金継ぎ
この話は以前、海外掲示板の日本語翻訳サイトを眺めていた時に、日本文化の「金継ぎ」についてのスレットが立っていて、そこの外国人の反応からこんな話が書けるんじゃないかとアイデアだけは有ったものを今回形にしました。
女の子が主人公で、少女漫画っぽいストーリーなので女性向けかもしれません。
キレイ・爽やか・ハッピーエンドな感じを目指しました、よろしくお願いします。
毎朝顔を洗う時に鏡を見るのが辛い。
何で私がこんな目に合わなければならなかったのか・・・。
ハイスクール・ジュニア(11年生)メアリー・スミスはこの一年で何度繰り返したか分からない自問をする、当然答えは無い。
私は不自然に長く伸ばした前髪を左手で押さえる、その前髪の下には大きな傷跡がある、整形手術は受けたがそれでも目立つ、大きな傷が。
それは1年前、友達とショッピングに出かけた時の事だった、私は友達と冗談を言いながら笑い合い、思いっ切りショッピングを楽しんだ。
その帰り道、地下鉄の駅に向かって歩いていた時の事だ。
突然耳をつんざくような激しい音と衝撃を受け、私は自分の身体が吹き飛ばされるのを感じた、そこから先は覚えておらず気が付いたら私は病院のベッドの上に居た。
爆弾テロ・・・後でそう聞かされた。
しかしその事件の後、どのテロ組織からも犯行声明が出されることは無く、なのでそれがテロなのか単なる悪戯なのかも解らず、犯人も捕まっていない。
病院に運ばれたばかりの頃は意識が朦朧としていて、分かる事は自分が今生きていると言う事だけだった。
しかし、数日が経ち自分が今どのような状態かが解って来ると、どうせならあの時死んでしまえばよかったと思うようになった。
爆心地である車の近くにいた人が4人亡くなったらしい。
私はそこから10mほど離れていた為命を落とす事は無かったが、まるで散弾銃のように飛んできた車の破片によって額に一生消えない傷を負い、左手の指を2本失った・・・・
もちろん友達は心配してくれたし、両親は私が生き残った事を涙を流して喜んでくれた。
しかし初めて会う人が私の額をジロジロ見ているのが解ったり、幼稚な男達が「よう海賊」などとからかって来るのは憂鬱だった。
私は次第に学校に行くのが嫌になり、休みがちに。
それでも卒業に必要な単位は取らなければいけない、スクールカウンセラーの協力も得ながら、何とか通学を続けている・・今の私はそんな感じだった。
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その日は最悪だった、朝から湿度が高くて髪が跳ね、盛り上がってしまう、それを何とか帽子で押さえ着けて黄色いスクールバスに乗り込もうとすると、後部座席に座って話している男子達に気付いた。
いつも私のこの傷を揶揄ってくる幼稚な男子達、彼らは早速私を見つけると3人でこちらを見ながらニヤニヤと笑い始めた。
そして何やらボソボソと話し、その度にお互いの肩を叩きながら大声で笑う。
何を話しているのかは分からないが、私を見て笑っているんだ・・・私にはそうとしか思えなかった。
気分は最悪だ。
私はもうこのまま学校に行って授業を受ける気分ではなくなり、次の停留所でバスを降りそのまま街に向かった。
これだけどんよりと曇っていてはウインドーショッピングをしていても気分は晴れない、そもそもあれだけ好きだったショッピングも最近では憂鬱に思う様になってしまった。
フレンドリーに話しかけて来た店員が、私の傷跡に気付いた途端驚いたり、表情を曇らせたりするのが嫌だった。
変な慰めを言われたり、謝られたりしても困る、とにかく放っておいて欲しいのに、店員は必ず話しかけてくる・・・まあそれが仕事なのだから仕方が無いけど。
私はそんな理由から建物にも入らず、通り沿いの店のショウウインドウを覗きながら当てもなくブラブラと時間を潰す、まだ夏本番では無いのに気温は高く、湿度も高いので不快度指数はかなりのものだ、出来れば冷房の効いた店内に入りたかったが、どうしても人の目が気になってしまう。
そしてさらに最悪な事に、垂れこめる黒い雲の間からポツリポツリと雨粒が落ち始めた、傘は持っていない。
「OMG・・・What a facking day!(全く!ツイて無いわ!)」
私は普段両親から「下品だから使うのは止めなさい」と注意されているFワードを使って天気を罵り、どこか雨宿りが出来る所が無いか辺りを見回す。
多くの人が同じように、近くの店の中や軒下などに避難を始めていた、出来れば人が少ない所が良い・・・・私は全く人が入っていない一つの展示フロアを見つけ、そこに向かって走りだした。
「ふう・・・」
そこは美術館と呼べるほどでもない小さなギャラリーだった、店内にも人はほとんどいない、学芸員の様な女性が一人座っているだけだ。
話しかけられるのが嫌で私は入り口の前の庇の下で雨宿りをしていたが、雨は止むどころか強くなり、風も出てきて容赦なく庇の下まで吹き込んでくる。
「ねえ貴方、良かったら中に入らない? そこに居たら濡れてしまうわ、展示に興味が無くても良いのよ、安心して、無料だから」
中に居た黒髪の学芸員の女性が私にそう声を掛けてきたのは、それからすぐの事だ。
「あ・・・ありがとう、そうさせてもらいます」
あまり人とは話したくは無かったが、その女性は優しそうだし落ち着いた雰囲気で、私はその言葉に甘えることにする。
ガラスのドアをくぐって中に入ると自分がかなり濡れている事に気が付いた。
私はハンカチで服についた水滴を落としながらギャラリーの中を見回す、そこには大小様々な陶器の皿やコップのような物が展示してある、デザインからして中国や日本・・・アジア系のモノだろうか?
