牙をむく天誅教会
宝来警察署二階取調室。
野来下茂を捕まえたスケロク商事一行に宝来警察職員が一人ひとりに事情を聞き取り、調書を作成し終わったときには夜が明けていた。
「加藤副署長、入ります」
部下の声と共に加藤が入室した。
加藤は一同を見回した。
「……また、お前達か」
溜息に交じりに呟くと、加藤は正面にどっかりと腰を下ろした。
「これが調書です」
大石が加藤に調書を渡したが、受け取った加藤はパラパラとめくるだけで机の上にバサッと置いた。
「容疑者の逮捕に協力してくれた諸君の健闘には感謝する」
そう言う加藤は深々と頭を下げた。しかし数秒後、顔を上げるなり強い口調で全員を見回した。
「お前ら、一体何をしたんだ? 容疑者は確保できたが、両容疑者とも口がきけない状態だ。……正当防衛を逸脱した行為にあたるぞ」
加藤は的場や越狩、蔵前そして願成寺達を見つめ、ケンジと瑠那二人に焦点を合わせた。
「アンタらか」
加藤の視線を外すように瑠那はぷいっと横を向いた。
「アンタ、呼ばわりされたくないわ」
加藤は柔和な顔をし両膝を叩いた。
「遅くまで拘束してすまなかった。今日のところは帰ってもらおう」
「なにサ」と言いながら管弦は立ち上がり、加藤の言葉にぶつぶつ言いながら全員取調室をでていった。
数分後内線が鳴る。
「スケロク商事の杉田さんがおいでです」
「分かった、副署長室へ案内してくれ。追っかけ直ぐ行く」
「杉田君」
応接間で杉田と対峙すると開口一番加藤は喚いた。
「お前ッ……従業員の危険をどう思ってたんだっ」
「俺の計画通り運んだんでね」
杉田は冷静だった。
「何が計画通りだッ」
怒り狂ったライオンのように加藤は杉田を睨み吠えた。
「一歩間違えればお前んとこの従業員全員天国行きだったんだぞッ。それをよくもまあ、そうのうのうと言えたもんだなッ」
杉田は両手を頭の後ろに組み、天井を見つめた。
「俺は社員を信頼している。それよりタバコ恵んでくんないかなあ」
吠えるライオンは悔しげに膝を叩く。
「信頼だと?」
加藤はタバコの箱を取り出した。火をつけた杉田は旨そうに煙を吐いた。
「容疑者が逮捕されてよかったな」
加藤は鼻にシワを寄せた。
「まあな。とりあえず礼を言っとくがな、今後無茶なことをさせるんじゃないぞ」
加藤もタバコを取り出し火をつけた。
「供述は取れたのかい」
加藤はしかめっ面をした。そして杉田をそしるように言った。
「お前達のせいで殺人容疑者は喉を潰され声を出せない。もう一人の容疑者も肋骨が肺に突き刺さり警察病院で手術を行ったが同じく調書は取れてない」
「二人の身元は分かったのか?」
「押収した車や所持品から面は割れた。あっさりとな。数時間もしないうちに捜査令状が、あ……いかんこれは極秘条項だ。これ以上は何も言わんぞ」
杉田が笑った。
「何だ、その薄ら笑いは」
「ヒットマンは野来下茂だろ?」
突然の言葉に加藤はビックリしてタバコを落としかけた。
「お、お前どっからそんな極秘情報を……さては、貴様も一味の仲間かっ」
さらに杉田は笑った。
「マアマア抑えて抑えて。我が社が追いかけていた人物と警察が追っていた人物が同一とは俺も驚いているんだ」
「どういう意味だ」
加藤は身を乗り出した。
「依頼人の兄と容疑者が同一人物ッて事さ」
「いつも訳の分からんことを言うヤツだな。何をいっとるんだ君は」
杉田はタバコの灰を二度三度、灰皿に落とす。男性警官がお茶を運んで二人の前においた。
「我が社では兄を天誅教会から救出して欲しいという依頼があった。色々調査した結果天誅教会との繋がりがある人物、と言うのが朧気ながら分かってきた。殺人者を捕らえて警察で白状してくれたら居場所が解るんじゃないかって、そこで誘き出すためにひと芝居打ったんだんだが殺人者が当事者だったてのが驚きだ」
杉田は灰皿にタバコを揉み消すと、身を乗り出した。
「今回の容疑者二人についてはレク、してないんだろう?」
「ああ、だから何だ」
やじるような加藤の言い方だが、杉田は切り返すように意外な言葉を迸った。
「アンタの手柄にしてやってもいいぞ」
杉田はお茶に手を出した。
「なに、なんだと。また訳の分からんこと――」
そう言って加藤も灰皿にタバコを押しつ、お茶をすすった。
「夜の警邏に中に偶然職質した容疑者が抵抗したので逮捕した、とすれば宝来警察の手柄になる。丁度管轄内の事件だしな」
杉田の思いもよらない言葉にお茶を吹き出す加藤。
「何をっ。嘘はできんぞッ。真実は真実として世に公表しなければ警察としての沽券にかかわる。第一そんな嘘をでっち上げて後からばれたらどうするんだッ、杉田ッ」
杉田の真意を測りかねた加藤は喚いた。
「イヤナニ、正直に公表されると我が社の命がなくなるんでね。天誅教会がこんな泡沫企業を闇に葬るのは造作ない」
加藤は顎に手を当てた。
「しかしだな……嘘を公表するのは出来ない相談だ」
「ダメかね」
「ダメだ、絶対に駄目だッ」
加藤の言葉を交わすように杉田は言った。
「とある噂を聞いた」
「噂?」
杉田はまたもや薄ら笑いをした。
「聞きたいなら……もう一本恵んでくれるかい」
渋々加藤はタバコを差し出す。火をつけ天井向けて煙を放つ。
「とあるスジから、宝来警察の失態がある、と聞いた。内部にスパイがいて宝来警察は迂闊にもそれを知らなかった」
加藤は苛ついた。
「何故そんなことを知ってる? それにだから何だというだ?」
「これは宝来警察の失態だろ? 署長、副署長の首が飛ぶ。署長は警視庁で雪隠詰め、加藤副署長は閑職に追いやられ、その他数名の幹部が地方に飛ばされ……」
またもや旨そうに杉田は煙を吐き出し、加藤を見つめ、にやりと笑った。
「その失態と今回の手柄で相殺できるだろ?」
加藤は呆れた顔をした。
「何を言うのかと思ったら……そんなこと出来るわけ無い。嘘は絶対に許さんぞ」
誇らしげに杉田は続ける。
「とある新聞社がスクープ写真として現場写真を撮ったんだ。明日の帝国日々新聞の朝刊を見てくれ給え。バッチリと警官が写っているはずだ」
