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39.フェルメント帝国の秘宝⑧~メルゼィ公爵邸1

 俺は、イスの姿を追って、長く続く廊下を走った。


 イス様は本気で、もう俺らのところに来ないつもりかも。そんなの嫌だ。

 そう思うと気が急いてくる。


 回廊の突き当たりの窓から見える皇宮正門の馬車乗付場―――そこに見つけたのは、イスの姿。

 広場をぐるりと回った一台の馬車が近づいている。

 周囲に停まる馬車より一回り大きく、乳白色に色を施した特徴的なその馬車は、メルゼィ公爵家のものだ。


 疲れた身体を気力で動かして、正門広場へと走る。


 けれど、そこに着いた時、イスを乗せたと思われる公爵家の馬車は、ちょうど馬車門をくぐるところだった。学校のグラウンドの端と端ほど離れているそれは、加速を始めたばかりで、今の息も切れた俺には、到底追いつけそうにない。


 行き先は分かってるんだし、と馬丁に他の馬車を呼んでもらって、やっと出発したころには、公爵家の馬車は姿形も見えなくなっていた。


「メルゼィ公爵邸までお願いします。」

 御者に告げて、馬車の振動に身を任せる。


 かたかた、ことことと、乾いた路面を比較的軽い音で進む馬車に揺られていると、うつらうつらと眠くなってきた。

 そうだよな。俺、昨日から寝てないし、ちょっとくらい、いいよな。

 窓から差し込む日差しが、また何とも言えずに、眠気をより深くへと(いざな)っていく。




○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○


「お前ら、もう、疲れちゃったか? 大口たたいてた割に、ざまぁ、ねえな。」

 運転席と後部座席の間に張られた薄い布地のカーテンを開けて、助手席から、俺らのプロデューサーが顔を覗かせた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ああ、これは、あれだ。

 デビュー前の(みそぎ)だと言って強行された全国巡業(ツアー)で乗ったワゴン車の中だ。

 脳では単なる記憶だと理解しているのに、動かない身体に、意識だけはリアルに戻っていく。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 この数日、地方のライブ会場を点々としつつ、動画配信を続ける俺らは、アイドルとただの少年、表と裏、そして動と静という風に、何度も自分自身を切り替えなきゃいけないのに加え、狭い車内での長時間の移動に、皆ひどく疲れが溜まっていた。


「鬼」

「鬼デューサー」

「黙れ、おっさん」

と口々に悪態をつく俺ら『アルテミア』のメンバーに、このツアーに同行して、俺らと寝食を共にしている彼は、前方の助手席で、くっくっとくぐもった笑いをした。


「いいか? ()()()()っつうのは、最後は気力と忍耐なんだよ。特にデビュー直後から立場が確立するまではな。24時間休みなく、自分の全てを吸い尽くされるんだから、ブラックもいいところだ。でも、そうでなきゃ、夢は掴めねぇ。」


 スポ根みたいな、くさいセリフだ。

 それに何だ? ブラック労働だ、働き方改革だとテレビで言ってたっけ。

 その道に外れるのがこの世界の正義だなんて、ここに来てあからさまに言って退ける彼と、ある意味それも納得してしまう自分に、ため息が出る。


「はあ、もう分かったから、説教やめろ。うっせぇ。」

 力も籠もらない口でそう唸ると、彼は面白そうに笑った。

「ははっ、甘い甘い。まだまだ、これからだぜ?」


 これ以上もう口を開くのさえ億劫な俺らを見回して、彼は目を細めている。


 対向車のホンライトが、カーテンの隙間から、後部座席で毛布にくるまった5つの塊を巡回していく。


「少しの時間でも寝る癖をつけておけ。ゆっくり休めるのは今だけだ。目を開けたら、お前らを照らすスポットライトが待ってるからな。」


 ああ、ほんとうに、くそくっさいセリフだ・・・。


 カーテンが閉じた気配がして、毛布の下で目をつむると、すぅっと意識が遠のいていった。




○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○・○



「卿、到着いたしました。」

 馬車のドアがこんこんと鳴り、低い男の声がして、はっと意識が戻る。


 スポットライトみたいに眩しい光を感じて目を開けると、窓の外には視界の端から端まで装飾の凝った白壁が立ち、タイミング悪く、その壁で反射した昼光が、俺の疲れた目の上にちょうど刺さっていた。


