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パーヴェル殿下との婚約が決まったのは、学院に入学する前の年のことでした。
ここレヴィタン王国において侯爵家に生を受けた身、また殿下と一歳差という年齢もあり、もともと候補に挙げられていることは知っていました。ですが両親は私に殿下に取り入れとは言いませんでしたし、かといって王家と距離をおきたいわけでもなく…要するに「わざわざ選ばれにいかなくてもいいけど、選ばれたら全力で励みなさい」というどうにも成り行き任せな方針でいたようです。
結果的に選ばれることとなり、では全力で励まねばならないなあ、と私はとくに感動も反発もなく考えました。貴族として王家の決定に背くなどあり得ず、また両親が承諾した婚約に異を唱えるなどという発想はありません。そのように教育を受けてきたのですから、自分の義務は理解しています。
「グレコヴァ侯爵令嬢…アドリアーナ嬢と呼ばせてもらってもいいだろうか?これからよろしく頼むよ」
王宮で行われた婚約式で、パーヴェル殿下は穏やかに微笑まれました。
幼い頃に挨拶をして以来、これまでも何度かお話する機会がありました。感情を表に出さないのは立場上当然のことですが、その立場的に持っていて当然の傲慢さや冷徹さすら周りに見せることのない方です。誰に対しても丁寧に接する姿勢、知性を感じさせる整ったお顔立ちは常に令嬢たちの憧れでした。今年入学した学院でも優秀な成績を修められており、卒業後立太子されることもほぼ決定しています。
「至らぬ身ではございますが、殿下のお力になれるよう精進いたします」
「そう硬くならないで。今後は王宮に通ってもらうことになるし、定期的に会って交流を深めたいと思っているんだ。アドリアーナ嬢の信頼を得られるように私も努力しないとね」
もったいないお言葉ですが、私が婚約者に決まったことに不満はないようで安心しました。もちろん内心は窺い知れませんが、王族として政略結婚をすることはほぼ決まっていたことです。私同様、殿下もご自身の義務を承知しているのです。
一年早く入学されている殿下に学院の様子などを教えていただき、婚約者としての顔合わせは和やかに終了しました。
それから王宮に通う日々が始まりました。王子妃としての教育を受けていますが、いずれ王妃教育になるのでしょう。文字通り全力で励む毎日です。
パーヴェル様とも順調に交流を続けています。徐々に打ち解けて「アドリアーナ」「パーヴェル様」と呼び合えるほどには親しくなれました。義務と理解してはいても、結婚する相手とは良い関係を築けるに越したことはありません。その点パーヴェル様とはお互いの相性も悪くなく、いずれ愛情も育むことができそうに思えます。
──その日、私はアベリツェフ公爵家に招待されていました。
公爵家長女のヴェロニカ様は私と同い年であり、特別仲良くしていたわけではありませんが茶会や夜会で会えばそれなりに楽しくお喋りをする相手です。ここしばらくは領地に行かれていたとかで、お会いするのは久しぶりでした。
「アドリアーナ様!お会いしたかったですわ!」
手を握らんばかりに詰め寄られ、私はうっかり動揺を表しそうになってしまいました。生き別れた無二の親友と再会するかのようなヴェロニカ様の態度が不思議でなりません。
私の戸惑いに気付き、ヴェロニカ様ははっと身体を引きました。「まあ、ごめんなさい私ったら…アドリアーナ様と早くお話したいと思っていたせいで、不躾な真似をしてしまいました」
「いいえ、私もお会いできて嬉しく思っています」微笑みながら私が答えると、ヴェロニカ様はホッとした様子で私を庭園に誘いました。
…ここでようやく私は、今日招待されたのが私ひとりであることに気付きました。
王子殿下の婚約者となってから茶会やサロン、夜会や劇場などあらゆるお誘いがさまざまな家から届くようになっています。当然公爵家も、今後の付き合いを考えて招待して下さったと思っていました。それが派閥の家の令嬢たちも招いておらず、どうやらヴェロニカ様が私と話したいという理由で個人的に呼ばれたらしいとわかり、少々警戒心が芽生えてしまいます。
庭園に用意されたお茶の席に着き、紅茶を一口飲んだヴェロニカ様は私をまっすぐ見つめました。
「実はアドリアーナ様に、どうしても謝りたかったのです」
思いもよらないことを言われ、私は首をかしげました。「…私に、ですか?申し訳ないのですが、心当たりが…」
「パーヴェル殿下と婚約させてしまったことですわ!」
…婚約『させてしまった』とはどういうことでしょうか?