加藤は鼻を鳴らした。
「貴様……」
「お互いの利益のため提案するんだぜ」
「お前の企みにはほとほと呆れるぞ。そんなことで取引に応じると思うか」
加藤の言葉に杉田は確信めいたように顔を突き出す。
「俺が副署長なら上長を説き伏せるな」
杉田はにやりとする。
加藤は話題を逸らすかのように話し出した。
「仕方ない。これは極秘だが検察送致には運転手だけになる」
予期していなかった加藤の言葉に今度は杉田は驚いた顔をした。
「どういうことだ? 野来下茂はどうなるんだ」
加藤は降参と言いたげに両手をあげた。
「野来下は防衛省に収監される。何故か分からんが、上からの指示でな。指示が出された以上わしら地方警察では何も出来ん」
「では、運転手の供述だけになるのか?」
杉田の言葉に加藤はため息をついた。
「やれやれ……丹精込めて作った料理をこれからいただこうと思っていた矢先、横からかっさらわれた気分だ」
杉田は加藤を見つめる。
「その料理、ウチらが提供したんだぜ」
「そりゃそうだがね」
「凶器は?」
「拳銃も遺留品も何もかも召し上げられた。防衛省からの返事を待つしか無い状態だ。この事件は我々の範疇を超えた」
杉田は腰を上げた。
「おい、未だ話は終ッとらんぞ」
「タバコ、ありがとな」
「待てッ杉田ッ!」
加藤の制止も聴かずに杉田は悠然と応接室を出ていった。
『アイツ……』
翌朝、帝国新聞社の朝刊は大見出しで写し撮った数人の警察官の姿を大きく飾っていた。
「史上最悪殺人鬼、警邏中の警官と格闘の末逮捕さる」
前代未聞の展開にマスコミ各社は宝来警察を取り囲み報道を迫った。
加藤副署長が矢面に立つことになり、結局警察官が捕らえたと言う発表をした。杉田の言いなりの展開で苦渋の決断だったが、これが功を奏したか加藤副署長達の首は繋がったのだった。
同じ頃、千葉県にある天誅教会本部に多数の報道陣が詰めかけ、教会本部の玄関はごった返していた。協会内の信者や事務方はその勢いに怯えていた。
「これじゃでるに出られないぞ」
「誰か何とかしてくれませんか」
教会内部の人間が口々に不満をいう中、巨体の男が立ち上がった。
「俺がでる」
そう言ったのは川崎教会にいた近藤だった。
「近藤さん、頼りにしてます」
事務員の女が手を合わせた。
近藤が玄関のドアを開けると報道関係者がなだれ込みそうになり、その巨体で近藤は押し返し数人が蹌踉めく。
フラッシュが焚かれ同時に数本のマイクを突き出されると近藤はもみくちゃになった。
「事務長の近藤だ。一体何の騒ぎだっ」
マスコミの一人が代表するように話す。
「今回の容疑者逮捕について、教会との繋がりが噂されてておりますが何か一言」
近藤は怒鳴る。
「当協会と何の関わりもないっ。単なる嘘っ話で教会も迷惑しておるっ。直に教会広報から説明がある。それまで、待て」
近藤は声を荒げた。
「広報とお話がしたいのですが」
「だから言ってるだろうがっ。広報室は会議中だ」
「では教会代表の生久慈南悦大僧正の見解を聞きたいのですが」
「しつこいな。ここにはいないッ。帰ってくれっ!」
近藤は激怒したが、報道陣は食い下がった。
「ではどちらに?」
「生久慈南悦は各教会の説法で渡り歩いているっ。どこにいるか知る立場にないっ」
「週刊日々の記事に対してなにか一言お願いします」
さらに近藤は顔を真っ赤にした。
「当教会に対する冒涜だ。嘘に塗り固められたでっち上げだっ。極悪非道な帝国新聞社に訴状を出す。これ以上、当協会を侮辱する発言を発見次第、告訴する。お前らも覚悟しておくんだな。以上だ。さあ、帰れ、帰ってくれッ」
相当な剣幕で近藤は各報道関係者を唸り飛ばし、押し切られた格好で玄関が強制的に閉じられた。
三々五々関係者は教会本部を後にしながら愚痴っていた。
「極悪非道な新聞社だってよ。もう少し言い方があるんじゃないか」
「俺たちは真実を知りたいだけなのに告訴って何だいあの言い方は。あの男ヤクザモンか」
「絶対天誅教は何か隠している。間違いない。警視庁から何か記者クラブに入ってないのか」
「未だ何の連絡も入ってないようだよ」
近藤は急いで本部と連絡を取った。画面には青いフードの男が浮かび上がった。
「困りました導師様。マスコミ連中が押しかけてきまして、そのうち警察からも何かあるのではないかと」
「狼狽えるな、近藤」
液晶の男は青いフードを目深に被って表情を見せない。
「整い次第雷鳴計画を行う。二三日中には決定がくだされる。それまで耐えろ。週刊日々は帝国新聞社が発行してしているんだったな?」
「そうです」
「分かった。帝国新聞社横浜支局に天誅を加える」
近藤の報告に尊師は冷酷だった。
容疑者の一人、運転手役の宇賀神達洋の居住する杉並区にあるとあるマンションに、警察の一団が乗り込んでいった。
簡素な室内にはそぐわない巨大な祭壇が忙しなく動く大勢の団体を見つめている。
「隊長、パソコンを発見しました」
「電源を入れてみよう」
ベッドルームの机にあったノートパソコンを発見した警察が隊長の指示で電源を入れた。しかし想定通りパスワードがかかって中身は見られない状態だ。
「ここじゃ分からんな。科捜研情報処理課に持ち込もう。その他の押収物は本庁で解析する」
隊長の命令で押収されたノートパソコンだけは科捜研に持ち込まれ早速解析にかかった。
警視庁捜査一課課長の下に報告がなされた。
「――解析結果に依りますと通信用アプリだけしかない状態でした。さらに、国外通信のログが記録されているようです」
「容疑者はアプリを使って国外通信していたというのか」
「何処にやり取りしていたか、目下解析中、とのことです。判明次第報告がなされます」
捜査課長は席を立った。
「容疑者単独の犯行ではない。必ず指示者がいるはずだ。なんとしても逮捕しなければならん」
しかし捜査一課長の想定よりもっと巨大な組織には気がついていない。
