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 赤いフードの男

 けだるい中の午後二時、スケロク商事事務所。

「御免ください」

 事務所のドアが開き野来下雫が入ってきた。杉田は貧弱な応接間に雫を招き入れる。

「どうでしょうか。兄の行方は分かりましたか」

 やっぱり、と杉田は困ったような顔をした。

「依然として掴めておりません」

「そうですか……」

 雫は暗い面持ちで俯く。杉田は疑問をぶつけた。

「現場は拝見致しましたがね、イマイチ分からないのは、お兄様と天誅教との接点です」

 雫は確信するように杉田を見た。

「あのポスターでは証拠にはならない、と?」

 杉田は顎に手を当てながら言う。

「確かに爆走天使のポスターが貼ってあるのは分かりましたが、それで天誅教の証拠とはならんのですよ。何故爆走天使と天誅教を結びつけたのでしょうか」

 雫は杉田をまっすぐ見つめた。

「勘、です」

 杉田はソファに背中を預けるとソファが悲鳴を上げた。

「勘? まあ、それはあるかもしれませんが、調査としては『勘』だけでは証拠にはなりませんよ」

 今度は杉田が雫を見つめる。

「……本当に天誅教に入信したんでしょうか?」

 雫が厳かに反論した。

「入信してないと言い切れるのは何故でしょうか」

 杉田は雫を睨んだ。

「入信すれば、天誅教会から祭壇を買わされるはずです。お兄様の部屋にはそれがない。故に入信してはいない」

 野来下は杉田の説明を無言で聞いていた。

「何か隠してますね?」

 杉田は強く問いただした。

 雫は眉間に皺を寄せ白状した。

「兄は陸上自衛官です。実は……防衛省からも兄の行方を捜しています」

 杉田は驚いた。

「今になってそのような情報を……」

 野来下雫はぼそぼそと話し始めた。

「本当のこと、言います。防衛省から事実確認で我が家に調査にやってきました。その時兄の部屋を見て念を押されました。『決して口外しないように』と……」

 杉田はじっと聞き入れ、野来下雫は続ける。

「重要な任務の圧力に負けた兄は宗教に救いを求め、逃げだした、と防衛省は判断したようです。決して嘘ではありません」

 杉田は呆れた顔をした。

「だから隠していた、と言うことですね」

「すみません」

 雫は項垂れた。

「事は重大です。単にお兄様の行方を捜す、と安直に思っていましたがね、そこまで聞くと捜索方針も変わりますよ。政府関係機関も追っているとなると、弊社には荷が重すぎます。下手すると弊社はツブされます」

「そんなに?」

 雫は顔を上げた。杉田は雫をぐっと見つめるように身を乗り出した。

「あなたはことの重大さが分かっていないようですね。いいですか、重要な任務を任されたからと言って、逃げる事自体おかしい。お兄様の実力を勘案した防衛省は、お兄様に『重要な任務』を任せた、と考えるのが妥当だと思います」

「重要な任務、ですか」

「どんな任務か全く分かりませんが、二十万の自衛官の中でお兄様ただ一人に白羽の矢を立てたのですから、相当困難な事例でしょう。つまりその任務に堪えるだけの技術があったと思いませんか。お兄様は選ばれた人間です」

「そうなんでしょうか。仕事に関しては全く話をしない兄でしたから」

 杉田と野来下の話は数時間を費やした。

 電話連絡する瑠那も楓も聞き耳を立てていたが、お互いの声が低く話の内容が入ってこない。

 聞こえたのは「もうそろそろ自宅に戻りたいのですが」と野来下の声だけだった。

 杉田も声を張り上げた。

「良いでしょう。ただこの前みたいな事案があるとこちらも困ります。暫く当社社員をボディガードとして一人つけましょう。人選するのでちょっと時間をください。いや、今晩中に決めますよ。明日には必ずお届けしましょう」

 野来下雫が事務所から出て行くと聞き耳を立てていた瑠那が言う。

「それ、アタシやりたい。事務所で缶詰なんて、モウ飽き飽きだヨ」

 瑠那は楓をちらっと見た。しかし杉田はきっぱりと言った。

「今回はサヤカをつけるつもりだ」

「なんでサ」

 がっかりした瑠那だったが、杉田は思いがけない言葉を発した。

「運転できないだろ? それより瑠那にはもっと重要な役をして貰う」

 そのやり取りに和道が憤慨したように杉田に食ってかかった。

「社長、ドンドン経費が増すばかりだよ。あんな小娘一人にどれほどかかっているのか分かっているのかね」

 草臥れた革張りの椅子に腰を降ろした杉田は答える。

「分かってるさ」

 さらに和道は喚くた。

「チラシを撒いても折り込み広告でも効果無いし、ホムペも閲覧数が停滞している。会社の存続に関わる重大な危機だ。どうするつもりだね、社長」

「新聞をとる人もかなりかなり減ってますし、折り込み広告だけでは……もっと違う手を考えませんと」

 天馬が嘆息するを見て和道は杉田を説教するように言う。

「折り込み広告のことだけじゃないぞ社長。碌な仕事もない、もうじり貧だよ、社長」

「まあ抑えてくれ。今、地家先生がフランスで人工心臓埋込手術をしている。成功すれば……イヤ絶対成功するはずだ。そうなれば成功報酬が入る」

 黒川が珍しく強く言い放つ。

「それはドクター寺家に対する報酬で会社の収入とは違います」

 黒川の声に伏していたグローリーが何事かと立ち上がった。

「そりゃあ~そうなんだけどね。ドクターは我が社の売り上げとして計上してくれるはずだ」

 杉田の答えに楓は控えめに言う。

「何故、会社の収入となるのでしょう?」

 黒川が突っ込む。

「自信があるようですがどうしてそう言えるのでしょうか」

 黒川の鋭い突っ込みに杉田はあたふたした。

「いや、まあ、その、あの……」

 瑠那が癇癪を起こした。

「だから一体何なのサッ!」

 杉田はバン、と机を叩いた。

「お前ら、俺の言うことが分からんかッ」

「分かりません!」

 全員が口を揃えた。



 翌朝、サヤカはホテル前で野来下雫が出てくるのを待ったいた。

「こっちだよ」

 促される雫はライトバンに乗り込んだ。

「ボロだけどね」

「いえ、そんなことありません」

 馬車道通りから関内を通り抜け阪東橋方面に車を進める。

 途中でスーパーに立ち寄り食材を買い求め、雫のマンションにたどり着いたのは昼前だった。ポストは封筒や葉書ではち切れんばかりだ。

 雫は確かめるとエレベーターの前に行く。

 エレベーターを降り目的の部屋にたどり着くと、サヤカは深呼吸した。

「怖いわ……」

 雫の不安そうな声に「大丈夫だって。なんかあったらこの身体で」

 ガハハ……と食材を抱えたサヤカは笑った。しかしサヤカの内心もビクビクしていた。いくら腕っぷしが強いといえども所詮女である。相手が武器を持って襲ってきたらひとたまりも無いだろう。