展示には「KINTSUGI」展と言うタイトルがつけられている。
「ハイ、災難だったわね、私はジェニファー・ヤマモトよ、ジェニーと呼んで」
「どうも・・・メアリよ、よろしく」
彼女と軽く握手を交わす。
ヤマモトは確か日系の性だった筈だ、じゃあこの「KINTSUGI」と言うのも日本のものなのだろうか。
日本の物と言うとスシ・テンプラ・サムライ、最近は自動車にアニメ・ゲーム、それ位しか思いつかない。
「キンツギ・・? それがこの陶器の名前で良いのかしら?」
それにしては展示されている陶器には一貫性と言うものが無かった、白い皿に鮮やかな絵が描いてあるものもあれば、ただの無地の粘土を焼いただけの様なコップもある、ただ共通しているのはその全てに金色の線が入っていると言う事だけだ。
私にはその金色の線が不吉なものに見えた、何だかまるで窓ガラスのヒビ割れを連想させたからだ。
「いいえ、メアリ、『金継ぎ』って言うのは陶器の名前じゃ無くて、陶器の修理法の名前なのよ」
私の呟きを聞いていたジェニーが後ろから声を掛けて来る。
「暇潰しがてらにお話ししてもいいかしら? 一応学芸員としてここに居るのに全くお客が入らないから退屈で仕方が無いのよ、何を聞かれても答えられるように覚えた知識もこのままだと全く無駄になっちゃうわ」
彼女はそう言って呆れた様に肩をすくめて見せる、その仕草がおかしくて私は思わず笑ってしまった。
「オーケイ学芸員さん、私にこの素晴らしい芸術について教えてもらえますか?」
「イエス! もちろん!」
私たち二人はお互いに顔を見合わせて笑う、外はまだ雨が激しく降っていて、他の客が来る様子も無かった。
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ギャラリーの中を歩きながらジェニーの説明を聞く。
「金継ぎは日本に800年以上前からある陶器の修理法なの、簡単に言えば割れた陶器を漆の接着剤でくっつけて、そこをゴールドで装飾する・・・って感じかしら」
私は話を聞きながら、やはりあの金色の線は「割れた跡」で間違っていなかったのだと納得する。
「でもなぜそんな事を? わざわざ割れた跡を金で飾るなんて、普通修復って言うのは割れた跡が分からないように直すものなんじゃ無いの?」
「良い質問ね」
彼女は私の質問に「想定内だ」と言う様に頷いた。
だって普通に考えたらそうでしょう、あの金色の線は初めて見た私でさえ「割れた跡みたい」と思ったほどだ、割れた跡が隠れるどころか目立ってしまっている。
第一それ以前に陶器を直すのに金を使うなんて馬鹿げている、それだったらその金を買うお金で新しい新品の陶器を買った方が良いではないか。
「そこがこの『金継ぎ』の特徴的な所なの、日本人はこの割れた跡も含めて新しい『景色』だと考えるのね」
「割れた跡も含めて?」
ちょっと言っている意味が分からない、実際この絵付きのお皿、割れる前はちゃんと一枚の絵だっただろうに、キンツギの金色の線のせいで、まるで絵に雷が落ちたようになっている、こんなの無い方が良いに決まってる。
「例えばこれは・・・雪峰ってタイトルがついているわ」
彼女が指さしたのは茶色地に白の釉薬のかかったシンプルなボウルの様な陶器、日本語でチャワンと言うらしいが、そのチャワンの縁からも雷の様な金継ぎの線が入っている。
言われて良く良く見れば、元の陶器の色と金継ぎのヒビの形が雪を被った山に見えなくもない、こじ付けと言われればそれまでだと思うが。
「オーケー、まあそれはそういう風に見えると言われればそう見えるわ、でもこっちの絵皿はどうなの?」
茶色のシンプルな陶器にキンツギの線が入る事によって山や谷に見える、それは良いとしてじゃあこの美しい草花の絵が入ったゴージャスな絵皿はどうなのだ、コレが山や谷に見える訳が無い。
「その皿はフジワラという家の家宝だったお皿なの」
「カホウ?」
「AH~・・・家の宝、つまりその家で一番価値が有って大切に受け継がれてきたアイテムって感じかしら?」
確かにこの皿はゴージャスな感じだし、古びていて歴史もありそうだ。
「代々その家の跡継ぎがこのお皿を受け継いできたのね、だけど戦争の空襲で壊れてしまったの、でもその代に皿を受け継いだ人達は崩れた家の瓦礫からこのお皿の破片を探して、金継ぎで復活させて後世にこのお皿を残したの、それで今もこのお皿はそのフジワラ家直系の子孫の証って事になっているのよ、ロマンティックでしょう?」
確かにこのお皿は他のものと比べてキンツギの線がすごく多い、きっと本当に粉々になる様に割れたお皿の破片を注意深く集めて、大金をかけて直したんだろう。
きっとその人たちにとって、このお皿はただのお皿じゃ無くて、自分達の血筋の証なのだ。
「こっちのチャワンはあまり高価そうじゃ無いけど、これもカホウなの?」
東洋の陶器の中にはそれほど凝った模様が入っている訳でも無いのに、物凄く高価なものがあるという事は知っていた、もしかしたら安物っぽく見えるだけで高価なモノなのかも・・・そう思ってその隣にある一組のチャワンについて聞いて見ると、ジェニーは首を横に振った。
「いいえ、このチャワンは夫婦茶碗っと言って、普通に夫婦が食事の時に使うペアの食器よ、価値で言えば・・まあせいぜい50ドル位かしら、これには面白いストーリーが有って歴史的価値は無いけど持ち主の家では大事にされているアイテムなのよ、それが面白くて今回展示される事になったわ」
「ストーリー??」
「ええ、これは実際に100年ほど前に、ある夫婦が使っていた茶碗なのね、そしてその夫婦はある晩大喧嘩をしたの、それこそ食器を投げつける程のね」
「その時に割れたの? 別によくある話じゃない」
ウチのパパとママは仲が良いけど、たまに言い争いをする事もある、流石に食器を投げつけたりはしないけど・・・
「その頃の日本は今よりも凄く厳しくて、妻が夫に逆らうなんて許されない時代だったのよ」
「ひどい・・」
イスラム圏では未だにそう言う所が有るとか聞くけど、アメリカでは信じられない話だ。
「それの何処が『面白いストーリー』なの?」
私は思わずムッとした態度でジェニーに聞く、しかしジェニーは『ここからが面白いのよ』とでも言いたげに微笑みながら続ける。
「喧嘩の末に夫の方は妻を実家に帰してしまう・・まあ実質的な離婚の様なものなのだけど、本当は妻を愛していた夫は後悔するのね」
ジェニーは続ける。
「彼は壊れた夫婦茶碗を金継ぎで直すと、それを持って妻の実家に行って、彼女と彼女の両親に謝罪したの、『覆水盆に返らずと言うが、壊れた夫婦茶碗はこのように直す事が出来る、だからもう一度やり直させて欲しい』ってね、これはその時代では余程奥さんを愛していないと出来ない事なのよ!」
「ちなみに『覆水盆に返らず』はIt is no use crying over spilt milk(こぼれたミルクを嘆いても仕方がない)とほぼ同じ意味の日本の諺ね」
ジェニーは感動したようにうっとりし、得意げに付け加えると同時に私にウインクして見せた。
へぇ、確かにそれはシェイクスピアだとかそんな古い芝居に出てきそうなエピソードだ。
「中々洒落た謝罪の仕方ね・・・気が利いてるわ」
「でしょう? だからその家では身内で夫婦喧嘩や揉め事があった時、この茶碗を引っ張り出して喧嘩の仲裁をするらしいの、言わば仲直りの象徴って所ね」
なるほど・・・金銭的な価値は無いけど、割れ跡の残っている茶碗を見れば『何故それが割れて何故キンツギで直されたか』を思い出す、その物自体じゃ無くて、それを見る事で思い出される教訓自体に価値があるって事かしら。
血統の証明に仲直りの象徴、ここにあるすべての陶器にストーリーがある訳じゃ無いだろうけど、今聞かされたストーリーは両方ともポジティブなものだった。
そう分かった上で再び二つの陶器を見てみると、さっきまでは不気味なひび割れだったキンツギが別のものに見えてくる。
ゴージャスな絵皿の方は、「先祖の皿を自分の代で失う訳には行かない」って言う子孫の人達の努力の結晶の様に見えるし、夫婦茶碗の方は妻に対する夫の愛情のように感じられるのだ。
夫婦茶碗を直している時の、夫の心境まで想像してしまう。
聞いた感じ彼は「女に頭を下げるなんて冗談じゃない」というタイプの頑固者ではないだろうか、それが喧嘩が終わって一晩経ち、自分の行いを後悔する・・・そして謝罪の方法を思いついた彼は、壊れた茶碗の欠片を一つづつ拾い集め、直すのだ。
本当にこれで妻が帰って来るのだろうか、彼女の両親に「二度と来るな」と言われはしないだろうか・・そんな事を考えながら。
ジェニーは「何を聞かれても答えられるように勉強した」と言っていた、もしかして残りのキンツギ陶器にもそれぞれのストーリーがあるのだろうか?