朝礼で割り振られた仕事をこなすために大半の職員が出払った午前九時半のスケロク商事事務所。
区切られただけの粗末な応接室に野来下雫が座り向かい側には杉田が座っている。
「私もお兄様が容疑者なんて、全く想像もしておりませんでした」
雫は目線を下にしたまま頷いた。
「いずれにしろこれ以上はどうにもなりませんので、捜索および救出は打ち切りといたします。よろしいですね」
念を押す杉田に雫が不安そうに顔を上げる。
「……今までの経費をご請求ください」
しかし杉田は首を振った。
「いや、依頼は履行できませんでしたので、請求はしません」
雫は驚いた顔をした。
「こんなに良くして頂いたのに、いくら何でもそれでは……せめてホテル代だけでも――」
杉田はきっぱりと言う。
「依頼人を守るのも弊社の努めです。それも含め、成功した暁に頂くのが弊社のモットーです。今回のお兄様救出には結果として失敗に終わりました。頂くわけにはまいりません。どうかお引き取りを」
雫は再び顔を下に向けた。
「兄は一体この先、どうなるのでしょうか」
杉田は腕を組んだ。
「一連の事件を起こした犯人となれば、残念ながら極刑は免れないでしょう」
杉田の言葉に、ああ……と雫は嘆息する。
「……頼れる兄がいなくなれば……天涯孤独です……」
杉田は優しく説いた。
「野来下さん、そんな事ないですよ。良い人がきっと現れますよ。希望を持ってください」
雫は杉田を憂いを含んだ瞳で見つめ、その視線に杉田はドキリとした。
「社長にはよい奥様がついてておいででしょうね」
謎の言葉を吐き出すと雫は出ていった。
「どういう意味なんだ?」
分からないと言いたげに杉田が呟くと、意地悪そうな目つきで瑠那が返事をした。
「鈍いなア――雫さんは社長に恋したんだよ」
「そ……そうか?」
「女心が分からない社長って、これから先が思いやられるワ」
瑠那に言われた杉田は満更ではない顔をした。
「でもサ、これで天誅教会はどう動くのかなあ」
杉田は立ち上がり古ぼけた社長の椅子に座り直した。
「これだけ世間の耳目を集めたんだ。タダじゃすまないさ」
黒川が言う。
「色々な状況を聞いていると、まず茂と天誅教会との繋がりが暴かれる前にまだひと騒ぎ起こしそうな気がします。元町の火災を起こした関係も未だ未解決でしょう。それと出鱈目雄三吉宗の存在をどうしますか?」
杉田は机に肘を載せ顎に手を当てた。
「どうもこうも……まあ、佐野記者に後を任せようか」
珍しく黒川が息巻いた。
「社長、そんな悠長なことでどうしますか。天誅教会が襲ってきたら一溜まりもありませんよ」
杉田は渋い顔をした。
「そりゃそうさ、天誅教会にばれたらイチコロだからなあ」
「ナニさ他人事みたいに」と瑠那。
皆が話し合っている間、和道一人だけが折れたスプーンをためすがめつ眺めていた。
「和道さん、どうかしたんかサ」
和道は匙の断面を見つめている。
「瑠那専用に作ったスプーン、折れるとは想像していなかったのだよ」
「何だい、その折れたってのは」
杉田の問いかけに和道は顔を見る。
「いくら何でも瑠那を殺人者に仕立て上げる訳にはいかんだろう? 曲がりやすくなるように工夫したのだよ。しかしだね、この破断面を見ていると違和感があるのだな」
「折れるはずがないスプーンが折れた、と言うわけですね」
黒川が後を継ぐ。
「そう、そうなんだよ、まさに黒川君は名探偵だ」
「そんなどうでも良いことに時間をかけるんかい?」
面倒くさそうな杉田の口調だったが、和道はムキになった。
「どうでも良い、ことではない。今後の参考にしないとならないのだよ、社長」
天馬は感心した。
「やっぱり和道さんって技術者ね」
和道は続ける。
「何か固いものにぶつからない限りこんな折れ方はしないはずだよ。瑠那、思い出してくれ、当時のことを――」
「どういう意味サ」
管弦は和道の問いかけに意味が分からないと言いたげだった。
「あん時はこっちだって怖かったんだからサ、夢中だよ」
「ナントカ斬りっていってたね」
管弦は答えた。
「円月斬りね。女子刑務所で同室だった女がナイフ使い、てのがいて教わったんだよ。相手の手首を下から上に切り、円を描くように相手の喉元を切れって」
管弦は動作を交えながら喋った。
「ふーん」と杉田。「何故手首を切るんだい? 喉を切っちまったほうが効率的だろ?」
「うん、手首の筋を斬って動作不能にしてから喉を狙えって教わったんだヨ」
聞いていた和道が突然閃いた。
「瑠那、手首を切った時、どんな感触だったかね」
「どんな感じって言われても」
管弦は思い出すようにゆっくりと右手を回した。
「こんな感じで動かして――そうだ、ガチッというような音がしたような」
杉田はどうでもいい、と言う顔をした。
「そりゃ~拳銃の握把部にあたったんだろうさ」
それを聞いていた天馬が頷く。
「ナイフ使いの女史の話、聞いたことあるわ。えーと……なんていう名前だったかしら」
そんなやり取りにうんざりしていた杉田だったが、電話が鳴り響いたのを幸い言い放った。
「電話だ、電話。二人とも後回しだ」
スケロク商事閉店後、二階の共同炊事場で管弦がカレーを煮込んでいた。傍らの炊飯器では湯気を立て甘い香りが漂っている。
「よーしこれで」
部屋から用意してきた大皿にご飯を盛大に盛り付け、カレールーををかけると自室に戻るため踵を返した。すると後ろから願成寺の声が響いた。
「瑠那ァ、このカレー貰るー?」
「良いよーもってってー」
『やった』と言う願成寺の声が谺した。自室に戻った瑠那は袖口からシュッと言う音と共に匙を飛び出させた。
新たに和道が作成したスプーンを使って管弦はもりもり食べ始めた。
「我ながら上出来上出来」
管弦は上機嫌で平らげていったが、ふと和道の言葉が引っかかった。
『和道さん何言いたかったのかな――』
和道も和道でコンビニで買い込んだ弁当を掻き込みながら思っていた。
『どうしても腑に落ちん……野来下茂には何か秘密がありそうだが……』
二人はなにを感じていたのか?