『何かいたら、この食材を投げつけて……』

 サヤカは武者震いをした。

 雫は宣言した。

「鍵、開けます」

 カチャリ……と音が響くと、サヤカは身構えた。

 突然、もわっとした熱気が二人に吹き付ける……。

 雫は玄関ドアの鍵を静かに閉める。

 サヤカは先頭に立ち慎重に部屋の様子を探る。

 リビング、キッチン、ベッドルーム……しかし荒らされていることも無く、部屋の主を静かに待っていただけだった。

「大丈夫なようね」

 二人はホッとした。


 これから数日間寝食を雫と共に過ごすサヤカである。



 雫を迎えるにあたり、的場から泥棒の心得をレクチャーされていた。

「泥棒は大概深夜ガラスを破って侵入しまさあ。見つかったらふん縛って金品を漁るでがす」

 ケンジからは護身用にメリケンサックを手渡されていた。

「いざという時はこれを使え」

 瑠那は護身用ナイフを渡した。

「セートーボーエーとか考えちゃダメ」

 そのような光景を苦々しく思って見ていたのは和道だ。

『たかが小娘に皆で寄って集って』

 だがその和道も護身用スプレーをそっと手渡していたのだった。



 岐阜県郊外の街中では、深夜上空に飛来する物体に噂が飛んでいた。

「コンところ雷のような音がするんでのう」

「天変地異の前触れじゃろか」

「あれこそ未確認飛行物体じゃなかろうか」

「くわばらくわばら」

 土地の古老達はヒソヒソと話をしていた。

 岐阜県警でも噂にはピリピリしていたが、噂話で動くことは出来ない。

しかし……深夜午前零時。

 天誅教岐阜教会の屋上では数人が何かを待っている状態だった。

「もうそろそろ到着する時間だが、月も雲に隠れて見えやしねえ」

 一人が暗闇の中呟いた。

「北北西の方向から来るはずだが、畜生、双眼鏡も役立ん」

 もう一人が呟く。

 しん、とした静けさの中で耳を澄ましても、時折風で木々の葉が擦れあう音しか聞こえない静寂の世界だ。いや、ミミズクが声をあげ、コウモリも飛びかっている。

 一人が腕時計を光らせた。

「到着時間が過ぎたぞ。さては何かあったのか?」

「……いや待て」

 もう一人が神経を集中させ耳に手を当てる。

「音がするぞ……」

 微かな音が徐々に確信めいた音に変わっていった。

「来たぞ、天井を開けろ」

 一人が脇のスイッチを押すと、ゆっくりと天誅教会岐阜の天井が開いた。

 程なくしてバリバリという音と共に六機のドローンが降りてきた。そして開かれた天井から次々と教会内部にゆっくりと吸い込まれていった。

「よし、閉鎖」

 号令の元天井が閉められ、また元の静けさが蘇った。

「これでやっと六十機か」と信者の一人が呟く。

「他の支部でもこれくらいか?」

「うちは少ない方だ。導師から説教が飛んでいる」

「雷鳴計画を成功させるには全体で千機は必要だ」

「そんなにいるか」

 もう一人は目を丸くする。

「そうさ。日本の中枢、首相官邸、国会議事堂、皇居……大阪、北九州を加えると――」

 男は指を折りながら恐ろしいことを呟いた。



 数日が過ぎ雫も落ち着いたところでサヤカが戻ってきた。

「ご苦労さんだったな」

 杉田達はにこやかにサヤカを迎えた。

「戻ってこれて正直、ホッとしたわ」

「全員、心配してましたが何も無かったのは何よりです」と黒川。

「日々是好日ってヤツかなあ」

 サヤカは脳天気だ。

「向こうではどんな生活だったの?」と天馬。

「朝、出勤する雫さんに朝食の用意して見送って、掃除に洗濯、昼食後には買い出しやら夕食の準備やら、そうこうするうちに帰宅するんでお出迎え。身辺警護も抜かりなく」

 瑠那が言う。

「なーに主婦してんジャン」

「昔の生活、思い出したね。久々に娘に会いたい気分だわさ」

 そう言うと願成寺戯けた。

「雫さんはこれから大変ね、炊事洗濯……何もかも一人でやるようになるんだから」

 天馬は自分の境遇を考えてそう漏らした。

「ここにいる全員に昼時に話がある」

 突然話し出した杉田にサヤカが反応した。

「へ? 話って」



 翌朝、仕事の割り振りを終え散っていった時間に杉田は束になった名刺から一枚をとりだした。

「未だ、いるかな?」

 杉田が手にした名刺……『帝国日々新聞社 佐野圭一』

「佐野、電話だ」

 編集次長が佐野を手招きする。

「誰です?」

「名前は名乗らんが、御泥木生花店の店員、と言えば分かると言うそうだ」

「生花店の店員?」

 佐野は受話器を取り上げた。

「佐野さんかい?」

「そうだ」

「御泥木曾太郎の葬儀では世話になったなあ」

 聞き覚えのある声で佐野はピンときた。

「やっぱり。あんときのトラック野郎か。何の用だ」

 電話口の男はふふん、と鼻で笑った。

「君の週刊誌は週刊多滝売に相当負けてんだろう?」

 挑発するような杉田に佐野は憤慨する。

「なんだと、喧嘩売ろうってのか」

 電話の主は冷静だ。

「スクープを物したいと思わないか。俺は爆風天使……じゃない爆走天使のヒミツを暴いたのさ。……そうだ、爆走天使の催眠音楽をな」

 耳に当てていた佐野は一度離し受話器を見つめた。

『何言ってんだコイツは?』

 そして佐野は再び受話器を耳に押しつけた。

「催眠音楽だあ? おい、お前、今度も俺を誑かそうとしてんだろ。二度とその手に載るもんか。お前さんを追っかけて大けがしたんだ」

 電話の向こう側、杉田は冷ややかだ。

「その借りを返すぜ」

「借りを返す?」

「そうさ、大けがさせた罪滅ぼしにさ記事にすれば大枚が、がっぽがっぽだ」

 益々訳が分からない佐野だった。

「アンタ、名前は? ……杉田耕一? では杉田……いや杉田さんよ、催眠音楽なんてそんなこと信じられるかよ。馬鹿なこと言ってんじゃねえ」

 杉田は言う。

「横浜の元町にあるレストラン『げげんげ』午後三時に来てくれ給え。損はさせないぜ」

 そして電話が一方的に切られた。佐野は呆然と受話器を見つめた。

「何があったんだ?」

 編集次長が佐野に言うと編集次長にことの経緯を話し始めた。

