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ナポレオン戦争に迷い込んだ女子大生、おねぇ提督とフランス軍を救います  作者: もふおのしっぽ
第五章:パリ召還

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第99話:ピレネーの檻と、不誠実なパスポート

 パリ公使館の地下、エミールが寝泊まりしている物置部屋。




積み上がった書類の山の中で、書記官見習いのエミールは狂ったように羽ペンを走らせていた。




(……マドリードで封鎖を合意させたとしても、もし一人でも工作員がパリに抜けたら、僕の首が飛ぶ……いや、受理印どころか粉砕される!)




 生存本能が、エミールにルブラン以上の「不誠実な徹底管理」を思いつかせた。彼は震える手で羊皮紙を広げ、声を上げた。





「どー考えても無理だ、死んじゃう! あと二ヶ月でピレネーを『清潔』(隔離)にしろなんて、僕の寿命が先に尽きますぅ……!」




 ルブランから突きつけられた「四月までに女神たちの凱旋ルートを確保せよ」という厳命。




追い詰められたエミールが、生存本能の果てにひねり出したのは、現代のパスポート制度を十九世紀の技術で再現するという、あまりに不誠実で完璧な「検疫」の管理草案だった。




* 旅人は赤い木札。業者は青い木札。軍人・官吏は緑の木札。


* 全てに管理番号を振り、人相書きで照合。


* 毎日早馬を出し管理簿を更新。名簿にない者は、最新版が届くまで何者であろうと足止めとする。


* 極め付けは、ピレネーの入山時と下山時に押す**「対の押印ペア・スタンプ」**。




「もういい、こうなったらネズミ一匹、僕の許可なしには通さないんだからぁ……っ!」






 翌朝。





 その草案を見たルブランは、ソファから転げ落ちんばかりに爆笑した。





「はっ! ロッシュ、見てみろこれを! お前の弟子は、俺以上の事を考えてるぞ! 検疫済みの証に『ペア・スタンプ』だとさ! 逃げ道を塞ぐどころじゃない。ははははっ」




 書類を奪い取ったロシュフォールは、眼鏡の奥の目を鋭く光らせ、一項目ごとに深く頷いた。




「……お前の毒に完全に侵されているな……。だが、気に入った。この『番号管理』と『木札システム』は、必ずフランスを救う。ルブラン、お前はナポレオンを脅して承認を取れ。私は一ヶ月以内にパリ市門とバイヨンヌに『検疫管理局』を設立し、売れない画家をかき集めて人相書きの専門官に仕立て上げる」




「いいか、ロッシュ。これは単なる選別じゃない。この『検疫済みの木札』は、いずれフランス国内で最強の身分証明書になる。……我々公使が持つ信任状や、そこらの貴族の紋章などよりもだ。パリに入るための、唯一にして絶対の通行許可証パスポートだ」





 ルブランもまた、悪い笑みを浮かべる。





「冬の間は、民や商人から山のような文句が出るだろうが、このピレネーの檻が完成し、整備が終わる頃……春が来る頃には、我々が許可した人間だけがフランスという舞台に立てる。あのお方が大好きな、最高の独裁だと思わないか?」



「よし。じゃあ、エミールには最高の『手土産』を持たせてやるとするかな」




1804年2月1日:出立の日




 草案から一週間後。




 パリの城門前に現れたエミールは、その場で卒倒しかけた。




 そこには、見習い一人が率いるにはあまりに過剰な、「国家の牙」が揃っていた。





「……な、なんですか、この大軍勢と木材の山はぁ!? (警護がつくとか、そういう次元じゃないじゃないですか!!)」




 見渡す限りの数千の軍勢。




 山を要塞に変える大量の建設資材。




 そして人相書き用に集められた不機嫌な画家集団と、水銀を抱えた軍医の列。





「エミール特使、ご安心を。道中の『英国病スパイ』は、このバディストが全員、ピレネーの土に還して差し上げます」





「土に還してはなりません……! あくまで検疫なのです! 私たち公使館員は人を殺めません!」




 野獣のように笑う総大将バディストを必死に止めるエミールの横で、涼やかに懐中時計を閉じたのは、新カディス駐在公使、ニコラ。




 ルブランが信頼する知的なキレ者だ。




「初めまして、エミール特使。マドリード側の『承認』は、私が道中でスマートに片付けます。貴方はただ、閣下署名の『全権委任状(印籠)』を私の合図で突き出せばいい。いいですね?」




「わ、私はまだ見習いであります! ニコラ様からそんな風に扱われるのは……」




「いいえ。貴方はその印籠を託された特使だ。堂々となさい」




 ニコラは冷徹に微笑み、退路を断つ一言を添えた。




「木材の購入費用はすべてスペイン政府に請求しておきました。どうやら『黄金のジュース』で儲けているようでしたので。貴方の名前で『英国病の治療費』として通告済みです。感謝してください」




「ひえええええ!! やりすぎです! 寿命がぁぁぁ!!」




 エミールの悲鳴を置き去りに、「巨大な檻」が南へと動き出した、その時。




「待て。エミール」




 一歩前に出たのはルブランだった。




 その頬には、未だ消えぬ鮮やかな「勲章(ボナパルトにつねられた痕)」が残っている。




 バディストを筆頭に、軍人たちが一斉にルブランへ敬礼を送った。それは、彼があのボナパルト閣下に真っ向から立ち向かい、認められた証。




「……エミール、もう一つ手土産だ」




 落とされた革袋は、ずしりと重い。




 ジャラリと鈍い金貨の音が響く。




((ぼ、僕の年収の何倍もある!!!))




((……自由に使え。使い道は、お前に任せる))




((え!! いやですよ! こんな出所不明な大金、賄賂ですか!? 横領ですか!?))




「さあな。……せいぜい、その金が『血』に変わらないよう祈ってるよ」




 突き飛ばされ、馬車に飛び乗ったエミールは、遠ざかるルブランに涙目で手を振った。




(でも……行かなかったら、きっともっと多くが死ぬ。パリの人を死なせないのが、僕の役目か……)




 ルブランは、砂塵の向こうを見つめていた。




「……ルブラン、悪趣味だな。あんな大金、エミールにどうさせるつもりだ?」




 隣に立ったロシュフォールが呆れたように呟く。




「……金は、使い手の『本性』を暴き出す。あいつがその金を『塞ぐ』だけに使うのか、誰かの『口』を塞ぐために使うか、それとも……自分の『おやつ』に変えるか……。楽しみじゃないか」




 それは師匠から弟子への、最後にして最大の試練であった。

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