24話 桜の下で
春の光はやわらかく、校庭を覆う桜は七分咲き。
花びらが風に乗って舞い落ちるたびに、在校生や保護者の歓声がかすかに聞こえた。
体育館の中は独特の緊張感に包まれていた。
壇上には卒業証書が並び、紅白の幕が壁に張り巡らされている。
瑠生は胸に付けられた花飾りの重さを感じながら、制服姿の友人たちを横目で見た。
(……終わるんだな、小学校)
受験を終え、進学先が決まった今も、心のどこかに実感が湧かない。
冬は練習と勉強に追われる日々で、時間が飛ぶように過ぎていった。
机に突っ伏して眠った夜、鉛筆を握りしめて解いた問題、そしてエンジンの熱を浴びながら走り抜けたサーキット――それらがすべて繋がって、ようやく今日を迎えている。
「卒業証書授与。瑠生」
名前を呼ばれ、立ち上がる。
壇上までの足取りは自然としっかりしていた。
受け取った証書の紙の感触が、妙に鮮やかに指先へと伝わる。
その瞬間、体育館の空気は静まり返り、ただ自分の心臓の音だけが響いているように感じられた。
(これで一区切り。でも……終わりじゃない。ここからが始まりだ)
ーーー
式が終わると、体育館の外は春の空気でいっぱいだった。
桜の枝を背景に、クラスメイトたちが次々に記念写真を撮っている。
美咲は泣きながら友人たちと抱き合い、高志はわざと大げさに「お前ら、元気でな!」と叫んで周囲を笑わせていた。
「おーい、るい!」
他校のはずの健二が花束を駆け寄ってきた。
「ほら、写真撮ろうぜ!」
その後ろから同様に他校のはずの真昼も歩いてきた。
彼女は相変わらず落ち着いた表情で、しかし目の奥にわずかな光を宿していた。
三人並んで立つと、保護者の誰かが「はい、笑ってー!」と声をかける。
シャッター音が響き、瑠生は一瞬、時が止まったように感じた。
桜、笑顔、仲間。
それは小学校の最後を締めくくるには十分な一枚になるだろう。
ーーー
卒業式が終わり多くの生徒が帰った時間に校舎裏の静かな場所に、瑠生はひとり立っていた。
まだ遠くで歓声や笑い声が響いてくるが、ここは不思議なほど静かだ。
手に持った卒業証書を見つめながら、瑠生は深呼吸をした。
すると背後から声がかかった。
「……感傷に浸ってる?」
真昼だった。
続いて健二も現れ、手を頭の後ろで組みながら「いやー、面白くって泣きすぎて目が腫れた」と笑った。
三人が自然と並ぶ。
言葉は少なくても、不思議と通じるものがあった。
誰も「次は勝負だ」なんて口にしない。
でも、その沈黙自体が互いの心を表していた。
(これからも、一緒に走るんだ)
瑠生は心の中でつぶやいた。
ーーー
その夜。
家に帰ると、鈴が玄関で待っていた。
「おかえり、卒業生」
いつもより少し柔らかい笑顔。
「……ただいま」
瑠生は少し照れながら答え、靴を脱いだ。
夕食の席で、父も母も「おめでとう」と繰り返した。
普段は多くを語らない父が、珍しく「よくやったな」と声をかけてきたのは、何よりも胸に響いた。
その一言で、受験勉強や練習の苦労がすべて報われたように思えた。
ーーー
春休みは短く、日々はあっという間に過ぎていった。
瑠生は工場横のサーキットに足を運び、健二や真昼と練習を重ねた。
それぞれが新しい制服を手にし、もうすぐ始まる中学校生活に期待と不安を抱えていた。
そして――
桜が満開を迎えた日、瑠生は新しい制服に袖を通し、鏡の前に立った。
胸の奥に熱いものが込み上げる。
(小学校は終わった。次は中学だ。ここからまた、新しい戦いが始まる)
窓の外、春の風が再び桜を散らしていた。