 佐野の話に編集次長が決断する。

「ガセでも良いから行ってこい。週刊多滝売に負けるわけにはいかない」


 午後三時前。

 佐野はレストラン『げげんげ』の前に立っていた。

「いらっしゃませ」

 はつらつとした女性の声が響く。

「待ち合わせしてるんだが……」

 そう言いながら佐野はぐるりと客席を見回した。時間のこともあり二十名ほどの客席はガラガラだった。優雅にピアノの生演奏が流れている。

「こっちだ」

 佐野を見つけた杉田は手を振った。佐野は近づ杉田の顔を見ると確信した。

『やっぱ、あの時の――』

「座ってくれ給え」

 にこやかに杉田は佐野を促す。

「ご無沙汰だね」

 椅子をひいた佐野は向かいに座った。

「あの時は失礼したな。どうしても正体を隠さないとならない立場にあったんだ」

 佐野は憤慨した。

「酷い目に遭ったんだぞ。右腕の骨折の他に背骨にひびが入って入院を余儀なくされたんだ。俺は記事を書いてナンボの世界にいる。おかげで収入は激減、おまけにかみさんと育ち盛りの小学生二人いるんだ。稼ぎが途絶え、離婚の危機だったんだぞ。どうしてくれんのかよ」

「そりゃ悪かったな」

 佐野はさらに椅子をひくと顔を合わせるかのように杉田に近づいた。

「ガセネタで俺の稼ぎを潰そうって魂胆か」

 ははは……と杉田が笑った。

「今度ばかりはアンタの給料が跳ね上がるぜ」

 佐野は、そんな馬鹿なと言いたげに両手を挙げた。

「まあ、まずはコーヒー如何かな。ここのショコラは手が込んでいて美味しいぞ」

 そう言うと杉田はウェイターを呼んだ。程なくしてコーヒーとショコラが二人の前に置かれた。

「これを聞いてくれ」

 杉田はヘッドホンを差し出した。佐野は無言で両耳にあてがった。

「音楽を流すぞ」

 それは音楽と言うより奇妙な音の羅列だった。

「え? 子羊たちよ、我が手に集え、だと」

 杉田は両手を組むと机に置きにんまりとした。

 佐野はヘッドフォンを外した。

「そう聞こえただろ。それが爆走天使が流すメッセージさ」

「どういう事だ?」

 杉田はわかりやすく佐野に話し出した。

「アンタの言う催眠音楽ってこれか」

 佐野は信じられないという表情を浮かべた。

「爆走天使が如何に危険な集団だったか、大々的に記事にしてくれ。なんなら次の音も聴いて貰っても良いぞ」

 直ぐには信じられない……しかし……男の言うことは本当なのか?

 佐野の頭の中がグルグルと回った。それは報道関係者のさがだ。

 危険な賭だが佐野は許されている範囲で金額を提示した。

「その情報提供料三十万でどうだ?」

 フフン、と杉田は鼻で笑った。

「て~んで承知できなんなあ。桁が違うぜ」

「いくら欲しい」

 聞き返す佐野に杉田は顔を突き出し、右手を広げる。

「五十万か?」

 佐野に対し杉田は首を横に振る。

「五千万」

 佐野は仰天した。

「五……五千万!?」

 さらに当たり前かのようにさらりと杉田は言う。

「全部じゃないぞ。一回当たりの情報提供料だ。四回の連載で二億だ」

 佐野か怒りの余りみるみる顔が真っ赤になっていく。

 にやりとする杉田。

「週刊多滝売に負けてんだろう? 世間をあっと言わす情報だ。それにネットや電子で直ぐに回収できるぜ」

 真っ赤な顔をした佐野は憤然として立ち上がった。

「交渉不成立か?」

 杉田の問いかけに佐野は言い放った。

「当たり前だッ」

 テーブルの上で両手を組んだ杉田は言う。

「なーらしかたねえ」

 さらに嫌みったらしく笑いかけた杉田は膝を叩いた。

「週刊多滝売と交渉する。キミんとこよりも何倍も大きい新聞社が出す週刊誌だ。喜んで出すだろうなア……けけけ」

 週刊多滝売と聞いた佐野の顔色が変わった。

「おやぁ、今度は顔色が青くなったな。赤くなったり青くなったり。ま、交渉決裂ってことでこの話はなかったことにすんべ」

 席を立とうする杉田を佐野は抑えた。

「ま……ま……待ってくれっ、う……上と話をする。それまで待ってくれっ」

 さらに杉田はにやついた。

「そーこなくっちゃな。ま、三日以内に返事くれよな」

 伝票をひったくると杉田は席を立った。

 唖然とする佐野の前には手つかずの香り漂うコーヒーと甘い香りの洋菓子が……。


 三日後、レストラン『げげんげ』午後一時。

 大きなテーブルを挟んで杉田と和道が三人の男と座っている。

「こちら週刊日々総編集局長中村、それに帝国日々新聞社副社長、清元です」

 佐野の紹介で二人は名刺を杉田と和道に差し出した。

「こちらは弊社音響分析室室長の和道です」

 中村が先陣を切った。

「佐野から事情を聞きました。信じられない話ですが、それが事実なら世はひっくり返ります。新興宗教としての天誅教会の信者数は今や鰻登りです。これも催眠音楽が影響してるのかもしれません」

 清元も同調するように言う。

「信じられない仰天な話です。弊社でも天誅教会の動向を胡散臭いと思っており密かに探っておりましたが、それを弊社に提供頂けるというのはこの上ないことです」

 どのように佐野が報告したのか杉田達には理解できなかったが、佐野は旨く丸め込んだようだ、と感じた。

 杉田はにこやかに笑った。

「そうでしょう。こういってはなんですが、御社の記者は重要性を分かっていないようでしたね」

「面目ない」

 佐野は頭を下げた。

「あの時は頭に血が上って、冷静さを欠いていた。後から落ち着いて考えると、とんでもないことだった。だから必死になって説得したんだ」

 中村が言う。

「これを弊社から公表させて頂ければ、音楽業界のみならず世間は大騒ぎになることは必定」

「そうでしょうね」

 杉田は上着からタバコを出し火をつけた。

「ここは喫煙できますから、遠慮無くどうぞ」

「いや、けっこう。それより」と清元。

「情報提供料の話ですが、弊社といたしましても御社の条件は呑みたいところではございますが、なにせ週刊誌部署の判断では到底出来ませんので臨時の取締役会議を開きました。……そこで……如何なものでございましょう、一回当たり三千万では」

