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先程までは考えていなかったが、肌寒い。俺が最後に覚えているのは、日本は夏だったということだ。即ち暑かった。早朝でも、こんなに冷えて無かったはずだ。
薄手のドレスは、隙間から風が入ってくる。歩くたび、靴底が血と泥で滑った。サイズの合わない靴は足の甲や側面と擦れて、痛い。
どこからか羽音が聞こえる。
森へ入ると、そこは別世界だった。木々は葉が落ちているものが多かった。木の根元が上の木肌と違って黒い。よく見ると幹の下はにびっしりと蟲がこびり付いていた。
樹液のような液体に無数の蟲が捕らわれている。多くが小さな羽虫、そして甲虫や見たこともないグロテスクな虫がいた。死んでいるのがほとんどだったが、生きている蟲は動く脚を懸命に動かして逃れようとする。何度も何度も。
その一本だけではない。殆どの木がそうで、俺は自分の体が木に当たらないように注意した。
羽音が聞こえる。
段々固まってきたのか、女の体は重くなっていった。しかし、埋める場所が見つからない。木々は密集し、隙間がないのだ。
太陽は山と上空の間くらいで、俺を照らしていた。
水、水が欲しい。
汗が顔を垂れる。それを拭くのも億劫で、俺はただ歩いた。
「くそ……」
最初は蚊でも飛んでいるのかと思ったが、歩けば歩くほど羽音がどんどん大きくなる。やがて木々の隙間から顔を出したのは、大きく黒い塊だった。
蟲の塊だ。俺は咄嗟にうずくまる。
蟲達が目をつけたのは俺ではなくて死体の方だった。
蛞蝓に羽がついたような蟲。ぐねりぐねりと皮膚の上で顫動するたび、粘液がつき、花弁のようにパックリと開いた頭部で肉を食していた。
――グジュ、ズギュ、ズズッ、グギュ
俺は逃げ出した。なんでこんなとこに入ろうとしたんだ、俺は!地獄じゃないか。
まだ、飢えて死んだほうがよかっただろうか。飢えに耐えきれなくて、ナイフで死のうと考えるかもしれないが、そうやって死んだほうがマシだろうか。
生きながらにして貪り喰われるなんて、絶対に嫌だ。
「はー、っ、はー」
俺は止まった。息を整えるうちに、水の流れる音が聞こえた。
俺は走り出した。ようやく、ようやく水が飲める。
川は白かった。
無数の羽虫が浮いていた。
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