私はそれらの陶器の歴史的・金銭的な価値よりそっちの方が気になってしまった。
私がジェニーにそう伝えると、ジェニーはとても嬉しそうに弾んだ声で「メアリ! 貴方はとっても感受性が強いのね、貴女の興味は全く正しいわ!」と大喜びだった。
それから彼女から、更に二点の作品についてのバックボーンストーリーを聞いた。
その話には軽々しく200年前とか300年前などという単語が出てくる、アメリカがイギリスから独立してまだ300年も経っていないのだ、そんな時代の陶器、しかも壊れて修繕された物が今も大事に保管されていると言う事だけで、持ち主の家でどれほど大事にされていたかが解った。
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いつしか雨は止み、時間は昼に差し掛かりつつある。
私は空腹を覚え、ジェニーにお礼を言って、せめて午後からの授業に出る事に決めた。
「サンキュージェニー、有意義な時間が過ごせたわ」
これは本音だ、最初の目的は雨宿りで、展示にもまるで興味など無かったが、ジェニーの語り口は巧妙で、単なる時間つぶしでは無い楽しい時間を過ごせた。
そう言えば過ごした時間を「楽しい時間だった」と思ったのは久しぶりかもしれない。
「私の方こそ楽しかったわ、さっきも言ったけどいつも暇すぎて困っているの、この展示はあと2か月ほどやっているから何時でも来て頂戴、来てくれるだけで大歓迎よ!?」
「ええ、きっとまた来るわ!」
私はジェニーにそう返し、ギャラリーの後にする。
学校に戻るのは憂鬱だけど、それでも朝より幾分マシだ。
私は道すがらサンドウィッチを買ってお腹を満たすと、学校方面のバスに乗る。
今まで話をする相手は大抵学校の友達か両親だけだった、だけどジェニーとはもう一度話してみたいと思う。
彼女が穏やかに、そして時々興奮したようにキンツギのストーリーを語るのは聞いていて楽しかったし、年上の女性とこんな風に友人のように話すのは今まで経験が無く、私の世界が少し広がったように思えて・・・何だかとても新鮮だったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日後___。
ウチの学校では課外活動としてボランティアが推奨されてる、休みがちで出席日数が少ない私が無事卒業したり進学したりするには、こういう所で点数を稼がなきゃいけない。
どっちにしろ授業の一環としてボランティアへの参加は必須になっているし、それなら自分に合った所を見つけて、少しでも慣れた場所でやった方が良い。
私がそうして見つけたのは特別養護老人ホームでのボランティア。
障害者施設や病院と並ぶボランティア先の定番だ。
「やあメアリ、君も今からボランティアかい?」
「ええ・・・そうだけど?」
老人ホームの前で声を掛けてきたのはイーサン・ミラー、同じ学校の同級生、痩せ型で眼鏡の大人しい男子だ。
彼とは今まで全く話たことは無かったけどこのボランティアで一緒になった、まあ余り頼りになるようなタイプではないけれど、ズケズケとしたタイプでも無いので助かっている。
「まあ、メアリにイーサン、来てくれたのね、助かるわ」
ホームに入った私達をそう言って出迎えるのは介護福祉士のスザンナ、ここでは彼女が私達のボスだ。
「早速だけどイーサンは洗濯物を運ぶのを手伝ってくれる? メアリは談話室でいつものようにお年寄りの話し相手になってあげて」
「はい!」
「わかりました」
仕事と言ってもあまり大したことは無い、私達がするのは何か荷物を運んだり、話し相手になったりと言った簡単な事だけだ。
介護のような仕事はちゃんとした職員がやる。
談話室に入ると何人かのお年寄りが振り返る、皆70歳以上の高齢者だけど、ここに居る人たちはみんな元気だ。
拡大鏡を使って新聞を読む人、テレビを見ている人。
思い思いに過ごしているお年寄りの一人に私は声を掛けられる。
「メアリ、来てくれたのね、嬉しいわ」
彼女はリサ・ウィリアムス。
もう92歳だというのに話し好きで、受け答えもハッキリしている、他のお年寄りが静かなのを好むため私はここに来ると主に彼女と話していた。
彼女も人と喋れるのが嬉しいらしく私が来ると凄く喜んでくれる、最初に彼女が私の傷跡を見た時、彼女は全く驚かなかった。
その時の話は鮮明に覚えている。
今は亡き彼女の夫はWW2に参加し、大怪我を負って帰って来た、一命は取り留めたが片耳が千切れ、頬と肩に傷跡が残ったそうだ。
「だけどそんな事で彼への愛情が薄れることは無かったわ」
彼女はそう言って懐かしそうに笑った、そして言ったのだ「跡が残る様な怪我をしてしまったのは気の毒だけど、それでも態度を変えず接してくれる友達はいるでしょう? そう言う友達を大事にすればいいのよ」と。
確かに、その一言で思い返してみると、仲の良い女友達・・・エマやソフィアは気を使いながらも出来るだけ今までと同じように接しようと心がけてくれているような気がするし、露骨に距離を置いた男友達も何人かいる。
リサは更に、「それにね、私くらいの年になればそんなの傷だか皴だか分らなくなるわ」そう言って笑ったが、私が彼女の年齢になるまでまだ70年以上もあるのだ、流石にそれには同意できず苦笑するしか無かった。
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彼女は喋るのが大好きで自分の事をよく話した、なので彼女と会話をする時は「リサが話し私が聞く」という関係になる事が多い。
今日は彼女の息子や孫たちの話、リサには息子と孫が一人ずついるらしい。
息子の名前がジェームス・ウィリアムス、孫がジョン・ウイリアムス、二人とも医者だという。
「お医者さん・・・とても優秀なんですね」
私がそう言うと、リサは嬉しそうに目を細めた。
「ええ、あの子達は私の誇りよ、今も多くの人の命を助けるために頑張っていると思うわ」
しかし話を聞いていると彼女の子供たちはもう一年以上面会に来ていないらしい。
私は思わず「そこまで遠くないんだからもう少し会いに来ても良いのに・・・家族なんだから・・」そう非難めいた事を言ってしまった。
だけどリサは全く気にしていない様に「ジェームスもジョンも本当は会いに来たいと思ってくれているのよ? でも責任感の強い子達だから、仕事を中途半端に出来ないのね」と微笑んでいた。
それはどうなのだろうか・・・本当にそう思っているなら少しの時間でも暇を見つけて会いに来るのでは? 私はそう勘繰らずにはいられなかったのだが、リサに「解るのよ、母親だもの」と、そう微笑まれてはもう何も言うことが出来なかった。
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リサは本当に息子たちを誇りに思っている様だった。
「私が不自由しない様に、このホームの料金も息子が全部支払ってくれているのよ、凄いでしょう?」
私は「良い息子さんですね」と言いつつも、思わず「子供が年老いた両親の面倒を見るのは当然では?」と考えてしまう。
その考えが顔に出ていたのか、リサは少し笑って「たとえ親でも兄弟でも、『助けてくれて当たり前』では無いのよ、私は息子に恵まれたわ・・・神様に感謝しないと」と穏やかに微笑んだ。
私は何だかパパやママが私の為に何かしてくれる事を『当然』と受け止めていたことが恥ずかしくなってしまった。
それからもリサは「私の誇り」である息子たちとの思い出についてたっぷりと語った、私はそれに相槌を打ちながらじっと聞いている。
息子たちの思い出を語るリサの表情は穏やかで、とても楽しそうだった。
「メアリ、そろそろ時間よ!? 帰らなくて大丈夫?」
そんなスザンナの声に気が付き時計を見ると、既に時間は夕方16:30を回ろうとしていた。
「ごめんなさい、メアリ、何だか私ばかり話し込んでしまって・・・」
「いいえリサ、貴女の話を聞くのは楽しいわ、また来るわね」
私がそう言って席を立つと、リサは「貴方みたいな友達が出来て嬉しいわ、またお話させてね」と言って穏やかに微笑む。
70歳以上年上の人から”友達”と言われるなんて妙な気分だった、だけどそれは決して嫌なものでは無かった。
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「あんなに根気よく話に付き合えるなんて凄いな」