「三千万ですか……」

 杉田は天井に向けて煙を吐き出した。和道はそれを目で追っている。レストランのざわめきとピアノの生演奏だけが響く。

 緊張している三人は杉田の言葉を固唾を呑むように待った。

 一服し終えた杉田は灰皿にタバコを押しつけると徐に言い出した。

「良いでしょう」

 緊張感が解けた三人はホッとした顔をした。

「取り合えず一回分三千万、入金確認次第、弊社音響分析研究室にて分析した情報を公開しましょう。これは全て御社の著作とします。さて皆さん、成功を祝して乾杯と行きたいと思います」


 すっかり酔っ払った帰り道、和道は杉田に言う。

「よくそんなに出してくれたもんだな」

 酔いがまわったか、杉田は朗らかだ。

「これがザ・営業さ。あはは~、一億二千万の大商いだぞぉ」

 赤ら顔の杉田が続ける。

「チーム和道の請求書見ただろ? まず大半はチーム和道の支払いで消えるぜぇ。まあ、金に糸目をつけるなって言ったのは俺だけどな~」

 杉田とのやり取りで和道は頭を掻いた。

「それと、至急二階の会議室を音響分析研究室に模様替えをする。張りぼてでも何でもそれらしく見せないと威厳が保てん」

 和道は呆れたように話す。

「会議室? あのボロ部屋が? それに越狩君入社パーティで散らかしたままだよ、社長」

 杉田は口を尖らす。

「そりゃあ何時の話だよぉ? 佐野記者との打ち合わせは専らそこでするんで、帰社したら全員でそれらしく模様替えだ」



 十日ほど経った月曜日、週刊日々が『第一弾 爆走天使の罠』との見出しで掲載された。

 それは世間の耳目を集め、たちまち増刷され売れに売れた。それよりも数倍の勢いで電子版が販売された。

 さらに翌々週には『第二弾 爆走天使と天誅教 闇の関係』が公開され、その真偽に日本中がますます熱狂していった。

 情報提供者については一切の公表がなく週刊日々編集部や帝国日々新聞社に連日公表されるような騒ぎになり、天誅教会を名乗る人物達から抗議の電話がかかりさらに脅迫めいた手紙が届くようになった。

 音楽業界は記事をきっかけに爆走天使の楽曲全てのダウンロードが禁止となった。

 ネット上では『謎の音楽家』に関心があつまり有象無象の記事に溢れ、さらにフェイクも次々に流され、何が本当か嘘か混沌とした世界になっていった。


 報告を聞いた尊師が言った。

「忌々しい、催眠音源を解読したヤツがいる。それと天誅教との関係も暴露されている。一体、何処の何奴だ」

「教会でも調査しているがまだはっきりしない。で、どうするつもりだ、尊師」

 緑の男、開祖の問いかけに尊師は残酷だった。

「記事を書いているのは帝国日々新聞社の記者だ。まず、この記者と家族を拉致する。埼玉教会には拷問部屋があり指を一本一本切り落とせば白状するだろう。それでも白状しないなら記者を前に家族を切り刻む」

「あとの処理は?」

 聖天使と呼ばれる黒いフードの男が質問する。

「白状すれば用は無い。木曽教会に運び硫酸の海に叩き込む。なに、数時間で骨も残らない」

 残虐な行為に教祖があとを続ける。

「相手が分かっても音響解析所と名告っている以上、一魁の新聞屋が解析しているとは思えん。それに我々だって組織の知恵を絞り出しあの作戦にこぎ着けたんだから、到底一人の人間では解明できないはずだ」

「うむ、その通りだ。だが同じように拉致して吐かせれば相手組織の存在が分かるはずだ。その組織が判明次第もろとも無人機を使って根絶やしにしてくれるわ」

 導師が反論する。

「尊師、それはマズい。前回の天誅殺で警察と防衛省が精力的に動き回っている。これはさらに情報を相手に与えるだけだ。数万人の信者が動揺している以上ここは下人シーゲルを使うしかない」

「一人ひとり天誅殺をするというの? まどろっこしいわ。早いことにこしたことはないわよ。無人機攻撃が出来ないならここは機工歩兵信者を使って木っ端微塵にした方が後腐れ無いわ」

 枢機卿と称する女が言う。

「枢機卿、そう言うがさらに相手に手の内を曝け出す事になり、ますます不利になる」

「そうかしら、ロケット砲をぶちかませば瞬殺よ」

「まあまて」

 教祖は反論する。

「そういきり立つな、枢機卿。急がねばならんが、ことを性急に起こしても問題だ。さらに機工歩兵信者の存在は未だ極秘扱いだ。出すわけにはいかん」

 尊師は腕を組んだ。

「うむむ……枢機卿の提案は却下だ。日本組織を使い帝国日々新聞社の記者を誘拐し吐かせることが先決だ。阻止ないとさらに記事は続く」


 極悪非道な話し合いでは佐野の運命は一体どうなるのか。


 スケロク商事定休日の火曜日、事務所一階。

「かなりの反響があるな、社長」

 にんまりとする和道は事務所にあるディスプレイを前にして杉田に報告する。

「見てみなさい、社長、ダークウェッブでも音響解析の人物にも大盛り上がりだよ。まるで英雄扱いだ」

 興奮するように言う和道に対して逆に杉田は興味なさげに頬杖をつきながらタバコを吹かしている。紫煙が辺りを漂い和道の鼻腔に届く。

「いくら定休日と言ったって事務所は禁煙だよ、瑠那がいたら癇癪を起こすぞ、社長」

 和道は愚痴るが杉田は一向に構うことはなかった。悠然とタバコを灰皿に揉み消すと言った。

「いよいよ君の出番だ」

「出番? 何だい出番って。また突拍子も無いことを言ってくれるんだな」

「これから俺の作戦を話す。耳を貸せ」

 二人はぼそぼそと話し始めた。途端に和道は血の気が引いた。

「何だって、社長。そんな馬鹿のこと、とてもじゃないが引き受けられん……」

「大丈夫だ安心しろ。数日前から一人ひとりにそれとなく話をしている。今夜全体会議だ」

 和道は明らかに狼狽していた。

「確かに記事にするのは協力したが、囮になるって聞いてないぞ」

 その時佐野がスケロク商事のドアを叩いた。

「おはようございます」

「ちょうど良い時にきたな。音響解析室で打ち合わせだ」

 杉田は二階のすっかりカモフラージュされた会議室の椅子に和道と共に座った。しかし和道は暗い顔をして下を見つめたままだ。

 杉田はにこやかに佐野に聞いた。

「どうだい、週刊誌の反応は」

「そりゃもちろん」

 佐野は笑った。

「売れに売れて、電子版も大反響ですよ。それに元信者が証言したいとか、自分で催眠音楽から逃れる事が出来たとか、結構売り込みがありまして、そんなこんなで別に特集を起ち上げる企画が進行中です。社内は嬉しい悲鳴ですよ」

