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 「アドリアーナ様!…あ、アベリツェフ様も、このような格好で失礼いたします」

 私を見てぱっと顔を明るくさせて近付いてきたラリサさんは、私に続いて部屋に入ってきたヴェロニカ様に気付き慌てて頭を下げました。

 ラリサさんは使用許可を取った空き教室で、石材と木材と工具に囲まれて課題の制作に勤しんでおられるところです。教室の中ですから、実際の建材とは違い小さなサンプルが何種類も置いてあるのですが、やはりおがくずや粉塵で少し埃っぽい気がします。

 作業用の簡素なワンピースを着たラリサさんに、ヴェロニカ様は素っ気無く挨拶を返しました。複雑な因縁がなかったとしても、公爵令嬢のヴェロニカ様はこのような場所で作業着の平民と関わるなど避けたかったことでしょう。ですが同行するとおっしゃったのはヴェロニカ様なのです。

 「課題は劇場の設計でしたわね?実際に二年後に建造予定で、優れたものができればラリサさんの案も採用されるのでしょう?」

 「そうなんです!でも難しくて…音響のことを考えると木材を効果的に使いたいんですけど、大勢を収容するなら丈夫な石造りのほうがいいし…見た目の華やかさも大事だって言われて…」

 ラリサさんは困ったように話しますが、表情は生き生きしています。難問を考えることが楽しくて仕方ないようです。

 机には作りかけのドールハウスのような模型が置いてあります。設計のたたき台として加工しやすい木の端材で作ってあるのですが、細かい作業に私は感心しました。「素敵ですわ。入り口は神殿のようで荘厳な雰囲気がありますし、二階席に続く階段の曲線も優雅で…舞台はこちらですね。ふふ、自分が劇場に来てあちこち見て回っているようで楽しいです」

 パーヴェル様のお言葉もあり折に触れてラリサさんとお話するうちに、この方は本当の天才だと私も思うようになりました。領主のはからいで教育を受けたとはいえ、市井では使える建材も知っている建造物も限られていたはずなのに、その熱意で建物の用途に適した材料や構造を頭に叩き込み、応用することまでしてみせるのです。

 私が敬意を持って接していることがわかったのか、はじめは遠慮がちだったラリサさんも徐々に笑顔を見せてくれるようになりました。名前で呼ぶよう頼んだ時の喜ばれようは、その場にいたパーヴェル様が「完全に懐かれ…いや打ち解けたようだね」と笑ったほどでした。今も私の言葉に「本当ですか!アドリアーナ様のお気に召したなら嬉しいです!」と身体がちょっと跳ねています。

 もともと建築学科は生徒が少なく、生徒がいる年のみ専門家に講義を依頼していました。今年はラリサさんの他に二人男子生徒がいますが、設計より工法などを学ぶことが目的のため、ラリサさんの課題は個人のものです。

 今日は放課後教室で作業するということで、学院内といえどひとり残るのは良くないので待ち合わせて見学させてもらうことになりました。パーヴェル様も後ほど来られることになっています。

 「気になる点があれば教えていただけますか?私…劇場は外観しか見たことがなくて、中がどうなってるのか書物でしか知らないんです」

 ラリサさんの言葉に、ヴェロニカ様の目がわずかに眇められました。ラリサさんが劇場に行ったこともない身分であることをあらためて実感して、言い方は悪いですが見下されたようにも思えます。

 遡る前にラリサさんを本当に虐げていたことは、今現在なかったことになっているので責められはしません。パーヴェル様が実際にラリサさんを思っていたなら、そしてラリサさんが身分違いで婚約者がいることも構わずパーヴェル様に応えていたなら、ヴェロニカ様は立場的にも静観できない状況だったのでしょう。

 だからこそ婚約を回避した今は、関わることなく過ごせばいいと思うのですが…ヴェロニカ様は私が心配だからとそばを離れません。遡る前の私が優しかったとおっしゃってくださいましたが、立場が変わればやはりラリサさんを虐げると思われているのでしょうか?

