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その後はたびたびヴェロニカ様とお会いしつつ、パーヴェル様との交流も続けました。予知夢を信じる気になっているとはいえ、内容が内容なのでパーヴェル様には打ち明けられません。ただ最近王都に戻られたヴェロニカ様と親交を深めていると、お茶の話題で出したのみです。
「アベリツェフ公爵令嬢か…」パーヴェル様は珍しく、苦笑いのような表情を浮かべました。「風変わりな令嬢だが優秀なのは間違いない、そう聞いて顔を合わせた時に『身分違いの恋愛や結婚にご興味は?』などといきなり聞かれて参ったよ」
ヴェロニカ様、嫌われついでに探りも入れようとされたのでしょうか…。
予知夢でもっとも信じがたいのが、パーヴェル様が平民にうつつを抜かすという点でした。王族としての責任感も義務感も充分お持ちの方です。平民かどうかに関係なく、婚約者以外の女性に惹かれるなど…いえ、人の心はままならないのですから、そういうこともあるかもしれません。ですがそうなった時でも、婚約者のいる身で堂々と浮気ととれる行動をするとは思えないのです。自制して諦めるか、諦め切れなければきちんと手順を踏んでから、誰にとってもダメージの少ない形で事態を収めようとされるのではないでしょうか。
疑問の答えは実際に起こらないと確認できません。ヴェロニカ様とのお話も、予知に関することというよりは親しい令嬢同士の他愛ないお喋りに近く、今では文字通り親交を深めているだけの状況です。そのせいか、最近はずいぶん砕けた態度や口調で接してくださるようになりました。
「学院の入学も近付いてきたね。今回の新入生はアドリアーナやアベリツェフ公爵令嬢をはじめとして華やかな顔ぶれが揃っていると、レオたちと楽しみにしているんだ」
第一王子の誕生に合わせて貴族たちが子どもを作ったのですから、パーヴェル様と年の近い令息令嬢が多いのは当然です。カラシン公爵家のレオニート様もパーヴェル様と同学年で側近候補となられています。
「…そうだ、今回は久しぶりに平民の特待生も選ばれていたな」
思い出したように告げられた言葉に、私は心臓が軽く跳ねたのを感じました。
「私も少々聞き及んでおりますが、建築を学ぶ予定の…女子生徒でしたか」
「ああ、平民の上に女子で、しかも建築専攻とは異例ずくめだね」
下町の大工の娘として生まれ、父親の作業場で遊んでいるうちに耐久性に優れた建材の選び方や組み方、限られた土地を最大限に有効に使う設計などを次々と考えだしたそうです。
ある時その町の領主が、大きな嵐が過ぎたのちに領地を視察したところ、被害のほとんどなかった家屋を何軒も見つけました。家の中に入れてもらうと外観以上に広く感じられる上、そこかしこに生活のための細やかな工夫がされていて感心し、建てた者が誰かを聞いたのです。呼ばれた大工は自分の娘が考えたのだと答え、面白がった領主が公共施設の増築計画に参加させ、実力を確かめてからは後見として教育を与えて…学院へ推薦したのでした。
平民の特待生枠は以前からありますが、入学者のいない年の方が多いのです。過去に入学された方は卒業後学者として身を立てられたり、王宮で文官に採用されたりとたいていは平民たちの希望となるような出世を遂げられていますが、貴族ばかりの学院に馴染めず去った方もいたと聞いています。
「前途有望な者が志を折るようなことになってはいけない。入学したらできるだけ気にかけておくよう私も言われているが、同学年で女性であるアドリアーナの方が目配りができると思うので心に留めておいてほしい。名前は確か…」
──ラリサです。
私は殿下の言葉に頷きながら、心の中で呟きました。
ヴェロニカ様に教えていただき、ずっと前から知っていた名前です。
『入学式の時から、殿下は平民を…ラリサをもったいないほど気遣ってらしたわ。貴族の令嬢にはない朴訥さだとか、場違いな自分に気付いて縮こまっているところが目を惹いたのかしらね』
ヴェロニカ様の言葉にはラリサさんに対する敵意が見え隠れしていました。身分にこだわることの少なくなった今のヴェロニカ様でも、断罪され修道院送りの原因となった女性が相手では仕方のないことでしょう。
実際入学式では在校生代表として殿下がスピーチをされ、その中に特待生への気遣いを求めるお言葉がありました。その時には前列にいたヴェロニカ様が心配そうに私を振り返ったものですが、私はとくに不安を感じていませんでした。
ヴェロニカ様に聞いて知っていたからというより、パーヴェル様は個人的な感情ではなく真っ当に特待生への配慮を求めただけと思えたからです。ヴェロニカ様のお話が本当なら、これから徐々に変わっていくのかもしれませんが…
ラリサさんは小柄で可愛らしい方でした。大工の父親のもとで現場作業にも参加したと聞いて、勝手に気の強そうな方を想像していたので意外でしたが、挨拶に伺った際は平民として最大限の礼儀を尽くしてくださったように思います。クラスも違い、建築学の授業に付き合うこともできないので力になれることはあまりないのですが、パーヴェル様や私が彼女を気にしていることで身分を重視する方々への牽制にはなっているかもしれません。