ボランティアが終わりバスの停留所まで送ってもらっている最中、イーサンがそう話しかけてきた。
「そう? ただ話を聞いているだけよ?」
「でもお年寄り相手だろ? 話も合わないし、同じ話を何度もしたりしないかい」
「リサはボケてなんかいないわ、それにとっても穏やかだし良い人よ、私は今日”友達”だって言って貰えたわ」
「へぇ・・・・メアリは人の話を聞くのが上手いんだな、カウンセラーとか目指してたりするのかい?」
私達も来年は最上級生だ、大学に進学するにしてもそろそろ将来の事は考えないといけない。
「別にそう言う訳じゃ無いけど・・・」
むしろ私は卒業出来るかどうかを考えないといけない、だからこれからもこのボランティアは続けるつもりだ、長く生きて来たからなのか、それともリサの言っていた様に見慣れているからか、あのホームでは私の傷の事を誰も笑わない、それだけで居心地が良かった。
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「今日は寄る場所が有るから送ってくれなくても良いわ」
今日はホームでの用事が少なくて、やる事が無いので早めにボランティアを切り上げた、別に一緒に切り上げる必要も無いのに送ってくれようとするイーサンに私がそう言うと、イーサンは私がどこに寄るのか興味を持ったようだった。
「ちょっとギャラリーに寄りたいのよ」
「ギャラリー? この辺りにギャラリーなんてあったっけ」
「街中のショウルームで展示をやっている所があるの」
そう、ジェニーに「ええ、きっとまた来るわ!」と言っておいて私はあれから3週間「KINTSUGI」展に顔を出していない、確かあと2か月はやっていると言っていたからまだ間に合う、とりあえず約束を守る為、期間中にもう一回ジェニーに会いに行きたかった。
「どんな展示をやってるの?」
「キンツギ展って言うのよ、って言っても分からないでしょ」
「キンツギ・・・聞いた事が無いな」
「日本文化なんだけどね・・・」
私がそう言いかけるとイーサンは「日本の!?」って妙に食い付いて来た。
イーサンは普段大人しい彼には珍しく興奮した様子で早口に捲し立てた。
「僕は日本文化に興味が有るんだ、マンガだって何冊も持っているよ、知らなかったよそんな個展をやってるなんて」
「・・・・そういうマンガとかアニメとかとは違うと思うけど・・・」
「でも日本のものなんだろう? 僕も行って良いかな!?」
別にギャラリーは私の為に開いている訳では無いし、誰でも出入り自由だ、私は「ダメ」という事も出来ずイーサンを「KINTSUGI」展に案内する事になった。
KINTSUGI展は相変わらず閑古鳥が鳴いていた、私は今度は雨宿りでは無く、ちゃんと展示を見る為にそのドアをくぐる。
「ハイジェニー、来たわよ」
「ハイメアリ、遅いわよ、この3週間退屈しっぱなしだったんだから!」
私が入って行った途端ジェニーが気さくに話しかけてくる、そして私の後ろにいるイーサンに目を止めた。
「もしかしてB・F?」
「違うわ、日本文化に興味が有るらしくて付いてきちゃったの」
ジェニーはイーサンにも気さくに挨拶をする。
「ハイ、ジェニファー・ヤマモトよ、ジェニーで良いわ、分からない事は何でも聞いてね」
「ええ、イーサン・ミラーです、よろしく」
彼は早速興味深そうに展示を見回している、その目は好奇心で輝いて子供のようだった。
私がジェニーから一つの作品のストーリーを聞いている間、イーサンは一通りすべての作品に目を通し、改めてその中で気に入った作品をじっくりと眺めるというスタンスを取っていた。
今回私が見た作品は壊れてしまったのではなく、キンツギをクールだと感じた人がキンツギを施すためにワザと割ってキンツギを施したという作品だった。
年代もつい最近のものだ、つまりこれは補修では無くファッション目的のキンツギだ、例えるならダメージジーンズの様なものかもしれない。
これもあまり価値は無いが、キンツギが補修では無く芸術目的で施されるようになった資料としての展示だそうだ。
イーサンは一つのチャワンの前で立ち止まりそれをジッと見ていた、模様は無く粘土の地肌と釉薬だけの、雪峰のような茶碗だ。
「それを気に入ったの?」
ジェニーがイーサンにそう話しかけると、イーサンは嬉しそうに頷いた。
「アメージングですよ、ワビ・サビ?だったかな、そんな感じ、この茶碗は前に僕が読んだ日本のサムライマンガに出てきた茶碗とよく似てます」
私は知り合いとして何だか恥ずかしくなる、マンガに出てきた? そんな子供向けのカートゥーンの知識で・・・と思ったのだが・・・
「よく見ていますね、それは確かにサムライの居た時代、戦国時代の作品ですよ」とジェニーが答えるのを聞いて絶句する。
「本当ですか!? 実物を見られるなんて感激だ」
無邪気に喜ぶイーサンを見て私は嫉妬のような感情を憶えた、私が始めてキンツギを見た時は何も感じることが出来なかったのに・・
「確かに日本の漫画は実際の資料を参考にして緻密に描かれたものも多いですからね、大人向けの作品は特に」
「そうなんですよ、ストーリーも興味深いし展開も読めなくてワクワクするんです」
ジェニーとイーサンは日本のマンガについて楽しそうに語っていた、それも何だか腹が立った、私の方が先にジェニーと仲良くなったのに・・と。
なので思わず棘のある言い方になってしまった。
「でも所詮カートゥーンでしょ?」
言ってから「しまった」と思った、何も二人が楽しく話している好きなものに対して、こんなあからさまにネガティブな言葉を浴びせることは無いではないか。
だがイーサンやジェニーは怒るどころか「分かって無いな」とばかりに笑って首を振り、「メアリ、日本の漫画は子供向けとは限らないの、子供向けから大人向けまで幅広いのよ」とか「アメリカのカートゥーンはヒーローが悪い奴をやっつけて終わりって言うものばかりだけど、日本の漫画は推理や歴史、もちろんヒーロー物も有るけど、女の子が好きそうな恋愛ものや、中にはゲイカップルの恋愛ものまであるんだぜ?」などと得意げに語りだす。
彼らが怒っていない事にはホッとしたが何故だろう、イーサンのドヤ顔が少しだけムカついた。
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夕方になり、暗くなる前に私はギャラリーを出る、夜になると昼間は感じない身の危険を感じるからだ、その点については律義にバス停まで送ってくれるイーサンに感謝している、まあ、全く頼りにはならないけれど女一人で歩いているより遥に安全だ。
「素晴らしかったよ、今日はここに僕を連れてきてくれてありがとう」
「貴方はほとんどアニメの話をしていただけじゃない」
普段そう言う話をする相手が居なかったらしく、日本のアニメの話が出来たのがよほど嬉しかったのか、彼はご機嫌だった、まあジェニーがリラックスして話せる相手だというのは私にも分かるけど。
日本のアニメ・マンガは有名にはなっているが、ネットではともかく、リアルで興味の無い人に熱心に語ったりしたらweeaboo(日本かぶれ)と馬鹿にされるのは目に見えている、だからイーサンも普段は態度や話題に出さないようにしていたのだろう。
「でもあの茶碗がクールだと思ったのは本当だよ、あの金色の筋を含めてね、まるで抽象画みたいだった」
「ワビ・サビだっけ?」
「うん、日本文化の考え方で、不完全だったり寂しかったり足りない部分に美しさを感じるっていう事なんだ、他にも日本的な感性に「モエ」って言うのがある」
「ふ~ん」
「ワビ・サビ・モエは日本人の美意識の特徴だからね」
イーサンは思ったよりも本当に日本文化が好きな様だった、いつもより口数が多く饒舌なのがその証拠だ。
「その・・・マンガ、だっけ? 私が読んでも面白いと思う様な物もあるのかしら?」
「興味が有るの? もちろんだよ、今度貸すから良かったら読んでみて、絶対に面白いから!」
私が別れ際にそう聞くと、イーサンは嬉しそうにそう答えた。
部屋にこもりがちになってから、本を読む機会も増えた、ジェニーも読んでいる様だったからそんなに変なモノでも無いんだろう、私は試しにおススメを何冊か借りて読んでみる事にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジェニーやリサとリラックスして話せる半面、学校での私の立場は相変わらずだった。
