25話 ジュニアフォーミュラの幕開け
春の陽射しは柔らかく、しかし瑠生の胸の内は落ち着かなかった。
中学校に進学して数週間、ようやく新しい生活のリズムにも慣れてきたところだったが――今日だけは違った。
工場の横に新設されたコースでなく、遠くの地方サーキットへ。
そこに、全国から集まった若きレーサーたちが顔を揃えていた。
「ジュニアフォーミュラ開幕戦」。小さなカートの枠を飛び越え、いよいよ本格的なステップへ足を踏み入れる時が来たのだ。
ピットロードに並ぶマシンは、これまでのカートとはまるで違う。
細いカーボンモノコックに覆われたシャシー、スリックタイヤ、リアに収められたエンジン。
それらは小さな「フォーミュラカー」と呼ぶにふさわしい姿で、見上げるほどの威圧感を放っていた。
「……これが、俺の次の舞台か」
瑠生は思わず息を呑む。
後ろから健二が声をかけてきた。
「おい瑠生、緊張してんのか? そりゃそうだよな、マシンの迫力が違うもんな」
彼は笑いながらも、その瞳には隠しきれない興奮があった。
真昼もまた、冷静にマシンを観察していた。
「サイズは小さいけど……操作は大人のフォーミュラと同じ。油断したら簡単にスピンするわ」
彼女の声は落ち着いていたが、その指先が僅かに震えているのを瑠生は見逃さなかった。
やがてブリーフィングが始まり、審判員が注意事項を読み上げる。
セーフティカー導入時のルール、ピット作業の安全確認――すべてがカート時代よりも複雑だった。
瑠生はメモを取りながらも、頭の片隅で「これを本当に自分はやりこなせるのか」と不安を抱えていた。
ピット裏に戻ると、既に社長とメカニックたちが待ち構えていた。
「今日からが本当の勝負だ」
社長の低い声が響く。
「お前たちがどこまで行けるか、スポンサーも注目している。覚悟はできているな」
三人は一斉に頷いた。
ーーー
予選1が始まった。
真昼はやはり安定した走りを見せ、立ち上がりもブレーキングも正確そのもの。
計測ラインを通過するたびにコンマ数秒ずつ縮め、堂々の2番手タイムを叩き出した。
健二は序盤から攻めすぎた。
タイヤを過熱させ、数度スピンしかける。
それでも豪快なドライビングで何とか6番手に食い込むと、ピットに戻ってヘルメットを脱いだ瞬間、汗が滝のように流れ落ちた。
そして瑠生。
練習の成果もあり段々とイン側を責めていたが、予選は3回ありその内どこかの予選で使用したタイヤを使わなければならないことを思い出し少しスピードを弱めた。
だが、ラップを重ねるごとに少しずつ体が順応していき、最終的に3番手タイムを記録した。
ピットに戻ると、社長が低く言った。
「悪くない。だが、まだ“限界”を決めている走りだな」
その言葉に瑠生の胸がざわめいた。
(また……限界を決めてる? 母さんにも同じことを言われたのに……)
ーーー
予選2は、予選1が終わり30分後には始まった。ジュニアフォーミュラに出場している選手は30台ほどで予選2に上がってきたのは半数の15台になっていた。そして、予選2の時間は10分ほどでそこでのタイムを争うことになった。
健二は、予選が始まるとすぐにコースに出た。
しかし、先ほどの予選1とは異なり安定した走りを見せてはいた。そのこともあり早めに出て行った組の中では断トツ早いタイムをたたき出した。
健二がもう一周行こうとしたタイミングで瑠生と真昼がコース上に出るとまだコースに出ていなかったマシンたちが一斉に出だしたが、昨年のチャンピオンのマシンと選手だけピットに留まっていた。
健二は走っている中では1番の早いタイムであったが総合では2位の位置につけておりこの1位に位置に去年のチャンピオンが居たのだ、予選3では10台で争いそこでいう一度新しいタイヤを使っても新品が1セット残るため予選2のタイヤが決勝で使用されていることになると圧倒的に有利になるため出ていないのであった。
瑠生と真昼は、コースを一周してからアタックに入った。先にアタックに入ったのは真昼であった、真昼はアタックを始めるとどんどん速度を上げて行った。それに続くような形で瑠生もアタックに入った。
