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次に目が覚めたときは公爵家の自室だった。エフィム王と同じように部屋の様子をあらため、侍女に確認してパーヴェル様と婚約が結ばれる前まで遡れたことを知り、心の底から安堵した。
家族はあれほどパーヴェル様を慕っていた私が婚約を断固拒否したことに戸惑っていたが、遡る前に知った情報を予知夢と偽って少しずつ明かし、婚約も予知で不幸になるのがわかったからと説得した。遡行してきたと言えなかったのは予知能力の方が受け入れられやすいという計算もあったが、目的のために王宮に侵入し“時の石”を使ったことを知ったら、たとえ今はなかったことになっていても家族が気に病むだろうと思ったからだ。
婚約を避けられたことで安心し、遡る前の記憶を活かすため領地で過ごすことにした。
社交も進んで行う気がしない。私がラリサを苛めていると噂になってから、態度を変えた令息令嬢たちと今回も交友をもちたいとは思えなかったのだ。
私にとってはつい先日である、王宮への暴力的な侵入と王家への裏切り行為は自分でも気付かぬうちに性格に影響を与えていたようだ。立ち居振る舞いがずいぶん変わったと言われるようになった。
領地で行動するうちに領民と関わるようになり、以前のような身分へのこだわりも薄くなった気がしていた頃、パーヴェル様の婚約者が決まったと聞いた。
…その時の、裏切られたような気持ちはなんだったのか。
私は自分が拒絶しておいて、別の令嬢が婚約者の座におさまることを想像していなかったのだ。私との話が消えれば次の候補が選ばれるのは当然のことなのに、無意識に考えないようにしていたのかもしれなかった。
浮気者のパーヴェル様には見切りをつけたのだ。選ばれた令嬢は私と同じ目に遭うだろうが、今回は部外者になれたのだから関わりをもつ必要はない。
そう思っていても何故か心は晴れず、選ばれたのがアドリアーナ様だと知ってさらに焦燥に似た思いが生まれた。親切にしてくださったアドリアーナ様が私のせいで、仲睦まじかったレオニート様と引き離されて私と同じ目に遭わされる。そんなことは許せない。罪滅ぼしのため、今度は私が支えにならなければ…
「アドリアーナ様!お会いしたかったですわ!」
それは私にとっては本当に嬉しい再会だったのだけれど、現時点では私たちはそれほど親しい仲ではなかったので驚かせてしまったようだった。
思い切って家族にしたように予知夢と偽り、遡る前の出来事を話した。最近は変わり者のように噂されている私のことだから、話をすぐに信じてくれるか心配だったけれど、アドリアーナ様は信じてくれた。優しいこの方ができるだけ辛い思いをしないよう、傍で見守ろうと私は決心して学院に入学したのだった。
入学式の場で、婚約の話が流れてからお会いすることのなかったパーヴェル様のお顔を見た時は胸が締め付けられるように苦しかった。ラリサに心を寄せたことへの恨みや最後に受けた仕打ちに対する憎しみ、そして…見切りをつけたはずが、断ち切れずに残っていた恋心。それらが一挙に押し寄せて、叫び出したいような気持ちになる。
そしてラリサに対しては…今でも恨みと憎しみしかなかった。アドリアーナ様が心配で振り返ると、逆に私を気遣うように眉を下げて見つめ返される。
それからは記憶にあるとおり、パーヴェル様が何かとラリサを気遣う不快な場面をたびたび見せられた。アドリアーナ様はそれを黙認し、さらに自分でもラリサを気にかけるため、他の生徒もラリサに一目置いているようだ。私がラリサを責めていた時は、最高位の令嬢である私に追従してラリサに冷たく当たる者や、関わらないよう避ける者も多かったのに…
私の助言のおかげと思いたかったけれど、アドリアーナ様は予備知識がなくても同じように行動した気もする。『いずれ婚約は解消される』とアドリアーナ様に、自分自身に言い聞かせるように繰り返すたび、理由のわからない嫌な感覚に囚われる。
時が過ぎて気が緩んだのか、アドリアーナ様に対して口を滑らせることが多くなってしまい遡行してきたことがばれてしまった。アドリアーナ様は嘘をついていたことを責めなかったが、話を合わせていたら思わぬ点まで追求されてしまう。
どう誤魔化せばいいのか時間をもらって考えたけれど、一度騙してしまっていることもある。嘘を重ねて更にボロを出し、アドリアーナ様の不信を買うのは嫌だった。さすがに“時の石”を盗んだことは打ち明けられなかったが、嘘は足さずに最低限のことだけを話すことにする。平穏に暮らせば良いのでは、と問われた時は自分でもむきになってしまったのを感じた。アドリアーナ様を身代わりにして知らん振りなどできないというのに。
アドリアーナ様のため…本当に?
