15.ハロルド・イゼンブルの計略①~旅立ちの白い箱
逢七です
こんばんは
今回から、知能担当ハロルド・イゼンブルのお話です
ここは、フェルメント帝国第二皇子――ソウル・ド・フェルメントの執務室。
この部屋にしては珍しく大きく開け放った窓から、夏の乾いた風が吹き込んでいた。その風は、中にいる人々の前に漂う不穏な空気を、爽やかに洗い流していくかのようだ。
俺は、ヒーロクリフ・タシエ。
帝国の中央都市群と西部穀倉地帯のちょ~うど中間に位置する、極小領地の領主である超貧乏伯爵家の四男だ。
俺の仕事は、皇都各地、そして帝国各地から、ソウル殿下が求める情報を集めてくること――――いわゆる『使い走り』ってやつだ。
そんな俺に、日本で史上最強と言われるアイドル『本庄陽』の記憶が宿ったのは、数ヶ月前のこと。
同じく転生した陽の元ファン『結愛』、改めユーミラン・カトレット嬢と一緒に、この世界で、ソウル殿下陣営のメンバーを『アイドルグループ』としてプロデュースしようと決意した。
そうして、俺と結愛が、時々メンバーのイスやシューも交えて、執務室内でもしゃべってたら、ある時、ソウルの右腕であるハロルドから、「今日からここを使え。」と、元々は書庫だった隣の部屋へと追い出された。
そして、いつの間にか、その部屋は、結愛の作った奇妙な道具が積まれた、俺たちの溜まり場となっている。
そんなわけで今日も、その溜まり場に入ろうとしたところに、ハロルドから声をかけられたのだ。「今日は執務室で構わない。」と。
そうして今、ソウルの大きな執務机前のソファには、扉の前にいる護衛のユーディを除いて、俺を含めたソウル陣営のメンバーが勢揃いしている。
いつの間にか、ちゃっかり馴染んでしまった結愛も、違和感なく―――。
ハロルドが煎れてくれた香り高い紅茶の入ったカップを手に取り、俺はちらりと周囲に目をやった。
優雅な動作でカップに口をつけるソウルとイス。
カップから立ち上がる香りに表情を緩めるシュー。
にこにこと笑顔の結愛。
それから、皆の前に並べられた、小さくて白い四角の箱たち。
これは、ついさっき、「ちょうどよかった」と言って、結愛が並べたものだ。
俺だけはその中身を知っている。
給仕を終えたハロルドが腰を降ろしたところで、ソウルが言を発した。
「ところで、これは、なんだ?」
「まずは、開けてみてください、こう、パカッと。」
結愛は自分の前の箱を一つ左手に乗せ、右手の平で薄い蓋を掴んで開けた。
続けて箱を開けたシューが、中身を凝視する。
「な、何これ?」
「何って、納豆という食べ物です。健康食品なんですよ?」
「食べ物だって!? 色も見た目も、ぜっんぜん、美しくないんだけど!? それに香りも・・・。」
シューは、一瞬だけ顔を近づけてから、ぐいぃと大きく顔を逸らした。
「ごめん、俺には無理だぁ。」
予想通りだ。
そりゃあ、そうだろうなぁ、と俺はため息をついた。
2週間ほど前、「ヒイロさま、試食モニターお願いします!」と言って手渡されたのが、この『納豆』。
箱を開けて食べてみたら、前世と遜色ない、確かに納豆だった。
正直、白いご飯が欲しい。
「でも、意外といける。」と、もくもくと食べ進める横で、結愛が話し始めた計画を聞いて、俺は慌てて口を挟んだ。
「それ、本気か? 本気で、ソウ様たちに食べてもらうつもりなのか?」
「はい。だって、私とヒイロさまは、言うなれば日本人からの転生者。納豆だって、馴染みの食べ物です。やっぱり、この世界の住人の好みだって、ちゃんと確認したいので。」
不安な俺とは逆に、結愛はこともなげに言う。
「や、それは、別にいいんだけど・・・なんで、ソウ様たちなんだ? 無理だろ。」
なんといっても、彼らは、最高峰に舌の肥えた高位貴族の子息たちだ。
「だって、うちの領地でできることは、もう終わったんです。健康調査も問題なかったし、平民向けの製品も出来てます。あ、うちの領地じゃ、販売数もぐんぐん伸びてるし、領民の健康状態にも寄与してるんですよ! だから、次は、貴族の皆様の嗜好を知りたくて。」
うきうきと説明する結愛に、反論もできず、今日のこの場だ。
ああ!! あのときの俺、どうして、ちゃんと止めなかったんだ!?