円卓会議で教会幹部がこれからのことを協議していた。
枢機卿の女が言う。
「あの二人が捕まったなんて想像してなかったわ。早いところ手を打たないと、警察が証拠固めに動き回っているし防衛省と合同でミサイルの破片を丹念に集め解析している。早晩我々が供与したミサイルと判明してしまう」
イラついたような枢機卿に尊師は落ち着いて話す。
「時間との勝負だな。昨夜輸送船団が出港している。日本近海に着くのは明日だ」
話し合っている時自動ドアが開き男が入ってきた。
「開祖、遅いぞ」
導師は不満そうに言った。
開祖は頭を下げた。
「すまなかった。密偵信者から警察と防衛省が秘密裏に組織作りを策定している情報が入ったのでな」
「なんの組織だ?」
「情報分析では警察と防衛省の間で大規模災害救助隊という名称だが、内容は不明だ」
尊師は冷静に続けた。
「日本は災害の多い所だ。まあそれはそれとして……我々の目的は何かね、枢機卿?」
枢機卿は薄ら笑いを浮かべた。
「内乱を起こし日本を乗っ取ること」
開祖も続ける。
「そうだ。内乱だ。これを防ぐのは警察の管轄であり警察特殊部隊が投入されても、短期決戦に持ち込めば我々が勝つ」
聖天使が言う。
「武器供与が判明したら他国からの侵略とみなされ日米同盟協約で米国軍が出てくることもあり得るぞ」
尊師はせせら笑った。
「フン、戦争ではない。あくまでも内乱だ。これなら米国、欧米その他諸国は手を出すはずはない」
疑り深い枢機卿が言う。
「日本には治安維持法がある。発動されれば自衛隊が出動する」
開祖が言う。
「疑い深い枢機卿だな。しかしそう言う考えを持つことはよいことだ。良いかね諸君、治安維持を決定するには国会の承認が必要だ。再度確認だが、計画通り首相官邸攻撃、鶴田首相および閣僚大臣暗殺、国会議事堂、警察庁、破壊。民間人は極力天誅教信者にさせる。これを三日間で遂行するのだ」
導師が言う。
「催眠ドローンの音響装置はすべて完了し、効果も実証済みだ。いつでも飛ばせる」
「そうか、攻撃ドローンが揃い次第雷鳴計画実行だ。成功すれば勝利の美酒が待っているぞ」
導師の言葉に一同は笑い声を上げた。
防衛省直轄病院にて。
頭と首に包帯を巻かれた状態の野来下茂が付き添いの医師が動かす車椅子に乗った状態で、ある人物を待っていた。
程なくしてスーツを着込んだ背の高い若い女性が姿を現した。
「野来下茂」
女の声に野来下茂は無言で頷く。
「未だ喋られないと思うけど、何故脱走したのですか? 脱走は重罰です。査問委員会からの処分を待ちなさい」
野来下は両手を組み頭を垂れた。
「更に三次元測位システムを埋め込みます。良いですか。あなたの身体は今や個人のものではないのです。あなた自身を含め私たちは防衛戦略庁大規模災害救助隊隊員であり最高機密に属します。さらに今後問題行動を起こしたら両腕返して貰いますからね。わかりましたか?」
野来下は無言で聞いていた。女性は医師を見ながら言った。
「でもねえ、いくら警官でもこれは暴行だわ。普通なら過剰防衛で訴える所なんだけど。でも野来下、何故抵抗しなかった? いくら屈強な警察官といえどもあなたの腕力なら――」
「どうやらそうではないらしいですよ」
付き添った医師が意味深に言う。
「警ら中の警官の職質に抵抗したから拘束したって、警察はそう発表だったけど?」
野来下は横に首を振る。
「野来下隊員の筆談では――若い女だそうです」
「若い女?」
信じられないという顔をした。
「固いものが右手首に当たり次には焼けるような喉の痛みが走った、とのことです」
「警棒があたったのかな?」
野来下はうめき声を上げ医師は野来下茂を見る。
「野来下の喉首を診察した結果、金属様な物体で左右を斬られ咽喉を潰されています。警棒ではありません。それに鋭利な刃物であれば出血多量により命はなかったと考えられます。さらにのし掛かられた衝撃で肋骨も数本折れた状態です」
スーツの女は腕を組んだ。
「なんて事よ。それは本当ですか」
野来下茂は苦しそうに呻いた。
「隊長、今の野来下の体力では、いかに隊長といえども医師の立場としてはこれ以上の詰問は控えてもらいたい」
「わかりました」
隊長と呼ばれた女は医師の忠告に従った。
「いずれにしても回復すれば解明できるでしょう。最大は天誅教会との関係ね。警察によると危険団体と見なすようだけど。さて、次ですが候補者は何人か決まりましたか」
隊長の質問に医師は答える。
「今のところ海自の乙宮上等兵、長野消防から小野聡太、それと民間人女性で天馬楓の三人です」
女は顔を曇らせた。
「民間人? 身元は確かなの?」
「はい、元警察官という経歴です。詳しくはデジタルバインダーで確認を」
うう……っと野来下がさらに唸り、頭を抱えた。
「病室へ移動します。よろしいですね、神室隊長」
秘密裏に天馬が候補者になっている?
これはなんの候補者であろうか?
