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第一章 拾集

摂氏千六百度にもなる溶解窯の坩堝(るつぼ)の中では、ガラスの素地が液状になり、オレンジ色に光っている。調合されたバッチの主な原料は珪砂(けいしゃ)、石灰、重曹、酸化金属、そして回収された廃瓶を砕いたカレットだ。

軍手を嵌めた手がその中へ吹き竿を入れ、どろどろとした素地を巻き取る。先端に留まる火の玉のような小さなガラス種は、下玉と呼ばれる。

下玉の形を整えるには、濡らした新聞紙を幾重にも重ねて作った紙リンを用いる。溶けた飴のように柔らかい塊は、まだ熱を持って光っている。

もう一度、下玉を坩堝の中に入れて溶けたガラスを巻き取り、一回り大きな上玉を生成する。何度か繰り返す間、決して手を止めてはならない。端正な作品にするには、常に一定の速度で回し続ける必要がある。

出来た上玉を型に嵌め、竿の反対側から息を吹き込み、さらに目的の大きさと形へ近付けていく。今回の作品は人気の高いタルグラスだ。片手で持てるほどの大きさになると、職人はその根元を金ばしでくくり、吹き竿から取り外せるようくびれを作った。

この時には既にガラスは冷め始めて、オレンジ色の光の塊から、透き通った姿が顔を出している。そこで、今度は素地を調合する坩堝とは別の、加熱用の成形窯で温め直す。この焼き戻しの工程は、およそ二十秒おきに繰り返される。

柔かさを取り戻した玉に木べらを宛て、平らにならすよう底面を作っていると、一人の職人見習いが駆け寄ってくる。同じく軍手を嵌めた手には、小さなガラス種をつけたポンテ竿を持っていた。


カーン! と高い音を立てて、くびれから先が切り離される。ガラスはポンテ竿に移され、再度成形窯で焼き戻した後、順番を待つ客の元へと運ばれる。

椅子に座り、熱避けの膝掛けを着けた客は、興奮と緊張の入り交じった表情でそれを受け取った。

「あい来た! 焦らないでー」

職人の補助を受けながら、指示に従って慎重にポンテ竿を転がす。片手に持った金ばしの先を玉に差し込み、切り込むようにして、飲み口となる部分を広げていく。

「いいですよー。じょーとー、じょーとー!」

活気のある声と気さくな交流が、小さな工房には溢れていた。


木製の看板を掲げた琉球ガラスの工房〈大城硝子(おおしろがらす)〉は、沖縄本島の最南端・糸満市にあった。西部に東シナ海を臨む地域で、那覇から訪れる際は、内陸の国道三三一号線を南下する形となる。

漁師町として栄えた沖縄南部の海岸線は、第二次世界大戦中の日本で唯一、地上戦が繰り広げられた場所だ。中でも摩文仁丘(まぶにがおか)は、最大の激戦地および終戦の地として国定公園に指定され、沖縄平和祈念公園と名付けられるに至った。

一九五二年に創立した琉球政府は、戦後の復興、行政および経済の合理化を測り、一町三村の合併によってこの地域に糸満町を誕生させた。 一九七一年の市制施行からは糸満市となり、翌年に日本への返還を経験している。

八〇年代には新たに埋め立てによって土地開発を進めるなど発展を続けてきた。そんな糸満市の伝統工芸こそ、琉球ガラスである。


通りに面したガラス戸の中には、受付の女性従業員が座っている。年齢は五十がらみで、白髪の混じり始めた髪をカールさせ、金縁の眼鏡を掛けていた。胸には『ひさ子』と書いた手作りの名札を着けている。

小さなテーブルに置かれた電話が鳴ると、素早くそれを取り上げる。深紅色の口紅を塗った唇が、

「はいたい。大城硝子です」

と告げた。そしてすぐ、業務的な愛想から自然な声色に変わる。

「えー、金城さん! ちょっと待ってねー」

二、三、会話をした後、保留に切り替えて内線を繋ぐ。


ひさ子が顔を上げると、そこに、一人の男性が外から手を振っていた。

三十代半ばで、アロハシャツに似たかりゆしウェアを着、首には麦わら帽子の紐と、一眼レフカメラを提げている。カメラに取り付けられたベルトは昔ながらのミンサー織りで、足元は膝丈ズボンに島草履(ぞうり)だった。


工房の作業場は、受付から入り、廊下を横切った先にある。コンクリートと折板トタン屋根の造りで、屋根が高く、ガレージのように一面が抜け、今日のような晴れの日にはアコーディオン式のスチールシャッターが開放されていた。その先はアスファルトで舗装された駐車場へと繋がる。

作業場にはガラス工芸に欠かせない三種類の窯と二つの作業台をはじめ、道具を載せたスチールラック、ワゴン、自立式扇風機、バケツやドラム缶といった設備が乱雑ながらも動線を確保している。壁際に置かれた台には、耐火ボードで囲まれたガスバーナーも設置されていた。

黒いTシャツを着た従業員が、その間を縫って働いていた。頭や首にタオルを巻いてこそいるが、顎やこめかみからは拭いきれない汗が滴る。

五名ほどの客が入口に近い壁沿いのベンチに一列になって座り、順番を待っていた。今日は週末という事もあり、体験客の人数は多い方である。その後ろにはホワイトボードが吊られ、『吹きガラス体験』の文字の下に、グラス、皿、一輪挿しといった作品の形状が手書きで書かれていた。


