17.ハロルド・イゼンブルの計略③~カトレット子爵の矜持
前回の【あとがきQ】
ハロルドの父が、ディナーの席で『飲み干したビア酒』は何杯でしょう?
【答え】6杯
①給仕開始直後~空になったグラス ②給仕がなみなみと注いだ直後ぐいっと仰ぐ ③給仕に視線を送ってまた空いたグラスに~ ④注いだばかりのグラスをさっと持ち上げ、美味しそうに喉を鳴らしていた ⑤新しく注がれたビア酒をごくりと一口~飲み終えたグラス ⑥最後の一杯だと、給仕に注がせたビア酒(ハルが席を立った時点では啜っていただけですが、当然飲み干しています)
それでは、本編をどうぞ
「ほら、みてください! ヒイロさま、ハルさま! 我が領が誇る大規模農園です!」
「うおおおお、すげぇ、でっけぇぇ!!」
開け放った馬車の窓からは、夏の眩しい日差しの下で、広大な丘一面に波のように広がる綺麗な緑の畝が見える。
畝の間には、点々と農夫たちがいて、馬車道沿いの一定区間ごとに作られた水場兼休憩所では、女性たちが楽しそうにおしゃべりをしている。
「少し、止まってもよろしいですか?」
そんな休憩所の一つにさしかかったところで、そわそわした様子の結愛が言った。
ハロルドが頷いて、御者に合図を送ると、馬車は緩やかにスピードを落として、その休憩所を少し過ぎたところに止まった。
エスコートも待たず、飛び降りるように馬車を出た結愛は、通り過ぎた休憩所の近くから広い農園を見降ろしている人物に向かって、駆け寄っていく。
その人物は結愛の足音に振り返り、表情を柔らかく緩めると、大きく腕を広げた。
「パパ! 私、帰って来たわ!!」
その腕に、駆け寄る結愛は両手を大きく広げて飛びついた。
「ユーミラン! 愛しのマイハニー!! 元気だったか!?」
『パパ』と呼ばれたその男は、腕の中に納まった結愛を、勢いのままぐるぐる回し、そっと地面に降ろす。
風に揺れる榛色の髪に、結愛とよく似た黒糖色の瞳。貴族っぽくない気安さを感じさせる壮年の男性は、今にも蕩けそうなほど破顔していた。
その顔が、結愛に続いて馬車から降りた俺とハロルドを視界に捕らえると、一瞬警戒したように眉を寄せ、瞬間すぐに心優しい父親の顔になった。
「なんだい、ユーミラン。お友達というのは、彼らかい?」
『パパ』の腕に手をかけたまま、くるりと俺らを振り向いてにこりと笑う結愛のえくぼと、淡く日に焼けた贅肉の少ない頬に窪む影が、おんなじ配置だなぁ、なんてぼんやり思って眺めているうちに、俺らは、彼らのすぐ近くまで歩を進めていた。
「お父さま。ハロルド・イゼンブルさまです。」
「ハロルド・イゼンブルと申します。このたびは、ご訪問をお許しいただき感謝します。」
そう言って右手を差し出したハロルドに、結愛の父は、笑顔で右手を重ねた。
「ヨナス・カトレットです。ようこそ、イゼンブル卿。」
「そして、こちらがぁ――――、ヒーロクリフ・タシエさま♥ です♪」
染まった頬に手をあてて、もじもじする結愛。
ぎゅんと俺に視線の矛先を当てて、笑みを深める結愛の父、カトレット子爵の、前髪を上げた広い額には、一筋の血管が浮き出ていた。
な、なんだよ? その紹介の仕方ぁ!?
頭を抱えたくなる気持ちを鎮めて、おそるおそる差し出した右手は、性急に、子爵の日焼けて皮の厚くなった手に、ぎゅうっと握り込まれた。
「そうか、君が、ヒイロくんか。話は、色々聞いているよ。」
一体、何を話したの!? ユメちゃん!?
「まぁ、楽しんでいくといい。歓迎しよう。」
その言葉と共に、握られた手の痛さにびくりとして視線をあげると、子爵の顔には、ぎらりと好戦的な笑みが浮かんでいた。
――――この旅、一体、どうなるんだ!?
