言ってたぜ。『あの人の目は、一度も笑っていなかった』とな」


 アドリアンは沈黙した。


 完璧なスペイン語を操り、裏ではフランス語で支配する。


 それは、並の教育を受けた貴族や王族ですら不可能な、異常な言語知識と冷徹さだ。


(『フランス語は喋れるけど、筆記は……英語なら書けます』)


 アドリアンの脳裏に、かつてナギサが漏らした言葉が浮かぶ。


 彼女が持つ「異世界の知識」と、この男が持つ「多言語の壁を感じさせない能力」。二つの点が見事に重なった。


「奴はこの時代の『情』には興味がない直感的。ただ効率的に、自分たちの正体を隠しながら現地の男になりすましている……」


「……ロドリゴ。奴の足取りは」


「俺が踏み込んだ時には、もう気配もなかった。……まるで最初から、俺たちがいつ踏み込んでくるかを知っていたような逃げ足だ。あのお貴族様の前にはマントの男しか現れなかったようだが、部屋には他にも複数人が潜伏していた痕跡があった」


 ロドリゴは腰の銃に手をかけ、暗い海を見つめた。


「アドリアン。お前のシャルルに伝えておけ。あれは、俺たちのような『人殺し』の理屈では測れない奴だぞ。……闇を抱える『何か』だ」


「……重々、承知している」


ロドリゴが不意に、アドリアンへ向けて硬貨を投げた。


 アドリアンはそれを空中で鋭く掴み取る。


「……唯一の証拠だ」


 掌の上で鈍い光を放つのは、純度の高い金貨。

 そこには、忌々しい**『ロンドン』**の刻印が刻まれていた。


「……あと一つ。花を手向けるなら西の海岸だ」


 西の海岸――。


 銃殺刑が執行された場所。


 その意味を知るのは、ここにいる二人と、そして主であるシャルルだけだ。


 アドリアンは翻り、再びボートへと戻る。


 一刻も早く、旗艦へ。


 主の元へ戻らねばならない。


 1803年の海を、1805年の絶望へと無理やり引きずり込む影。


 加速する処刑台へのカウントダウンを止める猶予は、もうどこにも残されていなかった。

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