第42話:世界で一番短い『同盟交渉』
深夜、旗艦の司令官室に、不機嫌を絵に描いたような男が担ぎ込まれた。
カディス駐在公使、ルブラン。
かつてパリで、シャルルと共に「悪友」として名を馳せた男だ。
「……シャルル。貴様、自分の時計が狂ってる自覚はあるか? 今は何時だと思っているんだ」
ルブランは寝癖を直すこともせず、シャルルの向かいにどっかりと座った。
「踊り子と夢の中でステップを踏んでいる最中だったよ! それをアンタの部下どもが、『緊急事態だ』と言ってベッドから引きずり出しやがった。」
「……正直、暴徒か泥棒が押し入ってきたのかと思って、寿命が十年は縮んだぞ」
「あら、ごめんなさい。でも、泥棒よりはマシでしょ?」
「ましか…?命じゃなくて『平穏』を奪いに来たんだろ。……その顔を見ればわかる。またロクでもない企みを思いついたな?」
シャルルの口から飛び出した『連合艦隊の即時締結』という構想を聞き、ルブランは絶句した。
「本国の承認なしに、スペインと一晩で同盟を組むだと? そんな外交上の手続きを無視した暴挙、パリに知れたら二人まとめて絞首刑だぞ。本来なら、まずは本国に伺いを立て、正式な全権委任状が届くのを待つのが筋だ。最短でも数ヶ月はかかる」
「だから、ルブラン…。あなたを連れてきたの」
シャルルは冷徹な、だが信頼の籠もった瞳で悪友を見据えた。
「手順は踏むわ。ただし、同時並行でね。今この瞬間から、あなたが本国に向けて『事後承認』を求める報告書を書き上げる。それと同時に、明日の朝にはグラビーナ提督にサインさせるの」
「つまり……外務省のハンコが届く前に、事実上の同盟を完成させてしまおうってのか」
「そう。もう夢の中で踊る時間はないわ。私と、踊ってれるかしら?」
ルブランは毒づき、額の汗を拭う。
だが――その手は、隠しきれない興奮で微かに震えていた。
先月までのスペインなら、有り得ない話だった。
軍を出し渋り、負けることを前提にイギリスへの賠償金を準備していたスペイン軍なら、外交官として即座に首を振っていただろう。
だが、今はどうだ。
窓の外、カディスの港には深夜まで明かりが灯り、ナギの『黄金の工場』が生み出す富と熱狂が、スペインという国そのものを再起動させている。
(まさかこれがシャルルが起こしたものだったとはな…。だからこそ……シャルルの狂言でも、夢物語でもない!)
今のこのカディスの熱気があれば、不可能が現実へと裏返る確信がある。
「……はは、全くだ。お前に付き合うと決めた時点、ろくな事にならんの決まってたものだ。いいだろう、最短時間で本国に叩きつける報告書と、グラビーナを黙らせる条約案を並行して書き上げてやる。……やってやるさ!」
ルブランが羽ペンを手に取り、狂ったように書類へ没頭し始める。
シャルルはその背中を一瞥し、待機していた副官を呼び戻した。
「副官! 直ちにヴィルヌーブ提督とグラビーナ提督へ使いを出せ。内容はこうよ」
東の空が、うっすらと白み始めている。
「『夜明けとともに、ヴィルヌーブ提督の艦ビュサントールにて最高会議を執り行う。一刻の猶予もなし。閣下自らの乗艦を乞う』……と」
(立てるべき役者は立てる。シャルルらしいやり方だ……ったく、とんだ疫病神だよ、アンタは)
ルブランは毒づきながらも、その顔には最高の獲物を前にした猟犬のような笑みが浮かんでいた。
シャルルは乱れた軍服の襟を正し、冷徹な「提督」の顔で朝焼けの海を見据えた。




