対立
極北に近い広大な面積を持つ国家――『辺境連邦帝国』
不穏な動きを察知した偵察衛星から警戒音が流れた。
ワトソンは偵察衛星の画像を覗き込む。
「ほお? イワノフ軍港に駆逐艦数隻が集結しているようだぜ」
偵察衛星からの情報を分析しながらワトソンは続けた。
「さらに北東に展開している辺境連邦帝国の空母一隻が動き始めたぞ」
「行先はどこだ?」と相方のオズボーン。
「人工知能の解析結果ではイワノフかスベトラノフ軍港に向かっているようだ」
通信音とともに液晶画面にベン空軍少佐の顔が写った。
「こちらに辺境連邦帝国に不穏な動きがあると上層部から報告が入った。なにか動きがあるか」
ワトソンは報告する。
「そうか、引き続き警戒せよ」
オズボーンはワトソンの顔を見た。
「辺境連邦帝国は何を考えているんだろうか」
ワトソンは答えた。
「俺達は事実を上に報告するだけだぜ」
ワトソンは通信画面を見つめ、目を細めた。
「ほう、中央漢エイジア国でも何か動きが出た模様だ。一報によるとモウ・リャン航空基地にエイジア戦闘機が集結しているようだぜ」
オズボーンは短く口笛を吹いた。
「――エイジア戦闘機って三十年前に製造されたポンコツ機か?」
ワトソンは首を横に振った。
「ポンコツといえども毎年百機単位で製造されているんだ。それらが多数で波状攻撃でもされてみろ、我が国の最新鋭戦闘機でも太刀打ち出来るかどうか」
相方は相槌を打った。
「多勢に無勢だな」
「そうさ、下手な鉄砲、数打ちゃ当たるってな」
ワトソンは口をへの字に曲げた。
「そういや、ニッポンではなんだか騒動が起きたらしいぜ」
オズボーンが答える。
「何でもニッポン人同士が争いを起こしているとか。それと今回の動きになにかあるのか?」
ワトソンは言う。
「辺境の島国で何があったかなんてどうでもいいさ。俺たちは相手の動きを監視続け上層部に報告するだけだ」
「ああ、そうだな」
オズボーンは相づちを打った。
東京都庁地下三階会議室。
会議室内では、百人近くの国会議員や政府関係者でごった返していた。
都知事は臨時政府を作るため都庁の一部を政府に開放することを決断していたのであり、そこに生き残った国会議員が集合していたのだった。
頭頂部が禿げ上がった副総理の尾川が声を出す。
「臨時に場所を提供してくれた都知事には感謝する。諸君、わが政府は古今未曾有の困難に巻き込まれた。死者者負傷者の集計はまだ出ていないが、悲惨な状況には変わりない。全員、知恵を絞り出してこの困難を切り抜けるのだ」
厄災を免れていた財務副大臣が立ち上がった。
「総理が暗殺された以上副首相を代理とし国会を開くしか方法はないでしょう。尾川副総理を臨時内閣の長とすることを提案します」
異議なし、と大きな声がこだました。
「至急国会を召集し内閣として尾川副総理を正式に総理大臣に任命し天皇陛下からの承認を得ましょう」
尾川は腕組みをした。
「国会の召集とはいえ与野党の質疑応答をなさねばならない。国会議員の相当数がいない現状では国会の召集もままならん」
国会議員の志村麻理江が声をあげる。
「副総理、国会議員が少ないとはいえ、まだ現政府は有効です。一刻も争う余地はないです。日米共同の治安維持、これを発動すべきです」
「日米共同の治安維持か……それには在日米軍との教義が必要となる」
尾川は見回すと坂田に声をかけた。
「坂田君」
「……は……」
坂田縮み上がった。
「防衛大臣の君が在日米軍に国土安全上、天地真理革命軍の排除に手を貸して欲しい、と要請してほしい。自衛隊の出動要請にはいくつかの手続きを踏まなければならないのでこれは私のほうで対応する。君には在日米軍の交渉をお願いする」
「わ、わたくし、ですかっ?」
ことの重大さに震えるような坂田だったが尾川は当然のように話した。
「防衛大臣が生き残っていたのは幸いだ。初対面の政府関係者を差し向けるより、あらかじめ顔合わせをしている君が適任だ。この任務を任せられるのは君しかいない」
「で……でもですね……英語は喋られませんし……」
「大丈夫だ。通訳を付ける」
「し……しかしですね……まずは事務官レベルでの協議でしょう?」
法務副大臣及川が声を荒げた。
「最早、事務官レベルの話では無いっ。喫緊の事案だ、坂田君。尻込みしてどうするっ」
尾川が続けた。
「この様な異常事態だ。分かるだろう、坂田君」
