16話 春の激闘、初優勝
春の空はどこまでも高く澄み、桜の花びらが風に乗って舞い散っていた。
校庭で見慣れた光景も、サーキットではまるで違う。舗装路面に舞い落ちる薄紅色の花びらが、グリッドに並ぶマシンのタイヤに吸い込まれていく。その一枚一枚が、これから始まる戦いの緊張を象徴しているかのようだった。
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観客席には朝早くから大勢の人が詰めかけていた。家族連れ、ここのサーキットに通う子、そして関係者やスカウトたち。スタンドから見下ろすと、子どもたちのレースとは思えないほどの熱気が渦巻いていた。
「おい、あれが谷口瑠生か?」
「真昼も出るんだろ? 去年の走りはすごかったって聞いたぞ」
ひそひそと交わされる声が、サーキット全体にざわめきを広げる。
グリッドに並んだ瑠生は、深呼吸を繰り返していた。
「……大丈夫。冬の練習を信じろ」
ピストン片を握る手に、自然と力が入る。
真昼は隣のグリッドで静かにハンドルを握っていた。まるで氷のような冷静さ。ほんの一瞬だけ視線が合ったが、すぐに逸らされる。
その瞳には「勝つ」という強い意志だけが宿っていた。
一方、健二は数列後方のグリッドに並んでいた。かつてのような焦りはなく、目はまっすぐに前を見ている。ピットの外から声を飛ばすコーチの姿を探すと、腕を組んだ男が大きく頷いていた。
「わかってる……今度こそ、落ち着いて走るんだ」
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赤いランプが一つ、また一つと点灯していく。
観客席が静まり返り、息をのむ音が伝わってくる。
「……っ!」
瑠生はステアリングを握り直し、体の全てを前方のシグナルに集中させた。
ランプが一斉に消える――スタート!
十数台のマシンが轟音を上げて飛び出した。
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スタートダッシュが決まり、瑠生は好スタートを切った。インを奪って1コーナーに飛び込む。
だが真昼も負けてはいない。無理に競り合わず、アウトから綺麗なラインを描いて2コーナーで加速を重ね、並び返してくる。
「さすが……!」
瑠生は思わず息を呑んだ。
2台はすぐに集団から抜け出し、観客席の視線を一身に浴びる。
「おおっ、もう一騎打ちか!」
「すごいぞ、この二人!」
後方では健二が必死にポジションを守っていた。無茶な突っ込みはしない。ブレーキングのタイミングを冷静に計り、じわじわと順位を上げていく。その姿に、コーチは静かに拳を握った。
「そうだ、その走りだ。焦るな……」
レース中盤に差し掛かってきた
5周目を過ぎた頃、瑠生と真昼の攻防はさらに激しさを増した。
瑠生がインを突けば、真昼は次のコーナーでアウトから抜き返す。互いに一歩も譲らない。
「行け、真昼ちゃーん!」
「負けるな、瑠生!」
観客席は大歓声に包まれ、ピットウォールに並ぶ大人たちも思わず身を乗り出す。
その後方、健二は5位争いの集団にいた。以前のようにリアを振り回すことはない。出口で一呼吸待ち、スッとアクセルを踏み込む。少しずつだが確実に成長を見せていた。
「……やれる。次はもっと前へ!」
ーーー
観客席に普段とは異なる服装の社長が双眼鏡を構え、口元に笑みを浮かべていた。
「見ろ、この走りを。瑠生も真昼も、そして健二も……まだ磨けば光る。間違いない」
隣に立つ地方チームの監督は、半ば呆れたように首を振る。
「子どものレースに、そこまで熱くなるとは……」
「子どもだからこそだ」
社長の目は野心に満ちていた。
「原石は若いうちに掘り出さねば、すぐに埋もれる。私は新しいチームを作る。この子たちを軸にしてな」
ーーー
最終周。
トップを走るのは瑠生。しかし、真昼は真後ろにピタリとつけている。
「まだ油断できない!」
瑠生は全神経を後方に張り巡らせる。
最終コーナー。真昼がアウトへ寄せる。
「来る!」
ブレーキング勝負。
ギリギリまで我慢し、タイヤが悲鳴を上げる。
瑠生は寸前で車体を安定させ、立ち上がりで“スッ”とアクセルを全開にした。
ストレートで真昼が横に並ぶ。観客が総立ちになる。
「抜けるか!? どうだ!?」
チェッカーフラッグが振られた瞬間――先に通過したのは瑠生だった。
ーーー
一周コースを回ってピットに戻ってきた。
「やった……!」
瑠生は拳を突き上げ、叫んだ。
ピットで見守っていた真一が深く頷き、声を張り上げる。
「瑠生、初優勝だ!」
観客席が大歓声に包まれ、子どもたちの走りが会場全体を熱狂させていた。
真昼はヘルメットを脱ぎ、悔しそうに唇を噛む。だがその目には涙ではなく、強い光が宿っていた。
「次は……絶対に」
健二は5位でゴール。表彰台には届かなかったが、落ち着いた走りを見せ、確実に前へ進んでいた。コーチが肩を叩き、満足げに笑う。
「よくやったな」
ーーー
表彰式ではトロフィーを掲げる瑠生の姿を、大人たちは様々な思惑で見つめていた。
社長は静かに呟く。
「この子たちで、新しい物語を始める……」
春の空は青く澄み、次なる戦いを予感させるように広がっていた。




