21.ハロルド・イゼンブルの計略⑦~カトレット土産
前回の【あとがきQ】
モーニング会場で、カトレット子爵、ハロルド、俺が、頷いたのは合わせて何回?
【答え】5回
①子爵×1回 ②ハロルド×3回 ③俺×1回
カトレット領ヘの視察を終えて皇都に戻った私、ハロルド・イゼンブルは、その足でソウル第二皇子殿下の執務室を訪れた。
既に日も沈んで閑散としつつある皇宮の中、いつもどおりにユーディの守る大きな木の扉を抜けると、いつもの大きな執務机で書類仕事をしているソウルがいる。
「おかえり、ハル。カトレット領はどうだった?」
手元の資料に休みを入れることなく目を通しながら、そう言って私を迎えてくれるソウルに、私は深々と頭を下げた。
道中、馬車の背もたれに擦れて、毛先が少し絡んだ長い紫髪が垂れる。
「ひとつ、謝らなければならないことがございます。」
「そう。何?」
静かな部屋で抑揚もなく問うソウルの声を聞いて、私は、皇都に戻ってきたことを実感する。
その一方で、カトレット領の、じりじりとした夏の音と人々の喧騒をなつかしく思い出した。
カトレット子爵から持ち出された提案で、直にこの皇都も賑やかになるだろう。
「では、協力者として、こういうのはどうだろう?」
という言葉で始まったあの日の子爵の提案。
要約すると
カトレット領では、既にいくつかの健康食品を大量生産できる体制が整えられている。その健康食品らは、全て領地内での効果実証や安全検証などを終えており、物によっては、健康食品であるにもかかわらず、ピソラ商会の医薬品を効能的に上回る性能を有している。それらを大量に流通させることで、ピソラ商会の市場独占を瓦解し、一気に市場を塗り替える――。
「とても分かりやすいだろう?」
目が輝く子爵を見て、私は、それはそうだろう、と思う。
なんの捻りも裏もない物量作戦だ。
実現すれば、確実にピソラ商会とカイル・デリートには大打撃となるだろう。
不当な製品も駆逐される。
無駄な時間もかからない。
第二皇子陣営だけではできなかった、ごり押しのその提案に、私は内心わくわくした。
同時に、その後のソウル陣営に対する、主に皇室と実家界隈からの風当たりの強さ、それからカトレット領から要求されるだろう対価の大きさを想像して、強く警戒した。
「うまい話には裏がある」のは、定説ではないか。
「協力の対価として、それに見合うものを、我々が用意できるとは思えません。」
分かりやすい理由をつけて渋ってみると、カトレット子爵はにやりと笑った。
「対価? さっき、貴方が言ったではないか。『皇都の様子を報告する』と。」
視線の先が向かいの席のヒーロに流れるのを見て、優秀な子爵なのに、大事業と釣り合うほどに、そんなに娘が大事か? と不思議に思う。
そんな私の目の前では、人身御供となるかもしれない当のヒーロは、先の提案に興奮が続いている様子で、私と子爵で内々で交わした取引にも、全く気づいていないようだった。
「――――まあ、それは抜きにしても、正直に言うとそろそろ限界だったんだ。ユーミランのことを、この領内で納めきるのは。広がらざるを得ないなら、一番良い形で、と常に思っていた。だから、娘自ら身を寄せた貴方方の下でなら、こちらこそ、ベストなんだよ。」
その言い分なら、分かる気がした。
疲れたように耳の後ろを指で擦るその姿に、裏表はないように感じる。
それじゃあ後は中央のリスクだ、さてどうしようか。
と思案していたら、ヒーロが、突然熱く語りだした。
「ハル! すごいじゃないか! だって、想像してみろよ。ユメちゃんが考えたすごくいい物が、子爵と、この領地の力で作られて、俺らの力で、皇都で大々的に売り出すんだぞ!? しかも、それが、ソウ様の仕事の役にも立つなんて、こんなにすごいことってないよ! ウィンウィンだよ!! なあ、知ってるか? 皆がそれぞれお互いの力を信じて、力を出し切ることができたら、すげぇ自由で強いチームになるんだ!! 限界だって超えれるんだぞ!」
無駄にきらきらした顔で語りかけるヒーロに、一瞬、昨日のステージの熱気が重なって、うっかり頷きそうになる自分に、はっとした。
ウィンウィン、ってなんだ?