真昼は、いつものように安定して走っておりどんどん健二とのタイムが広がっていった。他の選手が一気に速度を落としてしまうヘアピンですら真昼は他の選手よりも5kmほど早い速度で抜けて行った。
一方で瑠生は、コーナーで多少の躊躇いがあるのか普段より遅い速度でコーナーに入るが立ち上がりは真昼よりも早いこともありタイムは健二よりコンマ1秒ほど早かった。
結局、真昼は2位、瑠生は3位、健二は9位の結果であった。
ーーー
予選3が始まった。予選3はアタックが一度しかできない3分しかなく、1周でしっかりとタイヤを温めてからアタックに入った。瑠生は、後方から2番目の位置におり、その後ろにはチャンピオンが居た。
三人の中で一番初めにアタックに入ったのは、真昼だった。その後を追うように健二もアタックに入った。
瑠生は、アタックに入る直前にチャンピオンに先を譲った。瑠生は、後ろから追っかけ同じラインを走ることで上位を狙う作戦に変えた。実際チャンピオンが走るラインは、非常に綺麗なラインであったのだが瑠生は、1コーナー曲がり方の異変に気が付いた。瑠生たち多くの選手が綺麗な曲線を描きながらコーナーを抜けて行っているがチャンピオンは、鋭角に曲がっていることに3コーナで気が付きそれを真似するような形でコーナに入り抜けていくと次のコーナまでアクセルを踏める時間が長くなり使っていなかったギアまで入れることが出来た。
しかし、気が付くのが遅く、真昼、瑠生は順位は変わることなく健二だけが5位に繰り上がった。
ーーー
午後になり決勝が始まる時間になった。
グリッドに並んだマシンの排気音が一斉に高まり、観客席の子どもたちが歓声を上げた。
赤いシグナルが灯り、すべてが消える――スタート。
真昼は鋭い反応で飛び出し、序盤からトップに迫る。
健二は前のマシンに接触しかけながらも強引に順位を上げた。
瑠生は慎重に立ち上がり、まずはポジションを守ることを選んだ。
しかし、時間が立つに瑠生は、1台また1台と追い抜かされ4位にまで転落し後ろの順位には健二が付けていた。
だがレースが進むにつれ、頭の中で声が響く。
(このまま守るだけじゃ……勝てない!)
残り5周、瑠生は勝負をかけた。
ブレーキングをほんの少し遅らせ、例のラインを取りアクセルを一瞬早く踏み込む。
タイヤにタイヤカスが付きマシンが大きく揺れるが、ラインはギリギリで繋がった。しかし、アクセルが早かったこともあり目の前のライバルを一気に抜き去り、それを見ていた観客がどよめいた。
「よし……!」
瑠生は、そのままアクセルやブレーキをタイミングを変化させながら1周当たりのタイムが段々短くしていった。そして、ファイナルラップ瑠生は、意識をしないままブレーキを踏みアクセル踏み速度を上げて行った。後半になればなるほどタイムが出にくなるのにも関わらづ瑠生のファイナルラップは決勝では最速のタイムであった。
結局、真昼が2位でゴールし、瑠生は3位。健二は5位でフィニッシュした。ジュニアフォーミュラ初めての公式戦としてはとても良い成績を残した結果であった。
一周した後、ピットに戻った瑠生は、まだ鼓動の余韻に支配されていた。
エンジンの熱気が肌に残り、耳の奥ではマシンの轟音がこだまする。
「やったな、瑠生!」
健二が背中を叩いた。
「いきなり表彰台だぜ。俺も攻めすぎなきゃ……!」
その言葉の裏には、彼なりの悔しさが滲んでいた。
強引なオーバーテイクで観客を沸かせながらも、結果は5位。
派手さと結果の両立の難しさを、彼自身が痛感していたのだ。
真昼は淡々とグローブを外しながら言った。
「悪くはないわね。でも――まだ迷ってる」
瑠生は言葉に詰まる。
「……え?」
「コーナーごとに、迷いがあるの。守るのか、攻めるのか。その一瞬の躊躇が、トップとの差を生む」
冷静な指摘だった。
だが瑠生の心には、母・鈴の言葉が重なる。
――「自分の限界を決めるのは、自分自身だよ」
迷っているのは、やはり自分自身だった。
ーーー