「は……はあ……」
嫌々ながらも坂田は腰を上げ、選任された通訳と共に小型のライトバンに乗り込んでいった――。
六本木在日米軍ビル。
「面会?」
在日米軍ピーター・ロウワン総合司令は報告に来た秘書に首を向けた。
「ニッポンの坂田防衛大臣が通訳とともにフロアにきています」
「あのひ弱な坂田大臣か……彼だとニッポンの防空も心許ないというものだ。私はこれからインド太平洋軍司令部と本国を交えた緊急テレビ会議が始まる。どうせ碌な話じゃ無いだろう。応接室に案内し、ゴバック一等事務次官に対応してもらえ」
「分かりました」
ロウワン中将は首を傾けた。
「……いや、せっかくだ、危うきニッポン政府に敬意を払ってやろう。そうだ、トニー副司令官に相手するよう伝えてくれ」
坂田と通訳二人がまんじりともせず応接室のソファに座っていると、応接室のドアが開きトニー・ライス副司令官が部下とともに顔を出した。
金髪で短髪のライスは相対するようにどっかりとソファに座った。かなり屈強な肉体だ。
「やあ、トニー」
坂田は立ち上がりにこやかに握手を求める。
坂田は幾度となく会い顔見知りになっていたが、表情がいつもと違う。
「あいにく総司令は多忙だ。私が代わりに話を聞こう」
通訳が坂田にヒソヒソと助言した。
『日本の運命を左右するかもしれないのですよ。友達感覚はお止め下さい。もっと威厳をもったほうがいいです』
内緒話をする二人にトニーが促す。
「で、ご用の向きは何かね?」
坂田は言う。
「あの……単刀直入に申し上げまして、我が政府では在日米軍に救援を求めたいと……。それには日米安全保障に基づき二者会議を行い……」
おどおどした坂田の通訳にトニーは通訳の言葉を遮った。
「権力抗争に、手を貸せというのか?」
通訳は坂田に聞く。
「在日米軍は政府の争い、と言ってますが、どのように交渉しましょうか」
「君に任せるよ」
気弱な坂田は通訳に丸投げだ。
「こんな重要案件、私一人では対応できませんっ」
「僕にも荷が重いんだよねえ……取り合えず政府の争いってのを聞くしかないかねえ」
通訳は腹をくくった。
「権力抗争というのはどういう意味だ? 第一、そんな生やさしい問題ではない。これは現政府の転覆を狙うクーデーターだ。我が政府は未曾有の大災害に見舞われている」
ライスは足を組むと、そっけない対応をした。
「今回の権力争いは我が国ではニッポン国内の問題、と認識している。諸外国からの侵略ならともかく、今回の事案はそちらで解決してもらいたい」
「安全保障協約を破棄するつもりなのか?」
語気鋭く問い詰める通訳にライスは冷ややかだった。
「我々は静観するだけだ」
通訳は重ねた。
「しかし革命軍が在日米国に暴力を振るう事もあり得る。そうなれば在日米軍にも被害が及ぶ可能性がある」
「そうかね」とライスは鼻にシワを寄せた。
「そうかね、とはどういう意味か?」
「貴君たちが来る数十分前、天地真理革命軍最高司令官アズチ防海真なる人物が、我が在日米軍に手を貸して欲しい、と言ってきた」
通訳の顔色が変わった。
「それは本当か?」
ライスは通訳を睨みつけた。
「確認してみろ。それくらい貴君らでもできるだろう」
通訳は俯いている坂田に報告した。
「私たちより早くに天地真理革命軍が交渉に来たそうですがなんと答えましょうか」
「君に任せるよ……」
頼りにならないと感じた通訳は尋ねた。
「それでどう返事を?」
「断った」
「では我々に力を貸してもらえるのか」
しかし通訳にライスは平然と言ってのけた。
「それも『No』だ」
ライスは組んでいた足をほどき、両手を広げながら二人に言い放った。
「これ以上は国家安全上、言える立場にない。どちらにも加担しないのが我々の結論だ」
「しかし……」
しつこいように食い下がる通訳にライスと同行していた男がまくし立てた。
「本来なら事務次官級の話だ。それを副司令が直々に話を聞いたのは、それだけ日本政府に敬意を払っているのだ。それすらわからないのか貴君らはっ」
興奮する男にライスは諭す。
「パトリック、まあそう興奮するな。話は以上だ。……さて、お引き取り願おう」
「在日米軍では、この事態は他国からの侵略ではなく単なる抗争、とみなしております」
坂田に代わって同席した通訳が尾川に報告を入れた。
「たしかに他国からの侵入ではないがっ」閣僚の一人が語気を荒げる。「なんのための日米防衛かッ」
