6話 初めての大きな大会
朝の空はまだ白み始めたばかりだった。町は静かで、鳥のさえずりだけが響いている。
瑠生は玄関に並べられたレーシングスーツのバッグを抱えながら、胸が高鳴るのを抑えられなかった。
「るい、忘れ物はない?」
母・鈴の声が背中から飛んでくる。
「大丈夫! ヘルメットもグローブも持った!」
父・真一がワンボックスカーのトランクを開け、カートを積み込んでいる。フレームは黒に近い緑に鮮やかな黄色のラインが引かれ塗られいた。ところどころ傷がある。それでも、瑠生にとってはかけがえのないマシンだった。
「じゃあ出発だ。今日は早めに会場に着いてセッティングを確認するぞ」
「うん!」
車が静かに走り出す。まだ眠そうな街並みを抜け、高速道路に乗ると、東の空から朝日が差し込んできた。瑠生は窓に額を寄せ、その光を浴びながら思った。
――今日は負けられない。
ーーー
会場に着くと、すでに多くのチームが準備を始めていた。駐車場にはワンボックスや小型トラックが並び、カートや工具が次々と降ろされていく。
「わぁ……」
目の前に広がる光景に、瑠生は息を呑んだ。いつもの練習場とはまるで違う。テントがずらりと並び、色とりどりのレーシングスーツを着た子供たちが歩き回っている。
「これが……大会」
その中に、ひときわ目立つ青いワンボックスがあった。車体の横にはスポンサー名が貼られ、チームのスタッフらしき大人たちが忙しそうに動いている。
その前に立つ少年が、じっとこちらを見ていた。
「……あいつ、健二か」
真一が低い声でつぶやいた。
健二。瑠生と同じ年でありながら、すでに全国大会の常連。地元でも「天才」と噂される存在だった。鋭い目つきと落ち着いた佇まいは、小学生とは思えない。
健二は瑠生を一瞥すると、わずかに口元を上げ、すぐに視線をそらした。
――挑発してる? それとも、自信の余裕?
胸の奥が熱くなる。負けられない気持ちが一層強くなった。
ーーー
テントを張り、工具箱を広げると、真一がカートを確認し始めた。
「今日は気温が高いから、キャブセッティングは少し絞った方がいいな」
「うん……でも、パワーは出るの?」
「出るさ。ただ、回転の伸びが変わる。お前は細かい違いに気付けるかどうかが勝負になる」
真一の手際は迷いがなかった。キャブを調整し、チェーンの張りを確認し、最後にタイヤを磨くように拭いた。
「るい、いいか。今日はただ走るんじゃない。勝ちに行く」
「……うん!」
スーツに袖を通し、ヘルメットをかぶると、体が引き締まる。鼓動が早くなり、呼吸が浅くなる。だが、怖さはなかった。むしろ高揚感が全身を駆け巡る。
ーーー
予選
スタートラインに並んだ瞬間、心臓が跳ねた。隣には健二がいる。視線が一瞬交わる。健二はにやりと笑い、前を向いた。
「負けない……!」
シグナルが赤から青に変わった瞬間、エンジンが一斉に咆哮を上げる。
スタートはまずまず。健二が少し前に出たが、すぐにスリップにつける。
最初のコーナー。ブレーキを少し遅らせ、内側に滑り込む。タイヤが悲鳴を上げたが、なんとかインを奪った。
「よし!」
だが次の周で、健二がアウトから被せてきた。ラインを譲るしかなく、再び後ろにつく。
――すごい……! ブレーキの我慢が全然違う!
彼の走りは滑らかで無駄がなかった。攻めているのに安定している。その差を肌で感じながらも、瑠生は諦めなかった。
最終周。最後のヘアピン。健二が少し膨らんだ。
「今だ!」
瑠生はインに飛び込む。マシンが大きく揺れ、ハンドルが腕を叩いた。必死で押さえ込み、前に出る。
チェッカーフラッグ。
観客席から歓声が上がった。
「やった……!」
息を切らしながらガッツポーズをした瞬間、ピットに駆け寄ってきた真一が笑った。
「よくやった! あの判断は見事だ!」
ーーー
決勝
スタート位置はポールポジション。健二は2位の位置。
「絶対に食らいつけ。スタートで差を広げられるな」
「うん!」
緊張で喉が乾く。だが、もう逃げる気持ちはなかった。
――勝つんだ。
スタートの瞬間、全員のマシンが一斉に飛び出す。健二は完璧な加速でトップに躍り出た。瑠生は二番手で1コーナーへ飛び込む。
前との差は小さい。だが詰め切れない。健二のラインは正確無比で、隙がない。
後ろからのプレッシャーも強い。ミスをすればすぐ抜かれる。
「くっ……!」
腕が震え、握力が奪われていく。汗が目に入る。必死でこらえる。
残り二周。
健二との差はまだ数メートル。だが、このままでは届かない。
最終ラップ。最後の直線。
――全部、出す!
アクセルを限界まで踏み込み、前に食らいつく。空気の壁を破るようにマシンが伸びる。
健二が後ろを振り返った。その一瞬の迷いを逃さず、インに飛び込んだ。
ゴールライン。
チェッカーフラッグが振られる。
結果は――わずかに届かず。健二が先にゴールした。
「……負けた」
悔しさで胸がいっぱいになる。ハンドルを握る手が震えた。
しかしピットに戻ると、真一が笑っていた。
「るい、胸を張れ。お前は全国レベルの相手にここまで迫ったんだ」
健二が歩み寄ってきた。汗を拭いながら、静かに言う。
「いい走りだった。次は負けない」
「僕だって……次は勝つ!」
瑠生は涙をこらえ、強く答えた。
帰りの車。窓の外に夕日が沈んでいく。
ポケットの中には、いつもの壊れたピストン片。
「次は、必ず……」
瑠生は心の中で強く誓った。