工房主の大城(やすし)も、坊主頭に汗を浮かべながら、腕を組んで様子を見ていた。その後ろから、かりゆしウェアの男性が近寄り、肩に飛びかかる。

「や、す、し、さーん!」

「あいっ!」

驚いて振り向く靖だったが、色付き眼鏡を掛けた人懐っこい笑みを見るなり、すぐに笑顔を浮かべた。

「めんそーれ沖縄!」

歓迎の挨拶を交わし、呼びかける。

「えー、ちょっと聞いてくれ! そこの手は止めなくていい。空けられたら集まって」


すぐに、体験教室の担当者を除いた従業員が集まって来た。年齢は二十代から六十代、全員が男性で、人数は五人足らずだ。

「今日からここの工房の取材なさる、貝原(かいばら)義史(よしふみ)さん。東京から行かれた」

靖から紹介を受けた義史は、嬉しそうに口角を持ち上げた。

五加(ごか)出版のよっしーです。しばらくご厄介になります」

硬めの黒髪を耳が隠れるほどの長さに伸ばし、サングラスのような眼鏡を掛けた様相は観光客と見まごう装いだが、名刺を一人ずつに配り、国内外の工芸を扱う季刊誌『金銀工藝』の取材だと話した。

靖は両手を腰に宛てがい、話を続ける。

「という事で、これから二ヶ月──」

「二週間です。二週間」

義史は人差し指と中指を立てて訂正しつつ、

「やだなあ、靖さん。居られるならいくらでも居ちゃいますよ、俺」

と、笑顔を浮かべ、調子よく返した。靖も機嫌よく笑い、それぞれを持ち場に戻らせた。


挨拶もそこそこに、義史が話し始める。

「いやあ、ほんとありがとうございます。こんな取材引き受けてくださって」

「いいよー。よっしーの頼みさー」

大柄で筋肉質な靖が、拳でどんと自身の胸を叩いて見せた。対して細身の義史も嬉しそうに顔を輝かせる。

「やっぱ優しいんだから! 行き逢えば兄弟(イチャリバチョーデー)でしたっけ? 一回しか会った事ないのに、すごく居心地良いもんなあ」

「えー、一回きりだっけー?」

「そうですよお。俺が前に沖縄来た時以来っすもん」

軽妙な会話を続けながら、首に掛けていたカメラを取り上げ、操作をする。

「でも良かった。ガラス工芸と言えば琉球ガラスって、俺ずっと──」

話を遮るように、ガシャン! と大きな音がした。順番を待つ客と義史が音のした方へ視線を向ける。


作業場の隅で、一人の少年が、空き瓶の入ったビールケースをコンクリートの床に置いた音だった。ケースにはガラスの空き瓶が十二本入っている。

「わお、力持ち」

驚いている来客を意に介さない様子でビール瓶を取り出すと、瓶より一回り大きな筒に入れ、ハンマーで叩き割り始めた。

「難しい年頃ですなあ」

義史が冗談を続けるが、靖は少し気難しい表情で呼びかけた。

「りーくー!」

呼ばれた少年が手を止め、顔を上げる。

手招きされ、首から掛けたタオルで顔を拭きながら走ってくる。こめかみや、Tシャツを捲りあげた腕も汗だくだった。

眼鏡(がんちょー)はきな言ってるさー」

靖はその様子を一度窘めてから、義史を指した。

「こちら、東京から来られたにーに、貝原義史さん。ここの取材でしばらく居る事になる」

「お邪魔してます。ニーニです」

〈にーに〉と紹介された義史は涼しい表情を作り、人差し指と中指を軽く眉尻に当てた。

少年は何も答えず、タオルで鼻の下の汗を拭きながら、靖と義史の顔を交互に見る。うなじを刈り込んだ癖っ毛の下、日に焼けた彫りの深い顔の中で、大きな目が動いていた。

「だー、ちゃんとご挨拶せんか」

靖が理久の癖っ毛に手を置き、頭を下げさせる。

「……お、大城理久(りく)です」

頭を上げた理久が小さく名乗ると、靖はようやく手を離し、溜息を吐いた。

「すみませんねー。自分の甥なんですがー、最近口数が少なくて」

「うんうん。そういうお年頃よね、分かる」

義史は特に気にしていない風で歯を見せて笑う。


「今日の分の廃瓶はあれで全部かやー?」

叔父に確認され、理久はひとつ頷く。

「ご苦労さんね。じゃー、よっしーに工房の中を案内して」

靖の言葉に、理久より先に義史が反応する。

「おっ、そう来ましたか! するとこちらは未来の工房主ってとこかな?」

両手を広げ、称えるように理久を指した。

「まーだ三年目の、見習いも見習いさー」

と靖は笑って否定する。話題の中心人物である理久はただ黙っていた。

「そっか、まだ先の事とか分かんないよね。でも若いのにやる事見つけて……えらいよ」

義史は素直に感心しているらしい。

「ちなみに、おいくつ?」

少しだけ姿勢を下げ、視線の高さを合わせるように訊ねた。

「十七です」

理久が短く答えると、

「げっ、まじで若いじゃん。おじさんの半分だ」

と大袈裟に口元を歪めて見せる。そして改めて、よろしくね、と笑顔を見せた。

理久は一気に緊張したような面持ちになり、

「じゃ……案内しましょーね」

口の中で言うと、慌てて踵を返した。

愛想良くするよう言う靖の声が追うが、義史は割って入るように理久の後ろにつき、ひらひらと手を振った。

「だーいじょぶです。家族の前では恥ずかしくても、よその人となら意外と喋れたりするもんですよ」



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