15話 新学期と、それぞれの春
春の風が校庭を渡り、桜の花びらが舞い落ちていた。
新学期を迎えた教室は、鉛筆の匂いと新しい教科書のインクの匂いで満ちている。窓から差し込む光が黒板を照らし、どこか新しい空気を感じさせた。
「おはよ、瑠生くん!」
明るい声で手を振ってきたのは、美咲だった。低学年の時より伸びた髪を後ろでひとつに結び、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめている。クラスの中でも落ち着きがあって、物事を冷静に見極めるタイプ。瑠生にとっては、学校での“真昼”のような存在だった。
「おはよう、美咲」
瑠生も自然と笑顔を返す。
その横で、がさついた足音が響く。
「よう、瑠生! 今年こそ負けねえからな!」
声の主は高志だった。快活で負けず嫌い。何かと瑠生に張り合おうとするが、どこか憎めない存在だ。まるで学校にいる健二のようだった。
「何に負けないの?」
美咲が呆れたように問いかける。
「全部だよ! テストでも運動でも、掃除の速さでもな!」
高志は胸を張るが、周りのクラスメイトからは笑いが漏れる。
「相変わらずだなぁ……」
瑠生は苦笑しつつも、こうした日常が少し心地よかった。
ーーー
ランドセルを家に置き、瑠生はいつものようにレーシングバッグを肩にかける。
新しい学期が始まっても、放課後の時間はサーキットで変わらない。
ピットに到着すると、すでに真昼がタイヤ交換を終えていた。彼女は学校とは別の場所で、変わらず冷静な瞳を持っている。
「遅かったわね」
淡々とした声。
一方、健二は以前より落ち着いた走りを見せていた。
コーチ役の大人――健二の父の知り合いである元レーサーが、ピットの外から腕を組んで指示を飛ばす。
「健二、出口で一気に踏むな! 待て……今だ、踏め!」
「わかってるって!」
以前のようにがむしゃらに攻めるだけでなく、少しずつ技術を身につけようとする健二の姿があった。しかし、人物は走り方を押しつけるだけでなく健二の走り方に合ったように調整しているようにも見えた。
真一はそれを見て、小さく頷いた。
「……あいつも変わってきたな」
ーーー
その頃、パドックの奥ではスーツ姿の男が二人の様子を眺めていた。
一人は真一の会社の社長。
もう一人は地方チームの監督。
「社長、本気でやるんですか? 新しいチームなんて」
監督が問いかける。
社長は口元に笑みを浮かべた。
「本気だとも。瑠生、高志――いや、あの谷口瑠生だ。真昼も、そしてあの健二という少年も。彼らを束ねれば、面白いチームになる」
「まだ子どもですよ」
「子どもだからいいんだ。才能は若いうちに掘り起こさなければ、あっという間に埋もれる。私は“原石”を磨きたいんだよ」
その瞳は野心に満ちていた。単なる会社の社長としてではなく、モータースポーツの舞台で何かを成そうとする男の目だった。
ーーー
瑠生はコースに飛び出した。
冬の練習の積み重ねで、ブレーキとアクセルのリズムは身体に染みついている。
「ギュッ……スッ……スッ」
ヘルメットの中で小さく呟く。
コーナーへの進入でマシンが沈む。そこから自然とアクセルが開き、加速が伸びていく。もう考えるまでもない。身体が勝手に正しい動作をしてくれるのだ。
コースが見える堤防から見ていた美咲や高志は、学校の同級生としてではなく、一人の走者として瑠生を見つめていた。
「すごい……瑠生くん、いつの間にあんなに」
美咲の声には驚きが入っていた。
高志は拳を握りしめる。
「くそっ、かっこいい……!」
ーーー
夕暮れがサーキットを染める頃、走行は終わった。
真昼は淡々とヘルメットを脱ぎ、タオルで汗を拭う。だがその表情には、瑠生に対するわずかな焦りが見え隠れしていた。
健二は息を切らせながらも、どこか晴れやかな顔をしていた。コーチに言われた通りに走れた瞬間があったのだ。
「……次は勝つ」
それぞれが小さく呟く。
春のサーキットには、子どもたちの声と、大人たちの思惑が交錯していた。
誰もが次の一歩に向けて、心を熱く燃やしていたのだった。