特にひどいのがアメフトサークルの3人の男子だ。
チアに所属しているガールフレンドとこれ見よがしにスキンシップをし、まるで自分達が王様であるかのように、イケてないグループの人間をバカにした態度を取る。
そして彼等の中で私はイケてない女にカテゴライズされてしまった様だ。
私についたあだ名は「海賊」
来年は最上級生だというのにそんな幼稚な事をやっているせいで、彼らは周りから距離を置かれ始めているのだが、彼らはそれに気付いておらず、自分達が人気者だと疑っていない。
私も昔は彼等がフットボールで活躍すればカッコいいと思ったものだが、NFLからスカウトが来るレベルならともかく、この年齢になると体力バカはハッキリ言ってカッコ悪い、性格が悪ければ尚更だ。
以前なら彼らに「海賊」と言われて揶揄からかわれるたびに傷つき、そのまま帰る事もあった、しかし私はもう、彼らの相手をしない事にした。
それはリサとのおしゃべりの時だった、私は思わずリサに彼らの事を愚痴ってしまったのだが、リサは何でも無い事の様に言ったのだ。
「メアリはジュニアだったかしら、じゃああと1年後に卒業したらその子達とも会う事も無いでしょう? 一年なんてアッという間よ」
それからリサは「卒業しても連絡を取り合う友達なんて本当に少ないの、せいぜい2,3人、多くて5人くらいじゃないかしら? 嘘だと思ったらママに聞いてみて、『ハイスクールの時の友達で今も連絡を取り合う人っている?』って、多分そんなに多くない筈よ」と続けた。
だから、そんなくだらない男達は放っておいて、この先も付き合いが続きそうな子達と友情を深めたら良いと。
その言葉は今まで学校と家が生活のほぼ全てだった私に、現実を教えてくれた。
そうか・・・あと1年で、この生活は終わるのだと。
そこから先は、進学するにせよ就職するにせよ大人として扱われるだろう、今までとはすべてが全く変わるのだ。
幸い学校で一番仲良くしているエマとソフィアは、私が彼らの揶揄のターゲットになった後も変わらず仲良くしてくれる、彼女達とは卒業後も関係を続けたい。
「そう言う友達を大事にすればいいのよ」
リサは何でも無い事のようにそう言った。
リサは確かハイスクールもまともに出ていないと言っていたのに、リサの話す言葉はスクールカウンセラーの言う心理学的・医学的なアドバイスより、なぜかスッと私の心に沁みて来るのだ。
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それから4か月、私は無事最上級生に進級することが出来た、進路についてはまだ未定だけど福祉関係も良いかなと思っている。
季節は進み段々と寒くなって来た、冬の始まりだ。
以前は冬が嫌いだったけど最近は嫌いじゃない、だって冬ならばニットキャップを目深に被っていても不自然じゃ無いからだ。
メアリは眉毛のすぐ上までが全て隠れる様にニットキャップを目深にかぶり、街を歩く。
金継ぎ展は2か月前に最終日を迎えた、私は最終日にもギャラリーに見に行ったのだけど、結局最後まで開店休業状態だったみたいだ、私にはそれが有難かったけど。
ジェニーとは最終日に連絡先を交換し、友達になった。
私が「友達になりたい」と言うと、ジェニーは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になって「もちろんOKよ?」と言ってくれた。
ジェニーは私より6つ年上だ、以前の私ならそんな年上の人と友達になろうなんて思えなかったと思う、だけど今の私には既に70歳年上の友達が居るのだ、だから6歳なんて「たったの6歳」だ。
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「え・・・・リサが!?・・・・・」
リサ・ウィリアムスが亡くなった、そう聞かされたのは、いつものホームにいつものようにボランティアとして参加した時だった。
介護福祉士のスザンナは沈痛な表情で、その時の事を話してくれた。
「一昨日の朝よ、声を掛けたら返事が無くて・・・死因は心不全、寝ている間に・・・本当に眠る様な最期だったわ、苦しみも全く無かったと思う、92歳・・・とても長生きね、立派だったわ」
信じられなかった、前回来た時はいつも通り、とても元気におしゃべりしていたのだ、それがこんなに突然・・・・
しかし思ってみれば92歳と言えば何があってもおかしくない年齢だ、人間は大抵70代くらいで亡くなる人が多い気がするが、リサはそれよりも20年も長生きしたのだ。
「・・・・お葬式に参列する事は出来ますか」
「メアリ、ボランティアの貴女がそこまでする必要は無いのよ?」
「いえ・・・私が参列したいんです、リサ・ウィリアムスの友人として・・・」
スザンナは一瞬驚いた表情を浮かべ、そして少し微笑みながら軽くため息をついた「フゥー・・ちょっと待ってね・・」彼女はそう言って葬儀の日程をメモすると、そのメモを私にくれた。
よく見るとスザンナの目は赤く充血していた、でも私はそんな目をしたスザンナを尊敬できる大人だと思った。
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葬儀の日は快晴で、澄んだ青空が広がっていた。
讃美歌のオルガン演奏、聖書の朗読、故人の生涯について。
儀式は滞りなく進んで行く、私の祖父も祖母もまだ元気なので、私は葬儀と言うものに参列した記憶があまりなく、昨日慌ててマナーについて調べた。
喪主の席についているのは初老の男性で、この人が多分ジェイムス・ウィリアムスなのだろう、やっぱり一度も見た事の無い人だった。
献花の時間になり、私は昨日憶えたマナーを必死に思い出しながら献花台に進む。
そこから見えた棺の中のリサの顔は、とても安らかに見えた。
最後に家族に一礼し、自分の席に戻る。
プロテスタントの葬儀はカトリックよりもいくらかシンプルだ。
それからそれほど時間もかからずに、葬儀はつつがなく終了した。
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初老の男性、ジェームス・ウィリアムスはとても疲れた顔をしていた、その傍にいる彼によく似た男性はリサのお孫さんだろうか、孫ですら私よりうんと年上なのだ、私はリサがどれ程長く生きたのかを実感する。
私は帰る前に彼らに一言挨拶すべきだと思った。
「あの・・・もしかしてジェームスさんでしょうか、この度は・・リサの魂が安らかでありますように祈っています」
「ああ、ありがとう、君は?」
「私はメアリー・スミスと言います」
「母とはどんな?」
「私はリサの友達です」
「友達!?・・君が・・母のかい?」
ジェームスさんはリサと私の年齢があまりにかけ離れていた為「友達だ」という私に驚いた様だった、だけどリサ本人もそう言っていたし私もそう思うんだから大丈夫だろう。
「私はボランティアでホームのお手伝いをしているんです、そこで友達になりました」
「そうか・・・・母に君の様な可愛らしい友人が居るとは・・全く・・知らなかったよ・・・」
ジェームスさんはそこで言葉を詰まらせた、孫のジョンがそんな父親の背中を叩く。
「やあメアリ、私はジョンだ、リサの孫にあたる、リサと仲良くしてくれてありがとう・・・私達は仕事が忙しくて・・・あまりこっちに来られなかったからね」
「お医者さんなんですよね、お二人とも」
私がそう答えると、父親の後を引き継いで話しかけてきたジョンが驚いた顔をする、やっぱり親子なだけあってその顔はジェームスさんによく似ている。
「あ、ああ、そうだ、リサから聞いたのかい?」
ジョンの言葉に私が頷くと、ジェームスさんが自嘲気味に呟いた。
「母は・・・リサは私達を恨んでいただろう、君も私達を軽蔑するかい? 老人ホームに母親を押し込んで顔も見せない薄情な人間だ、医者なのに結局最期を看取る事も出来なかった・・・」
どうやら彼は「リサから自分達の事を聞いた」と言うのを「リサから恨み言を聞かされていた」という意味に受け取った様だった。
なので私はハッキリととそれを否定する。
「いいえ? リサはお二人の事を自慢の息子と孫だって言っていました」