「米軍の協力が得られないとなると、わが政府で緊急対応するしかないでしょう、尾川総理」
副首相尾川は断言する。
「革命軍が押している以上警察の力だけでどうにか出来る事案ではない。やはり治安出動を考えざるを得ないが……問題は国会を召集することだ」
頭に包帯を巻いている総務大臣が発言した。
「与野党と論じている場合ではないですぞ。こうなれば国内法に則り、即刻、騒乱罪の適用をっ」
尾川は首を横に降った。
「自衛隊統合作戦司令長官と話し合ってきたが自衛隊を動かすにも国会での承認が必要だ」
総務副大臣は顔を真っ赤にして怒った。
「現状では国会召集は無理ですぞ、騒乱罪なら首相単独で命令を下すことができますぞっ」
しかし尾川は反対の立場だった。
「首相は国会の承認を得てなるものだ。現状、私は首相代理であり国会の承認を得ていない」
「総理、そんな杓子定規なことを言っている場合ではないのですぞ」
「国会を疎かにするわけにはいかない」
財務大臣は憤りを隠せないように憤慨する。
「そんなことを論じている間に日本は革命軍に乗っ取られてしまいますっ。然るべき処置を早急にしないと、時間がありません、尾川首相ッ!」
尾川は額に縦皺を寄せ深刻な顔をした。
そこへ都庁職員が入室してきた。
「失礼します。先生方に申し上げます。先程、天地真理革命軍より新政府樹立の報道がなされました」
室内全体に響きが湧き上がった。
職員が大型スクリーンに電源をいれた。画面には新政府の首相をはじめ各大臣の公表がなされている。
全員が唖然とした表情で画面に見入っていた。ふと我に返った法務副大臣が憤慨した。
「新政府だとっ? 断じて承服しかねるっ。このままでは革命軍の思うつぼですぞ。尾川首相、我々も至急組閣し、世界に公表せねばなりませんぞっ」
事務官も同調した。
「尾川総理、完全に後手に回りました。我々も対抗しないとこのままでは相手の思うつぼです。急いでこちらも対抗策を講じないと、総理」
「そうだ、断固、我々は新政府の樹立は認めん」
口々に騒ぐ政府関係者を尾川は静止するように大きく両手を広げた。
「ここで喚いていてもなんにもならん。国会の審議は後回しにしよう。天地真理革命軍と対話を申し込む」
島村りえ次官が発言を求めるように手を上げた。
「それは危険です、総理代行。我々の同士を容赦なく殺害した、ならず者集団では聞く耳をもたいのではないでしょうか」
「ここは日本だ。政情不安の地域とは違う。彼らの言い分も聞きたい。徳留事務長、なんとか実務者会談を組めないだろうか」
指名された徳留は事務官と話をした。
「至急連絡を取ります」
尾川の言葉に縞田麻理恵国会議員が反論する。
「副総理、相手は何をしでかすか理解できない集団です。次官が申し上げたとおり。話し合いは無意味です。返って生命に危機が訪れるのではないでしょうか。私は反対です」
「それはそうだが、天地真理革命軍の言い分も聞きたい。まずは事務レベルの話なら相手も酷いことはしないだろう」
「そんな呑気な……」
縞田麻理は尾川の考えが理解できなかった。
六本木在日米軍ビル。
ピーター・ロウワン中将在日米軍基地司令は巨大画面の前でテレビ会議を行っていた。分割され複数の軍関係者が映っている。
ピーターが口火を切った。
「日本では新政府が樹立されるようだが、新政府と旧政府両方が相次いで我が国に援助を求めてきた。どちらにも加担しないと話し突っぱねた」
画面右中央からアリソン・クラウス国防副首相が深刻そうな顔つきをした。
「それもさることながら、ニッポンの混乱に乗じて『辺境連邦帝国』のイワノフ軍港やスベトラフ軍港に複数の軍艦、輸送船が集結しつつある、と言う情報が入ったわ」
彼女の報告にピーターは言う。
「ああ、昨夜から軍事衛星からの報告がこちらにも届いている。これは間違いなく『辺境連邦帝国』がホッカイドウ占領計画を立てている証拠だ。アサヒカワに航空軍を集中させる」
画面中央の男ジェリー・ダグラス准将が言う。
「それだけではないぞ、ピーター。情報部の分析によると『中央漢エイジア国』からもキュウシュウを狙っている、と報告が来ている。どうやらミヤザキ、カゴシマの海域にあるレアメタル鉱床を狙っているようだ。まあ、レアメタル鉱床があるのか精査しないとわからんがな……だが、このまま何も手立てを加えないと、排他的経済水域内を中央漢エイジア国は力ずくで襲ってくるぞ。これは全てニッポンの混乱に乗じて漁夫の利を得ようとしている輩だ」
