23話 夜の走行と夏への布石
夜のドライブは、思ったよりも静かなものだった。
鈴が運転する車は、最近真一の会社が発売をはじめたスポーツカーだった。
瑠生は助手席に座り、母・鈴が運転する車のフロントガラス越しに街の光を眺めていた。
窓を少し開ければ、まだ少し冷たい春の夜風が流れ込む。
工場の横にできたばかりのサーキットは、街灯に照らされ、アスファルトの黒い面が鈍く光っている。
まだタイヤの跡も浅いそのコースは、これから刻まれる無数の挑戦を待っているように見えた。
「……どう?」
ハンドルを握ったまま、鈴がふいに尋ねた。
「運転のこと?」
その返事を聞いて鈴は思わず笑ってしまった
「え?」
「運転のことじゃないよ。学校と、カート。両方やろうとしてるでしょ」
瑠生は言葉を探し、曖昧に笑った。
「まぁ……なんとか、やれてるよ」
「嘘」
短く言い切られ、瑠生は視線を窓に逸らした。
鈴は少し笑いながら続けた。
「小さいころもそうだった。無理してるとき、必ず目の下にちっちゃいクマができるの」
「……見えてたんだ」
瑠生は小さくため息をついた。
「でもね」
信号で車が止まり、鈴はちらりと息子を見た。
「今の方がいい顔してる。疲れてても、ちゃんと前を向いてる。……だから私は心配よりも、応援したいって思ってる」
車は再び走り出し、工場の明かりを横目に通り過ぎる。
瑠生は夜風に目を細めながら、ほんの少し心が軽くなるのを感じていた。
ーーー
瑠生は外をずっと眺めていたが初めて規定場所にも関わず鈴の運転に迷いがないことに気が付いた。
「ここ来た事あるの?」
瑠生は、疑問に思って質問したが鈴は何も答えなかった。いつの間にか山を登り切ったようでそこには瑠生が住んでいる町が広がっていた。車は近くの駐車場に止まった。
「降りるよ」
そう言って、鈴は先に降りて奥の展望台に歩いて行った。それを追うように瑠生もついて行った。
ーーー
「るいには、初めて話すんだけどね」
瑠生は、その話の内容が少し不安になった。
「私にはね。兄が居たの・・・でも事故で死んだの」
鈴は、そう言って瑠生の方を見たのだがクッスと笑った
「おっと、その顔は知ってる顔だな。いつ知ったの」
「カートを始めるとき」
「あー あの夜か やらかしたな」
しかし、その顔は少し楽しそうだった。
「なら、説明は楽ね。お兄ちゃんは、迷っていたの就職活動と大学院への進学で悩んで、悩んで、悩んでその中で操作を誤って事故を起こして帰ってこなかった」
瑠生は事故の原因が今の自分に非常に酷似していて固まってしまった。
「ねえ、瑠生。自分の限界を決めるのは自分自身だよ」
それ以降会話をすることなく家に帰った
ーーー
工場のサーキットに三人が集合した。
社長は既にピットに立ち、腕を組んで待っていた。
「今日からは本格的なロングランテストだ。IFC5と同じ周回数を行う。タイムだけじゃない、安定性と持久力を測る」
真昼は無言で頷き、ヘルメットを被った。
健二は大声で「よっしゃ!」と叫んだが、その背筋には緊張が走っている。
瑠生は深呼吸を繰り返した。
ーーー
真昼の走りはいつも通り冷静だった。
ラップを重ねてもほとんどブレがなく、タイヤの摩耗も一定に抑えられている。
健二は序盤から全開。
直線での加速は目を見張るが、コーナーでタイヤを使いすぎ、後半は失速する。
それでも以前よりは制御できているのが明らかだった。しかし、タイヤを使い過ぎたのか後半の方では何度もコースからはみ出していた
瑠生は――迷っていた。でも鈴の「限界を決めるのは自分自身だよ」が引っかかっていた。
しかし、ブレーキが早くなり、加速も一瞬遅れる。そうなると差が広がる。
残り10週に迫ったときブレーキが遅れ、1度もブレーキを掛けたことが地点まで進んでしまった。しかし、車は減速しコーナーが今まで感じたことがないほどスムーズに曲がれた。
「これが、限界か」
瑠生は、自身のその言葉で気が付いた。自分自身でここが限界だと決めつけブレーキを踏み、アクセルのタイミングを遅らせていることに。
そのあとは、受験を決める前の瑠生の走りが返ってきた。それを、観客席の隅で鈴が見ていた。瑠生は気が付いていないが毎回鈴は、見に来ていた。だからあの夜瑠生をドライブに誘った。
瑠生の順位はコースアウトをしまくっていた健二を抜いて2番目だったが1周のタイムは、三人の中で断トツに早かった。
ーーー
時間は遡って瑠生たちがコースに入ろうとしているとき、社長は裏でスポンサー会社の社長と話をしていた。
「新しいチームを作った。選手は揃った。あとは資金だ」
スクリーンには瑠生、真昼、健二の走行データが映し出されている。
スポンサーは唸るように言った。
「面白い。だが、誰をエースに据えるつもりだ?」
社長は笑みを浮かべた。
「それを決めるのは、これからの走り次第だ。でも既に決めてはいる。今日の走り次第だな」
ーーー
ピットに返ってきた。瑠生の顔は悩みが何もないと言わんばかりの顔だった。
しかし、その後ろ姿は幼いながらも確かに「戦う者」の後ろ姿だった。




