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ナポレオン戦争に迷い込んだ女子大生、おねぇ提督とフランス軍を救います  作者: もふおのしっぽ
第六章:パリ凱旋とピレネーの檻

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第111話:黄金の重圧、予言という名の呪い

 凍てつくピレネーの白から、乾いた赤土の茶へ。




 イリュンでの合流から数日。




 エミールたちはスペインの心臓部、マドリードへと辿り着いた。





 フランス大使館の離れには、ピレネーの泥にまみれた強行軍が嘘のような、洗練された沈黙と豪奢な装飾が広がっている。





「ひ、ひぎぃっ……重、重いですニコラ様! これ、本当に中身全部金貨なんですか!?」





 エミールは、テーブルに置かれた革袋の重みに腕を震わせていた。





 ドン、という鈍い音が響き、最高級のマホガニーが心許なく軋む。





「おや。ルブラン公使が持たせた僅かな小銭に慣れすぎましたか? 」




 ニコラは旅装を完璧に着替え、汚れ一つないシャツの袖口を整えながら、優雅にワインを傾けている。





 エミールは恐る恐る袋の中を覗き込み、その一枚一枚の大きさと、刻印された見たこともない紋章に絶句した。




「これ……20フランじゃない。40フラン金貨だ……! どうしてこんな大金が手元にあるんですか!?」





「何、簡単なことですよ。出発前に私が通告しておいた『英国病の治療費』……。あれを回収しに行った際、彼らが少しばかり物分かりが悪かったので、少しだけ『将来の歴史』についてお話ししてあげたのです」





 ニコラは冷ややかに笑い、マドリードの閣僚たちを追い詰めた時の光景を、まるでお伽話のように語り出した。





(「――閣下。我々は既に、ピレネーの資材費を『英国病』の治療費として請求しております。ですが、もしあなた方がこの支払いを渋り続けるなら……我々も考えを変えねばなりません」)




 ニコラの声が、一オクターブ低く、鋭くなる。


 


(「……ああ、そうだ。マドリードの閣下。私たちが『英国病』と呼んで隔離しようといている不名誉な病ですが。明日から我々は全欧州の広報、および公式文書において、この病を『マドリード病』と改名することにいたしました。諸悪の根源はスペインにある。その『真実』を、ボナパルト閣下の署名と共に永劫の歴史に刻む。……これこそが、不誠実な隣人への正当な報復ですが、お望みですか?」)




 エミールは心臓が跳ねるのを感じた。




 パリでルブランが笑いながら言っていた冗談が、ニコラの口を通した瞬間、一国を滅ぼしかねない「呪いの予言」へと変貌していたのだ。





「ニコラ様……ルブラン様のあの冗談を、本気で実行しようとしたんですか!?」




「いいえ。実行するまでもなく、閣僚たちは椅子から転げ落ちんばかりに狼狽しましたよ。自国の名が、不名誉な性病の名として万代にわたって歴史に残る……。その恐怖は、大砲の数よりも彼らを動かしました。彼らはその『呪い』を解くために、国庫の底をさらってこの50フラン金貨を積み上げて見せた。……これは単なる資材費ではありません。歴史に泥を塗られないための、切実な『身代金』ですよ」





 エミールは、腕に食い込む黄金の重みが、ただの金銭ではなく「一国の恐怖と歴史の重み」であることに気づき、さらに手が震えた。





 10キロ近い金塊は、もはや「手土産」の範疇を超えている。





「……ルブラン様の毒を、ニコラ様が氷で固めて突き刺したんですね。僕、こんなの持って歩けませんよぉ……!」





「いいえ。持って歩くのです。ルブラン公使が言っていたでしょう? 金は使い手の『本性』を暴き出す、と。……さあ、その重すぎる袋を抱えて、少しは休み。明日にはこの都を発ちます」





 ニコラは満足げに立ち上がり、窓の外の南の空を指差した。





「目指すは南、カディス。……あそこで待っている提督なら、この黄金の山を見て、あなたの鼻水くらいは許してくれるかもしれませんよ?」





 ニコラが部屋を去り、静寂が戻った離れで、エミールは一人、テーブルの上の鈍く光る袋を見つめていた。




(……これ、全部繋がってたんだ)





 パリでルブランが不敵に笑い、ナポレオン閣下につねられた痣を勲章だと嘯いたあの日。





 ピレネーに「英国病」という偽りの檻を築き、マドリードの喉元に「歴史の汚名」というナイフを突きつけた。





 すべては、カディスにいる「彼女」――を、誰にも邪魔させず、傷一つつけずにパリへと運び上げるため。





 一人の少女を安全に移動させるためだけに、フランス軍数千人が雪山を固め、スペイン王室が震え上がり、帝国の外交官たちが泥にまみれて「情報の回廊」を繋いだのだ。




 これほどまでにシャルル提督やルブラン様、そしてあのボナパルト閣下までが心血を注ぐ「女神」とは、一体どんな方なのだろうか。





「……ナギ、様」





 エミールはその名を小さく呟いた。





 自分のような見習いが、命を削り、黄金を抱えてまで迎えに行く価値のある主。




 窓の外、月光に照らされたマドリードの街並みの向こう。





 南風が、微かに潮の香りを運んできたような気がした。




 ルブランが皇帝となる男を動かし、帝国を揺るがしてまで描き出した、壮大で不誠実な物語。





 その真ん中で、今はまだ何も知らずに笑っているであろう女神の元へ。





 エミールは両手で重い袋を抱え直し、明日から始まる南への旅路、その果てに待つ再会へと想いを馳せた。

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