40.フェルメント帝国の秘宝⑨~メルゼィ公爵邸2
だいぶ長いです。
ですが、途中で切りたくなかったので↓↓↓
案内された応接室は、建物の華やかな外観とは違って、とてもクラシカルな雰囲気だった。
折上げの高い天井、白い大理石の床に、濃青を基調としたファブリック、木製の家具類は、丁寧に彫られた装飾と艶感が出るほどに磨き込まれた木目が、とても美しい。
そして存在感のあるマントルピースの上には、数枚の肖像画が飾られていた。
メルゼィ公爵自身のもの、若い日の皇帝陛下、イスやルシアナ殿下と一緒のものもあり、どれも皆、皇族らしい美しい容姿の姿絵だ。
「君は、そちらに。」
「はいっ! ありがとうございます!!」
公爵は、イスとよく似た迷いのない足取りで、俺に勧めた席の対面に向かう。
そして、メイドが淹れてくれたお茶とお菓子を俺に勧めると、自らは同じくメイドが用意した布巾で、丁寧に指先を清めている。
俺はその整った横顔をちらと見ながら、菓子を数口ばくりとお茶で流し込んだ。
「実は、君とは一度、話をしたいと思っていたんだ。」
汚れた布巾をメイドに渡して、公爵は笑みを浮かべる。
「私を、ご存知でしたか?」
「ああ。ヒーロクリフ・タシエくん。君たちが楽しい話題を提供してくれているだろう? それで、イスも色々と話をしてくれることが増えたからね。ありがたいと思っているよ。イスは、君たちには気を許しているようだからね。」
そう言って、公爵は鷹揚に笑う。
「―――そうでしょうか。」
それなら嬉しいけど、でも―――と、思う。
イス様は俺らに対しても、人懐こいように見せて、肝心なところでは、線を引いてしまう。
昨日と今日だって、そうだ。カイル・デリートのことだって、俺たちには一言も言ってくれなかったし、それにルシアナ殿下のことだって―――。
俺は、目の前の、イスにどことなく似たメルゼィ公爵を見て、ごくと一息飲み込んだ。
なんだかんだと結局俺らと一緒にいたイス様が、「もう来ない」って言ったのだ。
ここで聞いてしまうのは、ずるいかもしれない。
でも、何も知らないままだったら、俺は、イス様を引き留められないんじゃないかな。
「・・・あの、公爵。」
「ん? なんだい?」
イス様とルシアナ殿下の間には何か『秘密』がある。
それを、ソウ様とハルは知ってる、ように思う。
もし、それが皇族の秘密だったとしたら、口に出すこと自体アウトかもしれないし、今、公爵に聞いてしまうことは、イス様の望まないことかもしれない。
だけど、もうそうは言っていられない気がする。
ここまで来たからには、やっぱり知っておくべきだと思うんだ。
「公爵。実は今日、皇宮の執務室に、ルシアナ皇女殿下がいらして・・・。」
俺は今日の出来事を話していく。公爵はそのひとつひとつに相槌を打ってくれた。
「・・・それで、イス様を追って、私がここへ来たのです。」
ようやく話し終えると、公爵は「そうか」と頷き、ふぅ~と長い吐息をついた。
「ルシアナはイスと向き合うことにしたのだね。そうか・・・。過去を清算するときが、やって来たのかもしれないなぁ。・・・なあ、ヒーロクリフくん。君がその場に居合わせて、ここまで来たことには、何か縁があるのかもしれないね。
―――どうか、私の話を聞いて、彼らの助けになってほしいと思うのだが、いいだろうか。」
そして、メルゼィ公爵は、俺の返事を待つことなく、20年前の出来事を語り始めたのだった。
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その日、ランカスト侯爵から、急な謁見の申し出があり、私と、皇太子である兄上は、顔を見合わせた。
とっさに、ルシアナに何かあったのかもしれない、そう思った。
ルシアナは、今は亡き『兄上の最愛』、私たちの乳兄妹だったカリナの産んだ子である。
兄上のプラチナブロンドと、カリナのマリンブルーの瞳を受け継いだルシアナは、若くして父母となった二人の『最愛』でもあった。
まだ正式な妻ではないカリナが身籠もってしまった時、当時立太子を控えていた兄上への影響を危惧した父皇帝は、彼女を一時的に皇宮から出すことに決めた。
そのときちょうど、成人を迎えた私に離宮を与えるという名目で、居を移す私に乳母とカリナも同行させたのだ。
そして、この離宮でカリナはルシアナを出産した。
ルシアナは生まれた瞬間から、天使と見紛うばかりに愛らしく、私は一緒にいられない兄上に代わり、二人の傍にいた。
とはいえ、カリナも私も、まだ成人したばかりで、三人でいると、ルシアナは私とカリナの小さな妹みたいだった。
兄上は忙しい中でも、なんとか時間を作っては時々ここに足を運んだ。
ルシアナを抱き上げるカリナの横から覗き込んで、ルシアナが笑えば、二人は顔を見合わせてくすくすと笑う。
それを見ると、カリナは確かにルシアナの母親で、同い年なのに急に大人の女性に見えて不思議だった。
それから約3年、兄上はカリナとルシアナを皇宮へと迎え入れる。
「やっとお傍で暮らせるのね」と、カリナは幸せそうに笑った。
なのに、その数年後、外遊先にいた私が兄上から呼び戻されて聞いたのは、カリナの訃報だった。
「カリナに、一体何が・・・? ・・・兄上?」
久しぶりに見た兄上の瞳は、離宮でカリナといた時の日の光を浴びているような眩しさを失い、深く暗い海に浮かぶ氷のようだった。
「私が・・・、ちゃんと守ってやれなかったんだ。私が幼かったから、カリナに苦しい思いをさせてしまった。・・・すまない。」
そう言って兄上は、皇太子は、私に頭を下げた。
後で聞いたところによると、未婚で母となったカリナと、私生児のルシアナに対する皇宮の風当たりは、相当に強かったらしい。
それでも、幼い頃からずっと兄上を恋い慕っていたカリナは、その状況を兄上には一言も言わず、気づいた時には命を絶っていた。
本当に、あのカリナが!?