なんで、そんなに簡単みたいに言うんだ・・・、お前いったい何なんだ・・・。
「あ~~、タシエ卿、熱くなってるところ悪いがね、『ユメちゃん』、ていうのは、つまり、うちのユーミランのことかな?」
額にまた筋を立てるカトレット子爵に、しまったみたいな顔をするんじゃないよ、ヒーロ・・・。
一生懸命に弁明しているヒーロを眺めながら、私は頭の中で思考する。
ヒーロクリフ・タシエという男は、この貴族社会では、とても生きにくい立場だ。
領地を継げる嫡子でもなく、学識や体格が特別優れているというわけでもないから、皇宮で要職に就くのも難しい。そんな力のない男に婿入りを望む家もなかなかないだろう。
ヒーロ自身もそれを十分に自覚していて、ただ、周囲の状況から自分の役割を理解して卒なくこなす、そういう生き方をしていた。
ソウ様が彼を懐に入れると決めたときは、正直、理解しづらかったのだが、一緒に仕事をしてみると何故かとてもやりやすかった。私の欲しい情報を、ちょうど程よく提供してくる。
質問に対する情報量も豊富だ。
と、私はヒーロに対して一定の評価をしていたのだが、それにしても、こんなにはっきりと意見を言う人物ではなかったのに、『アイドル』というものを語り出したあの時から、どうも様子が違う。
良くも悪くも、今までソウ様のために築き上げてきたものをかき回す。
イス様も、シューも、そしてカトレット領も、巻き込んでしまった。
だけど、昨日の夜の『ライブ』のヒーロを見た時から――――、私はどこか、納得してしまったみたいだ。
そうだな、ここまで来たら、私たちも変わらなければいけないのだろう。
もう、臆病に火の粉を避けているだけでは、だめなのだ。
私は、まだ、がやついている二人に意識を戻し、カトレット子爵、と呼びかけた。
「この提案、ありがたく思います。ご助力を、いえ、共に力を尽くします!」
すると、二人は互いに視線を合わせた後、妙に息が合った様子で、子爵は「やっとか。」と笑い、ヒーロは「ハル!がんばろうぜ!」と目を輝かせた。
ああ、そうだな。
お前は私に決意をさせたんだから、せいぜいがんばってもらおうか。
私がこんなことを思ってることも知らずに、ヒーロは「ああ、よかったなぁ。」と無邪気に笑っていた。
「・・・そういうわけで、私の一存で決めてまいりました。御身に危険が及ぶ可能性があります。誠に申し訳ありません。」
私は、もう一度、深々と頭を下げた。
彼の元に就いてからこれまで、私の提案がソウ様に否定されたことは一度もない。
ソウ様にとっては、皇太子陣営側にいた私は信用しきれないだろうに、最初から私に対するソウ様の態度は一貫して変わらない。
それが嬉しくて、私は彼が、少しでも危険なく動けるようにと、行動してきた。
だけど、今回の件は私らしくない行動だろう。
警戒されても仕方ないと息を詰める。
だけど、ソウルは、持っていたペンを机に置くと、すっと立ち上がり、私の前まで来て微笑んだ。
「ハルが、カトレット領に行くと言った時から、何か変わるんじゃないかって予感はあったんだ。・・・そうか。でも、予想以上にすっきりとした顔をしているから、良かった。」
カトレット領の取引についても、私の独断についても、これからのことに言及することもなく、私の身を案じているかのように言うソウルに、私は真意を読もうと、彼の濁りのないアイスブルーの瞳を見つめた。
「ふっ、何? 珍しい表情。ハルなのに、とまどってるの?」
綺麗に笑うその整った顔は、怖くもあり、優しくもあるのだけど・・・。
「・・・もしかして、からかっていらっしゃるので?」
「さて、どうかな?」
背後の執務机に腰を凭れかけ、笑顔のまま腕を組むソウルに、私は、父上とは少し違う意味で、この人には敵わないな、と感じてしまう。
「ふふっ、だけど、ヒーロとユーミラン嬢はすごいな、ハルがこんなに素直な様子を見せるなんて。」
「ごほっ、やっぱり、からかっていらっしゃるんですね。」
「いや、そんなことはない。ハルは、いつも気難しい顔をしてるからね。本当によかったと思ってるんだ。」
気持ちが良さそうに目を細めるソウルに、私は、もう一度頭を下げた。
表情を読まれたくなくてそのまま下を向いていると、ぽんぽんと肩を叩かれる。
「――これからも、よろしく頼む。」
優しい声音に顔を上げると、綺麗な笑顔がそこにあった。
言葉と表情どおりに疑いなく俺のことを思っていてこうなのか、それとも演技なのか、やっぱり、この人は底が読めないけれど。