二人の男性が同時に驚いた表情を作った、リサは彼らが顔を見せない理由が理解できると言っていた、「だって母親だもの」と。
しかし子供たちの方は母親がどう思っているのかを全く理解していないようだった。
なので私はリサの言葉を彼らに伝えた。
リサがジェームスとジョンの事をどれ程誇りに思っていたのか、老いた自分の面倒を見てくれる事にどれ程感謝していたのか、彼女が私に話してくれた内容を、記憶を頼りに出来るだけ正確に、彼女の言葉で。
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ジョンは話の途中で目頭を押さえ、部屋を出て行った。
ジェームスさんは目に涙を浮かべながら最後まで私の話を聞き、話が終わると天を仰ぐ。
「・・・以上です」
「・・・・・・・・・・・・・ああ・・なんて日だ・・・」
ジェームスさんは真っ赤に充血した目を私に向けるとこう言った。
「メアリ・・・今日、ここで君に会って話を聞けて良かった・・・・・母の最期の時に君のような友人が傍に居てくれた事を・・・私は神に感謝するよ」
彼の目は充血していたが、表情は話を聞く前よりも少し晴れやかになった気がする。
私もリサの為に何かが出来た気がして、少し嬉しかった。
彼らに別れを告げて家に帰る途中、もうあのおしゃべり好きな70歳年上の友人と二度と会えないのだと思うと、涙が出そうになった。
しかし思うのだ、リサは多分愛する旦那さんの元へ行ったのだと。
片耳が無くて頬と肩に傷跡の有る・・愛する夫の元へ。
そう考えると、少しだけ気分が軽くなった気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冬が終わり、春になっても私は老人ホームでのボランティアを続けている。
リサが居なくなったのは寂しいが、ボスのスザンナはサッパリした性格で話しやすいし、何よりも居心地がいい。
談話室に来ていたボブと言うお爺さんが急に来なくなった時はリサの時の事を思い出してしまったが、幸い少し体調を崩しただけだったみたいで、すぐにまた来るようになりホッとした。
ただ、ここに入居している人たちは「たかが風邪」でもそれで亡くなってしまう事もある、そんな中で現場を取り仕切っているスザンナはやっぱりすごいと思う。
大学は福祉系に進もうと思っているのでランチの時にスザンナにアドバイスを求めたのだが、その時そう伝えたら、スザンナは少し照れたように笑いながら「そう? 私ってそんなに凄い?」とおどけて見せた。
私が真面目な顔でそれに頷くと、スザンナは私と目を合わせてため息を一つ、そしてしみじみとこう言ったのだ。
「大人になるとね・・・なかなか人から褒めてもらえなくなるのよ、でも大人だって頑張った時にはやっぱり誰かから褒めて欲しいものなのよ・・・だから嬉しいわ、ありがとう」と。
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卒業が近くなり、色々とやる事が増えてボランティアを早めに切り上げる事も多くなった。
そのやらなければいけない事の一つが、卒業試験にパスする事と受験勉強だ。
福祉系の大学にしても専門学校にしても試験は有るのだ、福祉系のボランティアを長く続けた事はプラスになるだろうが、そもそもの学力は必要だ。
これについては意外な味方が現れた・・・イーサンだ。
「それだったら苦手な教科を少し見ようか?」
そう言われた時は一瞬馬鹿にされているんじゃないかと思った、確かにあまり成績はいい方じゃ無いけど同級生に家庭教師を頼むほどではないと思ったのだ。
しかし、イーサンのテストの成績を知って明らかな学力の差を感じて納得した。
本人は「スポーツも人前に出るのも苦手だから、得意な勉強を頑張ってただけだよ」と言っていたが、およそイーサンは勉強においてはエリートと言って良かった、コロンビア大を受けるらしい。
結局時間が空いた時にボランティア施設にある図書室を借りられることになり、ボランティアが終わった後1時間ほど見てもらえることになった・・主に苦手な数学を中心に。
イーサンは理数系が得意らしく、とても教え方が上手かった。
「実は近所のおばさんに頼まれて、その家の子共の家庭教師のバイトをしてるんだ」
なるほど、だから教え方がスムーズなのね・・学校にバイトにボランティア、イーサンは軟弱そうな外見とは裏腹に、中々アクティブな毎日を送っている様だった。
家庭教師をしている子供って言うのはまだ11歳らしいけど、私が同じように子供に勉強を教えられるかと言ったら怪しい。
しかしイーサンに見てもらえるようになったおかげで、遅れていた勉強・・特に苦手な理数系への目途がついたのはラッキーだった、これで再履修で何とかなる単位もある。
出席日数はギリギリなので夏休みのサマースクールで何とか単位を貰えないか学校と相談するつもりだ。
色々忙しくなってきたが、今まで引きこもっていた分自業自得な部分もある、それでもやった分だけ前に進んでいる気がして気分的には楽だった。
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ボランティアその他諸々の用事を終えて家に帰ると、テーブルの上にメモが置いてある。
内容はいつもと同じ、冷蔵庫に食事が準備してあるので、それで夕食を済ませて欲しいというメモだ。
毎週火曜日と木・金曜日、私のパパとママは副業・・と言うかパートタイマーとして働きに出ている。
もちろんパパもママも昼間にちゃんと働いているのだが、アメリカのクソみたいな医療体制のせいで私のこの怪我の治療費、とりわけ傷を目立たなくする整形手術の費用は、かなりの高額を自己負担しなければならなかったらしい、遠目に見ると本物と違いが分からないリアルな義指も高価だ。
それでも両親はローンを組んで整形手術を受けさせてくれたし義指も買ってくれた、そのローンを払う為に正規の仕事以外にも働きに出ているのだ。
私が冷たくなった夕食をレンジで温めて食べ、バスルームの掃除をしながらそんな事を考えていると、最近同じ様な話をどこかで聞いたような気がするのだが、イマイチ思い出せない。
だけどバスルーム全体をシャワーで流し、リビングに帰る途中、洗面所の鏡で額の傷跡を見た時その理由に思い当たった・・・ああ、そうだ、確かジェニーから聞いた「キンツギ」の話に似ているんだ。
キンツギ展に出展されていた多くの作品は、「一度壊れて修復された」という作品の性質上、ネガティブなエピソードから始まる作品が多かった。
それは例えば戦争だったり大地震と言った災害、家族同士の諍いであったりだ。
そう言うネガティブな理由で壊れた陶器を、その持ち主たちが大切に、時には大金をかけて破片を探し、修復して後世に伝える、そうして現代まで伝わって来たという作品もいくつかあった。
昔は今と違って物の価値が高い、工場で大量生産など出来なかった時代は特に、だから陶器はもちろん「金」だって高価だ。
確かキンツギ展の作品の中に、貧しいのに先祖から受け継いだ家宝の皿だけは絶対に手放さず、地震で割れてしまったその皿を直す為に必死に働いてお金を工面した夫婦のエピソードがあった。
多分それに似ていたから、デジャヴを感じたのだ。
うちには「カホウ」なんて言う高価なものは無いけど、家宝のお皿を直すために寝る間も惜しんで働いたという夫婦と、治療費の為にパートで働くパパとママが重なった。
おかげで私の傷は何とか見られる程度になった、最初の手術を終えた後の傷跡は映画に出てくるフランケンシュタインの怪物の傷跡のように醜く盛り上がり、縫い目もハッキリしていて見ただけで吐きそうになる程だった。
だけど治療とみなされるのはそこまでだ、何故ならそのままでも命に別状は無いから。
そこから先に受けた整形手術は、単に傷跡を目立たなくする手術・・つまり美容整形のような扱いになる為保険が効かなかった、それでもパパとママは私の傷を少しでも目立たなくするために多額のローンを払うことを決めてくれたのだ。
リサの言葉を思い出す。
「たとえ親でも兄弟でも、『助けてくれて当たり前』では無い」
リサはそう言っていた、確かに児童虐待や育児放棄のニュースはありふれたものだし、そうでなくても険悪だったり冷え切った家庭などいくらでもある。
では何故、パパやママは私の為にそこまでしてくれるのだろう?
