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第二章「疑惑の関係」(1)


 イアナが邸宅での生活を始めて一か月が経った。街でも有数の豪商であるスペンサー家の人間の結婚には相当な労力――金額の問題ではなく、そもそも親子揃ってそういった行事に裂く程の暇がない――が必要らしく、未だ結婚披露宴は行っていないが、少なくとも邸宅内での共通認識として、イアナは既にツヴァイの妻として受け入れられていた。

 肩書が使用人から妻に代わっても、イアナのやることはほとんど変わっていない。あまりにも表沙汰にできない“秘密”を抱えた生物達がうろついている邸宅のため、結局イアナ以降に新顔の使用人は迎え入れておらず、そもそも新たに採用せずともイアナが率先して炊事から掃除、洗濯に至るまで暇があれば手を出していたら人手不足は完全に解決していたのだった。

 この邸宅の使用人達は皆、元兵士の男達である。そのために効率的な家事の仕方も、そもそもの分担すらも知識不足だったことが否めない。これにはツヴァイも思い至っていたようだが、自分自身も元軍人という立場は変わらないために『そのうちに改善すれば……』と、長い目で見ようとしていたようだった。

 そこに家事全般はそれなりに自信のあるイアナが参上すれば、それはもう女神、天使、神様だと崇められるに決まっていて。やり方やコツ、注意する点を一度教えてしまえば、集中力も根気強さも凄まじい元兵士達は、みるみるうちに仕事の効率を上げていって、今ではイアナが手伝うことなんてほとんどないくらいになっている。それこそ、わざと『イアナにストレスが溜まらないようにやることを作ってくれている』ような状態だった。そしてその『わざと作られた仕事』を自然に行わせてくれるところは、イアナも見習いたい部分であった。

「イアナ様。食事の用意が出来ました。ツヴァイ様もお待ちです」

 数週間前まで訛り全開で親しみを込めて話してくれていた使用人の男――フィンレーが、穏やかな笑みを湛えてイアナにそう言った。

 イアナにとってこの邸宅で初めて話した相手であり、今ではちょっとした相談事などもできるくらいに信頼しているこの男は、イアナの肩書が使用人から妻へと変化するその一瞬前まで、“親しみを込めた”態度を貫いてくれた唯一の人間だった。彼以外の使用人達は、敬愛する邸宅の主の息子のおめでたい話を自分のことのように喜び、早々とその態度を“それ相応のもの”へと変化させていたのだ。

 おかげで邸宅内で気さくにイアナに離し掛けてくる者は限られてしまい、愛する夫以外で所謂『雑談』というものを気軽にできる相手はこのフィンレーしかいない状態だった。おそらく三十代であろう年上の男との会話など、最初は何を話せばいいものかとイアナの方が戸惑ったのだが、元より社交的で話上手なフィンレーは、その親しみやすい訛りも手伝い、常にイアナの良き相談相手でいてくれた。合成獣達とのふれあい方から邸宅内での生活の仕方など内部に関することはもちろんのこと、時折訪れる軍関係者や同業者達との接し方といった対外的な対応の仕方もイアナは彼から学んだのだった。

 身体が動かない主に代わってツヴァイが精力的に動いてはいるが、外から見れば彼は『豪商の息子』であり、その対応をイアナがそのまま真似をするわけにはいかない。また、反対に軍からすれば未だに『本部の軍人』という肩書を持った『同胞』である彼には、身分を伏せた軍からの監視が来客として通されることも多かったが、その対応も然りだった。

 今まで平凡な学生時代を送り、目上の人間との関わりなんて一切なかったイアナにとって、そういった席はまだ慣れないし失礼が無いように気を付けるだけで精一杯の現状だ。そんなイアナのことをサポートしてくれるのは、席についている時にはツヴァイが、そして“事前勉強”はフィンレーが担当してくれた。

 それはまるで教師のようでもあったが、イアナにとって一番近いと思えたものは、意外にも『父親』であった。

 まだ知り合って一か月程度しか経っていないこの年上の男を、素直にそう思えたことには理由がある。

 イアナには父親がいない。幼い頃に家を出たきりそのままだと母親からは聞いていて、イアナも敢えてその話題には触れないままに、結局嫁入りまでしてしまった。母親はまだまだ現役で、家を空けていることが多く、両家揃っての顔合わせもまだできていないのだが、イアナからすればそれは願ったり叶ったりで。

 ともかく、生まれて初めての年の離れた世話焼きな男性に父性を感じるのは、イアナにとってはなんら不思議なことではないのであった。

 そんな彼も今ではこのように、周りの目がある時はイアナのことを敬うように接してくれる。ちなみに今は、エントランスにて血で汚れた床を丁寧に磨いていたところだった。慌てて飛んできた使用人を制して熱中していたら、昼食の時間になっていたらしい。

「ええ。わかりました。これを片付けてから向かいます」

 にこりと笑って、手元の雑巾をひらひらとさせる。自分の仕事は最後までやり遂げたいので、雑巾の片付けまで譲ることはしない。そんなイアナのことをわかっているフィンレーは、穏やかに頷き「かしこまりました」と答えた。


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