32話 タイヤと消耗
学校終わりの夕方の工場サーキットは、先ほどまでの喧騒を忘れたように静まり返っていた。
ピットの照明だけが白く地面を照らし、空気は少し冷たい。
真昼と健二はとっくに帰った。
残っているのは、整備士たちが、工具の整理をしているくらいだ。そして、ピットには3人のフォーミュラは止まっているがエンジンはまだ温まっていた。
瑠生は、ヘルメットを両手で抱えながらピットの奥のパソコンの前で立ち尽くしていた。
(今日の練習……やっぱり真昼のラインには敵わなかった)
悔しさはあった。だが同時に、はっきりとした疑問が胸の奥でうずいていた。
「……俺の何が足りないんだ?」
答えを求めるように、瑠生は再びマシンへと歩み寄った。
工具箱の脇で作業していた石浦が顔を上げる。
「まだ走るのか?」
「はい。少しだけ……いや、納得いくまで」
迷いなく答えた瑠生の目を見て、石浦は肩をすくめただけで何も言わなかった。
その代わり、ピットロードの照明を点けてやる。
「じゃあ、怪我だけはするなよ」
「わかってます!」
石浦は周りの整備士たちの目くばせをして瑠生のエンジンを掛けさせたするとエンジンが咆哮を上げた。夜のサーキットに、フォーミュラの甲高い音が響く。
最初の数周、瑠生は普段通りのラインで走った。
ブレーキ、アクセル、シフト——すべての操作を確認するように。
そしてアタックに入ったのだが、タイムは伸びない。
ラップを刻むたび、真昼との差が頭をよぎる。
「……0.8秒。まだ遅い」
ピットインしてデータを確認すると、ブレーキポイントは悪くない。
ステアリングの入力角度も安定している。
けれど、出口の加速でどうしても遅れを取っていた。
「アクセル……踏み方か」
再び走り出す。
今度は立ち上がりに集中した。
コーナーの出口、アクセルを少し早めに開ける。
だが、すぐにリアが流れそうになり、慌ててスロットルを戻した。
「ちがう……まだ怖がってる」
息を整え、次の周回で再挑戦。
今度は、ハンドルを切りながら、ほんのわずかにアクセルを残したまま曲がった。
すると、マシンは落ち着いた姿勢のまま立ち上がる。
「……これか!」
気づきが全身を駆け抜ける。
今まで自分は「切ってから踏む」ことしかしていなかった。
けれど真昼は「切りながら踏む」——その勇気を持っていた。
何周も繰り返す。
タイヤが熱を帯び、グリップの限界を訴える。
それでも瑠生はアクセルを残し続けた。
やがて、タイムがコンマ3秒縮んだ。
「よし……っ!」
まだ真昼には及ばない。
だが確実に近づいている。
ピットに戻ると、石浦が腕を組んで待っていた。
「やっと気づいたか」
「……見てたんですか」
「ああ。お前、今まで“踏むか離すか”の二択しかしてなかったろ。プロはその間を使うんだよ」
「その間……」
「アクセルもブレーキも、0か100だけじゃない。0から100の間をどう使うかが腕の差になる」
石浦の言葉は重かった。
瑠生は黙って頷き、もう一度だけシートに深く座り直した。
また、コースに出て行った。その周では、新しい試みをしていた。今までは、すべてのコーナーを鋭角に曲がるかしれに近い曲がり方をするか、柔らかく円を描くように曲がるかのどちらか一方の走り方をしていたがその走り方を織り交ぜるような走り方を試すことにした。すると瑠生が思っていた以上に早く走ることが出来た。が、同時にタイヤの消耗も激しい物であった。普段であれば、30周程度走ることが可能なはずが15周ほどでフロントの感覚が無くなりピットに戻って来ていた。
ピットに止めると想像以上に早い戻りで石浦は驚いていた。
「速いお戻りだな。壊したか」
「壊していないですよ」
「さすがにな、健二なら大概早く戻ってくるときは何かしら壊しているからな」
「さすが、猪突猛進」
「あいつそんな言われ方をしているのか」
「いえ、今適当に決めました」
「そうか」
石浦は、大爆笑していた。何か「まさにそうだ」と言いながらお腹を抱えていた。
ーーー
散々笑うと瑠生に先ほどと同様の質問をした。
「結局なんで早く戻って来たんだ」
そう言いながら、ピット内に入れられた車両を触りながら聞いてきた。
「タイヤですよ」
「タイヤ?」
「想像していた倍の速さですり減ったんですよ」
そう言うとそれを確認するようにタイヤを触りだした。
「これはひどいな」
「ええ」
そのタイヤは、内側が以上にすり減り外側には、ラバーカスが付いてまだらな柄が出来上がっていた。
「何をしたんだ」
「今までの鋭角ラインと円のラインを織り交ぜながら走ってみたんです」
「そうか」
石浦は何かを察したようにタイヤを眺めていた。
「そうか、再度調整をしておくよ」
「はい」
「今日はもう遅い。切り上げろ」
そう言われても、エンジンをかけたい衝動は収まらなかった。
けれど、タイヤの温度、燃料残量、自分の体力……すべてを考えて瑠生は深呼吸した。
「……はい。今日はここまでにします」
走りたい気持ちを抑えて工場に戻ることにした
夜のサーキット。
ピットの照明に照らされたマシンを見つめながら、瑠生は固く拳を握っていた。
ーーー
石浦は瑠生が去っていくのを見ながら楽しそうにしていた。
「どうしたんですか石浦さん」
「黒宮か」
「いや、あいつは化けるなっと思って」
「そうですか、既に化けているように思うのですが」
「そうだな、今年のメンツは異様だ。今までうちの会社は、箱車を専門にやって来た。その中でもこいつは早いというやつはいた」
「確かにそうですね。今年の大会に出ている2人は早いですからね」
「そうだ、しかしあいつらはこのぐらいの時こんなに早かったか?」
「確かにそうですね。中学1年生で既に真昼、瑠生の二人が表彰台に連続で乗り昨年のチャンピオンといい勝負が出来てますから」
「そうだな、しかしな」
そう言って、石浦は冷めたであろうタイヤを触りだした。そしてそのタイヤを見て黒宮は驚いてしまった。
「こっれどういうことですか」
「どうもこうもない、タイヤの使いかたが変化したんだよ」
「でもここまで来るとタイヤの使いかた同行ではないですね」
「ああ、うまく空気を使えているな」
「そうですね」
「逆に使い過ぎている気もするな」
「ええ、タイヤがここまですり減っているとということは」
「フロアに傷が入っているな」
「あー」
「こりゃ、忙しくなるな」
「楽しそうですね」
黒宮は、落ち込んでいる様子であったがが石浦は楽しそうであった。




