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第一章「その出会いは運命か、それとも……」(2)


 翌日。イアナは使用人の仕事を早々にこなすと一人、フリンの部屋へと向かった。

 この邸宅は広いわりにこまめな清掃が必要なかった。その理由は昨夜聞いた、地下の実験場の作品のためだ。

『昨夜ツヴァイ様より全てを聞きました』

 そうイアナが朝食の席でフリンにそう告げると、彼は特に顔色を変えることもなく『そうか』と答えた。そして昼の仕事が片付いてから部屋に来るように伝え、昨日門からイアナを案内してくれた男に『餌やりの仕方を教えてやれ』と言った。

 その席にはもちろんツヴァイも同席していたが、彼は沈黙を通したままだった。

 厨房に戻ると使用人の男は、この邸宅は偽装された実験施設であったこと、そして実験により生み出された獣達が、今も生きてこの邸宅内を歩き回っていることを教えてくれた。

 煌びやかな空間に走る血の跡は、獣達の命の叫びだったのだ。非人道的な実験によって生まれた、哀しき生物達。

 ぞわりと背筋が凍るイアナに、男は安心させるように付け加える。その言葉は南部特有の訛りを含んだ、親しみを込められたものだった。

『戦闘用の獣達はもう死んでもうたわ。少し前にこの邸宅は、本部の特務部隊からの襲撃にあってな。昨日見た美人さんとツヴァイ様もその部隊にいたんやわ。俺はその時の生き残りなんやけど、ツヴァイ様の生い立ちを聞かされて、憎しみなんて吹き飛んでもて……俺は一生、あの方をお守りしようと決めたんやわ』

 荒れ果てた前庭はそういう事情があったのか。無数に開いた穴は銃撃の跡。そして新調された門は、特務部隊の突入口になったのだろう。どうやらレイルが本部からたまに来ているらしいが、呪いを抑える薬を任せるには彼女は適任だと思われる。

『今は小型の害のない……研究結果的には失敗作なんやろうけど、そんな獣達がうろうろしてる。彼等に自由を与えたのはツヴァイ様や。合成された不安定な存在やから、所々で血ぃ吐くけど、それでも皆、強く生きてる。可愛い奴らやわ、まったく』

 初めて見せる男の笑みに、イアナも微笑みを返していた。この男だけでなく、この邸宅で働く全ての使用人が、彼と同じ理由――つまり本部からの襲撃の生き残りだった。

『ツヴァイ様に見初められて、旦那様からも“餌やり”の許可が出た。あんたにこんな先輩面出来るんも、婚姻が決まるまでの短い間だけやろうな。この邸宅の秘密を知ったんや。もう逃げられへんで?』

 そう言った男の瞳は笑ったまま。彼はイアナの表情から答えを既にわかっていたのだろう。

――逃げ出すわけないじゃない。

 本当に愛する運命の相手を見つけたのだ。それがどれだけ茨の道でも、イアナは添い遂げる気持ちであった。

 そして添い遂げると決めたからこそ、イアナは主人に問いたいことがあったのだ。

 深呼吸を一つして、意を決して扉をノックする。

「……入れ」

 感情の感じられない男の声が響いて、イアナは扉に手をかける。

 主の部屋は豪奢でいて、それでいて殺風景だった。異様に家具が少ないと感じ、そして目の前にいる彼の身体を見て納得する。短い茶髪に褐色の肌――

――特務部隊から強襲を受けて、五体満足でいられる方が有り得ない、か。

 本部が誇る最強の部隊。それが『特務部隊』と言われる少数精鋭の集団だ。使用人の話では、彼等は突入の際たった三人で、この邸宅を制圧したらしい。警護にあたる兵士や合成獣達もなぎ倒し、そして――邸宅の主の首から下を不随になるまで追い込んだ。

 主の部屋には机とベッドがあるのみ。それ以外の家具を、彼は扱うことが出来ないからだ。必要ないものは一切排除する。フリンという男の性格が浮き彫りになっているような部屋だった。