そんな、波乱の予感に満ちた出逢いを終えて、カトレットの領主館に入った俺らは、それぞれ客間に案内された後、早めの夕食をとることにした。
夕食は、皇都の一般的な食事より、芋や豆が多く、素材を生かしたシンプルな味付けで、なんだか懐かしくもあるそれらの料理を、結愛は「美味しい、美味しい」と言っては頬張り、カトレット子爵はそれを嬉しそうに眺めていた。
そして俺とハロルドも、皇都のことや道中の様子などを話し、終始穏やかな時間を過ごした後、子爵にサロンに誘われたのだった。
「ところで、ここに来た本題は、何なのでしょう?」
というストレートな質問を投げられたところから、その場はスタートした。
俺が見守る中、ハロルドは、暗めの照明の下、都会の夜のような紫の髪を耳にかけて、モノクルにそっと触れると、優雅に微笑んだ。
「ご令嬢の報告書を読ませていただきました。カトレット領の品質の高さは、以前から着目していたのですが、その根源をぜひこの目で見たいと、思ったのです。もしよろしければ、領内視察をお許しいただけませんか?」
「視察・・・ですか。」
子爵は、膝の上に置いた右手の人差し指で、とんとんと二回リズム良く膝頭を叩いた。
「まあ、それは別に構いませんが・、きっとユーミランが上手く案内するでしょう。・・・ですが、私が腑に落ちないのは、何故今わざわざここに貴方様が、ということです。」
真っ直ぐに向けられた子爵の視線に、ハロルドは特に表情を変えることもなかった。そのため、子爵は話を続ける。
「―――イゼンブル卿、先程おっしゃられたように、あなたであれば、着目をした時点で、わが領の調査は終えているはず。そして今まで何も沙汰がないということは、我が領の国事への影響はさほどないということで処理されたのでは? ですが、わざわざ貴方様が時間をとってここに足を運んだ。それに、私に対して、ずいぶんと神経を尖らせているようだ、先ほども今も。」
淡々と語る子爵に、目を瞠ったのは、ハロルドの方だった。
子爵はそれを見て、日に焼けた顎を手の平でさっと撫でるように触ると、腕を組み瞳に挑戦的な光を宿す。
「私を計っておられるのか? それとも試しておられるのかな?」
今までの丁寧な態度がなりを潜め、余裕のある笑みを子爵が浮かべると、ハロルドは都会的な微笑みで返した。
「―――ひとつ相談を持ってまいりました。しばらく様子を見てからと思っていたのですが、話が早くて助かります。」
やべぇ、俺の割り込む隙が全くねぇぞ?
キャッチボールみたいな二人の主導権争いを視線で追うことに限界を迎えた俺は、居心地が悪くなって目の前の紅茶を啜る。
かちゃりと立てた音に、二人はちらりと俺を見た。
うっ、俺、もうここから出ようかな。何の役にも立たないし。
残りの紅茶をごくごくと喉に流している俺の横で、ハロルドが少し身を乗り出し先を続けた。
「必ず領地の利益になります。私の提案にご協力をいただきたい。」
ハロルドはまずそう切り出すと、ある商会が販売する製品の幾つかを検証してほしいということ、そのかわりに、幾ばくかの支援金について便宜を図る、と話していく。
受ける子爵は、不機嫌そうに腕を組んだまま、右手の人差し指を、とんとんとんと動かしていた。
「私に、貴方の思惑で動けと? それとも、それは中央の意思かい?」
指の動きが止まったそこには、優しい領主の顔はなかった。
「何が領地の利益かを考えるのは貴方でも中央でもない。領主の仕事だ。私たちはそうやってこの領を豊かにしてきた。私はそこに矜持を持っている。貴方は肝心なことは何も明かさないまま、『領地の利益』なんて詐欺めいた言葉で、私を動かそうとするつもりか? 私は、都会から来た若造の知恵に、ただ踊るつもりは、ないんだよ。」
その言葉に、ハロルドは、かっと、ダークレッドの目を見開いた。
子爵の口調は確かに厳しい。でも、それだけじゃないような・・・。
俺は、カップを戻して、小さく息を吐いた。
今回も読んでいただき、ありがとうございました
【あとがきQ】
カトレット子爵が、右手の人差し指で身体を打った回数は?