先ほど私が警戒したのは、公爵家のヴェロニカ様を差し置いて私がパーヴェル様と婚約したことで、ヴェロニカ様に敵視されているのではということでした。婚約の件というのは合っていましたが、どうも考えていたのとは話の方向が違う気がします。
「公爵家に婚約の打診があったとき、両親に絶対に嫌だと宣言しましたの。それでも一度お話だけでも…と王宮に呼ばれた時は、不敬と言われないギリギリの加減で気に入られぬよう振る舞い、その後は領地に引きこもっていたのです」
そう、私や両親が選ばれると確信していなかったのは、格上である公爵家に同い年のヴェロニカ様がいたからです。そして選ばれないとも言い切れなかったのは、そのヴェロニカ様がなんというか…少々風変わりな行動をされるようになったからでした。
以前は決してそんな様子はなかったのです。私たちの世代の貴族令嬢を代表する、華やかで気高い存在だったヴェロニカ様。高慢なところもありましたがそれは公爵令嬢として当たり前であり、とくに気にしたこともありませんでした。
婚約が成らなかった事情は詳しく伝わってはきませんでしたが、順番として私より先にヴェロニカ様にお声がかかったことは想像できていました。我が家にお話をいただく少し前から、そのヴェロニカ様の様子が変わったという噂も聞いています。
良い見方をすれば、身分に関わらず気さくに接するようになられた。表情が豊かになった。悪く言えば、上下関係をないがしろにされるようになり、令嬢としての振る舞いを崩されるようになった。そのように聞きましたが、噂が流れる頃にはヴェロニカ様は領地に行かれてしまい最近まで戻られませんでした。社交をおろそかにしていると、これも良くない評判に変わりかけていたのですが。
ヴェロニカ様は公爵領で、公爵家の発展につながる功績を次々とあげられました。
冷害で近辺の土地が作物の収穫量を激減させた時、公爵領のみが万全の対策で乗り切り周囲の援助をする余裕まで残していたこと。他国から流れてきて各地を荒らし、大きな被害を出していた傭兵崩れの盗賊集団を一網打尽にして陛下に差し出したこと。隣国で流行している香辛料の元となる植物を、流行る前から栽培し輸出したことで相当な利益を上げたこと。それが全てヴェロニカ様の進言により、公爵様が行ったことだというのです。
行動や言動が以前とは違っても、家や領地にとって優秀な令嬢であることは変わりなかったヴェロニカ様ですから、王家も引き続き望まれるのではと思われていました。それがヴェロニカ様の方で望まなかったというのです。
「…ヴェロニカ様は、パーヴェル様…殿下をお好きではないのですか?」
言葉に迷った末率直な、不敬ともいえる質問になってしまいましたが、ヴェロニカ様は気にすることもなく考えているようです。
「好き…とか嫌いとか…それ以前の問題ですわ」
さすがに好き嫌いで拒んだわけではありませんでした。ヴェロニカ様は公爵令嬢、家と王家の関係を個人的感情などで悪化させるわけもなく、そこはやはり深い考えがあってのことのようです。
「殿下はこれから平民にうつつを抜かして、婚約者を蔑ろになさるのよ」
…深い考え、なのでしょうか?
「あの、殿下に親しくされている平民がいるのですか?」
「今はいませんわ。知り合うのは来年のことですから」ヴェロニカ様は不思議なことを言うと唇を噛み、しばらく躊躇った後に続けました。
「信じてもらえなくても仕方ないけれど…その、夢で見たのよ。そう、予知夢を」
私が返答に詰まっている間に、ヴェロニカ様は堰を切ったように話し始めたのでした。
夢の中でのヴェロニカ様は、パーヴェル様と婚約を結ばれたそうです。最初は順調に関係を深めていたはずが、学院に入学した平民の特待生と殿下が親しくなり、そこからは殿下との仲は悪化するばかり。挙句その平民を虐げ暴漢を差し向けたと責められ、婚約も解消され修道院に送られることになってしまったとのこと。
領地での活躍も実は夢のおかげと聞いて驚きました。どの出来事も前もって予知していたため、対策を練り実行することができたそうです。そう聞くとにわかに信憑性がわき、結果を見れば信頼度も高いと思えます。
「あんな未来に進みたくなくて、両親に頼み込んで候補から外してもらったのです。予知夢のことを打ち明けて、家のために夢で見たことを役立てることで、なんとか許していただけたわ」
だけど、とヴェロニカ様は私を見つめます。「私が逃れたせいで、アドリアーナ様が婚約することになってしまいました。私が夢の中で体験した怒りや悲しみや屈辱、それをアドリアーナ様に押し付けたのだと思うと、申し訳なくて…」
…正直に言って、どう答えるべきなのかわかりません。
予知夢を疑うわけではないのです。王族が魔力を持っているというのは周知のことであり、公爵家は王族の血をひいています。不思議な能力を持つ者の話もいろいろ伝えられていますし、ヴェロニカ様の様子が以前と変わったことは今日自分の目で確認しました。領地での行動とその結果を考えても、真実ではないかと思えます。
それならばヴェロニカ様が運命を変えようとする気持ちも理解できます。私が身代わりになったと罪悪感をおぼえるのも無理はありません。
けれど、この先を教えてもらったからといって私にはどうすることもできないのです。婚約は既に結ばれ、現時点でなんの落ち度もない殿下を責めるわけにもいきません。
未来を教えてもらったことを感謝すべきなのでしょうか?その時までに覚悟を決められるから?いずれなくなる婚約だから、交流も教育も適当にこなせば良い?
…いくらお話を信じたといっても、私にはそう思い切ることはできませんでした。
「お話はわかりました。ですが、私がやるべきことはこれまでと変わりありません。来年学院に入学して、その時が来るまで…殿下の婚約者として、全力で励むのみですわ」
私はヴェロニカ様に微笑みかけました。「ヴェロニカ様は予知夢を見たことで、いろいろと運命を変えてこられたのですよね?殿下のことも、ヴェロニカ様が避けたことや私がお話を聞いたことによって展開が変わるかもしれません」
「…そう…そうですわね!私、アドリアーナ様に協力いたしますわ。夢で知ったことを利用して、今後も助言させていただきます!
…あの時も…夢の中でも、アドリアーナ様には優しくしていただきました。アドリアーナ様には、不幸になってほしくないのです」
夢の中の私がどう接したかはわかりませんが、黙って不幸になればいいと思われない程度には好意を持たれていたようです。身分に関わらず人々と交流するようになったのも、悪評が広まった途端に手のひらをかえした高位貴族の面々のことや、領地で知り合った平民のことが頭にあったからだとのことでした。
ヴェロニカ様のお話は不思議で不穏なものでしたが、教えていただいて良かったと思う日が来るのか…今はまだ判断ができません。
読んでいただき、どうもありがとうございました!