そんなこと信じられるはずもない―――けれど。
カリナがもういない、ということだけは、事実で・・・。
私に頭を下げた兄上は、希望もなく、誰かに罰を請うているようだった。
でも、そんなこと・・・。
私などができるわけもないのは、兄上だってよく分かっているだろうに。
兄上と私の間で笑っていたカリナ。
咎められるべきは、兄上だけじゃなく、何も知らなかった私だって同罪だ。
「なあ、兄上・・・、ルシー・・・、ルシアナは?」
責めるでも慰めるでもなく、ようやく言葉を発した私に、兄は部屋の片隅に視線を送る。
天蓋のベッドの覆布がかさりと動いた。
そうっと近付けば、隠れていたのは私の記憶より大きくなったルシアナで、幼い頃にこの部屋で隠れんぼをしていたカリナとよく似ていた。
ぎゅっと覆布を掴む小さな手が見えている。
「ルシー?」
「ジョーおじさま? ルシーに会いに来てくれたの?」
「ああ、そうだよ。ルシーと会えて、とても嬉しいよ。」
膝をついて両腕を広げると、ルシアナは待っていたとばかり、ぽすんと飛び込んでくる。
そうだ。私たちは、カリナの代わりに、この子を守っていかなければならない。
小さなルシアナを抱き上げて兄上を見れば、強く目頭を押さえていた。
それから、私たちはルシアナを守るための環境を整えていった。
兄上は有力貴族と婚姻を結んで後ろ盾を盤石にし、第一皇女のルシアナは政治と切り離した。
一方で、ルシアナの傍には、忠実な侍女たちと、専属の護衛騎士を置くことにした。そこに、堅固な守りを誇るランカスト騎士団が名乗りを上げてくれたのは、本当に僥倖だった。
ルシアナとランカスト家のユリアンは、正反対のようでいて馬が合うらしく、皇宮の庭を歩く二人の姿は、皇宮に勤める者や若い子息令嬢の間で、話題になっていた。
それからまた数年が経ち、ルシアナは14歳になった。
「ねえ、おじさま。今日は、テオは一緒ではないの?」
皇宮に着いて馬車を降りると、ルシアナが出迎えてくれる。
そわそわとしながらスカートの裾と長い髪をさらりと揺らす姿は、目を瞠るほどに愛らしい。
朝日を浴びて開いていく花のような瑞々しさに、私は目を細めた。
「テオ。お姫様のご指名だよ。」
私は、少し遅れて降りてきた背後の人物に声をかける。
従者として連れてきているが、音楽家を志している15歳の少年だ。
先日、隣国での外交を終えて帰港した日、同行していたホランド外交官の領館で出会ったのだ。
「この子は素晴らしい才能を持っています。」とホランド外交官が紹介したとおり、聞かせてもらった弦楽器での演奏は、とても自由で独創的なアレンジを施していく。
それなのに、どの音色も心にじんと沁み渡る。
私は、ルシアナにもこれを聞かせたいと思い、彼を皇都へと連れてきたのだ。
「また、あの曲を聴きたいの、行きましょう、テオ。いいでしょう? おじさま。」
「ああ、構わないよ。ところで、今日はユリアン卿はいないのかい?」
「ええ。弟君がご病気なのですって。だから、今日は来れないのよ。」
「そうなのかい? それは大変だね。だったら、今日は安全のために宮から出てはダメだよ。侍女に傍にいてもらいなさい。」
「分かりましたわ、おじさま。」
嬉しそうに頬を染めてルシアナはそう言うと、大きな楽器箱を抱えたテオの手を引いて駆けて行った。
その二人の後ろ姿に、カリナが慎重すぎる兄上を連れ回していた姿が、ふと重なった。
それを微笑ましく見送っていた私は、ランカスト侯爵の謁見で、そのことを後悔することになる。
「なんだと!? 一体どういうことだ? ルシアナが身籠もっている、だと?」
蒼褪めるランカスト侯爵に兄上は語気を荒げた。
今日、ルシアナはユリアンと共に、ランカスト騎士団の見学に行くと言っていた。
侯爵によると、その最中にルシアナが貧血を起こして倒れ、医者に診せたところ、妊娠が発覚したのだという。
成人したばかりの皇女にそんなことがあるなんて俄には信じられず、侯爵と医者はこの事実を内密にし、慌てて登城したのだ。
「―――すぐに、参りましょう。兄上は、どうされますか?」