夜遅く、杉田の居室ではぼそぼそと声が聞こえる。
「――ということで楓を本庁経由で防衛省人事部に紹介状をだした」
杉田は携帯を握りしめ加藤と対話していた。
「この前警察署で話していたことか。いくら伯父と姪の間柄とはいえ、我が社の社員だ。勝手に決められは困る」
「きみんとこの会社は、やりがいがあるッて楓は張り切っているがね、だが楓の将来を考えるとなあ……」
「当社に未来はないという言いたいのか? 親御さんはなんと言っている?」
「妹夫婦はわしに一任する、と言うんだ」
「だが叔父さんに任せるという妹さん夫婦の考えがわからん。それに天馬に話をしたのか?」
「妹夫婦から話をする予定だ」
「そんな無責任で良いのかっ。第一、天馬が断るかもしれない。いや、断るに違いない」
諦めるかの加藤は言った。
「断るも何も。照会状での審査が通ればわしには何も出来ん」
「では聞くが、防衛省での天馬の立場は? こういっちゃあなんだが、あの身体では役に立つとはとは思えない」
「それ、それなんだがね、これは極秘だが……防衛省ではB計画と呼ばれる計画が進んでいる」
「B計画?」
「本庁から計画書を見せて貰ったんだが防衛省特別医療チームが高性能な筋電義手と義足を開発したそうだ。毎日とったりつけたりする必要が無くなるんだよ。基本付けっぱなしで風呂にも入れるという。楓にとっても非常によい話だ。タダはじめたばかりで一般者にはこれからだ」
杉田は不満そうな声をあげた。
「するとなにか、天馬は人体実験か」
「まあ、なにはともあれかくもあれ優秀な人材を広く募集しているんだよ」
「そんな訳の分からない計画に天馬を差し出すのかい? 俺は反対だぜ」
加藤と口論している時、玄関ドアがガチャリと音を立てた。
「副署長、悪いが次にしてくれ」
「分かった分かった」
通話が切れると杉田は寺家を迎えた。
「遅かったねえ」
好相を崩す杉田に靴を脱ぎながら寺家は言う。
「閉院後本間先生から話があって、防衛省で広く医療関係者を募集しているから君も応募しないかって」
「医者を集める?」
寺家はニコッと笑った。
「あくまでも臨時雇用なんだけど報酬がいいのよ~」
「集めてどうするんだ?」
「募集して入ってから分かるらしいけど」
「まあ、風呂沸かしてあるよ」
寺家優子は笑った。
「そんな、こうちゃん好きよ」
そう言いながら寺家は、服を脱ぎ始め下着姿になった。
「見ちゃイヤ。じゃあ、あとでね」
うふふ……と笑いかけながらドアを閉めた。程なくしてシャワーの流れる音が狭い室内に響き始めた。
「ムフフ」
その音を聞きながら風呂から出たあとの秘め事に鼻の下を伸ばした杉田だが――ふと我に返った。
『加藤副署長はB計画とかいっていたな。寺家は医者を集めているといっているし、共通しているのは防衛省……なんだか妙にリンクする話だ』
「失礼します」と言う声と共に数人の事務官が坂田防衛大臣執務室に現れた。
「どうだった」
書類に目を通していた坂田が顔を上げると事務官が声をあげた。
「やはり防衛大臣も出席された方が良かったですよ。大変な事態に発展しそうです」
その声に坂田はむっとした表情を浮かべた。
「わしは忙しいんだよ、だから君たちに任せたんだぞ」
事務官は坂田の目の前にバインダーを広げた。そこにはミサイルと思しき破片を組み合わせた画像が表示されている。
事務官は画像を指し示しながら語る。
「横浜元町の爆破火災事件では某国のものとみられるミサイルの破片が多数見つかりました。銃弾も二十ミリ機関砲から発射されてました。全て日本製ではなくすべて未確認ドローンの凶行と警視庁は断定しました」
呑気そうに坂田は聞いた。
「某国とは一体何処の国かね?」
事務官は言う。
「外務次官は外交関係に差し障るのではっきりとは申し上げられないとのことです」
「謎かあ。その未確認なんとやらはどっからきたんだ」
事務次官の一人が言う。
「宝来警察署捜査機関の証言から天誅教会の証言を封ずるためにパン屋を始め付近一帯を火の海にした行為、と結論ずました。これは単なる爆破事件ではありません。テロですよ」
「天誅教会ってあの音楽がどうたらこうたらで人を狂わすとか何とか言うヤツかい。でもねえテロ事件なら自衛隊の出る幕はないぞよ」
どこまでも他人事のような坂田だった。
「まず検察庁の方針として、これを元に各警察に教会の動きのさらなる監視強化するとの方針です」
「そうかご苦労さんでした」
「これに関して自衛隊も後方支援をしないとなりません。これより首相官邸で会議が催されます。大臣も出席を」
事務官の言葉に坂田は慌てた。
「何いっとる。わしは忙しいのだよ。後は君たちに任せた」
「大臣何をおっしゃいますか、単なるテロではない事案です。国家存亡の一大事に発展しかねない案件です。防衛省としても積極的に関わりませんと」
「これから後援会会長と会う約束をしているのだが……」
なおも抵抗する坂田大臣に事務官がきつい口調で言う。
「それは後日に回してくださいっ」
事務官の気迫に押された坂田は渋々と席を立った。
大臣室を出た事務官達は足早に会議室に赴きながら口々に言う。
「いやはや。これほど覇気の無い大臣では」
「全て他人任せ。いくら大物政治家の孫といっても危機管理能力まるでナシだ。何とも言いがたいな」
防衛大臣と事務官達は次々と公用車に乗り込み首相官邸に赴いた。外はすでに闇に包まれている。
四階会議室には首相を初め多くの政府関係者でごった返していた。
「……そのため治安出動を要請する用意しようと思うが防衛大臣の見解は?」
鶴田首相に指名された坂田は固まった。
『治安出動?』
『警察の力を持ってしても抑えきれない破壊活動を抑止する為の法令ですよ。自衛隊法七十八条です』
事務官はそっと大臣に耳打ちする。
『そんなのあったか?』
事務官は舌打ちした。
「おい、君」
坂田は睨みつけた。
「今舌打ちしたな? お前の後がまは沢山いるんだ。気をつけろ」
首相はそんなやり取りを見ていた。
「坂田君、君の意見は」
首相の言葉に坂田はかしこまった。
「はあ、善処します」
とんちんかんな答えに会場から嘲笑が聞こえた。
米国偵察衛星『ブルーグラス』から暗号と共に画像を国防省東アジア防衛部に送られてきた。
「これは?」