コース上に設置された表彰台に立った瑠生は、初めて見る景色に胸が熱くなった。
トロフィーの冷たい金属の感触。
目の前に広がる人々の歓声。
(これが……俺の新しい舞台なんだ)
表彰式が終わり、パドック裏に戻ると、社長が待っていた。
「まずはよくやった。三人とも、それぞれの課題が見えたはずだ」
社長は険しい顔をしていたが、声にはわずかな誇らしさが含まれていた。
「スポンサーも見ている。今日の走りは悪くなかった。だが――次はもっと高みを目指せ」
そう言うと、彼は立ち去った。
その背中を見送りながら、瑠生は胸の奥に熱を感じた。
(次は……もっと上に行く)
ーーー
夕方、ホテルに戻ると、母の鈴からメッセージが届いていた。
『おめでとう。お父さんから聞いたよ』
短い文章だったが、その一文で胸がいっぱいになった。
ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。
(俺……本当に、ここまで来たんだな)
思い返せば、カートを始めた夜。
父が静かに見守る中、初めてステアリングを握ったときの震え。
健二と無我夢中で競い合った日々。
真昼に何度も追いつけず、悔しさで眠れなかった夜。
それらすべてが、この瞬間に繋がっていた。
ーーー
一方その頃。
パドック奥では、社長がスーツ姿の男たちとテーブルを囲んでいた。
スポンサー企業の代表たちだ。
「まずはご覧いただいた通り、三人とも素質は十分です」
社長は落ち着いた声で言う。
「この3年で基礎を固め、高校1年でIFC5へ昇格させる。その布石が今日のレースでした」
モニターには、三人の走行データが映し出されていた。
ブレーキポイント、アクセル開度、タイヤの温度。
数字は嘘をつかない。
「面白い」
スポンサーの一人が唸った。
「だが、エースは誰にするつもりだ?」
社長は微笑を浮かべた。
「それを決めたのは今日の走りでした」
ーーー
瑠生はホテルのベランダに出て、夜風を浴びていた。
街の灯りが遠くで瞬き、エンジンの残響がまだ耳に残っている。
そこへ健二がやって来た。
「よぉ、寝れそうにねぇな」
「……うん」
二人はしばらく黙って夜空を見上げた。
やがて健二が笑う。
「俺さ、やっぱ勝ちてぇんだ。今日の俺、攻めたけど結果は5位。派手にやっても意味ねぇって、ちょっと思った」
瑠生は頷いた。
「俺も……迷ってた。攻めるか守るか、そればっか考えて。結局、3位どまり」
健二はふっと息を吐いた。
「でもよ、俺たちまだ始まったばっかだろ。ジュニアフォーミュラ長いんだ。次はもっと面白ぇ勝負しようぜ」
その言葉に、瑠生の胸に火が灯った。
「……ああ。絶対に」
ーーー
朝食会場で真昼が静かに食事をしていた。
健二が隣に座り、冗談を言って笑わせようとするが、彼女は表情を変えない。
瑠生がやって来ると、真昼は顔を上げて言った。
「瑠生。昨日の最後の周……あなた、本気で走ったわね」
「え?」
「データに出てる。ブレーキがいつもより遅く、アクセルが0.1秒早い。それでタイムが一気に縮んだ」
瑠生は驚いた。
「……気が付いていたのか」
「ライバルだから」
真昼はそれだけ言い、再び食事に戻った。
だがその横顔には、わずかな笑みが浮かんでいた。
ーーー
朝食後、三人は再びサーキットに集まり、反省会を行った。
メカニックがデータを映し出し、走行を振り返る。
「健二、君は序盤のタイヤの使い方が荒い。温度が上がりすぎて、後半はグリップが落ちている」
「う……やっぱか」
「真昼は安定していたが、アタックラップの伸びがもう一歩足りない。限界の一歩手前で止まっている」
「……わかっています」
「瑠生は、迷いが多い。ただし最後の数周は抜け出しかけていた。あれを続けられるなら、勝てる」
三人とも黙り込む。
だがその沈黙の中には、確かに「次への意志」があった。
夕方、帰りのバンに揺られながら、瑠生は窓の外を眺めていた。
桜並木が流れていく。
中学校生活と、ジュニアフォーミュラの始まり。
(ここからだ。俺は――もっと速くなる)