皆の視線がサクサクと刺さるなか、懺悔する気分で沈黙する俺とは対照的に、結愛はイキイキと話し始めた。
「ぜひ、この報告書をご覧ください! 原材料、製造工程、製造体制と環境、それから、カトレット領での健康調査の内容と結果に、そのフォローアップです!」
結愛が両手で差し出したそれをハロルドが受け取り、ぱらぱらと目を通していく。報告書の途中で手を留めては、じっくりと読みこんでいるのは、珍しい。
「――カトレット領では、いつも、こんなに細かい検証を・・・?」
ハロルドは、片眼鏡の位置を左手でさっと直すと、その奥にある切れ長のダークレッドの瞳を、鋭く結愛に向けた。
それに対する結愛は、余裕たっぷりの微笑みを浮かべる。
「ええ、『健康食品』と謳うのですもの、当然ですわ。万が一があれば、信用問題に関わるでしょう? それに、わが領のブランドは、常に高品質を誇っていますもの。」
なんか、ユメちゃんが、すげぇ、本物の貴族令嬢みたいにしゃべってる!
俺が変なところに感心して見つめる中、ソウルに報告書を手渡したハロルドは、口元に手を当て何か考え込んでいた。
――――それから、ゆっくりと口を開く。
「ここ近年のカトレット領の発展は、気になっていました。
――――カトレット嬢、よろしければ、あなたの領への訪問を認めてもらえないでしょうか。」
そう言ったハロルドに、報告書を開いたソウルと、白い箱を開けているイスが、一瞬動きを止めた。
「もちろん、歓迎いたしますわ。あ、ヒイロさまも一緒でよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ。」
笑顔の二人の交渉はスムーズに進み、なぜか俺の意思は関係なく、俺の同行が決まってしまった・・・。
まぁ、当然行くけど。
「ほかにも、条件があれば、お聞きしますよ。」
微笑みのままそう言うハロルドに、結愛はぽんと手を合わせると、
「そうですね。――――でしたら、大切なことが、ございます!!」
ここぞとばかりに、真剣な表情で身を乗り出した。
そして、テーブル上の箱を二つ手にとると、パカッと蓋を開いて、ハロルドの目の前に差し出したのだった。
「こちらの納豆、まずはひとくち、お食べください!! こちらが、大粒の豆を浅く発酵させ、豆の風味と食べやすさを重視したもの、そしてこちらが、小粒の豆を長めに発酵させて粘りと香りを強くしたものです。数ある中から、厳選して持ってまいりました。――どうぞ!!」
結愛の勢いに二つの箱を受け取ってしまったハロルドは、その一つをソウルに横流ししようとして拒まれ、仕方なく膝前に並べていた。
そしてソウルは、無言ですっと立ち上がり窓辺に寄ると、普段は盗聴を警戒して開くことのない窓を、大きく開け放つ。
そんな中で、ティースプーンで掬い出した納豆から滴る粘りを、しげしげと眺めていたイスが、ふいに、それを口に運ぶと、もぐもぐと口を動かした。
「・・・ん。これ、意外にいけるよ。面白い食感と香りがする。」
「・・・・!!?」
ハロルドたちがぎょっと目を見開き、結愛は「イスさま、素敵!!」と黒糖の瞳を輝かせた。
さすがだ、イス様! 『面白いもの好き』と自称するだけはあるんだな。
「レディのお誘いには、ちゃんと応えないと。な? ハル?」
イスはそう言ってパチンとウインクすると、白い箱を前に固まるハロルドをにやりと挑発したのだった。
大きく開いた窓からは夏の乾いた風が吹き込み、テーブルの上に漂う不穏な匂いを、爽やかに吹き流していった。
読んでいただき、ありがとうございます!
次話もお楽しみに
※新パートは、クイズ付きです
【あとがきQ】
ソウルの執務室で開けられた『白い箱』の数はいくつでしょう?
答えは、次話で