画像を見たワトソンは目を細めた。
「これ見て君はどう思う?」
ワトソンは相方のオズボーンに画像を見せた。
オズボーンはかけていた眼鏡を額に上げるとじっくりと見つめた。
「貨物船、三隻か? どこから来たんだ」
ワトソンも同調する。
「よくわからん。だが朝鮮半島やロシアではない事は確かだ」
さらにワトソンは調べる。
「北西方向に向かっている。人工知能(AI)で解析すると日本の東部海域に向かっているようだ。十時間もすると日本の主張する排他的経済水域に到達する」
オズボーンの顔が曇る。
「発見が遅かったな。ワトソン、国籍不明船三隻が日本に接近中、と国防本部とアツギに打電だ」
「了解。近隣駐留米国軍にも警戒注意、と送っておく」
「そうだな」
ワトソンは盛んにキーボードを叩きながら呟く。
「その時間の海域周辺は真っ暗だな。天候も穏やかで急激な気象変動もなさそうだ」
「どこから出港したか判別できるか?」
「いまやってる」
画面一杯に数字とキーワードが次々と流れるように表示されている。とても人間の目では追い切れないスピードだ。
ワトソンは言う。
「どうやらジークランド民主共和国からのようだぜ」
ワトソンの背後からオズボーンは口笛を吹く。
「そんな遠くから? ご苦労なこった。もしそれが本当だとしてもだ、なんでまた貨物船団が日本近海へいくんだ?」
「分からんよ。日本と見せかけて進路を変えるかもな。とりあえず俺らは監視するだけだ」
「交替がくりゃあ、さっさと渡そうぜ」
「そりゃそうさ、厄介ごとには巻き込まれたくないからな」
オズボーンの声にワトソンは振り返らず応答した。
国防省東アジア防衛部から報告を受けたアツギではホノルルから海洋偵察機を飛ばすべく国防省に要請した。要請を受けた国防省は早速海洋偵察機の出動を指示、さらに日本政府にも連絡を入れた。
知らせを受けた外務省も慌ただしい動きを見せ、首相官邸で会議を行っていた首相鶴田にも一報が入った。
「国籍不明船三隻がこっちに向かっている、と米国から一報が入った。十時間後には我が日本の排他的経済水域に到達する」
法務大臣が吃驚した。
「本当かそれは」
法務大臣の背後から事務官がメモを渡した。そのメモを一瞥し首相に話した。
「ホノルルの基地から偵察機が出動したようです」
鶴田首相は決断した。
「こっちからも陸上自衛隊に要請をする。坂田防衛大臣、準備を」
「は、はあ……」
鶴田首相の言葉に状況を把握するしない坂田は生返事をした。
首相官邸で会議が成される数時間前の帝国新聞社応接室。
複数の刑事が帝国新聞社常務取締役が編集次長と佐野とともにやり取りをしている。
「では出鱈目雄三吉宗は、架空の人物ですか」
「天誅教会のやり方に義憤を感じた我々報道関係者一同で練り上げたんです」
「でもまあ世間は知りたがっているんですよ。どこからどうやってそこにたどり着けたんでしょうか?」
「これは尋問ですかね」と取締役が言う。
刑事は笑う。
「何も尋問しているわけじゃないですよ。どこから催眠音楽として割り出したのか、そこが知りたいんで」
佐野は言う。
「だから企業努力だ。我々にも守秘義務がある。それとも警察は報道を弾圧しようと?」
刑事は慌てるように手を降る。
「イヤそこまで飛躍しなくても。警察では天誅教との関連を調べているんですよ」
「我々の報道はいささかも間違っていない。もちろん協力は惜しまない」
話の最中に一人の男が飛び込んできた。
「大変ですっ。横浜支局が何者かの襲撃を受けましたっ」
知らせを受けた常務の顔色が変わった。
「何だって? 本当か」
佐野も驚きの顔を隠せない。
「刑事さん、申し訳ないが退出する。諸君、あとは頼む」
そう言うと常務は慌ただしく応接室から飛び出ていった。
「事件が発生した? 私たちも今日はこのへんで御暇しよう。いずれまた……そのときはよろしく」
含みを持たせた複数の刑事が席を立ったが、残った佐野達の耳には入らなかった。
常務が中区轟木町の横浜支局に駆けつけた時には、すでに規制線が張られパトカーや救急車が集結し、密集した人混みでごった返していた。
「入らないでっ」
警戒している警察官の女が常務を制止した。
「わたしは帝国新聞社の常務、恒彦だ。中の様子を知りたいっ」
常務を見つけた横浜支局の一人が取り乱したように走ってきた。
「いきなり数人の男が副支局長と女性記者に向けて発砲したんですっ」
男はかなり混乱した状態だ。
「容態はどうなんだっ!」
「搬送されましたが状態は分かりません」
常務は顔を歪めた。
「畜生、一体何が起きたんだ」
周囲では凶行を見ていた人間から証言を得ようと警察官が慌ただしく動き回っている。
「シルバーのワンボックスから」「紫の袈裟をした男三人」「あっちの方向に行った」
次々に入った情報を元に警官は無線を使い本部に報告を入れた。
「緊急指令、緊急指令、シルバー色のワンボックスカー逃走中、全車捜査に全力をあげろ」
サイレンが鳴り赤色灯を照らしたパトカーが国道を走り、神奈川県警本部から次々と指令が飛び、県警屋上からヘリコプターが捜すべく飛び立った。
暫くしてヘリから報告が飛んだ。
「不審車両発見。青葉インターより東名高速進入中」
「全車両、急行」
「静岡県警至急応援」
指令が次々と飛ぶ中、不審車両は東名高速を名古屋方面に向けて逃げるように疾走していた。
交通量の激しい東名高速道路大和トンネル――。
左隅の待機場所にエンジンをかけた箱形大型トレーラーがハザードを点灯させている。さらに何かを待っているようにトレーラー後方の扉が開いている。
高速で行き過ぎるクルマは気にもせず脇を通過して行く。
県警ヘリが見つけた不審車両を執拗に追いかけ大和トンネルに進入を確認すると、トンネル出口に先回りしホバリングした。
しかし目を凝らしている警官の下では次々と車両が吐き出されるが一向に出てくる気配がない。
「見失ったか?」
「まさか、先に出たとか」
「そんなはずはない。こっちが先だ」
警官が話していると大きなトレーラーがゆっくりとトンネルから顔を出していった。
そのトレーラーは愛知インターを出るとまっすぐ波止場埠頭に向かった。大型トレーラーが行き交う埠頭では当たり前の風景であり一般車両の出る幕はない。
