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 レヴィタン王家の中興の祖とも言われるエフィム王には、有名な逸話があります。

 ──私は時を遡ってきた。

 母である王妃は出産で命を落とし、国王である父も七歳の時に崩御するとエフィム王子の生活は一変しました。側妃とその愛人である宰相によって少しずつ毒を盛られ、常に体調がすぐれず寝込むことが増えると「療養が必要なため」離宮に押し込まれます。監視役の侍女や護衛は最低限の世話しかせず、愛情を注がれることも信頼できる者もなく、粗末な上に毒入りの食事を与えられて緩やかに殺されていく日々。

 その間に側妃は自分の息子、王子の異母弟を王太子にするため宰相とともに根回しを進めていました。病弱な第一王子に国王は務まらない、と貴族たちを説得したものの、正妃との第一子である王子を推す声が完全に消えないことに痺れをきらし、とうとう致死量の毒を飲ませてしまうのです。

 死の床につき意識も薄れていく中、ノックもなく部屋に押し入って来たのは側妃と異母弟でした。これまでも時々気まぐれにやって来ては『王族としての役目も果たせない、国費で養われる穀潰し』だの『役立たずの兄上の代わりに国王になってあげるんだから感謝してよね』だの好き勝手にまくし立てられており、最期の時まで騒がしくされるのかと王子は霞む目で二人を見つめました。

 『なんだ、まだ生きてるのか!長いこと毒を飲ませすぎて、耐性がついちゃったんじゃないの、母上?』

 『大丈夫よ、これまでとは比べ物にならないほど強力なものを飲ませたんですもの。ちゃんと死ぬところをこの目で確かめましょう』

 …耳に届いたその会話から、王子ははじめて自分が毒を盛られ続けていたことを知ったのです。

 命が尽きようとしているこの時、抗いようもない状況になってから知ってしまった事実は毒薬以上に王子を苦しめました。その間も側妃と異母弟は自分たちの企みを隠しもせず、愉しげにお喋りをしながら王子が死んでゆくところを見物しているのです。

 異母弟が亡き国王ではなく、子どもの頃に会った宰相に似ていることに気付いたのを最後に、王子の意識は失われました。

 ──不遇の末に、絶望の中で命を終えた王子よ。

 奪われ続け何ひとつ与えられることのなかった哀れなる者に、我が手よりひとつだけ与えられるものがある。

 時を遡り、正しき道に戻す機会だ──

 闇の中をたゆたう王子の意識に、どこからともなく流れ込んでくる声がありました。

 ──父親と国と命を奪った者どもは、この先私欲で国を衰退させた挙句他国と戦争を起こすだろう。民は苦しみ国土は破壊され、地獄を呼び起こすだろう。

 遡れ、正統なる王子よ。

 道を正して王となれ──

 声が聞こえなくなったとたん、闇に一条の光が射しました。王子の意識はその光に吸い込まれるように消えてゆき…次に目覚めた時は離宮に移される前の、豪華な部屋のベッドで寝ていたのです。そしてなぜか、左手には不思議な輝きを放つ石を握っていました。

 部屋の中を調べ呼び出した従者にも確認し、五歳まで遡ったことを知った王子はすぐに父のもとへ走りました。国王である父親に突然会おうとしても本来は難しいはずですが、その鬼気迫る様子に周囲も止められず、父との再会は無事に果たされたのです。

 再び生きて会うことができたことを喜びながら、王子は人払いをして国王と長い対話を試みたのでした。

 …それから起こったことは、私たちが歴史として知っている事実になります。

 側妃と宰相の不貞が発覚し、処刑されました。異母弟は国王の血を引いていないことが判明し、市井の孤児院に送られました。側妃の実家も宰相の家も潰されていて引き取り手がいないこともありましたが、まだ幼くものごころもついていなかったので、第二王子として傅かれた日々もすぐに忘れ平民として生きていけるだろうという判断です。

 そして国王は病を得ることもなく、王子が成人して譲位するまで国を守りました。

 そう、国王も毒に侵されていたのです。王子は死後に聞いた声が『父親と国と命を奪った』と言ったことを忘れませんでした。父が自然死でなかったこと、父を救うために必要な時間を鑑みて、五歳まで遡らせてくれたのだと気付いていたのです。

 国王が五歳の王子の話を信じて調査をしたことは幸いでした。年齢にそぐわない王子の態度や知識、国王ですら見たこともない宝石を持っていたこと、まだ足を踏み入れたこともない離宮の様子を語ったことなどが理由と言われていますが、もしも子どもの空想や虚言と軽んじていたら毒に蝕まれ、取り返しがつかなくなっていたことでしょう。

 仇にして障害となる人物を排除したことで王子は健康なまま勉学や鍛錬に励み、王位を継いだのちも国のため力を尽くし民に慕われ、敬われました。

 晩年になり、長く側近として仕えた者たちと酒を酌み交わしていた時のことです。五歳の時から神童として名高く、またそれに驕らず努力を続けたことを称えられた国王はぽつりと呟きました。

 「…正しき道を進むことを、約束したからな」

 先代の国王にですか?と問われ「いや、あれは…おそらく、神と呼ばれるものなのだろう」と首を振り、その拍子に揺れたネックレスを見下ろしました。あれから調べてみてもどこの国にも存在しない材質の謎の石で、握り締めたまま目覚めた五歳の時から肌身離さず身に着けているものです。

 …そしてエフィム王は語り始めたのでした。

 私は時を遡ってきた、と。


 遡り王子、のちの七代目レヴィタン王エフィム陛下の不思議な物語は、歴史書から子ども向けの読み物にまで載っており、芝居のモチーフにも使われるほど有名です。

 ですがエフィム王のほかに遡行能力を持つ人間の話は伝わっていません。能力の特性から当人が言わなければ誰にも知られることがないので、存在していても把握できていないのかもしれません。