「どこもかしこもおかしくなってきたな」
ピーターはため息を付くと、ダグラスが言葉を繋いだ。
画面右下からリッキー・スキャッグス政務次官が報告を入れた。
「欧州の各情報機関からもニッポン乗っ取りの報告がきている。肝心のニッポン政府がこの状態では敵国の思うつぼだ。黙って指をくわえているほど我々は暇では無い。喫緊の問題だ。ニッポンは極東の要衝、敵の手に渡すわけにはいかん」
アリソンは言う。
「准将、グズグズしている場合ではないわ。この事態を受けて本国から空母二隻と巡洋艦数隻を派遣する手配をとるつもりよ。それと先ほど近日中に駐留している米軍家族を本国もしくは近隣諸国に退避させよ、との大統領令が極秘に下されたわ」
ピーターは驚いたように目を見張った。
「大統領令? 聞いてないぞ」
「発布されたのは今しがただからね。まもなく大統領令が届くわよ」
ピーターは腕を組んだ。
「しかし米軍家族と言っても五万人はくだらない。輸送機だけでも膨大な数必要だ」
ピーターに対しリッキーが言う。
「退避させるにしろ基地単位で動いていても埒が開かない。各国に睨みを付けるため空軍を派遣せねばならん」
ピーターは唸った。
リッキーは意味ありげに腕を上げた。
「非常事態だ。封印を解くのは今しか無い」
ピーターは念押した。
「それで良いのか?」
聞いていたジェリー・ダグラスは言う。
「アメリカニッポン双方が極秘に協議したうえで決定される条約だ。自衛隊となら話は早い。しかし一番の問題はニッポンの何処と協議するのか、だ。新政府か旧政府か?」
ピーターは決断した。
「緊急事態だ。主体性が無い以上我々独自で行動するしかない」
ダグラスが疑義を呈した。
「ニッポンはそれで納得するかね? ニッポン経済は混乱するぞ」
アリソンは髪をかきあげた。
「生活物資の供給が滞るのではないかしら? ニッポン人の生活が脅かされる事にはならないかな」
ダグラスとアリソンに対しピーター・ロウワンは断言した。
「我々はニッポン人を守るのではない。ニッポンという国土を守るのだ」
グリスマンは顎に手を当てしごき始めた。
「輸送機の確保や行動計画は我々が行う。ロウワン准将は至急、退避すべき人員の集計だ」
かくして治安維持のため、在日米軍は動き始めた。
「臨時ニュースを申し上げます。我が国の混乱に乗じて他国からの侵略が懸念される、と、先ほど在日米軍ピーター・ロウワン准将より、日米地位協定を根拠に、非常事態を発令しました。」
「各高速道路の一部が在日米軍の航空機発着の為一時封鎖がなされました」
在日米軍の機動装甲車が名阪高速道路、中央道、東名高速道路「東京」ー「厚木」のインター出入り口を封鎖し、同時に点在する各サービスエリアが在日米軍に供出された。
「在日米軍の家族に対し近隣に待避するよう大統領令が発布され、成田、羽田両国際空港の一部が大型輸送機発着専用と乗り入れを禁止しました」
これにより輸送用貨物機の乗り入れと国内外に移動する日本人の行動に制限されるようになった。
「この処置に対し首都圏をはじめ物流が滞るようになり日本経済の混乱が予想されます」
スーパー、コンビニなどに物流が滞りはじめ、買い占めなど混乱に拍車がかかりはじめた。
「六本木の在日米軍ビル前には抗議の声をあげるデモが行われました」
これは警察の手により排除される騒ぎになった。
スケロク商事事務所、午前八時半。
二階の倉庫兼会議室に黒川、天馬以外の全員が深刻な顔をしていた。
「近所のスーパーには野菜や米、お肉なんかなかったよ」と願成寺がため息を漏らす。
「コンビニも棚がスカスカでした」と蔵前。
「どうすりゃいいのかさ」と嘆く管弦。
杉田が声を出す。
「仕事もないし、全員自宅待機だ」
「お給料どうなんの?」
願成寺が言う。
杉田は全員を見回した。
「仕事がなくても、半年は払えるだけの蓄えはある」
杉田の言葉に御手洗が嘆いた。
「半年過ぎたらどうなんのぉ~?」
泣きそうな御手洗の顔だ。
「劇団からの誘いも無いし~、役者募集も無いし~、モウモウ八方塞がりよぉ」
祖父江が御手洗の頭を小突いた。
「こんな世の中だ、めそめそすんなよ。半年でもありがたいだろ。それより食いもんがないってのはなあ」
