37.フェルメント帝国の秘宝⑥~恋の歌
前回のソウルの回想話⇒暴動後の店内、ヒイロ視点 に戻ります
「ヒイロさま。今日は、ありがとうございました。そろそろ帰りましょうか。」
店内の割れた雑貨類を片付け、無事だった商品を箱に並べ終わった後、スカートについた埃を払いながら結愛が笑った。
ガラスの割れた窓には、木板を打ち付けたため、今まで外の様子が分からなかったが、時刻はもう夕方も過ぎて夜の時間帯だ。
ランプを持って裏口に向かう結愛について行くと、従業員室の窓から見える外の景色はどっぷりとした灰闇の中だった。
残っている護衛数人と店長に、結愛は言葉を交わして、外に出て行く。
俺も、「おつかれさま。」と声をかけて、彼女を追った。
裏通りは街灯もまばらで薄暗い。
周りを警戒しながら、俺はすたすたと歩く結愛の左隣をキープして歩く。
「そういえば、結局、イス様は戻ってこなかったな。」
店に駆けつけてから午後はずっと、俺は結愛の近くで彼女の手伝いをしていた。
そして、ソウルは、ユーディとしばらく話した後、すぐに皇宮へと戻り、ユーディは入れ替わり立ち替わりする部下の対応に追われていた。
その間中、事件後に外に出て行ったというイスが、姿を見せることはなかったのだ。
「心配、ですか?」
下から覗き上げるように俺を見上げた結愛の顔に、ちょうど街灯の光が当たり、その頬を照らす。
ソウルが頼んでくれたのか、皇宮から医師が治療に来てくれたので、頬の傷は、その一方向からの光で、やっとこ影ができるくらいには目立たなくなっている。
俺はふうと小さな息を吐いて、にっと笑った。
「――――そうだな。心配だけど、まずはご飯にしないか。」
今日はさすがに大変だったもんな。
さすがの結愛もいつもの勢いはなくて、ただ、こくりと頷いた。
裏通りを抜け、大通りを渡ってすぐ、結愛を連れて入った店は、皇都でもうまいと評判のバルだ。
大通りの近くなので治安は悪くないし、騎士や商人といった中流階級の人々を中心に、いつも賑わっている。
『ヒーロクリフ』が、よく出入りしていたため、前世の記憶が戻った俺も何度か利用している。
腕の確かな料理人と人当たりの良い女将がいて、綺麗なのにどこか雑然としていて、街の噂やちょっとした情報なんかも聞こえてくる、そんな店だ。
厚い木の扉が音もなく開くと、中からは叙情的な調べが聞こえてきた。
どうやら、今晩は流しの奏者がいるみたいだ。
ついてるなと、結愛を振り返り見ると、好奇心いっぱいに俺の背から覗き見をしている。
なんだかんだで、初めての二人だけのディナーだし、日本の居酒屋に近いこういうお店の方が、気楽に過ごせるんじゃないかっていう俺の目論見は当たりだろう。
周りから聞こえてくる世間話も、奏者が奏でる音楽も、好奇心の強い彼女との会話のスパイスになるに違いないし、必要以上に変な空気になることもないだろう。
うん、前世でのことだって、カトレット領でのことだって、知りたいことはまだまだたくさんあるんだ。
馴染みのウエイターに案内されたのは、入り口から少し奥まったところにある比較的小さな席だった。
オーダーが終わると、彼は、すれ違い様ににやりと親指を立てていく。
「いい席にしたんだから、がんばれ。」ってところか?
