3:かわいいって
「えー?ササマキ君、まだ子猫に遊ばれてるの?」
もうすぐ店じまいの時間、客足も途絶えた店内。
暇だったのでナガセさん相手に子猫との交流を自慢げに話していると、ケラケラと笑われてしまった。
「う、でも最近はじゃれてくれるようになったんですよ。進歩じゃないですか?」
出会いから半月。
可愛い可愛いと賛辞を浴びせまくったのが良かったのか、子猫は割と気を許してくれるようになったと思う。
撫でると気持ちよさそうにしているし、こちらの指を捕まえて遊ぶ様になった。コロンと転がった時に見えた足の裏はインクでも踏んできたかのように黒毛に覆われていて、それもまたとても可愛い。
子猫ながらも爪は鋭くて、初めてじゃれられたときは引っ掻き傷ができてしまったけれど、それに気がついた子猫にとても申し訳なさそうに傷を舐められて、その健気な様子に許す以外の選択肢など持てるはずもなかった。
なんて、この半月を回想していると、ナガセさんに呆れた目つきで見られてしまった。
「ねぇ、ペットを飼うと生涯未婚率が上がるらしいわよ」
「やめて!現実に引き戻さないでくださいっ!」
ナガセさんひどい、と泣き真似していると、店のドアがカランと音を立てて開けられた。
「いらっしゃいませ〜」
すぐ切り替えて笑顔で挨拶したが、入ってきたのは10歳くらいの獣人の子どもだった。
ぱっちりした目が印象的な子どもで、肩上の長さのふわふわ纏まりのない茶色の髪は、家で切っているのか若干不揃いだ。
ダボっとしたシャツにショートパンツというわんぱくそうな格好だが、兄弟のお下がりなのか少し大きそうに見える。
伏せ気味の猫耳と身体に沿わせた尻尾からは、微かな緊張が感じられた。
女の子、だよな?
どうしたものかと近づいて、視線を合わせるために少し屈む。
「どうしたの?何か欲しいものがあるのかな?」
なるべく優しく問いかけた。つもりだった。
「え」
みるみるその子の目に、涙が溜まっていく。
「え、ちょ」
「…ない」
「なっ、どっ」
「かわいいって、言って、くれない!」
「えぇ⁉︎」
ポロポロと大きな瞳から涙がこぼれ落ちて、頭が真っ白になる。
おれ、おれ、こんな小さい子を泣かすような、何をしてしまったんだ。ああ、わからない。ダメすぎる。
「ちょ、ササマキ君、この子さっき話してた子じゃないの?君の執着してる子猫!」
「へ?」
「責任取りなさいよ」
「なんの⁉︎どうやって⁉︎」
拳を握りしめてボロボロ泣き続ける子どもに、二人揃ってプチパニックだ。
でもナガセさんの言う通り、その耳と尻尾の縞っぽい模様はとても見覚えがあった。
何度も見てたんだから気付けよ俺!と内心自分を責める。
それにこの子がいつもの子猫だったなら、「可愛いって言ってくれない」という謎の言葉も少しはわかる気がする。
「ごめん、ごめんね。いつも会いにきてくれる子だよね。お兄さん鈍感だからすぐにわからなかったんだ。本当にごめんね」
よしよしと頭を撫でると、やっと少し涙の量が減った気がする。
「お兄さんカナトって言うんだ。せっかくだから、お名前教えてくれると嬉しいな」
「…クロア」
「クロアちゃんか。いつも会いにきてくれてありがとう。こっちの姿もかわいいね」
ハンカチで涙を拭きながら懸命に話しかけていると、やっと大きな目からこぼれ落ちる涙が止まってくれた。
「…かわいい?」
そう言って、じとっとこちらを見た時のちょっと上目遣いの探る様な眼差しが、懐く前の子猫姿の疑り深い視線と重なって、思わずふふっと笑いがこぼれた。
「ん、かわいい。だからもう泣かないで。せっかくの綺麗な目が真っ赤になっちゃってるよ」
「きれい…」
こちらの言葉を咀嚼する様にじっと考えていたクロアちゃんは、やがて何かを理解したように、嬉しそうに頬を赤らめた。
「かわいいって、言ってくれたのカナトだけ」
恥じらうようにもじもじしながらそう言う様子は、お世辞抜きで本当に愛らしい。
思わずデレデレと笑み崩れてしまう。
「ふふっ、ササマキ君の言う通り可愛らしい子ね」
「かわいらしい?」
そばで様子を見守っていたナガセさんが思わずと言ったようにこぼした言葉に、クロアちゃんはぴくりと反応する。
そして、またもじもじと恥ずかしがっている。
うん、本当に可愛くてナガセさんがそう言っちゃうのもわかるけど、さっき「カナトだけ」ってクロアちゃんが言ってくれたのに、俺速攻で唯一じゃなくなったよね。
いや、クロアちゃんが嬉しそうだからいいんだよ?別に悲しくなんてないです、はい。
「私はマキっていうの。よろしくね、クロアちゃん」
「よろしく」
和やかに挨拶を交わす二人を見ながら、なんだか勝手にナガセさんにクロアちゃんを取られたような気になって少しいじけていると、クロアちゃんがこちらを向いてくれた。
「カナト、またここきてもいい?」
「えっ、いいよ。でもあまり遅くない時間にしてね。おうちは近いの?」
「うん、走って5分くらい」
「そっか、帰りも気をつけるんだよ。もうちょっと待ってもらえれば、送っていくこともできるんだけど」
どう?と聞くとクロアちゃんはちょっと考えて首を振った。
「あたし、足が速いから大丈夫」
「そ、そっか」
子どもとはいえ、獣人なら自分より断然足が速いのだろう。
謎の敗北感に苛まれていると、クロアちゃんは満足したようにクルッと背を向けた。
「じゃあね、カナト、マキ!」
首だけ振り向いてニカッと笑うと、いつも子猫姿で帰っていくように、ドアを開けるとすぐに走って見えなくなってしまった。
「…ササマキ君」
「はい」
「さっき笑ったのは謝るわ。あの子に夢中になるのは、納得よ」
「でっしょおぉお?」
ですよねですよね、可愛いですよね、とナガセさんに絡むうちに閉店時間になり、うちの子かわいい!な満足感と共にシャッターを下ろしにいく。
「でも…」
不意にナガセさんが独り言のように呟いた。
「あんなに可愛らしいのに、なんで可愛いって言ってくれたのカナトだけ、なのかしらね」