 杉田にんまりとした。

「直ぐに回収できるって言ったろう?」

 以前の佐野の姿と打って変わってにこやかだ。

「いやいや、全く仰せの通りで……」

 佐野の言葉に急に杉田が問いかけた。

「最近、君の身の回りで何か変わったことはないか」

 何が聞きたいのかさっぱり分からない佐野は首をかしげた。

「変わったこと? ……思い当たる節はありませんが」

「そうか、ならいいんだが」

 杉田の返答に佐野怪しむよう眉間に皺を寄せた。

「ちょっと社長、その奥歯にものの挟まった言い方はなんですか。はっきり言ってください」

 杉田は言う。

「一連の記事を見た天誅教会は、必死になって俺たちのことを探り出そうとするだろう。となれば、だ。手っ取り早くあんたを捕まえて記事の出所を吐かそうとするに違いない」

「俺を捕まえる?」

「そうさ」

 佐野はきっぱりという。

「何があっても記事の出所を喋ることはしない。それは記者の矜持だ」

 しかし杉田は佐野の言葉を遮った。

「イヤイヤわからんぞう。何しろ殺人鬼を操っている連中だ、どんな手段を使ってでもアンタを吐かそうとするだろう」

 佐野は腕を組み、覚悟したように言う。

「最高の記事が書ければ命は惜しくない」

 杉田はにやけた。

「な~るほどぉ。ところでアンタ独身かい?」

 佐野は杉田の真意を測りかねた。

「妻と小学生の子供が二人いる」

 杉田は恐ろしいことを話した。

「君が白状しなければ、愛する家族にも危害が及ぶ。それでもいいのか」

 一瞬、佐野の顔が曇った。

「そんな……俺のために家族が犠牲になるなんて」

「今までからすると奴らは平気でやるだろう。そこで、次の週では和道君の顔写真を乗せて貰おう。第三弾、催眠音楽を暴いた謎の人物、とうとう現るッてね」

 佐野は吃驚顔だ。

「しかしそうなると和道さんが危険にさらされるじゃないですか」

「そこが狙いさ」

 訳が分からないと言いたげな表情を佐野は浮かべた。

「相手は何をしでかすか分からないキチガイ集団だ。おそらく元町の無人機攻撃も奴らの仕業だろう。そこで殺人鬼の正体を暴く。これは無残にも殺されたパン屋やその周辺の犠牲者の鎮魂だ」

 佐野は呟いた。

「鎮魂……。それとは別に、さっきから和道さん落ち着きがないように見えるんですが」

 その言葉に杉田は花が咲いたように陽気に笑った。

「和道も覚悟を決めてるんだなあ。自己犠牲を払ってでも殺人鬼を暴きたいって」

 ニヤけた杉田に佐野は和道に質問した。

「そうなんですか」

 しかし和道は俯いたまま無言だった。さらに言葉を繋げる杉田に佐野も和道も驚いた。

「記事の内容は音響解析博士……ここは偽名、出鱈目雄三吉宗でたらめゆうぞうよしむね音響工学博士、大いに語る、としよう」

 和道は怯えたように顔を上げる。

「音響博士だろうがなんだろうが……私の命はどうなるんだね、社長」

 杉田はウィンクする。

「さっきも言ったとおり、君を危ない目にはさせやしないさ。共同経営者だし」

 和道は尽く抵抗する。

「囮になる私の気持ちも察してくれよ。そうだ囮になるんなら御手洗なんかどうだね」

「若すぎてとても音響工学博士には見えないなあ」

「ば、化けるのは得意だろう。俳優だし、うってつけだよ」

 杉田はにやつく。

「いくら化けても貫禄負けだアね」

 しかし和道も必死だ。

「なら、なら……願成寺なんかどうだ。どっしりしているぞ」

「女性でも良いが、どう考えてもこの役はあんたしかいないんだよ」

 冷たく言い放つ杉田。

「私の命はどうでも良いのかッ! そんな勝手な計画あってたまるものかっ、私はイヤだっ、死にたくないッ」

 杉田は薄ら笑いを浮かべた。

「大丈夫だ、心配しなさんな」

「いくら社長の言葉でも信用できないっ、いやだいやだいやだ」

 口論に佐野は口を挟んだ。

「でも杉田社長、偽名を使っても顔出しすればいずればれるでしょう。そんな危険を冒してまで?」

 杉田はニヤけた顔つきで佐野を見返した。

「佐野君」

「はい?」

「俺の名前、杉田耕一は本名だろうか?」

「え」

「和道啓太も偽名だったら?」

「は?」

「ここに勤務している社員一同偽名を使って活動していると言うことが分かったら、どう思うかな。一斉に闇に消えればスケロク商事も謎が残ったままになる」

「う、嘘だろ?」

 杉田は高らかに笑った。

「だから嘘も方便さ。顔出しと言ったって、口髭を生やし金髪の変装した写真を掲載する。場所もここだと特定されるんで、ホテルでの会見だ」

 聞き終わった和道は泣きそうな金切り声を上げる。

「いやだ、私は殺されたくないーっ」

しかし杉田は和道の泣き声を無視するように佐野に言う。

「略歴としてだな……中南米の何処かの大学で音響学を首席で卒業し、数々の論文を発表、博士号を取得した偉大なる音響博士、としよう。対談風を装って、最後にその世界的な博士が今ここに爆走天使と天誅教会の秘密を暴露した書籍を執筆中、近々帝国日々新聞社から発刊予定、乞うご期待……とかなんとか。佐野君そこン所は旨く記事にしてくれ」

 和道は興奮しながら抵抗する。

「いやいくら変装や偽名を使っても……私はまだ死にたくない。やりたいことが未だ一杯有る。勘弁してくれっ!」

 しかし佐野は天井を見つめ、両手を打ち合わせた。

「それ、それ、それで行きましょう! 記事は僕にお任せください。和道さんを、いや、出鱈目雄三吉宗を立派な博士に仕立て、殺人鬼をおびき出すために一役かいましょう! ただ」