大型トレーラーは悠々と一角に停止し、次には鋼鉄製の扉がゆっくりと開き、男が何かを誘導するように号令をかけていた。
扉から白いワゴン車がゆっくりと後退してきた。
そう。
あのワンボックスだ。シルバー車はトレーラーハウスの中で白色に塗り替えられていたのだ。
運転席から男が顔を出す。
「ありがとよ」
言われた誘導員が頬を緩める。
「気をつけてな」
凶行を起こした三人を乗せたワゴン車は反転すると夕闇迫る空間に影を落としていった。
事件からさらに数時間経った宝来警察刑事室。
「帝国新聞社横浜支局の犠牲者は記者の新藤昌代と副支局長の鈴木渡。散弾を浴びてほぼ即死状態。県警本部からヘリを飛ばしたが見失った」
指揮官の矢吹康太が報告している。
「酷え事しやがる、天誅教会の仕業に違いない」
重伝は腕を組んで事件あらましを聞いていた。
「天誅教会の凶行と思えるけど、確たる証拠がないと想像では逮捕できない。テロ事件として近隣警察署と合同捜査本部を設置するしかないわね」
「そうですね」と神崎が言った。「また忙しくなりますね」
そして現在の米国国防省東アジア防衛部。
日本の海洋偵察機が不審船を探すため海上保安庁ヨコスカから飛び立ち、同時に巡視艇『スズキ』と『タナカ』が出港したのを確認したワトソンとオズボーンだった。
ワトソンはホットコーヒーを啜っていた。
「やることが遅いな」
オズボーンは画面を見つめていた。
「俺たちを信用していないってことかい。こんな国を守る必要があるのか」
ワトソンがいさめる。
「この国があるから俺らも路頭に迷うことがないんだ。ま、必要悪だ」
警報が鳴り大型スクリーンに映像が流れた。目を凝らす二人。
「こりゃ、驚いた。かなり大型の貨物船だぜ。それも三隻」
「やはり日本を目指しているようだ」
「ニッポンにケンカを売りに行くのか」
オズボーンに対しワトソンが笑う。
「まさか。それなら戦艦だろう。第一、戦闘機なんか積載できない輸送船だぜ」
「でも奴らだって見張られていることは承知してんだろう。大胆な奴らだ」
そう言いながらワトソンは壁の時計をチラリと見やった。
「そろそろ交替時間だ」
「だな」
そう言うとオズボーンは大欠伸をした。
「疲れたぜ。宿舎に帰って一杯引っかけるか」
東アジア防衛部は呑気に構えているが、日本の防衛省は謎の船団に神経を尖らせている。
月明かりもない真っ暗な海上を海上自衛隊海上偵察機は不審船を捕捉しようと躍起になっていた。米国の偵察機から無線が入り、その方向に機首を向ける。
「アメリカさんは引き上げるとよ」
通信使が報告すると機長は双眼鏡を手にいう。
「おそらく燃料が少なくなってきたんだろう。こっちはどうだ」
「十分あります」
その暗闇の中双眼鏡で海面を捜索していた隊員が叫んだ。
「九時方向、不審船発見」
海洋偵察機はその言葉に従うように右に旋回した。
「了解。船舶信号確認」
「応答なし」
「コールサイン」
「応答無し」
「接近、船体番号目視確認」
「船体番号確認できず」
次々と隊員が連呼する。
「国際船舶法違反だ」
揺れる海上偵察機の中望遠鏡で見つめる隊員達。確かに大型輸送船だ。それが波を掻き分け、ある一点を目指している。
「どこから来たんだ?」
東アジア防衛部と同じことを考えていた。
「あと数キロで我が国のEEZに到達する。いやまて」
進んでいた輸送船三隻の速度が急に遅くなり、ゆっくりと停止した。
警戒する海上偵察機は輸送船の周囲を旋回する。
「止まったか?」
確かに波間にゆらゆらと浮かんだ。
「停泊したぞ。いや何か動きがある」
旋回している海洋偵察機から双眼鏡で船舶を見つめていた海上保安庁の一人が叫んだ。
「なにか飛び出したぞ……ドローンだ」
国籍不明の大型輸送船の甲板ががゆっくりと開き、開いた場所から大型ドローンが隊列を組むように整然と並び、空中でホバリングする。その数二十。
そして次々と飛び出すドローンが隊列を成し、最初のドローンが飛び立った。
そして次の組が一斉に飛び立つ。
その繰り返しで次々と働き蜂のように大型輸送船から吐き出される。大型ドローンの次に二回りも小さいサイズのドローンが飛び出した。
「本庁に報告。偵察機要請」
最後のドローンが空中を飛んでいくと国籍不明船が甲板を閉じた。
波間に漂っていた輸送船団は水平線からオレンジ色の太陽が昇りはじめたその時、向きを変え海洋に動きはじめた。
無数とも言えるドローンは何処に飛び立ったのか?
尊師はタブレットの画面を見つめていた。その先には黄色い袈裟を纏った生久慈南悦がいた。
「各教会からの報告で、武器弾薬、全てのドローンに装着し整いました」
そう言いながら生久慈南悦が深々と頭を下げた。
尊師は命令を下す。
「明日の夜、攻撃開始だ。第一波、第二波は首相官邸および公邸。第三第四は議員宿舎。第五第六は国会議事堂、第七、第八は警視庁、第九以下は各省庁を攻撃。撃ち漏らすではないぞ」
「皇居は如何致しましょう」
「取るに足らん」
尊師は言下に否定する。
「あのにっくき帝国新聞社はどうされましょう」
「襲いたいのはやまやまだが、数が足らん。次回に回す」
「では東京中を火の海にしてみまする」
尊師はフードの下から南悦の言葉に片頬を上げた。
「良かろう」
上空では見失ったドローンの捜索に警察、海上保安庁、自衛隊の偵察ヘリが騒々しい音を立てながら飛び回っていた。
「五月蠅くて仕事も捗らンわ」
管弦は上空に響くヘリのローター音に苛立っていた。
「なんだか騒々しいですね」と黒川。
事務所のドアが開き願成寺が顔を出した。
「随分早いな」
後ろから来た的場が杉田の言葉に言う。
「仕事、キャンセルになったんでがす」
「ああ……? どういう事だ?」
予期しない的場に杉田は戸惑いを覚えた。
「物々しいヘリの音に依頼人が怖じけずいたようでやんす」
越狩が諦めの口調で杉田に報告し、同行した蔵前も杉田に頭を下げた。
「大事な仕事、フイにしてすみません」
杉田が諦めるように言う。
「クライアントがそう言うんじゃ仕方ない。だが二百万の仕事が飛んじまったかあ」
「次はどこ?」
願成寺の催促に杉田は首を振る。
「今日はこれ以上無いんだよ、皆、自由にしてくれ」
祖父江と御手洗、越狩も帰ってきた。理由は同じだった。