私は上着に手をかけると、茫然としたままの兄上に声をかけた。
「あ、ああ。私も、行く。」
馬車の中は無言だった。
向かいの席に座る兄上は、ここ一番と言うほどの皺を眉間に刻み、血の気のない顔を車外に向けていた。そんな兄上の心情も察して余るところではあったが、やはり何よりも、私はルシアナが心配だ。
ぎゅうっと握り込む両の手は、震えるほどに冷えていた。
「ルシアナ!!」
「おじさま? ・・・お父さま、も?」
ランカスト邸の客間で休んでいたルシアナが、私たちを見て、ほわんと微笑む。
ルシアナは、見た目の可憐さとは逆に、カリナに似たのか、どこかやんちゃで、身体も丈夫で風邪を引いたことがない。その彼女が、こうやって不調で動けずにいるのは、本人にとってもやはり不安だったのだろう。
保護者である私たちの迎えに、子どもみたいに安心した表情を見せた。
そうだ、まだこんな子どもなのに―――。
私は、これから聞くべきことを思わず躊躇してしまう。
一方の兄上は、冷たいアイスブルーの瞳を、じっとルシアナに注いでいた。
「―――ルシアナ。落ち着いて聞きなさい。」
喉から絞り出すような兄上の声に、ルシアナは何事かと碧い瞳を瞬かせた。
「ルシアナ。お前に、新しい命が宿っている。」
「新しい・・・命?」
「そう、お前の、子だ。」
それを聞いて、ルシアナは、はっとした表情で、自らの身体を両腕で抱きしめた。
そして、顔を赤く火照らせて視線を彷徨わせると、震える両手で口元を覆う。
「・・・相手は、誰だ?」
びくりと肩を震わせたルシアナは、兄上の視線に、ただ、ひくと喉を鳴らすだけだ。
「・・・テオ、かい?」
私は思い当たる人物の名を挙げる。
ぴくりと頬が動いた。
やはり、そうだ。
だって、あの時のルシアナは、兄上を見つめるカリナと同じ顔だったのだから。
「テオ、とは、誰だ?」
答えないルシアナに代わり、私が話をする。
兄上は膝の上でずっと拳を岩のように握りしめていたが、聞き終えるとふっ、ふぅと息を漏らして、掠れた声を出した。
「ルシ、アナ。お前は・・・、テオという者のことを、愛しているというのか?」
「テオは、わたしに、愛の歌を歌ってくれました。わたしは、テオの歌を聞くと、彼のことで胸がいっぱいになるのです。」
兄上が怒らなかったことにほっとしたのか、ルシアナは、嬉々として自分の思いを口にした。
でも、だめだ・・・ルシアナ。
きっとルシアナの少しでも見えたなら、同じく早くして子を成したカリナを知る兄上だ。
認める覚悟もあったのだろう。
―――だけど、瞳を閉じ大きく息を吐くと、
兄上はルシアナを見竦め、凍るような声を発したのだった。
「だが、お前は、まだ14歳だ。それに、皇女だ。お前が何と言おうとも、お前に手を出したそれは、とうてい許されるものではない。」
「お父、さま!?」
「お前は、ここで謹慎だ。」
それだけ言うとすぐに、無表情に背を向けて客間の外へと出て行く兄上―――その有無を言わさぬ怒声が、開け放したドアから響く。
「―――ランカスト候!! 今すぐ、テオという少年を捕らえてこい。」
「い・・・や! 嫌です!!」
慌てて立ち上がろうとするルシアナを、私は抱き締めて留める。
「ルシアナ・・・!」
「テオはちっとも悪くないのっ!! わたしが・・、わたしがしたことなのっ!! お願い!! もう、会ったりなんて、しないから・・・! テオを、連れてかないでっ!!」
泣き叫ぶルシアナを、私は「ごめん、ルシアナ。」と言いながら、抱きしめ続けた。
読んでいただき、ありがとうございます
序盤から組み込んできた大きな伏線のひとつを回収しました
しかししかし、予想外に
メルゼィ公爵は、書いてくうちにどんどん困った人物になっていってしまいました
はい! これこそ『ずるい大人』です!!
貴方のために私は行動してます、って言っておきながら
何かあったら、原因はするりとおしつけちゃって、自分は悪くないみたいな、ね?
それに、口、軽すぎでしょ
ほんとうは優しくて懐の深い人物になる予定だったのですが;なぜ;
次話、回想から現実へと戻ります