「私に聞きたいことがあるのだろう?」

 抑揚のない声で、フリンが問う。自由になるのは首から上だけだというのに、相当なプレッシャーだった。人の命を平然と弄ぶ、狂気の男の圧力だ。

 そんな男を前にして、イアナは震え出しそうな足に力を入れ直す。拳に力を入れて、腹から声を出せ、と自分自身を叱咤する。

「……どうして私を使用人に選んだのですか?」

 イアナはその疑問だけが聞ければ良かった。何故ツヴァイが自分を選んだのか。それはもうどうでも良かった。これは運命だから、と心が、身体が叫んでいた。

 しかし、この邸宅に使用人として呼ばれたのは、きっとこの目の前の男の意思である。邸宅の雑務を頼むのだ。そこに介在する意思は主の他に有り得ない。

「君の魔力に惹かれると……わかっていたからだ」

 主はイアナの予想通りの答えを告げた。

 この邸宅にて使用人を募集しているという通達が入り、イアナは好奇心から応募の手紙を送ったのだ。イアナの好奇心を刺激したのは、他の募集には見ない一言だった。

『自身の魔力を少量、魔石に注いでお送りください』

 言われた通りに魔力を注ぎ、そしてすぐに採用の通知が届いた。その時は全く意味がわからなかったが、ツヴァイの話を聞いた今ならわかる。

 ガーゴイルは爆炎の魔力を持つ種族だ。ツヴァイの身体に流れるのはおそらく清らかなる水の魔力。相反するその魔力の特性に、彼の身体が、本能がイアナの魔力を求めるのだろう。

 それを見越してこの男は、イアナを使用人として“息子とした”ツヴァイに引き合わせたのだ。

「それは……私を使って子供を産ませるため……つまり、貴方は研究の続きをしたい、ということですか?」

 昨夜ツヴァイは地下にて、自分は子供を望まないと言っていた。それはきっと彼の本心だ。獣と混ざり込んだ彼の苦悩を、イアナは想像することしか出来ない。

 その人と異なる身体を、愛する子供に受け継がせることを、彼は拒否した。それは、正しく苦渋の決断だったに違いない。

「私はもう、彼を材料にすることは止めることにしたんだ。彼の“望み”を実現させてやるために、君を選んだんだ」







 イアナは大広間の扉を開けた。そのあまりの勢いに、広間にいたツヴァイが驚いたように振り返った。

「……話は済んだのか?」

 彼はその表情を緩めると、イアナに問い掛けた。優しいその声音に、しかし不安を感じ取れる。

――大丈夫ですよ。不安になんて、ならないで。

 イアナはそう声に出す前に、ツヴァイに抱き着いていた。抱き締め返してくれる彼の顔を見上げ、安心させるために微笑む。

「はい。もう心置きなく私は貴方のものになれます。どうか、お傍に置いてください」

 主は“息子”のことをとても愛していた。いや、愛し始めたのだ。

 見上げるツヴァイの顔越しに、大広間に飾られた石像が見える。天井の高い――普通の建物ならば三階程度の高さがある――この大広間は、上部を飾りガラスに彩られただけの何もない空間だった。

 そう、“だった”のだ。襲撃の後にこの空間には、二人の呪われし男の石像が残された。

 岩の魔獣ガーゴイルと化した主に、合成獣と一体化しそれと戦ったツヴァイの石像だ。一度は呪いに屈しその身体を石に変えながらも、特務部隊の尽力により救出されたのだという。

 本部の命令が元だとしても、親子として寝食を共にするうちに、主の心からいつしか邪は消えていた。本当の息子のように思えるようになり、自然な流れで息子の子供のことを心配していた。

 不自由な身体で研究結果を睨み付け、そしてどうやら『爆炎魔法の素質がある者ならば、岩石の呪いを打ち砕く』かもしれない、という結論に達したのだ。

 彼は決して、孫を魔獣にしようとは考えていなかった。それを聞けただけで満足だ。

 何故ならば、この邸宅には深い愛情がある。本部からの手助けも期待できる。そして何より、愛しいヒトがいる。

 それだけで良い。何も迷う必要はない。抱き締める力が緩まり、ツヴァイの顔が近付く。優しいキスをひとつ落とされ、彼の深紅の瞳が穏やかに笑った。


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