「ただ、何だい?」

「おびき出した暁にはスクープ写真を一発撮らせてください。そしてそれを帝国日々新聞朝刊にデカデカと記事にすれば多滝売新聞社をさらに出し抜けますっ」

 杉田はニヤけた。

「そっか~、ではもう三千万出して貰おっかな~」

「そりゃあもちろん、上司もOKですよ」

 燥ぐ二人に和道はさらにくらい顔になった。

『私の命、どうでも良いのか……』



 宝来警察署捜査本部にて

 数名の刑事が大石と話をしていた。

「……つまり爆走天使の一団はハワイから移動したのか」

 手帳を捲りながら刑事の一人が経緯のあらましを報告した。

「ハワイからオーストラリア経由でジークランド民主共和国に入国したところまで確認できました」

 聞いた大石はしかめっ面をする。

「そこは南米秘境の地で、確か世界と断交し、独自の文化風土を作り上げているとかいう変な国だよな」

「そうです。さらにもう一つ。観光ビザでハワイからジークランドに入国した二人の日本人がいます。ビザが切れているにもかかわらず出国した形跡がありません。入出国管理センターでは外務省を通じて経緯を求める手筈になっていますが、外交関係がないので対応に苦慮していますね」

「警察に届け出は?」

「ありません」

「二人の人物は特定されているのか?」

 もう一人の刑事がメモを捲った。

綾樫あやかし理工学博士その助手、毛那須心美けなすここみ。綾樫博士は世界でも十本の指に入る核融合炉開発の一人です」

 大石は唸った。

「ジークランドに爆走天使の連中と科学者二人、これは何かありそうだな。まさか天誅教と何か繋がりが?」

 刑事が入室してきた。

「おお、瀬戸口か。黒塗りの車、何か判明したか」

 瀬戸口は申し訳なさそうな顔をした。

「埼玉県警と合同調査の結果、黒塗りの大型ワゴン車の様ですがメーカーや車種までは絞り切れておりません」

 大石は悔しがった。

「未だ、そんなところかよ」



 スケロク商事二階倉庫兼会議室。

 午後六時、全員が集まったところで杉田が一同を見回す。

「作戦会議をはじめる」

 昼間、佐野と冗談めいた顔つきと違い怖い顔をしている。

「この前下話があった和道さんを囮にして全員で殺人鬼を捕まえるってこと?」

 皆を代表するようにサヤカが口火を切った。

「そうだ」

「ウッソ~、捕まえるって言ってもあたし達素人が出来るわけないジャン」

 冗談じゃないというような顔の瑠那だった。

「相手は一人だ。全員で捕まえる」

「そんなの危険じゃない?」

 蔵前は反論した。

「週刊誌の発売まで一週間しかないよ、そんなんじゃ無理よ無理無理絶対無理」

 サヤカが喚いた。

「来週はでない。時間稼ぎに翌々週に出す」

「いくら社長の頼みでもそれは絶対無茶だわよぉ」

 皆がざわめく中ケンジが、ドンと机を叩き一喝した。

「いいから、ボスの話を聞けッ」



 週刊日々発売日。

 週刊誌の冒頭ににこやかに笑う出鱈目雄三吉宗の写真が登載され、佐野と出鱈目雄三吉宗の対談が記載されている。

「お忙しい中ありがとうございます。早速ですが博士が公表した中で再現性がない、という数人の専門家がいらっしゃいますが――」

「そりゃあ、君ィ、ダウンロードやディスクでもちゃんと入っておるんよ、ただねぇ専門家といえども使う再生機器によっては再生できんのじゃよ」

「と、おっしゃいますと」

「特別な音響機器やイコライザーなど使用して初めて再現されるのじゃわいな」

「タダ聴くだけでは催眠効果はないと――」

「さようさよう然り然り、そしてはっきり申し上げるとな、生演奏でないと効果が発揮できないように工夫されておるんじゃのぉ」

「催眠音楽にはライブが必要、と。でも先生、催眠音楽にかかる人とかからない人いるのは何故でしょう」

「人間の耳は全ての音を認知しておる」

「全ての音を、ですか」

「さようさよう然り然り、全ての音は耳に届いておるが脳のほうで取捨選択をしているのじゃ」

「――先生、ちょっと分かりにくいのですが」

「分からんかねぇ君ィ、音の感じ方は人それぞれじゃが、心地よい響きと雑音とでははっきり違うじゃろ」

「――そうですね」

「脳がこの人間にとって危険な音と判断すれば通す。大丈夫と感じれば通さないんじゃ」

「先生、もっとわかりやすく説明していただきたいですが」

「日本語で話しておるんがの。分からんとね」

「申し訳ありません。先生の話が高等すぎて――」

「んならこれならどうだ。目の前から突然ライオンの唸り声が聞こえたら」

「吃驚します」

「潮騒の音が聞こえたら」

「心地よいと思います」

「そうじゃろうそうじゃろう、唸り声と潮騒の違いはなんじゃ」

「危険か危険じゃないか――そういうことですね。では、伺いますが催眠音楽は潮騒ですか」

「正確に申せば催眠音波じゃ」

「催眠音波ですか」

「さようさよう然り然り。心地よいと感じた脳はシータ波に直接作用し強烈な催眠作用を起こす。これは第一弾で話したじゃないか、覚えておらんのかのう君ィ」

「いや、先生、催眠音波ではどれだけの人間が関わるのでしょうか」

「さようさよう然り然り、私の研究に依れば千人に一人」

「――そんなに少ないのですか。ライブで五万人集まってもたったの五十人ですか」

「さようさよう然り然り、んだども五十人の中には途中で脳が危険と判断する場合もある。分母を大きくして見てくれ給え。日本国内だけでなく世界進出をしておるではないか」

「確かにアジア圏内でも爆走天使は有名です」

「五十万人に聞かせれば五百人だよ、君ぃ。五百人の信者がライブで誕生するのじゃよ」

「では先生、先ほどライブが必要、とおっしゃいますが、爆走天使は今ハワイにいます。検証出来ないでしょう」

「わしはなあ、君ぃ、そもそも爆走天使には興味はない。その特異な催眠音波に興味をそそるんじゃて」


「煙に巻くのが旨いでやんすねえ」

 事務所の応接間で記事を読んでいた越狩は感心した。

「だろ? 和道でなければならなかったった理由はまさにそれ。御手洗や願成寺では貫禄が違う」

 そう話す杉田の側で電話を受けていた黒川が口を出す。

「ハラグロ建設から人足出せないかと電話が来ております」

「手一杯だ、と断ってくれ」

「庭の草むしりの依頼が来ましたが」と天馬。

「今は人手不足で当分出せないと言ってくれ」

「高齢で電球の取替が出来ない、と」「大きくなった杉の木を切って欲しいと」「買い物代行のお願いが」

 次々と依頼を断る杉田だった。



 円卓を囲んで教会幹部

 机の上には週刊日々の、金髪を束ね黒めがねと額に赤いバンダナ、白いワイシャツに濃紺のネクタイ、灰色のジャケットを着てにこやかにポーズを決めている男が映っている。

 枢機卿が罵った。

「色の使い方が下品。アホ面に黒縁眼鏡、汚らしい髭と長い顎髭をはやしていて不潔ね」

 枢機卿の罵り方にも関わらず尊師は平然とする。

「この糞野郎は、偵察信者により山下公園近くのホテル・きんこん館に投宿しているのが判明した」

 尊師は身を乗り出す。

「記者を誘拐しなくても標的の居場所が分かった。さらに下人達の報告によると都道府県知事どころか公安や警察も動き出している。早いところ天誅殺を実行に移したいが、みな、どう思うか」