 その時々で理由はあれ、ヴェロニカ様はたびたび撤回したり訂正したりと、少しずつお話の内容を変えられています。まだ伺えていない事情もありそうです。

 「…ラリサさん、今度劇場にご一緒しませんか?」

 私が言うとラリサさんは目を見開き、ヴェロニカ様は信じられないというように私を凝視しました。

 「やはり構造などは実際に見ないとわからないことも多いでしょう。一度既存の劇場を訪れるべきだと思いますわ。音の反響や照明も知っておくと参考になるでしょうし」

 「ありがとうございます。でも…」

 「よろしければ」私は急いで続けました。「観劇用のドレスもお貸しします。お嫌でなければ、ですが…先に侯爵家に寄っていただいて身支度を整えて、二人で劇場に向かうのはいかがでしょうか?」

 「では私はチケットを手配しよう」

 突然の声に驚いて振り返ると、パーヴェル様がにこやかに立っていました。王子殿下がいらしたことにも気付かずお喋りをしていたなど失態です。私たちは慌てて礼を取りました。

 「学院内なのだから楽にしてくれ。…劇場の見学については私も考えていたが、確かに実際に観劇もしたほうが参考になるね。でもアドリアーナ、ひとつ変更してほしい」

 「はい、何をでしょうか?」

 「二人で行くのではなく、三人だ。私も一緒に行くよ。ラリサ嬢もそれで構わないよね?」

 「も、もちろんですが…本当にいいのですか?」

 「当日は早めに行って、劇場の設備も裏側も全て見られるように支配人に頼んでおこう。演奏会よりは芝居か…歌劇がいいだろうか?楽器や人の声の響き具合もわかるし、照明や舞台装置が活躍するような派手な演目の…ああ、アベリツェフ公爵令嬢、よろしければ貴女もどうかな?」

 楽しそうに考えはじめたパーヴェル様に声をかけられ、ヴェロニカ様は「お誘いはありがたいのですが…私は遠慮いたしますわ」と力なくお答えになりました。少々顔色がすぐれないように思えます。

 ラリサさんはそれを聞いてこころなしかホッとしたようでした。苛められた記憶があるはずもなく、今はもちろん何もされてはいませんが、険しい視線や冷たい態度を向けるヴェロニカ様のことはやはり苦手なのでしょう。

 その後は私とパーヴェル様の意見や感想をもとに、ラリサさんが模型に手を加えたり建材を比べたりと作業を続けましたが、ヴェロニカ様が口を開くことはほとんどありませんでした。


 パーヴェル様がヴェロニカ様について聞いてこられたのは、三人で観劇に出かけた少し後のことです。

 ラリサさんへの態度は良いとは言えないものの、それは気位の高い令嬢ならば仕方のない部分もあります。直接何かしたわけではないので、咎めるほどのことではないでしょう。パーヴェル様が言いたかったのは、別のことでした。

 「アドリアーナはアベリツェフ公爵令嬢と行動をともにしていることが多いが、本当に仲が良いのか?…もちろん貴族同士の付き合いだ、気が合うかどうかで決められるものではないのは理解している。アドリアーナが爵位が上の彼女に気を遣い、アベリツェフ公爵令嬢が私の婚約者である君と繋がりを持とうとするのは自然なことだ。だがそう考えても…彼女の態度は少し…」

 「…ヴェロニカ様は、私のことを心配してくださっているそうです」

 「心配?」

 「パーヴェル様がラリサさんに肩入れしすぎて、私が蔑ろにされるのでは、と…」

 嘘ではありませんが、無難な表現を探した結果ずいぶん迂遠な言い回しになってしまいました。

 「…何故そんなことを考えたんだ?稀有な才能を伸ばし守るため、手助けをするのは当然だろう。それに肩入れしているのは君の方で、そろそろ私が蔑ろにされそうだが」

 「そんなことは!」

 「冗談だよ。だがラリサ嬢にしても、私のことは劇場見学の許可や専門書や建材を運んでくる便利な人間としか思ってなさそうだけどね」

 …先日のラリサさんの興奮した様子を思い出します。劇場の全てを目に焼きつけようというのか、天井裏に上りたがったりしゃがみ込んで舞台のセリを観察しようとしたり…あまりにあまりな体勢を取ろうとしたときは急いで止めましたが、ラリサさんはドレスを汚すから止められたのだと勘違いしていました。確かにパーヴェル様を意識していたらあのような行動はできない気がします。

