22話 新しいサーキットと鈴の視線
春が終わり、街路樹の若葉が眩しく揺れていた。
瑠生は教科書を抱えて帰宅する途中、ふと工場の方角を見やった。
そこには、つい先日完成したばかりの新しい施設――「サーキット」が広がっていた。
真一の工場の横に、舗装されたコースと簡易的な観覧スタンド、ピットスペース。
長い直線と複雑なコーナーが組み合わされ、まるで小型の本格サーキットのようだった。
これで、練習のために遠くのサーキットまで行く必要はなくなった。
「……便利になったけど」
瑠生は小さく呟く。
心の奥では、便利さがそのまま「逃げ場のなさ」にも繋がっていることを感じていた。
ーーー
夕方、家に帰ると鈴が玄関の掃除をしていた。
彼女は瑠生を見るなり、じっと目を細めた。
「最近、顔が疲れてるね。大丈夫?」
「えっ……あ、うん。大丈夫だよ」
慌てて笑顔を作ったが、鈴は首を傾げて言った。
「勉強と走り、両方やろうとしてるんでしょ。……でも、どっちも中途半端になったら嫌だなって、顔してる」
図星だった。
瑠生は返す言葉を失い、ただ黙って俯いた。
鈴は少し考え込むようにしてから、小さな声で続けた。
「でもさ……るい君、前よりも楽しそうに見えるんだよ。疲れてるのに、目が前を向いてる。だから……私は応援する」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
「ありがとう……お母さん」
その一言がやっと絞り出せた。
ーーー
その夜、三人は新しいコースで走行することになった。
ライトに照らされたアスファルトはまだ新しく、独特の匂いを放っている。
「すげぇ……工場の横にこんなの作っちまうとか、やっぱ社長さんのスケール違うな!」
健二が目を輝かせる。
「ここなら、毎日でも走れるわね」
真昼は冷静に呟いたが、その声にはわずかな興奮が混じっていた。
エンジンがかかり、三台のフォーミュラカーが次々とコースに飛び出す。
ーーー
瑠生は慎重にコースをトレースしていた。
だが、心のどこかで「早く帰って勉強しなきゃ」という声が響く。
(集中しろ……ここにいる間は走りに全力を出すんだ!)
スロットルを踏み込む。
新しいアスファルトはグリップが強く、マシンが吸い付くように曲がる。
恐怖と興奮が入り混じり、頭の中が真っ白になる。
だが次の瞬間、ほんの一瞬の迷いでブレーキが遅れ、リアが流れた。
必死にカウンターを当て、コースアウトは免れたものの、心臓が跳ね上がる。
(もしクラッシュして怪我したら……受験も、全部終わる……)
迷いが、またブレーキを早めさせる。
ーーー
走行を終え、三人はピットにマシンを戻した。
真昼は瑠生のデータを見ながら冷静に言った。
「迷ってる。タイムが伸びない原因は、それよ」
健二も頷きながら、少し苛立った声を上げた。
「るい、お前本気でやってんのか? 受験のこと気にしてんのはわかるけど、ここで迷ってたら絶対勝てないぞ!」
瑠生は言い返せず、ただ拳を握りしめた。
「……わかってる。でも、両方大事なんだ」
瑠生は小さく頷きいた
ーーー
家に戻り、机に向かう。
疲労で瞼は重いが、ノートを開いた。
(走るときは走る。勉強するときは勉強する。……両方やってやる)
すると部屋のドアがノックされた。瑠生が返事を返すと鈴が顔を出した。
「ドライブしない」
そう言った人差し指には車のカギがぶら下がっていた
夜風が窓を揺らす中、瑠生は静かに行くと返事を返した。