蔵前が暗い顔をした。
「この先、大丈夫なんでしょうか」
「一時的、と思いたいわよねえ」と御手洗。
応接室に座ったいた願成寺が提案する。
「会社案内のポスティング、しよっか。チラシ余ってるわよねえ」
「あたしもいくヨ」と管弦。
「全員集合ッ」
勢いよく願成寺が立ち上がった。草臥れた応接用マットが弾ける。
「小僧、倉庫からチラシもってこい」
祖父江に小僧と呼ばれた御手洗は不満そうだ。
「誰よぉ小僧ってぇ」
「お前しかいないだろ」
祖父江は御手洗の頭を小突いた。
「痛いなあ、暴力反対。パワハラよパワハラぁ」
「つべこべ五月蠅い。早くとってこい。俺らはポスティングの場所を決めようぜ」
『出来ればあたしも……』と天馬が呟いた。
経営者だけでなく危機感を抱く社員一同が自主的に動くのはスケロク商事の気質なのだ。
とっぷりと日が暮れた午後八時。
桜門通りを歩いている若いカップルのうち男性が立ち止まりふと空を見上げた。
「マー君、どしたん?」
「いや、なんだか音がしたようだけど」
顔を上げた男の目線の先には真っ暗な上空をライトも点灯せず微かな音を響かせる集団がいた。
それはまっすぐ首相公邸に向かっている――。
警戒に当たっている警察官数名がバラバラと異様な音を聞きつけ、上空を見上げた。
「何だあれは」
闇夜からプロペラを回しながら次々とその姿を現し、そして隊列を整えるかのようにならび空中で停止した。その数百機は下らない。
整然と並び終えた途端、先頭の数機から紅蓮の炎が吐き出され、炎は塊となり首相官邸を襲いはじめた。
たちまち防犯用強化ガラスが木っ端微塵に破壊され、火炎弾ミサイルが次々と撃ち込まれる。空いた場所から炎が建物内部に着弾、大爆発を起こす。建物が悲鳴を上げ巨体を揺すった。
打ち終えたドローンは上空に飛び立つと、次の隊列が間髪を入れず小型火炎ミサイルを首相官邸に撃ち込む。
爆音が響き渡り首相公邸から悲鳴が上がった。
首相官邸を見張っている警察官は次々と爆発する光景にに目をむいた。
誰がこの様な襲撃を想定していただろうか。
「撃てっ撃ち落とせっ」
警察官数名がドローン目掛けて発砲する。しかし弾丸が当たってもびくともしない。
常駐している緊急車両から機動隊員が躍り出た。
「第一機動隊、発砲を許可する。排除せよッ」
隊長の号令ととともに小型機関銃を手にした機動隊員が機動隊がバスから次々と躍り出て、短機関銃で応戦した。
しかし圧倒的な火力の元では勝負にならない。銃声が虚しく響く……。
「第二機動隊、首相保護っ」
しかし予測していない事態にはまるきり歯が立たない。上空のドローン達は平然と首相官邸を火の海に包み込んだ。
「排除ッ排除ッ」
司令官の必死の命令は虚しい。次々と首相公邸に打ち込まれる火炎弾で付近一帯赤々と照らされる。火だるまとなった機動隊が転がる。
屋上から飛び込んだ小型ドローンは次々と索敵活動を開始し、居並ぶ人間に銃弾を浴びせた。あちこちで銃声と悲鳴が湧き上がる。
狙いは鶴田首相だ。
「何だこの音は……」
公邸にいた鶴田は突然の出来事で事態を把握出来ていなかった。
時折建物が揺れ、それは地震を思わせるようだった。
「首相、ここは危険ですッ」
血だらけになって蹌踉めきながら飛び込んできた事務官が鶴田に向かって叫ぶ。
「地下に避難をッ」
それだけいうと事務官、世良君枝はばったりと倒れ込んだ。
「世良君大丈夫かっ、気をしっかり持てっ」
転がっている世良に鶴田が跪き手を取りその温もりを確かめた。しかし世良と呼ばれた女は息絶えていた……。
「なんて事だ……世良君……」
首相の顔に涙が光った。しかしどうすることも出来ない。
鶴田はゆっくりと立ち上り公邸に設置している地下室を目指すために扉を開けた。
公邸には危険を避けるための地下室が用意されている。その地下室は例え放射能に犯されたとしても三日間は生き延びることができる頑丈な地下室だ。
ドアを開けた瞬間、鶴田は目を大きく見開いた。
そこには数機のドローンが待ち構えるようにホバリングしていた――。
はっとして見つめる鶴田。妻や長男の顔がフラッシュバックする。
首相を確認したドローンが一斉に銃弾を発射した。
銃撃音が建物内に木霊し数秒後筒先から仄かに煙が漂い、息絶えている男を確認した無人機は、何事もなかったように通路を器用に引き上げていった――。
同時刻。
ドローン群が議員宿舎を襲っていた。宿舎から連続した爆発音が響き火の手があがっている。地上から屋上へ、あるいは屋上から一階へ……小型ドローンが宿舎に進入し留まる国会議員を次々と殺戮していった。
生き残った議員は苦しさの余りバルコニーに出たがそこでもホバリングし待ち構えていたドローンに銃弾が撃ち込まれる。そして五十数名の議員の妻や子らが犠牲となっていった。
さらに同時刻。
荘厳華麗な国会議事堂も火の海と化していた。
蜂のように数百もの飛び交う無人機。
ミサイルと弾丸が飛び交い警戒中の警察官数人の身体が吹っ飛んだ。標的とされた警視庁にも蛮行が行われ更に大阪や九州でも惨劇が繰り返されていた。
あちこちから悲鳴に近い音を立てた消防車や救急車が走り回っている。
爆発する炎から数人の人間が大地に叩きつけられ、業火に焼かれ黒焦げになった罪のない人間の焼死体が多数転がり、無慈悲な自立型ドローンは目的を完遂すると隊列を組み夜空に消えていった……。
午前2時半。虐殺は終わった。
日本政治の中枢が東京に集約されているが故に襲撃は容易い。これが各地に分散していたら、と考えると政府の危機管理が甘いと批判されても致し方ないことだろう。
しかし今となってはどうすることも出来ないのだ。
天誅教会その2第4部完 *第5部に続く
壮絶な展開になりました。しかし政府や国の機関が集中する東京では起こりえないことではありません。
教会とは名ばかりのテロ集団の蛮行は決して許されるわけではありませんが、過去には二・二六事件や地下鉄サリンがあり、さらに自然災害もある我が日本です。
将来的にも不安はありますが、それはさておき、今回内乱を引き起こす天誅教会。
今後の展開は天誅教会が日本を乗っ取り、裏政府として動こうとします。しかし生き残った国会議員が秘策を練ります。
ことが大きすぎてスケロク商事の出番はないようですが……。