杉田は全員を見回した。
「耐えるしかない。だが我が社の良い点は社宅も兼ねていることだ。衣食住の中で衣と住環境は整ってるぞ。電気ガス水道は心配なく使えるし、トイレもシャワーも使える。あとは食をどうするか、だ……」
蔵前が言う。
「どうせならみんなで食材かき集めてここで食事を作るのはどうかしら」
「いいじゃん、それ賛成」と管弦。「カレーやハヤシライスぐらいは作れるヨ」
「米五キロ先月買ったのがあるんで、これ提供するんでやんす」
「俺もチッとばかり野菜があるんで出すぜ」
「でもさあ手の込んだ事、できないよ」と願成寺が嘆くと伊東が言う。
「呑めれば、い」
伊東の言葉に越狩は釘を察す。
「飲み代は別勘定でやんすよ」
仕事そっちのけでわいわいやっていると、会議室内の内線が鳴った。
取り上げた蔵前は保留ボタンを押し杉田に顔を向けた。
「社長、横須賀南部総合病院から責任者とお話したいと電話だそうです」
そこは的場が入院している病院だ。
その時杉田には悪い予感がした。
受話器を取るとすぐに男性の声が響いた。
「私、的場さんの担当医、平井です」
一時間後、杉田は横須賀南部総合病院、集中治療室前のガラス越しに的場を見つめていた。
酸素吸入装置が付けられ、的場の体中、細い管が何本も刺されている。
平井が現状について説明する。
「傷口を通して細菌が侵入したのでしょう、敗血症を起こしています。現状、非常に危険な状態です」
「なんとかなりませんかね?」
杉田の問いかけに平井医師は首をふる。
「治療薬がふんだんにあれば治せますが、何しろこのご時世ですからね、抗菌薬も入りにくく、在庫でやりくりしている状況です。輸血もままならない状態で、治療には全力を傾けていますが、重態ですので。そこで、ご両親やご親戚に連絡を取っていただきたいと思いまして……」
杉田は平井を見つめた。
「危ないというのですか?」
「いやいや、もちろん全力を挙げて対応していますが、万が一、と言うこともありますので」
杉田はガラス越しに的場を見つめた。
「――彼は天涯孤独でね。弊社が身元引受人です」
思わぬ杉田の言葉に平井はびっくりした顔をした。
「ホントですか……」
「どうか助けてもらいたい」
杉田は頭を下げた。
「申し上げた通り治療薬など不足しているので……」
突然、看護師が駆けつけてきた。
「的場さんの血圧が下がり始めてます」
平井は冷静に言う。
「血圧上昇剤の投与だ……在庫は?」
「探します」
看護師が薬剤を探しに医薬室に駆け込んでいった。
平井は暗い顔をして俯いた。
「救えるものは救う。これは医者に課せられた使命です。でも的場さんだけが患者じゃない。ここには他にも危篤患者がいます」
振り返った杉田は冷ややかに平井を見た。
「負傷した政府関係者に優先的に治療がされていると噂がありますね」
平井は首を振る。
「どうなんでしょうか。確かに薬や外科医などの投入などあると思います」
杉田は眉間に皺を寄せた。『優子がいれば……』
寺家は手腕を買われイタリアに心臓外科医として出張中だ。
一瞬の沈黙の後、突然杉田は言った。
「私が医薬品などの調達を手伝います」
「なんですって?」
申し出にびっくりした平井だ。
「失礼ですが、社長は薬学関係の知識はお持ちですか? ……無い? それでは話になりませんよ」
けんもほろろな平井だ。
「何の話をしているのかね」
背後から男の声がかかった。
「ああ、副理事」と平井が言う。平井は事の経緯を副理事に話した。
副理事は杉田を見る。
「そのご厚意はありがたいが……いや……」
副理事は右手を握り額に手を当て考え込んだ。
看護師が慌ただしくやってきた。
「平井先生、在庫ありましたっ」
「よし、行こう」
杉田と副理事の二人だけになり気まずそうな沈黙が流れたが、ややあって副理事が口を開いた。
「当病院でも複数の薬品商社に在庫状況を確認し発注をかけています。ただ医薬品の入荷が滞っている現状では、思わしくないですよ。近隣の総合病院にも融通してもらえないかと打診をしているが、どこも同じでね」
「どこに行っても無い、ということですか?」
「無いわけではない。商社に在庫があっても交通網が混乱している状態では、いつ入荷できるか読めないのですよ」
杉田は念を押すように言った。
「その商社に取りに行けば手に入るわけですな」