ヴェロニカ様は私以上に不安なようで、パーヴェル様がラリサさんと校内を歩いているところや時々昼食をともにしているのを見るたびに駆け寄ってきては「辛いでしょうがここは耐えるのです!」「くれぐれも短絡的なことを考えないでくださいね!」と励ましとも制止ともつかないことを言われます。
けれど私は何もする気はありません。婚約者としてのパーヴェル様との交流は今も変わらず続いていますし、学院でラリサさんを気遣うことも前もって聞いていたことです。それに一緒に行動されていても、側近の方々がともにおられるので二人きりでもありません。
学院では私も、昼食の際に同席させていただくことがあります。お目付け役とばかりに行動をともにしてくださっているヴェロニカ様が一緒の時もあります。
そんな時ヴェロニカ様はラリサさんに険しい目を向けられますが、決して話しかけることはありません。パーヴェル様に対してはしおらしく受け答えをされますが、夢の記憶による敵愾心や自衛がないまぜになっているようで不自然さが隠せずにいるのです。おかしな雰囲気を察したパーヴェル様が、レオニート様をはじめ側近の皆様と困惑したように視線を交わすこともしばしばです。
…レオニート様といえば、ヴェロニカ様がやけに私とレオニート様が話す機会を作ろうとしているのが気になって理由を聞いたことがあります。
ヴェロニカ様は気まずそうに口ごもっていましたが、何度目かの問いで決心したのか打ち明けてくださいました。
「今のアドリアーナ様にこんなことを言うべきではないかもしれないけれど…予知夢の中では、アドリアーナ様はレオニート様と婚約されていました」
驚きましたが、考えてみれば意外でもなんでもありません。ヴェロニカ様がパーヴェル様と婚約していたのなら、私の相手として公爵家のレオニート様が選ばれるのは順当といえます。
「その時のお二人がとても仲睦まじくて…私のせいで結ばれるべきお二人が引き裂かれることになってしまったわけでしょう?殿下との婚約はおそらく解消されるでしょうから、正しい相手であるレオニート様と今回も仲良くなってくださればと」
「今の私が仲良くしてしまったら、私の方が浮気者になってしまいますわ」
私は少々呆れて答えました。今の私にレオニート様への特別な感情はありませんが、入学以前からの知り合いであり明るく大らかで好感の持てる方です。パーヴェル様の信頼も篤く、婚約者となったのであれば愛情を持つこともできそうに思えます。
ですが現実には婚約しておらず、王家に嫁ぐことが決められている私が不用意に近付く必要はありません。
「カラシン公爵令息様の婚約者候補としては、ヴェロニカ様が最有力ではありませんか」
パーヴェル様と婚約したのが私ということは、レオニート様に釣り合うのは公爵家同士であるヴェロニカ様ということになります。
「カラシン家からそれとなく話があったのは確かだけれど、気が進まないのよ…」
アドリアーナ様と寄り添う姿を見ているから、アドリアーナ様から奪うような気持ちになってしまうから。そう言われても私にはなんとも答えようがありませんでした。
ヴェロニカ様は成績優秀です。入学試験と入学後に行われた考査はどちらも首席でした。私はなんとか十位以内に入っている状態ですが、ヴェロニカ様いわく「二度目だからよ。前回はアドリアーナ様より下だったと思うわ」とのことでした。
試験の内容について教えてくださるとも提案されましたが、それはお断りいたしました。他人の能力頼みで良い成績を取ることに抵抗があったからです。
…このような何気ない会話の端々から、私は少しずつヴェロニカ様の言葉に違和感をおぼえるようになっていました。
「ヴェロニカ様、予知夢というのはどのような感じで見るものなのですか?」
我が家にお招きして私の部屋でお茶を飲みながら、私は思い切ってヴェロニカ様に訊ねました。
「どのような感じで…?」
「お芝居のように、いろいろな出来事が時系列に沿って見えるのでしょうか?
それとも出来事のひとつひとつを、断片的に見るのですか?」
これまで伺ってきたお話はどれも細部までくっきりしていて、大きな事件だけでなく学院でのちょっとした出来事までを予知しているのが不思議でした。
以前はとくに親しくしていなかった私のことや試験の内容まで、全てを夢に見るには…実際に過ごすのと同じだけの時間をかけなければならないのではと思えるほどです。
「ヴェロニカ様のお話には時々『二度目』や『前回』といった言い回しが出てきます。カラシン公爵令息様と私に関しても『現実でも』仲良く、ではなく『今回も』とおっしゃいました」
ヴェロニカ様は手にしたチョコレートの焼き菓子を、ゆっくりと口に運びました。侯爵家特製のこのお菓子をヴェロニカ様は気に入ってくださっていて、お茶の席には必ず用意することにしています。
私は急かすことなくお返事を待ち、やがてヴェロニカ様は小さくため息をつくと顔を上げられました。
「…家族にも予知夢で通してきて怪しまれたことはないのに、アドリアーナ様には…自分と重ねて思い入れが強過ぎたからかしら…いろいろ口を滑らせていたのね」
「ヴェロニカ様…」
「おそらくアドリアーナ様の想像通りよ。私は予知能力者ではなく、遡行者なの」
読んでいただき、どうもありがとうございました!