25.ユーディ・ランカストの純情③〜楽園の崩壊
俺は、皇城の騎士宿舎で、いつもどおりの時間に目を覚まし、日課の鍛錬を済ませると、白い護衛服を着て、ソウル殿下の私室に向かった。
「おはようございます、ランカスト卿。ソウル殿下は、まもなくおいでです。」
「おはよう。了解だ。」
夜番の守衛兵と、いつもの挨拶を交わして、部屋の外で待つ。
すると直にソウル殿下が姿を現した。
いつもながら、朝日を振り払うほどの眩しさに目がくらむ。
「おはよう、ユーディ。今日も頼む。君たちもおつかれさま。」
いつもどおりの丁寧な労いの言葉をかけて歩き出す殿下の後ろに、ついていく。
――――だけど、今日は少しお疲れの様子だな。
足取りがいつもより重いようだ。
皇族の中のソウル殿下の立ち位置はとても難しい。
この俺でさえそう思うのだから、殿下本人と、ハルは大変なことだろうな。
少し前に、皇太子殿下から降りてきた仕事の一つに、二人がかかりきりになっているのを見ている。
昨夜も、遅くまで起きていらっしゃったのかもしれない。
殿下の肩の動きに目を配っていると、もう執務室だ。
今日は既に先客がいるようで、扉の鍵はかかっていない。
念のため、部屋の中と周囲に注意を払いながら、ゆっくり扉を開けると、部屋の中央の長椅子には、シュー・ホランドが座り込んでいた。
そして、窓際では読書をするイス・ド・メルゼィが。
これはいつもの光景だ。
俺も入口の定位置に就くと、剣の位置を直してから、もう一度部屋内を見回した。
すると、シューの向かいの長椅子の不審なものが目に入る。
俺は思わず腰に差した剣の束に手をかけた。
ピクリとも動かないそれは、この部屋で違和感しかない。
少し、くたびれた色を見せる革靴。
執務机に向かうソウル殿下も、そこで足を止めてしまった。
数歩先――――俺が普段立ち入らない領域に足を踏み入れて、その持ち主を探れば、あごの細いまだ幼くも見える顔にかかる黒髪、地味な装い。
2週間ぶりのヒーロクリフ・タシエだった。
――――帰って来たのか。
ちょうど2週間前、ハロルド・イゼンブルの指示で、ヒーロクリフは、北部のデリート領地に向かっていた。
「気をつけて。」
横を通り過ぎるヒーロクリフに、2週間前なんとなくそう声をかけたら、彼はいつものおどおどした態度で俺を見上げ「あ・・・はい。」とだけ言って、扉を出て行った。
なのに今のこれは、常に周りの目を気にしてびくびくしている彼にしては、ありえない大胆さだ。というより、皇族の執務室でくつろいで居眠りなんて、彼に限らずとも、本来、不敬な行動だろう。
だが、眠るヒーロクリフに手を伸ばす俺を、ソウル殿下は左手で押しとどめた。
「いや、いい。しばらく、待て。」
ソウル殿下には、こういうところがある。
つまり、ふところに入れた者には甘いのだ。
ヒーロクリフだけではなくて、今ここにいるイス様、シュー、俺にしてもつまりは同じなのだ。
「あ~~あ、ヒーロってば、俺、知―らない。」
溜まった書類にいつもどおり目を通し始めたソウル殿下に聞こえるように、シューはそう言って脚を組むと、指でたたたんと太腿を打ち始めた。それはいつものリズムで。
俺は、ドアの前に戻り、剣を直す。
大丈夫だ。ここはまた、いつもどおりの平穏な楽園だ。
――――でも、そう思ったのも束の間のことだった。
まもなくハルが来た後に起こされたヒーロクリフは、いつもとは全然違っていて、そして、よく分からないことを言い始めたのだ。『アイドル活動をしよう』と。
最初は、全く相手をされていなかった。
だけど、いつの間にか、それはシューやイス様、そしてハロルドまでも巻き込んでしまった。
「また、追い出されちゃったじゃないか、ヒーロ。あ、うるさくしちゃってごめんな、ユーディ。」
シューは眉間を指でとんとんとしながら、俺の横を通り過ぎると、皆で楽しそうに隣の部屋に入っていく。
ふと自分の眉間に指を置くと、深い皺が刻まれていた。
そして俺は、今日も皆を見送る。
俺はソウル殿下の護衛だから、ここが定位置だ。
でも時々、彼らの話す内容が気になって、耳を寄せてしまうのは、皆にも、殿下にも気づかれたくなかった。
そして、俺はまた、扉の前でひとり。
執務机でペンを滑らせるソウル殿下を見つめている。
殿下の執務室は、今日も、静かで穏やかだ。
とても静かで・・・、少し落ち着かない。
「ユーディ、どうした?」
ソウル殿下の静かな声が聞こえた。
「いえ。」
俺には関係のないことだ。
俺は、俺の職務を忠実に全うしなければ。
それから数日後、目の前には、必死の顔で俺を見上げるヒーロクリフがいる。
「ユーディ、頼む! お姉さんたちに会わせて欲しいんだ!」
どういうことだ?