「まあ、それはそうだが、よっぽどの緊急でない限りこちらから取りに行くわけには行かない。どこでもそうだがギリギリの職員で回しているので手が回らないのですよ」
杉田は重ねて言った。
「先程申し上げた通り、取引先商社を教えていただければ私が動きます」
諭すような口調で副理事は言った。
「コンビニやスーパーでこれください、という単純な話ではありません。医薬品を扱う専門員が行かなければなりません。考えても見てください。もし薬品等間違っていたら二度手間になります。またそれが原因で医療事故が起きたら、それこそ取り返しがつかなくなります。第一、動くにしても理事長の許可も必要です。それにあなたが動けばそれなりの経費がかかるでしょう? 申し出は有り難いが、とても理事長の許可はおりないと思いますよ」
杉田の目が光る。
「経費はいただきません」
杉田の言葉に驚く副理事。
「……ただでいいとおっしゃるのか?」
「そうです」
「何故?」
副理事の言葉に杉田はきっぱりとした態度を取った。
「我が社の社員を救いたい――無論入院している患者さんのためにも。ぜひ、副理事から理事長の許可を」
「ただいま帰りました」
午後二時を回ったところで事務所のドアが開き寺家が顔を出した。
和道は驚いたふうに寺家を迎えた。
「イタリアへ行ったんじゃないのかね」
疲れた顔つきの寺家はキャリーバッグを置いた。
「成田国際空港では在日米軍がほぼほぼ占領して動きが取れないのよ。二日待ったけど埒が明かないので、羽田に戻ったんだけどね、滑走路の半分が在日米軍に使われて、さらに国内を脱出する裕福層でごった返して、どうにもならない状態よ。バレンチーノ総合病院に断りの連絡を入れて帰ってきた訳」
そう言うと寺家は古びたソファにドスンと腰を下ろすと、ソファが悲鳴を上げた。
「寺家先生でないと難しい手術なんだろう? それで相手は納得したのかね?」
「向こうでも日本の情勢を気にしているんで仕方ない、他を当たると言われたわ。――社長は不在なの?」
和道は寺家をまっすぐに見つめた。
「地家先生、的場の命が危ういんだよ」
和道は寺家に杉田からの報告を話し始めた。
「そこで寺家先生、なんとかならんかな」
寺家は顎に手を当てしばらく考えた。事務所で待機している全員の目が寺家に注がれたが、寺家の答えは素っ気なかった。
「状態が安定すれば本間医院に転院も出来なくはないけど……今の話では到底無理ね」
つれない寺家の返事に、期待していた一同はがっかりした顔をした。
「寺家先生でもなんとかできないのかサ」
「スケロク商事の仲間だし助けたいのは山々だけど……」
和道もため息を付いた。
「そうか――後は社長の肩にかかっているのだな」
「お腹すいたわぁ」と御手洗。
「朝昼晩、おかゆにかつぶしと醤油ぶっかけて、これがご飯と思うと、情けないわぁ~」
「コロッケ作ったじゃん」と願成寺。
「コロッケ~? あれは肉じゃがを揚げただけじゃんよぉ」
「言ったな、コイツー! せっかく作ったのにー」
願成寺は御手洗を睨みつけ手を上げようとするのを越狩が諭した。
「まあまあ、あれはあれでうまかったでやんすよ」
「肉じゃがの包み揚げ、と思えばいいんだ」と祖父江。
「なにさ皆で寄ってたかって」
願成寺は腹を立て、そっぽを向いた。
「日本酒って米から作るんだよネ」
管弦の言葉に祖父江が答える。
「何、期待しているんだよ? 瑠那、あと一年は我慢だ」
「あ~あ、米食いてえ」
和道の携帯電話が鳴った。ポケットから取り出すとそれは杉田からだった。
連絡が終わると和道は全員を見回した。
「今後の経営方針を協議するよう、社長から伝言がきた」
「経営方針たって何すんのかサ」
管弦がぼそりと言った。
「黒川と天馬以外、二階の会議室に来てくれ」
和道の命令に階段をぞろぞろと上がり、各々椅子に座りこもうとしたその時――越狩が正面ガラス窓に無人機がホバリングしているのを見つけた。
そのドローンは空中で停止しながら音楽ともいえない奇妙な音を発している。
「なんか、ドローンが空中で停止しているでやんすよ」
その無人機は何かを訴えかけているようだ。
「うるせえな」
祖父江は言う。
「やや、ヒトが何人か出てきたでやんすよ」
ガラス越しに越狩が言った。
祖父江たちが窓により下を見ると、ゆっくりした足取りで数名の男女がまるで映画に出てくるゾンビのように歩道を歩いている。