パーヴェル様とラリサに対して穏やかに接するアドリアーナ様と行動するうち、一歩離れて見るからか気付いたことがある。それは恐怖に近い発見ともいえた。
…パーヴェル様とラリサの間には、本当に特別な感情はないのではないか。
ラリサが喜んだのは王立美術館を設計した建築家と会わせてもらったり、外国の建造物についての資料を渡された時だった。ラリサは本当に、学ぶことに夢中なだけだった?それを私は邪推して…そんな私から守るため、パーヴェル様はラリサをますます傍に置くようになったのでは?
今のパーヴェル様は適切な距離で、優秀な特待生に力を貸しているだけに思える。
そして優しい目を向けるのは、ラリサではなく…アドリアーナ様の方。
ラリサが課題を制作している教室に同行した。アドリアーナ様が何かするとはもう思わなかったけれど、遡る前は私がパーヴェル様との仲に決定的な亀裂を入れてしまった場所だ。念のため見届けなければと思ったのだ。
ラリサを劇場に誘うアドリアーナ様は、私が思っていた以上にお人好しだった。
そしてそこに入ってきたパーヴェル様の言葉…
ラリサと二人で劇場に行ったというのは、課題の参考にするための見学が目的だったのだ。遡る前は婚約者の私があの態度だったので、教室に誘われることもなかった。誘われて来ていたとしてもアドリアーナ様のように一緒に劇場へ行ったかはわからないが、少なくともパーヴェル様との逢瀬だと誤解することはなかっただろう。現に今回はアドリアーナ様が来ることになったので、レオニート様の姿がない。
私が思い込みで暴走しなければ、静観していれば、優しい目を向けてもらえたのは私だった…?
後悔に苛まれ、アドリアーナ様と離れてひとりで行動することが増えた。何かあった時のため一緒にいなければ、と思っていたけれど、何かを起こしていたのは私だったのだから今の学院は平穏そのものなのだ。
私がラリサを苛んでいた時、阿るように同調した者もいたが…呆れたように目を向けたり、ラリサでなく私と関わらないようにする者の方が多かった。ひとり勘違いをして騒いでいたのなら、それも当然のことだ。
アドリアーナ様をあんな状況に追い込みたいわけがない。そのために傍で見守ってきたはずだ。それなのに、アドリアーナ様が私と同じように嫉妬してラリサに辛く当たることをどこかで期待していた気がする。私だけじゃない、別の令嬢も同じ立場になればやはり同じことをするのだ、そう確認して安心したかったのだろうか。
そして同じようにパーヴェル様との婚約が解消されることを、密かに願って…違う、そんなはずがない。そんなはず…
遡り前の記憶に頼っていた成績が少しずつ落ちてきたことはあまり気にならなかったが、私が領地での出来事を変えたことで遡る前には起こらなかった問題もいろいろ発生していた。はっきり言われたわけではないが、いまだ予知能力だと信じている家族が『今回の事態は夢に見なかったのか』と聞きたがっているのを感じる。
本当に予知してきたのならこの先の未来もわかるだろうが、遡った時点までたどり着いたら私にはもう先のことがわからない。いずれ能力を失ったと嘘を重ねることになるだろう。これまでと違って家の役にも立てず、王子妃の座も棒に振った娘。カラシン公爵家との縁談も拒み、これからは扱いに困って持て余されるだけ…
考えていたところに、ちょうどレオニート様の姿を見かけた。アドリアーナ様と談笑している風景を見て、私は自分の思いつきに縋るように決心を固めた。
やっぱりそうなんだわ…アドリアーナ様とレオニート様が結ばれる、それが正しい形。ならば戻すべきなのよ…
レオニート様に思いを寄せても、貴族令嬢として義務を理解しているアドリアーナ様は心を隠してパーヴェル様と結婚するだろう。ならば婚約を覆すしかない。なんの落ち度もないアドリアーナ様が婚約を解消されることがないのなら、婚約する前まで…もう一度遡ればいいのだ。
これはアドリアーナ様のためにもなるのだから…大丈夫。私もアドリアーナ様も幸せになれる、正しい道に戻すだけのこと。
今回は婚約解消もされておらず修道院行きが決まっているわけでもなく、王家から警戒はされていない。あの時ほど乱暴な手段を使わなくても、王宮に足を踏み入れることは可能だ。…今日のように、夜会に招待された時であれば。
術式は覚えている。遡ってすぐに、一応忘れないように書き記しておいたのだ。宝物庫までは簡単にたどり着けないだろうが、前回を参考に作戦も練った。必ずもう一度やり遂げてみせる。
──無事に遡れたら、またパーヴェル様と婚約するわ。正解がわかったのだから、今度こそパーヴェル様と結ばれるはず。アドリアーナ様と同じように行動することが正解、そうよね?そうしたらパーヴェル様も愛してくださるのよね?
読んでいただき、どうもありがとうございました!