 ここメルゼィ公爵邸は、皇宮から馬車で1時間弱、都心の街並みから田園の広がりに変わりつつある場所に位置する、もともと皇族の姫君の離宮だった建物だ。

 白と淡い煉瓦色という色合い、繊細に凝らした装飾は、いかにも姫君のための、という華やかさだ。


 ぐっと背伸びして馬車を降りると、公爵邸のいかつい門番が不審そうに俺を見て、ここまで運んでくれた小柄な御者が居心地が悪そうにうろうろとしていた。


 アポもなしに、館の正面に乗りつけたんだから、不審者には違いない。


 怖がらせて申し訳ないことをしたと、多めに駄賃を手渡すと、小さくなっていた御者は、嬉々として街道を戻っていってしまった。


 はあ、帰り、ここから最寄りの乗降場までどのくらい歩かなきゃいけないかな、と憂鬱にもなるけど、まあしょうがないよな。




「私はソウル皇子殿下の使いで、ヒーロクリフ・タシエと申します。イス様がお戻りかと思いますが、お取次ぎ願えますか?」


 正式に名乗る俺に、だが、強面(こわもて)の門番はなぜか、眉間の皺を深くした。


「イス様は、お戻りではありませんよ。」

「へ? えっ、どうして? だって、馬車が。」


 どういうことだ?

 門扉から見える邸の広場には、たしかに、皇宮で見送ってしまった乳白色の馬車が見える。


 すると、門番は「ああ。」と納得したように、その馬車から人を呼んでくれた。

 そして、男の説明によると―――


 イスを乗せた公爵家の馬車は、彼の命でカトレット店に立ち寄った。

 そこで、イスが赤髪の騎士と話をし、その騎士は慌てて走り去る。

 見送ったイスが馬車に戻ろうとしたところで、誰かに呼び止められ、

 一度、馬車に戻ったイスは、こう言った。

「用事ができた。長くなるから、君は先に帰ってくれ。」と。

 そういうことはまあよくあることだったから、彼の指示通り先に屋敷に戻ってきたのだ―――と。



「うわあ・・・、まじかよ・・・。やだ・・・、もう、嫌だ・・・。」


 疲れてる中せっかくここまで来たのに、空振りで。

 乗ってきた馬車は、もう行ってしまったし・・・。


 がっくりと力が抜ける。座り込んで、いじいじと地面に指をついた。

 はあぁ、完全なる骨折り損だよ。この先、どうすりゃいいんだ?


 そんな俺をさすがに哀れに思ってか、それとも面倒に思ってか、門番は、俺を見下ろして大きくため息をついている。



「おや? 何か、あったかい?」


 その時、門扉の奥から近づいてくる、ひとりの中年男性。

 白シャツにワークパンツ、庭仕事をしていたのか手には厚い手袋、という格好だが、耳上で綺麗に整えられたブロンドに、美しい紺碧の瞳。この人は・・・。


「旦那様」

 門番はそう言って、さっと腰を折った。

「こちらの方が、イス様に会いにいらっしゃったのですが、その。」


 旦那様、と呼ばれたその人は、慌てて立ち上がった俺の全身をざっと見て、穏やかな笑みを浮かべた。


 旦那様―――って、つまり、この家の主人、つまり、イスのお父さん、つまり、メルゼィ公爵ってことだよな?


 メルゼィ公爵は、皇帝代理として他国の皇族と関わる行事以外には、政治の表舞台にほとんど関わることはない方だ。

 そのため、姿を直に目にするのは、これが初めてだった。


 現皇帝の弟で、ソウルの叔父で、イスの父。

 皇族特有の華やかな色合いを持っているが、第一印象は「周りに溶け込めるくらいに平凡」だ。


 その人が、自ら重そうな門扉に手をかけると、ぐいと動かした。

 そして、ためらいなく俺のすぐ傍までやって来ると、にこにこと、人懐っこい微笑みを浮かべる。

 近くに立つ公爵は、意外にも見上げる程背が高くて、身体つきも大きかった。


「君、イスに会いに来てくれたの? そうか、こんなところまで、わざわざ悪かったね。どうだい? 帰りの馬車はこちらで用意するから、良かったら私とお茶でもどうかな?」


 まじかっ! なんて、いい人なんだ!

 く〜! しかも、馬車の用意までしてくれるなんてっ!


 現金にも俺は、急に喉の渇きを覚えた。それに、空腹も。


「ついておいで。」

 尻尾も振る勢いの俺を見て、公爵はにっと笑うと、屋敷へと足を向けた。

読んでいただき、ありがとうございます。

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