そしてその音を聞いていた管弦の目つきが突然変わった。
「呼んでいる……呼んでいる……」
呟いた管弦はゆらゆらと立ち上がった。
「どうしたんだ、瑠那、戻りなさい」
振り向いた和道の問いかけにも答えずドアを開けようとした。
完全に外のドローンの音に反応している、と気がついた和道は叫んだ。
「この前と同じだ! 瑠那を抑えろっ」
和道の声と共に伊東が管弦の腰めがけタックルした。
くの字に体を曲げた管弦が床に頭を打ち付け、転がった。そこに願成寺が伸し掛かった。
管弦が両足をバタバタと煽る。その拍子に白のミニスカートがまくれ上がり、下着が見え隠れする。
祖父江は倉庫ロッカーから現場に使う薄汚いロープをつかみ出す。
目つきが変った管弦は喚く。
「どけっ、どきやがれッ!」
管弦の両袖からナイフが飛び出す。危ないッ……願成寺はとっさに力任せに両手首をがっちりと掴む。
「離せッ」
管弦は恐ろしい形相で藻掻く。
「黙らせろっ」
祖父江の声に、越狩はとっさに机の上にあった使い古した雑巾をひったくり、無理やり管弦の口に押し込んだ。そして、持っていた汗臭いタオルで猿ぐつわを咬ませた。
咄嗟のことに間を白黒する管弦。
のし掛かっている願成寺は管弦のナイフをたたき落とした。
祖父江は見つけたロープで両足を縛り、願成寺が身体をのかせたちまち縛り上げていった。
全員、見事な連係プレーだ。
雁字搦めに縛り上げられ、芋虫のような管弦が身悶え、呻き、振りほどこうとする。しかし管弦の力ではどうにもならなかった。
「畜生、瑠那がまたおかしくなっちまった。耳栓、無いか?」
祖父江の声に和道がヘッドフォンを差し出す。
「こんなものしかないがね」
御手洗が管弦を見つめた。
「なんだかぁ、みんなして女の子を虐めてるみたいでイヤだわよぉ」
「仕方ないよ。音源に敏感だからね」
汗を浮かべた願成寺が御手洗に答えた。
「あの奇妙な音には爆走天使のライブと同じような作用があるに違いない。止めないと犠牲者が増え大変なことになる」
「任せて」
蔵前が腰から竹笛を取り出し吹き始めると、数分もしないうちに上空にカラスが舞い始めた。徐々に数が増し黒い塊になっていった。
蔵前はなにをするのか?
更に蔵前が吹き続ける。……すると上空を舞っていた多数のハシブトカラスがいきなりドローンめがけて一斉に急降下し始めた。
大きさといい重量といい、とてもカラスが太刀打ちできるものではない。
しかし数を増したカラスが次々と鈎爪で襲いかかり、黒い羽をばたつかせ嘴でつつきまくり、狂ったように容赦なく無人機を襲う。
たちまちドローンが黒い塊と化していった。
如何に巨大な無人機とはいえ無数とも言えるカラスの攻撃に機体が制御不能になり、最後にはアスファルトの地面に叩きつけられた。
蔵前がもう一度吹くとカラスの集団は次々に何処かに消えていき、落ちてきたドローンを人々が取り囲んだ。
「警察に通報だ。イヤその前に瑠那を」
管弦を縛っていたロープがほどかれると、自力で猿ぐつわを外し雑巾を吐き出し、ゲホゲホと咳き込んだ。
「誰サっ……こんな汚い雑巾押し込んだのッ」
和道と祖父江は顔を合わせた。
「――覚えていないようだな」
都庁地下三階会議室。
尾川をはじめ政府関係者の前に陸上自衛官と警察関係者が説明をしていた。
「殺人犯、野来下茂が犯行に及んだ拳銃の解析結果が出ました。日本では製造されていない完全なオリジナルです。警察にも確認したが条痕は弾丸と一致してます」
「完全なオリジナルと言うが何か根拠でも?」
尾川が尋ねた。
「兵器解析研究所の意見では三次元製造装置で製造されたと思われます」
「なんだね、その装置とやらは」
「民間で言うところの3次元プリンターです。工業製品として出回っております」
「何丁作られたのかな?」
「この一丁だけです」
「なんだって? 一丁だけ? 一丁だけとはおかしい。未だ何処かにあるのでは無いか」
「恐らくの一丁だけかと」
「そう言いきる根拠はなんだね。それに今どき回転式拳銃とは」
「構造が単純であり普通の拳銃より破壊力が得られるのが特徴です」
「ほう、破壊力ね」
「実機で検証した結果、従来の三倍の破壊力を持っていることが判明しました。これは殺人犯、野来下茂で無ければ扱えない武器です」
説明を聞いた尾川は目を丸くした。
「そんな威力のある拳銃を個人で扱えるものなのか? なにかの間違いじゃないのか」