特に深く考えていた訳では無かった、バスルームの掃除で機械的に作業している間、何となく頭に浮かんだだけのその疑問の答えに、洗面所の鏡を見詰めながら、私は気付いた。
それはつまり、パパとママは親子だから仕方なくとかでは無くて、私の事を愛してくれていて大切に思っているからそうしてくれるのだと。
「傷が目立たなくなれば私の心が少しは軽くなるかもしれない」、ただそれだけの為に多額のローンを組み、自分を犠牲にして働くこともいとわない位に。
「・・・この家のカホウは・・私なんだ」
ジェニーは日本における家宝と言う概念について「その家で一番大切にされている物の事をそう呼ぶ」と言っていた。
つまりこの家で他の何よりも大切にされているのは、私自身だったのだ。
私は鏡の前で不自然に長く伸ばした前髪を搔き上げ、今まで目を逸らし、ハッキリ見る事をしなかった傷口をよく見てみた。
そこにあった傷跡は合計2回の整形手術の甲斐あって、傷口だという事はハッキリと解ってしまうけど目を逸らさなければならないと言う程のものでは無くなっていた。
私はキンツギ展に出展されていたあの大きな家宝の絵皿を思い出す、その絵皿には修復跡がはっきりと分かるようにキンツギが施されていて・・・でも、だからと言って私にはあの大皿が醜いとは到底思えなかった。
気付いたら私は涙を流していた、でもそれは悲しいからではなく、なんだかすごく心がスッキリする、変な涙だった。
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次の日曜日、私はある建物のドアの前で深呼吸をすると、そのドアを押し開ける。
何度も聞いた事のある「カランカラン」というドアベルの音と共に、中に居た女性が振り返った。
「あらいらっしゃいメアリ、久しぶりね」
そう声を掛けてきたのは美容室「クリエイション」のオーナーであるアニス・ベイカーだ、彼女は私のママと同じくらいの年齢の明るい女性で、私は子供の頃からずっとこの美容室で彼女に髪を切って貰っていた。
私が椅子に座ると、彼女はいつものようにカット用のクロスを掛けながら私に聞いて来る。
「今日はどんな感じにする? いつも通り毛先をそろえる感じで良いのかしら?」
ここ一年、私にとっての髪形は、ファッションでも機能性でもない、ただ「傷を隠すためのもの」だった。
なのでいつものオーダーは、前髪を目に届くほど伸ばしたまま毛先を揃える、ただそれだけだった。
しかしこの不自然に長い前髪はハッキリ言って邪魔だった、視界も悪くなるし目に入って痛い、そしてこれからの季節は暑いと良い事が何も無い、人から見ても暗くて不気味な印象を持たれてしまうだろう。
「あのっ・・アニス! 私、今日は・・・」
「ん?」
「・・・・一年前の髪形に・・戻して欲しいんだけど」
背後で彼女が息を飲むのが分かった、元々の私の髪形はそれほど長くない前髪を左右に流していて額を出していた、前の髪形に戻すという事は、髪で傷が隠れなくなってしまうという事だ。
私は努めて明るく言葉を続ける。
「もうそろそろ暑くなるし、サッパリしたいの。こういう時、『前と同じ髪型で』って言うだけで通じるのは便利ね」
「そうね、もうじき暑くなるわね・・・・・・良いのね?」
彼女も何かを感じたのか、小さく笑いながらそう言って、最後にそう確認をしてきた。
「ええ、アニスになら任せられるわ」
「・・・・オーケー、完璧に仕上げるから安心して、それじゃまず一回シャンプーするわね」
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ショキ・・ショキ・・パチン
目を瞑った私の耳元で軽快なハサミの音が聞こえ、変に伸ばしていた前髪が徐々に整えられていくと、頭と一緒に心も軽くなっていく気がする。
目にかかっていた前髪が無くなると、目を瞑っていても解るほど目の前が明るくなる、薄く目を開くと美容室の店内がハッキリと見えた。
世界がこんなに明るかった事を、私は一年ぶりに思い出した。
「これでどうかしら?」
アニスが鏡を持って、前後の髪形が判るように私に確認してくる。
小さい頃から切って貰っているだけあって、私の髪を切るのに彼女ほどの適任は居ない、髪型は完璧に一年前を再現してくれていた。
「ありがとう、また来てね」
アニスの声に見送られて美容室を後にする、初夏の日差しがまだ強く降り注ぐ中、私は歩いて家に戻った。
途中何人もの人とすれ違うが、特に私を振り返る人などいない。
偶然目が合った人が私の額の傷を見たのが視線で解ったが、彼は何事も無かったように視線をそらし、そのまますれ違っていた。
こんなものだ。
気付いてみると私はなんて自意識過剰だったんだろう。
別に世界が私を中心に回っている訳でも、周りの人が全員私に注目している訳でも無い。
今すれ違った人の顔を私はもう忘れかかっている、という事は向こうだって私の事なんて覚えてはいないだろう。
よしんばこの傷のせいで「そう言えば大きな傷のある女の子とすれ違ったな」と憶えていたとしても、顔は忘れているだろう、全く知らない人からすれば私の顔の傷なんてその程度の事だったのだ。
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昼前に家に帰るとママが昼食の準備をしていた、今日はパパもママもオフだ、パパは出かけているからママと二人での昼食になる。
「ただいま」
「お帰りメアリ、どうだったクリエイションは空いてた? 空いてたなら私も後で行こうかしら・・・って、メアリ!?」
冷蔵庫からミルクを取り出して振り返ったママが、私の髪形を見て驚いてミルクを床に落としそうになった、私はとっさにミルクを受け取る。
「おっと」
「メアリ・・・」
「これから暑くなるから切ったの、前の髪形に戻しただけよ? 変じゃないでしょう?」
私は少し恥ずかしくなって、少しつっけんどんな言い方になってしまう。
ママは最初強張ったような顔をしていたけど、私が自暴自棄になったとかではなく冷静に決断したのだと理解したみたいで、目に涙を浮かべながら「ええ、とても似合うわ」と言って私を抱きしめた。
ママにこんなにギュッと抱きしめられたのは久しぶりだ、嬉しかったけど・・・私は手に持ったミルクをどうしようか途方に暮れてしまった。
「ママってば、大げさだよ」
私がそう言ってもママは「馬鹿ね・・・・」と言ったきり暫く泣いていたが、大きく深呼吸すると「そう言えばランチの準備が途中だったわね・・」と言って準備を再開する、私も手伝ってテーブルの上にパンと3種類のおかずを1プレートに盛ったランチの準備が出来た。
飲み物はさっき落下を免れたミルクだ。
何の変哲もないランチだったけど、その日のランチはなんだかとても美味しいような、そんな気がした。
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あの日、夜になって帰って来たパパも私の決断を尊重してくれた。