 パーヴェル様が招待してくださったのは王族用のボックス席です。客席の作りや照明の設置場所などを気にしてきょろきょろしていたラリサさんも、上演が始まると生まれて初めて観る歌劇に引き込まれていました。

 「…あの劇に、エフィム王のお話が出てきましたね」

 物語の主軸ではありませんでしたが、脇筋として遡り王子のことが語られる場面がありました。芝居でよく扱われているのは知っていましたが、不思議な偶然です。

 「ああ…あの場面のやり取りを聞いていて、子どもの頃教師に質問したことをなんとなく思い出した」

 「質問、ですか?エフィム王のことを?」

 「本当に遡ったのか、ではないよ。エフィム王が過去に戻った時、それまであった世界はどうなったのか…とね」

 「それまでの世界…」

 国王もエフィム王子も亡くなり、側妃と宰相と不義の子が王家を乗っ取り、国を滅ぼす世界線。エフィム王子は死後遡ることができて救われたけれど、それまでの世界に残された民は苦しみが続いたのではないか。そう考えたのだと。

 そんな風に考えたことは一度もなかったので、私はパーヴェル様の深慮に感心しました。過去の、それも時間軸が切り離された世界の民までを気にかけられるとは、王族は幼い頃から物事の見方が違うのだと教えられた気がします。

 「教師の方は、どうお答えになったのですか?」

 「エフィム王は自分だけが過去に飛んだのではなく、世界の時間ごと巻き戻されたのだからそれまでの間違った道は消えたはずだ、と言っていた」

 無限の分岐により増え続ける並行世界、そういうお話を読んだことがあります。ですがエフィム王の場合は神の意向で遡り、道を正したのだから間違った世界は存在しなくなったということのようです。

 私がヴェロニカ様のことを考えていると、パーヴェル様が思い出したように言いました。「エフィム王が遡って以来手放さなかった石、あれが現存しているのは知っている?」

 「そうなのですか?」

 「それ自体はとくに秘密でもないんだ。“時の石”と呼ばれて王家の宝物庫に保管されているんだけど、あの石が遡らせた神との約束の証であり、遡るための鍵だとも伝えられている」

 王族が正しい方法で“時の石”を使えば、自分のように必要な時間まで遡ることができるだろう。いつか国の危機が訪れた時に用いるように──そうエフィム王が言い残したそうです。国中に知られた物語ではそのくだりが削られていますが、王家にはエフィム王と神との詳しい対話が代々語り継がれているのだとか。

 「『正しい方法』については聞かされていないけどね。国王となった時に教えられるのか、危機が訪れた時に調べられるようどこかに書物が隠されているのか…王子妃教育が進んだら、いや王妃教育になってからかな?アドリアーナも教わると思うよ」

 …パーヴェル様、私はその時まで、教育を受ける立場でいられるのでしょうか。

 私はそっと心の中で呟きました。

 パーヴェル様との仲は良好、ラリサさんも好きなことに熱中していて恋愛に興味がないように見えますが、ヴェロニカ様からことあるごとに「いずれ婚約は解消される」「だからせめて、穏便に解消されるよう大人しくしているべき」と言われ続けてきたせいで、どうしても不安を消すことができません。

 親切な忠告のはずが、不吉な暗示をかけられている心境になってしまうのは…心配してくださるヴェロニカ様に、あまりにも失礼でしょうか。

読んでいただき、どうもありがとうございました!

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