第104話:巨人のクッション、小人の横領
バイヨンヌ、接収したギルド本部の書庫。
エミールは、埃の舞う暗がりのなかで、発狂したように書類の山を漁っていた。
「……おかしいですねぇ、親方。この十年分の工事記録、肝心な『支払い明細』がごっそりありません!! ここのネズミは羊皮紙の数字だけを食べる新種なんですかぁ?」
エミールの背後には、ニコラが「教官」として無言で立っている。
その威圧感に、ギルドの幹部たちは蛇に睨まれた蛙のように震えていた。
「そ、それは……革命の混乱で焼けたか、紛失したかで……」
「いいですよ、別に。ここになければ、パリの工兵司令部から『バイヨンヌへの全発注簿原本』を取り寄せるだけですから。……ああ、ついでに師匠に頼んで、大蔵省の監査官も数人派遣してもらいましょうか。彼ら、こういう『帳簿の不一致』を見つけると、親の仇みたいに喜んで食いつくんですよねぇ」
その一言で、幹部たちの顔が土気色に変わった。
当時のギルドは、現代の労働組合などではない。
国から工事を独占する権利を買い取り、職人を支配する「特権的な経営者集団」だ。
彼らは「手数料」や「上納金」と称して、国から降りる予算の半分近くを中抜きし、さらに「幽霊部員」を水増し報告して二重取りする不正の巣窟だった。
パリの「中央」が乗り込めば、それは単なる不正ではなく「国家への反逆」として処刑台に直結する。
「……ま、待て。今一度探してみれば、別の棚から見つかるかもしれん……っ!」
渋々差し出された「裏帳簿」。
エミールは、ルブランから事前に手渡されていたパリ側の極秘発注記録を広げた。
(ルブラン様……これを使うことになるとは。小人は離れていても、巨人の手のひらで踊らされるのですね)
照合を始めたエミールは、数時間後、椅子から転げ落ちそうになった。
(……な、なんだこれは!?)
バイヨンヌは防衛の要所。
国から流れた膨大な軍事予算。
しかし、その記録の隙間には、職人たちの血と汗を啜り尽くした天文学的な額の「中抜き天国」だった。
「あ、あ……あまる。ルブラン様から預かった10万フランを職人への『即日付加給与』として惜しげもなく投入して、彼らの胃袋と忠誠を買い取ったとて、更に資材を清算して、利子を付けて返しても……まだ山のようにあまるぞ、これ」
ニコラの教えは正しかった。
言葉より先に、今日その手につかめる金属の重みを与えたことで、職人たちは一瞬でエミールの軍門に降った。
だが、その背後で暴き出したギルドの蓄財は、想像を絶していた。
この余剰金を正直に報告すれば、間違いなく「もっとヤバい仕事」が降ってくる。
(嫌だ、死んじゃう! このままじゃ、僕の胃に穴が空く前に、過労死するのが先だ! ……こうなったら、一フランでも多く『経費』として溶かしてやるんだからぁ!!)
エミールの生存本能が、史上最も精緻な不正経理へと彼を突き動かした。
翌朝、真っ赤な目でニコラに報告書を差し出す。
「……ニコラ様。裏金は、職人の『生産性向上のための特別配当金』として処理しました。……あと、この項目を見てください」
指し示したのは隅っこの一行。
――『特使用移動司令部(馬車)の、振動抑制装置及び、脳機能維持用高純度栄養材』。
「ニコラ様……僕、十日間ずっと揺れる馬車で寝てないんです。ここに着いてからのストレスも極限なんです!! お尻も痛いし、脳みそも溶けそうなんです。この数億の利益からすれば、クッション一個とチョコ一箱なんて、誤差の端数ですよね……?」
ニコラは無言で報告書を眺める。
一分、二分。
エミールの心臓が破裂しそうになった時、ニコラが冷たく微笑んだ。
「……エミール君。クッションの項目、常のガチョウ(グース)の単価でアイダーダックを仕入れようとしましたね? 原価が違いますよ。やり直し。……ですが、チョコの代金を『検疫用薬品費』の偽造領収書の中に隠したその手口は、70点をあげましょう」
「一枚くらいいいじゃないですかぁぁ!! 食べさせてくださいよ、チョコぉ!!」
バイヨンヌを救い、国庫を潤した「巨人の特使」は、その夜、チョコ一粒を勝ち取るために、涙を流しながら世界一精密な「横領報告書」を書き直す羽目になるのだった。




