8話 乾いたアスファルトの上で
夏休みの始まりの日
リビングのテーブルには、次の大会の案内用紙が広げられていた。県内でも有名な高速レイアウトのコースで、スピード勝負になると言われている。そしてここは、瑠生も何度か走ったことがあるサーキット場だった。
「雨じゃなくて、今度は晴れだって」
父・真一が天気予報を確認しながら呟く。
「じゃあ……思いっきりアクセル踏める!」
瑠生の胸が高鳴った。雨に苦しんだ前回の大会から、ずっと乾いた路面を待ち望んでいたのだ。
しかし、母・鈴は厳しい顔を崩さなかった。
「でも、スピードが出る分、危険も増えるのよ」
「大丈夫だよ、お母さん。ちゃんと勉強も続けてるし!」
瑠生は算数ドリルと英単語帳を見せるように机に並べ、胸を張った。
鈴は小さく笑って、ようやく頷いた。
「……なら、気をつけて行ってらっしゃいとはならないのよ」
そう言って、瑠生の両頬を引っ張った。引っ張られた瑠生も笑顔で楽しんでいるようであった。
ーーー
大会会場に着くと、すでに多くのマシンが各テントに置かれ並んでいた。晴天の下、アスファルトは熱を帯びて、立っているだけでも底が薄いレーシングシューズの靴底がじんじんする。
「健二、あっちにいるな」
瑠生の視線の先、健二はチームメイトに囲まれて整備を受けていた。目が合うと、にやりと笑って手を挙げてくる。
「健二、、今日は負けないからな!」
「……僕だって!」
緊張と闘志が入り混じる中、さらにもう一人。
真昼が淡々とタイヤを磨いていた。長い髪を後ろでひとつに結び、父親と二人きりで準備を進めている姿は、やはりどこか凛として見えた。
「……全国常連の真昼も来てるのか」
健二の一言で瑠生の喉が鳴った。
ーーー
スタート直後から、乾いた路面にマシンが吸いつくように伸びる。雨の不安はない。コーナーで踏み込み、直線で加速――そのたびに胸が躍った。
だが、すぐに現実を思い知らされる。
「速い……!」
背後から真昼が迫り、イン側を一気に差し抜いていく。ライン取りは滑らかで、ステアリング操作の修正がほとんど見えないほど。健二もその後ろを追いかけ瑠生を抜いていく。
「まだ差がある……でも、追いついてやる!」
気合いを入れ直し、必死で限界点を探した。
ーーー
予選のスタートで瑠生は一気に順位を上げ、4番手につけた。しかし、前の3台――健二と真昼、そして地元の強豪ドライバー――との距離は、なかなか縮まらない。
「くそっ……あと少しで……!」
限界まで攻めた結果、最終コーナーでアウトに膨らみ、1台に抜かれてしまった。結局、決勝グリッドは5番手。
ーーー
決勝の時間が近くなるにつれ気温も路音も上がって行った。灼けるようなアスファルトの熱気の中、グリッドに整列する。
「絶対、最後まで諦めない」
いつものようにお守りをポケットの上から握り、瑠生は心で誓った。
スタートの旗が振り下ろされる――!
エンジン音が一斉に高まり、マシンが飛び出す。混戦の中で接触寸前の攻防が続き、視界の端でスピンするマシンも見えた。
「まだ前に行ける!」
2周目、瑠生は3番手争いに食い込む。アウトから仕掛け、インを差し返され、何度も並走する。観客席からは歓声が沸いた。
そして残り3周。トップを争う健二と真昼の背中が見えてきた。
「届く……!」
だが次の瞬間、前方で健二と真昼がラインを譲らず並走。軽い接触の末、健二がアウトに膨らむ。 その隙を逃さず、瑠生は真昼の後ろにつけた。
――2位争いだ!
心臓が爆発しそうな鼓動の中、最終ラップ。最後の直線で全開。風が全身を叩き、シートに押しつけられる。
「抜け――!」
しかし、わずかに届かず、ゴールラインを通過。結果は2位。だが、トップ争いに食らいついた初めてのレースだった。
ピットに戻ると、真一が大きく笑った。
「よくやった! 最後まで諦めなかったな」
健二は悔しそうにヘルメットを脱ぎ、近づいてきた。
「……次は、絶対勝つ」
「僕が勝つ!」
そして、真昼は無言のまま一瞥をくれただけで、静かにピットを後にした。
その背中に、瑠生は新しい炎を感じた。
ーーー
その夜。
自室のベッドの上、握りしめたピストン片が手の中で冷たく光る。
――次こそ、真昼にも、健二にも勝つ。