俺はこんな頼まれごとは初めてだった。
『会いたい』ってどういう意味だ?
もしかして、ヒーロクリフは、俺の姉さんたちみたいな年上の強い女性が好みなのか?
いや姉さんたちの好みは違う。可哀想だが、ヒーロクリフでは、絶対に合わないだろう。
それに、ヒーロクリフには、カトレット嬢がいるし・・・。
「・・・・・・。」
姉さんのことを考えていると、頭の中がぐるぐるする。
そんな俺に、ヒーロクリフは、慌てて、大きく手を振った。
「ご、ごめん! ユーディ! そんなに警戒しないでくれ!」
「・・・!!」
そうか! 俺、警戒してるのか。
ヒーロクリフの当てはめた言葉がすとんと腑に落ちて、俺は目を見開いたのだが、ヒーロクリフは、俺が機嫌を損ねたとでも思ったのか、身振り手振りで話を続ける。
「あ、あのさ、俺たち今さ、華やかで斬新でイケてるステージ衣装が欲しくって。ユーディのお姉さんたちは、そういうのが得意だって、ハロルドに聞いたんだ。相談したいことがたくさんあるんだ!」
なんだ。衣装・・・、衣装か。
少しほっとしたようながっかりしたような気分で、姉さんたちの顔をまた思い浮かべる。
「私たち騎士にだって、もっと似合う衣装があるはずだ!」
姉さんたちは常々そう言っては、馴染みの仕立て屋に自ら出向いて、自分たち好みの、身体を動かすことが楽で、かつ貴族らしく華やかな服を、作っていた。
そのうち、騎士団の仲間にも見立てを頼まれるようになって、いっそのこと店を持とう、とその仕立て屋から人を派遣してもらって今に至っている。
特に宣伝をしているわけでもなくて、ランカストの人間とその知人ぐらいが相手のオーダーメイドの小さな店だ。
だけど、華やかさも残しつつ、体型や動きの癖に合わせて仕立てられた服は、知る人は知る、一部ではとても高い評価を得ているのだと、騎士団の先輩が言っていた。
俺には、ヒーロクリフの言う『ステージ衣装』というのが、どういうものか分からない。
つい先日、カトレット領から戻ったヒーロクリフが、執務室でやった『バク転』などという激しい動きにも対応できて、かつ見栄えのいい服というのがそうだろうか。
なら、姉さんたちに、というのは納得だ。
俺は、ヒーロクリフを見下ろしながら、頷いた。
「理解した。それでは、姉に伝えよう。」
「ほんとか!? サンキューな! ユーディ! よろしく頼む!!」
そうして、話を持ち帰ったところ、姉さんたちは狂喜乱舞で、試作品を含めた数えきれないほどの服を用意して、今日の日を迎えていたのだった。
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俺は、姉さんたちが用意した衣装を、次々と見事に着こなしていくヒーロクリフを見つめる。
カトレット嬢を囲んで、満面の笑みのパウリー姉さんとティリー姉さん。
たった今日一日ですごく距離が近い、ヒーロクリフとユリアン姉さん。
姉さんたちは、ヒーロクリフとカトレット嬢に夢中みたいだ。
――――俺に期待することは、きっともうないだろう。
俺は、静かにその場を離れ、パウリー姉さんに着せられた衣装を脱ぐと、いつもの護衛騎士の白い制服に身を包んで、襟元のホックを固く締めた。
今回も読んでいただき、ありがとうございます!
ユーディの回想はここまでです
時間が流れていくように書きましたが、散文的になってしまいます
なかなか難しいですね
まだまだ修練が必要なようです・・・。
さて、次話は、ヒイロの視点に戻ります
お楽しみに!