いまびとは、こじんをおもう
思い出した。
あれは、子どものころに願ったこと。
子どもらしい、とても空想的な願いごと。
“みんながしなないせかいがいい”
ゆるやかに、先生や近所の大人たちの老いを見つめては、
僕は切実にそう、なんども願っていた。
おじいちゃんはこんな事を言っていたな。
“死ななきゃ、とっても空いてしまうよ”
“死ぬ、なんて悲しいけど。死ぬからこそ生きているんだよ”
それでも、僕は嫌だった。
誰かがしんで悲しむことが、苦しそうにしているのが、
ただ、嫌だった。
今もそれは変わらない。今が一番そうだった。
お香のにおいで肺がいっぱいな今、そう感じている。
叔母さんが言っている。
“お父さん、笑顔でいるんだねぇ。満足してたなら良かったよ”
泣きそうな顔で笑っていた。
なぜ、笑っていられるのかわからない。
おじいちゃんがいなくなったのに、なぜ笑えるのだろう。
叔母さんに聞いてみたら、こう言った。
“いつもお父さん、おじいちゃん言ってたでしょう?”
“『生きて生きて、楽しく生き抜かなきゃ死にはしないよ』”
たしかに、言っていた。
“それにお父さんは、私たちの泣き顔は嫌いだったからね”
たしかに、そうだった。
“悲しんだら、悲しそうにしてたら、お父さんは満足しきれないからね。楽しく生き抜けたって言えなくしちゃうからね”
僕は黙って聞いて、それをまねることにした。
じいちゃんが最後に言っていたのを思い出した。
“孫なんてできないと思っていたよ。そりゃ、欲しかったけど、あの子たちは結婚なんてしなさそうだったし、恋人なんていないと思っていたからね”
“最後に孫の20歳を見れるなんてね。人生わからないものだ。もし、自分が死んでもできれば笑っていて欲しいな。約束する?”
そうだった。
“そうか、なら約束だよ?”
なら、笑って送らないと。
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今日も仕事は楽しくやっているよ、おじいちゃん。
毎日来なくていいなんて言いそうだけど、帰り道だしいいよね。
趣味はちゃんもできたよ。プラモデルをスプレーみたいなので色を変えるんだ。
おじいちゃん、僕は今日も楽しく生きてます。
思い出の書き移し。
誰かも知らぬ、記憶を描いた。
ただ、それだけ。