 それに対して、予知能力の方は程度の差はあれ何人かの記録が残されています。

 「遡行能力より、予知能力の方が受け入れられやすいと思われて…あのように説明をされたのですか?」

 私の質問に、ヴェロニカ様はまたしばらく沈黙しました。

 「…そうね。確認されている遡行者は歴史上の国王ただひとり、そんな稀有な能力を使ったなど、にわかに信じてもらえるとは思えなかったからでもあるわ」

 他にも理由があるようですが、私にはそれよりも知りたいことがありました。

 「やはりエフィム王のように、神の声を聞いたのですか?以前予知として伺ったお話は、ヴェロニカ様が断罪され修道院に送られたところまででしたが…もしかして、一度お亡くなりになられたのでしょうか…?」

 遡ったとはいえ残酷な質問だと思いましたが、どうしても気になってしまったのです。

 「…そ、そうよ。あまり思い出したくないから、詳細は聞かないでもらいたいのだけれど…」

 動揺を隠せないヴェロニカ様のご様子を見て、やはり無神経なことを聞いてしまったと反省します。

 「申し訳ありません、ヴェロニカ様。お辛いとは思いますが、確かめておかなければならないことがございますので…」

 「…確かめる?」

 「はい。神がヴェロニカ様を遡らせたということは、その時の世界が“正しい道”から外れていたということですよね?どこから正すべきなのでしょうか?殿下との婚約を避けたということは、ヴェロニカ様が王妃となるのが本来の形というわけではないのですよね?神の意向に従う場合、私はどのように行動すればよろしいのですか?」

 パーヴェル様は私との婚約もいずれ解消する、とヴェロニカ様は言われました。その原因がラリサさんだとしたら、ヴェロニカ様の立場が私に替わっただけで、結局間違った道に進んでいくことになります。

 「それは…」

 ヴェロニカ様は絶句して、今度こそ黙りこんでしまわれました。

 そして気持ちを整理して、あらためてきちんと説明すると約束されて、その日はお帰りになったのです。


 一週間後、私はアベリツェフ家を訪ねていました。

 この一週間、学院でもヴェロニカ様はずっと考え込まれているようでした。気持ちを整理するとおっしゃっていたので、私も静かに見守っていたのです。

 先週とは逆にお部屋に招かれ、お茶の用意ができたところで人払いをしたヴェロニカ様は覚悟を決められたらしく、前置きもなく一息に告げられました。

 「この前の話のことだけど、私はエフィム王のように神託を受けてはいないの…死んで遡ってきたわけではないから。だから正しい道が何かは知らないのよ」

 「…では、どの時点で遡られたのですか?」

 「父に修道院に行くよう命じられた後よ」

 そういえばヴェロニカ様は『修道院に送られることになった』とお話されましたが、実際に修道院に行ったとは言われませんでした。

 「荷造りも終わって、出発を待つばかりになっていた時…眠って翌朝起きたら、殿下と婚約する前まで時間が戻っていたの」

 やはり王族の血をひいているからでしょうか。絶望的な状況になったことで、その血が目覚めて自ら遡行能力を発現したのでしょうか…?

 私の問いに、ヴェロニカ様は勢い良く頷きました。「そうよ、きっとそうなんだわ。やり直せるのなら平民と浮気する殿下とは最初から婚約しない方がいい。その望みを叶えるために前回の記憶を利用して父と交渉すればいい。そればかりを考えていて、代わりに婚約する破目になるアドリアーナ様のことが頭になかったの」

 あらためて謝罪され、私はヴェロニカ様を宥めました。そこまで考える余裕などなかったのは、遡行の経験がなくても想像できることです。

 では神の意向は…と思いを巡らせている間も、ヴェロニカ様は話を続けられます。

 「結果的にエフィム王と同じように遡ったと言うつもりで…死んで戻ったと話を合わせてしまったけれど、嘘をつこうと思っていたわけではないのよ。ただその、一度予知能力だと騙すようなことをしてしまったし…エフィム王でさえ神の力を借りたのに、私がいきなり遡行能力を目覚めさせたなんて、ますます信用していただけないのでは、と…」

 「それはもういいのです。どちらであってもヴェロニカ様が先のことをご存知であることには変わりないですし…それならば、ヴェロニカ様はこのまま殿下やラリサさんと関わらなければ今度こそ平穏な人生が送れるのですよね?今回はそれをお望みなのですね?」

 神が干渉して…全ての物事が神の采配であれば、もちろんこれも含まれるのでしょうが…ヴェロニカ様を遡らせたのでなければ、ヴェロニカ様が幸せになる道をご自身で選んでいけば問題ないはずです。学院に入学義務はありませんから、極端なことを言えば領地に行かれたまま誰とも関わらず過ごしても良かったのです。

 それなのにヴェロニカ様は気色ばんで言いました。「そんなわけにはいかないわ!アドリアーナ様を身代わりにして自分だけ気楽に暮らすなんて…だから今回も学院に入ってアドリアーナ様を見守ることにしたのよ。私のように短慮を起こしてラリサを怒鳴ったり突き飛ばしたりしたら、私と同じ運命を辿ることになってしまうのだから」

 …ヴェロニカ様のお話を聞いていなくても、また殿下とラリサさんが本当に思い合うようになってしまっても、そのような行いをするつもりはありませんでしたが。

 虐げたというのは冤罪ではなかったのですね…ヴェロニカ様。

読んでいただき、どうもありがとうございました!

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