ふるふると首を振って、私も負けじと口角を上げた。
「不在の間にずいぶん溜まりましたね。お手伝いしましょうか?」
執務机の上、山になった書類に視線をやると、ソウルは首を傾けながら、はあとため息をついた。
「いや、今日はもういいよ。これから、家に帰るんだろう、それを持って」
応接用のテーブルの上、私が持ち込んだ箱を見て、ソウルが言った。
ああ、そうだ、これは・・・。
「ハロルドさま、これ、お好きですよね? 是非、お土産にお持帰りください。」
領館を出るときに、そう言ってカトレット嬢が差し出した箱には、あの夏祭りの夜に提供されていた『冷や奴』が並べられていた。
中から冷気が上がってくる。魔術具で冷やしてあるのだろう。
思わずごくりと喉が鳴った。
正直、あれは、とても美味しかった。
さっぱりしてて、あっさりしてて、とろけるようで。
そしてあのソースと少し辛い添え物の調和も絶妙で、ビア酒のつまみに最高だった。
私は内心ほくほくしながら、それを受け取ろうとして、ふと思い出す。
そういえば、リシャがお土産に欲しいと言っていたものがあったな。
健康食品と言っていた『あれ』だ。
健康食品というからには、これから取引するもののひとつかもしれないし、私の味覚では受け入れられないけれど、リシャたち令嬢には、もしかすると好まれるのかもしれない。
自分ひとりの考えに固執したら上手く行かないってことを、私はここで学んだばかりだ。
――――――ならば。
「カトレット嬢。できたら、これを、以前教えてくれた、あの白い箱に入っていた健康食品に変えてもらえないか?」
思い切ってそう言うと、彼女は黒糖色の瞳を丸めた。
「・・・まあ! まあ、ハロルドさま! もしかして『納豆』ですか!? それは、絶対、超オススメです! 慣れたら絶対に美味しいですから!」
「・・・そうなのか。まあ、思い込みは良くないかと思ってね。」
「そうです! 食べず嫌いって、大抵思い込みですものね。」
いや、そういう思い込みではないけどな、と私は苦笑いをする。
でも、あえて否定する必要もないだろう。
今回ユーミラン嬢には、とてもお世話になったのだから。
領地を繁栄させるほどの高い能力を持つ立派なご令嬢だ。
皇子妃となるうちのリシャの話し相手としても、意外に良い人物なのではないかな。
「ありがとう、ユーミラン嬢。」
「ふふっ。どういたしまして。」
そう言って笑った健康で艶やかな白肌に浮かぶえくぼが、とても魅力的だと思ってしまったのは、私の心の中だけに納めておくことにしようか。
『納豆』の白い箱がずらりと並んだ少し大きな箱を両手で持って、リシャが喜ぶ土産話ができそうだと、私は足並みも軽く、ソウルの執務室を後にした。
◆◆ ハロルド・イゼンブルの計略 fin ◆◆
『ハロルド・イゼンブルの計略』は、ここで完結です
ハロルドの思考を書き始めると、ただただ長くなってしまい、
読みにくいところもあったでしょう
そんなハロルドの回もなんとか終わりを迎えることができ、ほっとしています
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【あとがき小話】
さて、イゼンブル家に帰宅したハロルドの翌朝
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リシャ「まあ、ハル兄さま! 帰ってらしたのですね?」
ハル「ああ、リシャ。ただいま。」
リシャ「カトレット領は、いかがでした?」
ハル「とても良かったよ。そうだ、リシャの欲しがっていた健康食品、もう暫くしたら、皇都でも大々的に売り出されることになると思うよ?」
リシャ「まあ、本当ですの!? 楽しみだわ。」
ハル「実は先に一箱もらってきたんだ。朝食に出してもらうように頼んであるよ。」
執事「・・・ハロルド様、本当にこれを出してもよろしいので?」
ハル「ああ。・・・?? リシャ、どうしたんだ?」
リシャ「・・・・・!!?? やっ、な、なんですの? これ!?」
ハル「リシャの言ってた『健康食品』だろう? 白くて四角い・・」
リシャ「ち・・違いますわっ! こんなの、む、無理ですわっ!私の言ってたのは、白くて四角くてぷるぷるしてて冷たくてっ・・・」
ハル「・・・・・・!!?」
『思い込み』に気づいて、へたり込むハロルド
箱の中身を入れ替えてもらったことに激しく後悔しましたとさ