だが、今日ばかりは感謝だな。
たしかに、カウンターと奏者がよく見えて、でも入り口や他のテーブルからは見えにくい。それに、座ると思いのほか結愛と距離が近くなって、どきりとした。
「とっても、いい雰囲気のお店ですね。」
「――ああ、うん。そうだろ?」
「この曲、なんて曲ですかね? とっても、耳馴染みのいい曲・・・。」
少し空いた店の一角で、異国風の織布で作られた帽子と腰布を身につけた、20代半ばくらいの奏者が、竪琴に似た弦楽器を指で鳴らしながら、唄を歌っている。
♩~♪. ♫♩~
いとおしい 君の声
きらきらと 星の瞬く夜
ゆらゆらと 白い波間に
甘く甘く 溶けていく
♩~♪. ♫♩~
「恋の歌、ですね、すてき。」
「ああ・・・、そうだな。」
うっとりと演奏を眺める結愛の横顔に、そんな呆けた相槌を打ってしまって、俺は軽く首を振る。
ちょうど、間を取り持つように置かれたビア酒がひどくありがたかった。
乾杯をして、今日の慰労をして、料理のことなんかをひとしきりしゃべって―――、いい感じで、会話が途切れて・・・。
盛り合わせから3尾目の大きな海老をつまむ結愛を見て、聞いてみたくなった。
「なぁ、ユメちゃんはさ・・・、あっちでは、俺のファンだったって、言ってくれたよね?」
すると結愛は、少し名残惜しそうに海老を皿の縁に置いた後、赤い頬と、きらきらとした目を俺に向けた。
「はいっ!! ファン、っていうのも烏滸がましいぐらいで、ほんと、もう、神と信徒・・・、いや、神と下僕?って感じで、推し神ヒイロさまのために、ほんと、もう」
「う、うん、わかった! ありがとう!! だけどさ・・・・、今はこうやって、一緒にいろんなことをやってさ、こうやって二人でお酒だって飲んでるじゃん? もう、前、とはさ・・・、違うよね?」
「ちが、違いますけど、でも、気持ちは変わんない、ですよ? いつも、応援してますからっ! だから―――」
結愛は、赤い頬のまま、丸い目を潤ませていく。
「うん。そうじゃなくてっ!」
俺はぎゅっと目をつぶり、それから、とっさにテーブルの上の結愛の手をとった。
今日一日の疲れと、ビア酒と、この店の雰囲気と『恋の歌』に、行き過ぎてるかなとは思った。
でも言葉に出してしまうと、もうはぐらかされるのも、一線引かれるのも嫌で、もっとちゃんと向き合いたくなったんだ。
「俺は、さ。もうほんとに、ユメちゃんとは、もっと違う関係に、なりたいんだっ!」
「ちがっ、違う関係!? やですっ! だって、ヒイロさまと私は・・・。」
「ユメちゃん!!」
俺は、彼女の手を引き寄せ、ぎゅっと両手で握りしめた。
『アイドルと1ファンだから』そんな言葉は今は聞きたくないんだ!
「・・・・・!!」
俺のその勢いに、結愛はびくっとして声を詰まらせた。
何とか少しでも、伝わって欲しい、と俺は彼女の瞳をじっと見つめる。
すると、それに答えるかのように、彼女が―――
俺に顔を寄せ、空いていた左手で俺の頬に触れて―――!
ぐきっ
「ヒイロさま。ちょっとあちらを見てください。」
「えっ、え~~~・・・・・。・・・いったい、何・・・・って、イス様?」
結愛が示す先には、店の奥へと向かう二人の若い男性の姿―――、そのうちのひとり、黒いフードをかぶっているけれど、ちらりと見えた柔らかそうな金髪に品のある顔立ち、コーラルブルーの美しい瞳は、たしかに、事件の後にいなくなっていたイス・ド・メルゼィ、その人だ。
「なんで、こんなところに、イス様が・・・。」
「ね? そう、ですよね。それに、もうひとり・・・、あの人もよく見るとイケメンさんですね! もしかして、新たなメンバーさんですか?」
「違う・・・。あれは、カイル・デリートだ。」
すっとした細面に、人懐っこくも見える黄銅色の瞳、ネイビーの髪をゆるくまとめたその男、カイル・デリートは、店のウェイターににこやかに笑いかけて小袋を渡すと、奥の個室へと入っていった。
その後ろに、フードで姿を隠したイスらしき人物が付いていく。
「どうします? 声、かけに行きますか?」
そう言って結愛は、彼女の右手を掴んだままの俺の手をきゅっと握り返す。
「いや。」
あの雰囲気は、気軽に世間話をしにいくような感じでは、絶対にない。
ただでさえ、カイル・デリートといえば、俺らがターゲットとして見ている人物で、しかも今日の襲撃事件で一番疑わしい人物でもある。
そんな奴とイス様が、ここにきて、一緒にいる理由、ってなんだ?
俺は、結愛の手をテーブルの上で握り込んだまま、目を閉じて、ん~~と天井を仰いだ。
「ね、ね? どうします? 覗きに行きます? えっと、でも、今日は納豆砲はないですけどね?」
妙に弾む声と手の上に乗った重みに、がっと目を見開くと
うそだろ? ユメちゃんてば、なんか、わくわくした顔してる~~!?
俺はむぐっと言葉を飲み込んで、テーブルの上、積み重ねられた手の一番上に乗った彼女の左手をぺちんと叩いた。
毎度、読んでいただき、ありがとうございます!
色々と佳境になってきました
また、ヒイロとユメにも、一縷の進展が?
次話もお楽しみに!