自衛官は含みのある言い方をした。
「それは時が来たら説明致しますので、もう暫くお待ちください」
次に警察官が報告する。
「こちらをご覧下さい。これも我が国では生産されていない自立型無人機です」
提出された継ぎ接ぎだらけのドローンを議員が取り囲んだ。
「随分と大きいものだねえ」
見つめた坂田が尋ねた。
「何だがねえ、我が国で生産されていないと言うのはどういう事かい? 何処でどうやって手に入れたんだあ」
警察官が言う。
「捜査班、鑑識、科捜研、総力を上げて部品を丹念に拾い上げ、復元しました。結構手間のかかる作業でしたがこうやって復元できました」
「だからこんな継ぎ接ぎだらけなのかい。フランケンシュタイン博士の怪物、だな。ははは」
坂田の馬鹿にしたような笑いに尾川は怒った。
「坂田君、言葉を慎めっ」
尾川の怒声に坂田はしゅんとした。
「警視庁では日本以外の国で生産され、何らかの方法で運び込まれた、と結論します」
「日本以外の国とは?」
「調査中です」
別の警官が報告した。
「天誅教会と天地真理革命軍は同一です」
「何か証拠となるものがあるのか」と尾川。
「横須賀教会内部で多数のドローンを見た、との証言があります」
「横須賀教会から証言? 根拠はあるのか。それだけで結論づけるのは強引じゃないか?」
坂田の疑問に対し警察官が答えた。
「先生方がご覧にただいている復元無人機、横須賀教会で発見されたドローンです」
警官の答えに議員一同から響めきが広がった。
「爆発される前に証言を得ています。つまり証言通りです」
「証言者は一体誰だ?」
「椎茸の集荷に来た農家です。所有している山林で発見し、警察に届ける前に拉致され、横須賀教会に捕まっていたのですが、そこで発見したとの証言です」
「それで証言者は?」
「命からがら逃げ出せた、とのことです。ただ手伝いに来た人物の一人が瀕死の重傷を負って、横須賀の病院で手当を受けております」
「犠牲者がいるのか……」
「警察はこれを根拠に各地にある天誅教会の捜査に着手します」
感心する尾川に財務副大臣は決断を迫った。
「尾川総理、最早警察で立ち向かうには荷が重すぎます。相手は狂乱集団です。何をしでかすか分かりません。自衛隊を出動させ、一刻も早く叩くべきです」
「そうは言っても闇雲にはできん。なあ坂田君」
「は……はあ……」
尾川から意地悪そうに言葉を向けられた坂田は生返事をするだけだった。
自衛隊幕僚ビル玄関先。
半分破壊された自衛隊閣僚ビルに盾を構えた機動隊数十人が数名の坊主頭の男たち天地真理革命軍に立ち塞がった。
「ここにおわすは新政府防衛省を任されたサガミ坊雲海なるぞ。お前たちそこを退け」
坊主頭の男たちは機動隊にむかって叫んだ。
「国会で承認されていない以上すわけにはいかん」
津野田機動隊隊長も声を荒げる。
「通さないならば、国家反逆罪であるぞ」
坊主の男たちは威嚇するように喚いた。
津野田も負けずに声を張り上げた。
「国会の審議と天皇陛下の勅旨が必要だ。新政府はまだ承認されたわけではない。未だに法律は現政府の下にあるっ」
「うぬっ」
坊主頭の男たちは袈裟の中に隠し持っていたマシンガンを取り出した。対する機動隊は一斉に盾をかざした。
にらみ合う両者――。
まさに一触即発だ。
「まあ待て」
サガミ坊雲海は制止するように右腕を水平にかざした。
「我々天地真理革命軍の国家運営は始まったばかりだ。この場は納めるとしよう。だが新政府が正式に発足された後には貴君らは我々にひれ伏すようになるのだぞ。よいな」
そういいながらサガミ坊一行は立ち去っていった……。
「畜生、なんて奴らだ」
津野田は唾棄した。
「隊長、法務省、財務省にも革命軍が現た、と報告が入りました。奴らが言うように正式に手順を踏まれたらどうにもなりませんっ」
防弾ガラスを押し上げた部下が言う。
「そうなる前に、全員で死守する。あいつらの思うようにはせんッ」
しかし津野田の顔に悲壮感が漂っていった――。
日本の政治が混乱している中、北と中央から侵略の声に阻止しようとする米国の強権が発動されました。道路は寸断され、平和だった国民の生活に最悪なシナリオが展開されました。
果たしてこの様な展開は起こり得るのでしょうか。
この混乱を収拾すべく尾川が動き始めます。彼はいつ、どのように、何の決断を、下すのか?