「ホテルを急襲するのは?」

 尊師は首を振る。

「ホテルでは危険だ。深夜でも人通りが絶えない場所だ。コイツは教会を出汁にして儲けようと企んでいるウジ虫だが、ここでもドローンを使うわけにもいかない。やはり下人シーゲルを使う」

「よし、偵察信者を増員させる。私から指示を出す」と導師が言った。


 ホテル・きんこん館、最上階

 ここは一泊三百万は下らない最高級ビップルームだ。その徹底した防衛対策に政府の要人や大物芸能人の密会、さらには南米マフィアもお忍びで使われるホテルでもある。

 その豪華な設備の整った一室で出鱈目雄三吉宗に分した和道は、豪勢な革張りの椅子に座り杉田とテレビ電話を使っていた。

「どうだい、そこの暮らしは?」

 杉田に対し和道は答える。

「どうもこうも、落ち着かないね。何時になったらでられるんだね」

「辛抱してくれ。教会連中の動向を探ってる。特にホテル周りには信者らしき人間が複数、アンタの動きを見張っているようだ」

「そうなのかね」

 和道は嘆息した。

「ああ、タヌキとキツネの化かし合いだな。幸い相手はこっちには気がついていない」

「何故、そう言えるのかね」

「教会連中は君に首ったけってな。後ほど御手洗がお化粧直しにそっちへ行く」


 ほどなくしてホテルからの内線が鳴った。徐に立ち上がり液晶画面を見る和道。

「御手洗雄馬と名乗る男性が出鱈目雄三吉宗様にお目通りを願いたいとおっしゃっておりますが、如何取り計らいましょう」

 そう言うとフロントマンは雄馬を映し出した。

「私の秘書だ。通してくれ」

 程なくしてホテルマンが鞄を持ちにこやかに立っている雄馬を招き入れた。

「随分と豪華なお部屋ですこと」

 雄馬はキョロキョロと見回す。

「応接間にリビング、天蓋付きベッドルーム、金襴豪華なバスルーム。慣れない生活で草臥れるよ」

 和道は疲れように革張りの椅子に勢いよく座る。

「大分お疲れのようですわねぇ」

「そりゃそうだよ。ここにいても何もすることがない。食事だって運ばれてくるのを待つだけだ」

 雄馬は鞄から化粧道具を取りだした。

「顎髭が曲がっておりますのよ、きっと汗のせいで曲がってしまったんですねぇ。ちょっと治しますねぇ」


 ホテルの外では、複数の天誅教会信者が入れ替わり立ち替わり和道が出てくるタイミングを見計らっているのが見て取れる。さらに何処で嗅ぎつけたか報道関係者の姿もちらほら見える。

 そのホテルの向かい側におんぼろのワゴン車が止まっていた。

「あのハゲ坊主、昨日と同じヤツだ」

 サングラスをかけたケンジが言う。「んだ」ケンジの後ろに座っている銀次が頷く。

 覗き込む銀次はカメラのシャッターを切った。

 ケンジはバックミラーを見るとサヤカと直美が乗ったスケロク二号車が後ろに着いた。

「交替だ」


 見張る天誅教偵察信者とそれをさらに見張るスケロク商事。

 静かに攻防は続いている。杉田の言う一週間、という区切りは天誅教の動きを知るための時間稼ぎだった。


 さらにそれから二日後。

 和道は杉田と話し込んでいた。

「見張信者の乗ってきた車も判明した。もうそろそろ次の計画に入る」

「やっとでられるのか?」

「午後八時になったらタクシーを呼んで元町の火災現場に行ってくれ。そこで的場と越狩がいる」

「いつもながら分からん指示だな、社長」

 画面の杉田はウィンクした。

「このやり取りだってあちらに筒抜けかもしれんし。念には念を入れてね」

「こんな安全な場所でも? まさか、後ろからズドン、と言う事にならんか」

「今日はそれはない」

「今日はなくてもいずれ、その日が……」

 和道は次の展開に怯えた。

「大丈夫だよ」

 そう言うと画面から杉田の顔が消えた。

『安全に見えて安全じゃないと言うことか?』

 和道はふと思った。

『まさか毒殺されるなんてことは無いだろうか』

 そう思った和道は身体をぶるっとした。


 午後八時過ぎ。

 タクシーがホテルの玄関前で待機していると和道が乗り込むのを信者達が見つけた。

「荷物がタクシーに乗り込んだぞ」

「何処に行くんだ。早く車出せ。追え追え」

 ざわめく信者を他所にタクシーは悠然と離れていった。

 和道は杉田の指示通りに元町の火災現場に歩みを進めた。

 現場は未だに無残な姿をさらしている。その火災現場で的場と越狩の姿を見つけようとキョロキョロしていると黒く煤けた壁の向こうから小さく越狩の声が飛んだ。

「和道さんこっちでやんす」

 越狩の声の方向へ歩むと的場の声がした。

「しゃがむでがす」

 言われるまま和道はしゃがみ込むといきなり黒い天幕が和道を覆った。


 一時間後和道を乗せたタクシーがホテル玄関先に横付けすると、和道は何事もなくホテルに入っていった。

 そして次の日の午後八時同じようにタクシーに乗り込み一時間もすると戻ってくる。

 さらに次の日も、さらに翌日も、一連の謎の行動が繰り返された。

 偵察信者達はこの不思議な行動を逐一枢機卿に報告していた。

「毎晩毎晩火災現場に行っているのは突き止めたが、なんの目的があってのことだろうか」

 尊師は呟く。

「何か見つけようとしているのでは?」

 枢機卿の言葉に尊師はイラついたようだ。

「何をしでかすか分からん糞野郎だ。忌々しい」

「まさか、誘き出そうとしているのではないか」

「何を誘き出すというのか」

「我々の存在を」

 それに対し教祖が口を挟む。

「我々は絶対安全だ。日本警察の手も及ばん」

 導師が言う。

「決まった行動をしているのなら話は早い。やるのは今しか無い、尊師」

 円卓会議で尊師は決断した。

「よし枢機卿、下人シーゲルに天誅殺の指示を出せ」


 はたして和道の運命は?


 次の日の夜。

 午後八時にタクシーが玄関横に到着するといつものように派手に変装をしている和道が乗り込んだ。

 運転手の言葉にホテル横の一方通行の道路からマッツンダ自動車製の黒い大型ワゴン車が右折し、タクシーを追いかけるように動き出した。

 夜のこともあって行き交う車は少ない。横浜市営バスとすれ違うが運転手もシーゲルも無言だ。対向車のヘッドライトが眩しい。

 元町交差点をタクシーは左折し商店街をゆっくりと進む。人通りのない道路を防犯用の街灯が皓々と光りシャッターを明るく照らしているだけだ。

 徐々に街灯が少なくなり商店街の出口付近では街灯が侘しく灯っている。

 タクシーが止まり和道は降りた。

 タクシーはその場でエンジンを吹かしたまま待機している。このタクシーでまたホテルに帰るつもりだろう。

 シーゲルの乗った大型ワゴン車はタクシーをやり過ごしその先で停車した。

「成功を祈る」

 運転手の言葉に無言でシーゲルは助手席から降り立った。

 外は闇。

 商店街出口付近の少なくなった街灯が転々と灯っている。無表情で録画する防犯カメラもここでは少ない。

 殺害を実行するには好都合だ。

 機会を狙うように和道のあとを足音を忍ばせるようにシーゲルがついていく。

 左側に橋が見えた。その場所はデューク内藤の殺害現場近くの橋だ。

 橋のたもとでは、街灯が白いジャケットと同色のミニスカートの女と垂れ下がる金のネックレスを首にかけている男が川面をのぞき込んで話し込んでいる姿を淡く映し出している。


 こんな場所で何をしているのか?


 シーゲルは顔を隠すように左手で赤い帽子を被り直す。だが二人はシーゲルには気がついていないように川面を覗いている。

 さらにその先。

 人通りがない火災現場にたどり着くと、焼けただれ黒く煤けた壁の前で和道は止まった。


 やるなら今だ。


 シーゲルは決断すると右手を懐に突っ込み拳銃に手をかけたまま、接近し声をかけた。

「出鱈目雄三吉宗だな」

 まさに発砲せんとばかりに拳銃を抜きかけた瞬間、バサバサッと羽音がした。

 何事、と思った赤いフードの男の前に権太が横切った。

 同時にシーゲルの声に振り向くことなく和道は蛙の如く地面にへばりついた。突如、バッという音とともに大きな黒い天幕が宙を舞い和道に覆い被さった。

 意外な展開に赤い男は懐に手を入れたまま、固まった。

 間髪を入れず後ろから若い女の声が響いた。

「待ちなッ」

 シーゲルはその声の方向にゆっくりと体を向けた。

 白いジャケットに白いミニスカート。それはあの橋にいた女。そう、管弦瑠那だ。


 同時にシーゲルの乗っていた黒塗り大型ワゴンに近づく影。いきなり助手席のドアを開け男が飛び込んだ。

 それは橋のたもとにいた男。そう、祖父江ケンジだ。

「誰だ、貴様……」

 そう叫ぶ間もなくケンジの強烈な右の鉄拳が二発、三発立て続けに運転手の左脇腹を剔った。

 鈍く骨の折れる音がする。

 あまりの激痛に運転手は衝動的にアクセルを踏み込んだ。

 しかしコントロールを失ったワゴン車が消火栓に突っ込みぶつかると同時に、大量の水が勢いよく宙に噴出する。

 ダッシュボードに頭を打ち付けそうになったケンジが左腕で身体を支えた。

「荒っぽい運転だぜ」


 淡い色の街灯が寂しげに二人を照らす。

 瑠那の右手首からシュッと言う音と共にナイフが飛び出た。

「この距離なら」

 瑠那は左足を一歩踏み込む。

「アタシが勝つ」

「何だと」

 赤い男の呟く声に瑠那は答えた。

「良いか、懐の拳銃は、抜く、構える、撃つ、の三つの動作が必要だ。この距離ならワンステップでケリがつく」

 男はフード越しに、にたりと片頬を上げる。

「だがお前、人を殺したことがないだろう」

 男は瑠那に向かって乾いた声を響かせた。

「俺は何人も殺した」

 瑠那は柳眉を逆立てた。

「黙れっ人殺しッ!」

 瑠那の叫びを合図のようにシーゲルが目にも止まらぬ早業で肩のストラップから拳銃を抜き、発砲ッ!


 瑠那、危うしッ!


 発砲した瞬間……男の右手首に痛みが走った。間髪を入れず男の喉元が焼けるような激しい痛みが襲った。

 短く叫ぶ赤い男は仰け反った。

「それ~ッ」

 暗闇から叫び声が轟き、巨大な肉塊が赤い男を突き飛ばした。

 それは願成寺だ。

 跳ね飛ばされた衝撃で大地を数回転がり、身動きできないように男の上に願成寺の巨体がのしかかった。

 遠くからふたつの光りが揺れてきた。

「止めろ、警察だ」

 打ち合わせたかのように、二人の警官が懐中電灯を振りかざしながら飛んできた。

 同時にフラッシュが二度三度焚かれる。

「撮ったぞッ」

 カメラの主は佐野だ。撮り終えた佐野は身を翻し闇の世界に溶け込んでいった。

 汗がどっと流れた瑠那は、へなへなとしおれた花のようにその場にしゃがみ込む。

「……怖かった……」

 いくら男に虚勢をはる管弦でも恐怖だ。

っちまったんかいっ」

 壁の後ろから的場達が飛び出し、天幕がもぞもぞ動き和道が顔を出す。

 権太を肩に従えた蔵前が救急箱を抱え足を引きずりながら瑠那の元に駆け寄った。

「瑠那ちゃん、大丈夫?」

 汗を滴らせた瑠那が右手を和道に突き出した。

「やっちゃあいないヨ。でも和道さん特製のスプーン……首が折れちまった……」

 ナイフのように見えたが実は和道が作り上げた匙だ。

ツラァ、見せろッ」

 ゼイゼイと粗く息を吐く赤いフードを願成寺が勢いよく毟り取った。

 警察官のライトが男を照らす。

「ええっ? まさか……」

 毟り取られた赤いフードの男は……なんと野来下茂だった。

 


 第五部天誅教その2 第三部 完


途中で察していた方はいるのでは、と思いますが、下人シーゲルは意外な人物でありました。さて、今後の展開ですが、信者集めに一段落した教団は新たな資金稼ぎに乗り出します。

 依頼が終了したスケロク商事は日々の仕事に精を出しますが、立ち向かう運命が待ち構えているのでした。


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