二人が私の味方でいてくれることに勇気を貰い、今日私は髪を切ってから初めて登校する。
学校に居るのは単なる通行人ではなく、同級生や先生など「私の事を知っている人間」だ、当然一回すれ違ったら二度と会わない訳では無く、何度も顔を合せる。
今日の私の格好は季節に合ったラフなものだった、今まではニット帽や大き目の上着で額や指を隠してきたが、もうそろそろそんな格好も限界だ。
左手の義指も、長袖の中から指先が見えている程度なら本物と見分けがつかない程リアルだが、半袖になって近くで見れば義指である事は解ってしまうだろう。
もしもクラスの雰囲気が悪くなってしまったら・・とか、周りから引かれてしまったらと思うと少し怖い。
でも私は逆に考える、もし上手く行かなくても後4か月で卒業だ、そして人生は卒業してからの方が圧倒的に長いのだ。
だからこの傷跡を晒して堂々と生きる事にチャレンジするなら、今日は絶好の機会なのだと。
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スクールバスの中でも視線を感じた、ただ顔は見た事が有るが、同じ授業を取っている生徒はいなかった。
学校に着くと私は最初にエマとソフィアを探した、彼女達はいつも学校に来るのが早いし、大抵一緒にいる。
とにかく一言でもいいから同級生からポジティブな言葉が聞きたかった。
今日最初の授業のある教室に行くと、エマとソフィアは窓際で話をしていた、私はそこに近付いて会話に加わろうとする。
「ハイ、エマ、ソフィアもおはよう」
「ああ、メアリ、おはよ・・・」
振り返って挨拶を返そうとしたエマが驚いた顔をして固まった、ソフィアも同じ表情だ。
「・・・そろそろ暑くなって来たから、元に戻してみたんだけど、変かな?」
私は平静を装いながら何度も練習したセリフを口にする。
頑張って平気な顔を作ってはいるけど、心臓はドキドキして背中から汗が吹き出す。
二人は10秒ほど固まってから、一泊置いて笑顔を見せるとこう言ってくれた。
「いいじゃない、やっぱりその髪型のほうがメアリって感じがするわ」
「これから暑いしね、服にも合ってるわ、素敵よ」
「ありがとう・・・・」
心底ほっとした、もういいや、この二人が受け入れてくれるなら、他の誰に何を言われても構わない、私は妙にスッキリした気持ちでしばらく二人と話をする。
邪魔な前髪が無くなったせいか、なんだか昨日までよりも距離が近くなった感じがした。
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人間は、結構すぐに環境に慣れる生き物なんだと何かで読んだ覚えがある。
髪型を変え、傷を隠さないようにしてから数日は、同級生や教科ごとの先生、警備や購買の人達まで、私と顔を合せるとびっくりした表情になった。
びっくりした後の反応は人それぞれで、気まずそうにしたり、励ましてくれたり、または無関心や平静を装う人、中にはあのアメフト部の三人のようにあからさまに馬鹿にしたような笑いを浮かべる人も居る。
しかし私が傷を晒し続けて1か月も過ぎる頃には好意的な反応も否定的な反応も無くなり、私の顔に傷が有るのは、単なる「日常の風景の一部」となって誰も話題にすら出さなくなった。
もちろんそれは毎日顔を合せる人たちの間の事で、始めて顔を合せる人には未だに驚かれるけど、それにも慣れた。
ボランティア先のホームでは、スザンナに「短い方が清潔感があって良いわね」と言われた。
病院では無いものの、やはりこういう施設では清潔感と言うのは大事で、だけど事情は分かるから注意まではしなかったと。
イーサンは私の額の傷の事は知っていたけど、ハッキリと見るのは初めてだったようで最初は戸惑ったみたいだけどその内落ち着き、今は勉強を見てもらっている時でも態度に不自然さは全くなくなった。
学期末の試験をパス出来たのは彼のおかげな部分もあり、いまや貴重な男友達の一人だ。
傑作だったのがいつも談話室で新聞を読んでいるボブおじいさんの反応だった。
ボブは老眼が進んでいて、髪型を変えたのも良く解らないし、実は私の顔も良く見えていなかったのだそうだ、そう言えばボブは新聞を読むとき毎回拡大鏡を使っていた。
「は? 額の傷? 知らんよ、そんなの有っても無くてもどうせ見えないわい」と言われた時にはもう笑うしか無かった、私は一体何をそんなに気にしていたのだろうと。
そうして家でも、学校でも、ボランティア先でも、あっけない程私の傷跡は「日常の風景の一部」となって、不自然なモノではなくなっていった。
そうして時間は流れてゆき、三か月にも及ぶ長い夏休みが終ると、いよいよ卒業の時が近づいて来る。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アメリカのハイスクールでは卒業前に「プロム」と言うものがある、最上級生の生徒が主役のフォーマルなダンスパーティーと言えば分かり易いだろうか。
ハイスクール最大のイベントで、卒業数か月前になるとシニアの間ではプロムの話題で持ちきりになる、そんなイベントだ。
プロムに参加するには男女ペアで参加しなければならず、パートナーが居ないと参加できない。
だからカップルは問題が無いのだが、パートナーが居ない人は何とか一緒に行く相手を探さないとならない。
エマもソフィアもボーイフレンドと参加するようだが、私はと言えばプロムの2週間前になっても誰からも誘われていない、しかしそれは仕方がない。
私は元々男友達が少なかったし、みんなプロムの半年前位から徐々に申し込みを始めて相手を見つけるのだが、私は丁度その頃卒業に向けて色々足りない部分を補う為に頑張っていてそれどころでは無かった・・・それに言いたくは無いけどプロムではドレスを着てダンスを踊るのだ、顔に大きな傷のある女を連れて参加したいと思う男性はそうは居ない、左手の指が足りないのもダンスには不向きだ。
そう考えると、少し後ろ向きな自分が顔を覗かせてしまうが、私は「誘いが無いものは仕方がない」と、開き直っていた、しかし、空気を読まない奴は居る。
「よぉ海賊、あと2週間になったけど、お前、プロムに出れるのかぁ?」
「くっ、くっ、っく・・止せよ、わかりきってるだろ」
「HAHAHA、そりゃそうだ、誰がこんな面の女を誘うんだよ」
エマとソフィアの二人と談笑していた私に向かって下品な揶揄いの言葉が投げかけられ、クラスの空気が一気に悪くなる。
「悪かったわね、どうせ誘われて無いわよ」
もはや諦めているし気にしてもいなかったのだが、揶揄われてついそんな言葉が漏れてしまった。
それを聞いた三人がさも可笑しそうに「そら見ろ」とばかりに笑った。
「気にする事無いよ、メアリ、あっちに行こ?」
エマが気遣ってそう言ってくれた、こう言う奴らは言い返したらダメなのだ、無視するに限る。
教室を出ようとした私に対し、そいつらが更にヤジを飛ばそうとした時、私にとっては見慣れた顔がクラスに入ってきた、普段は別のクラスの授業を取っているのでこのクラスには馴染みの無いイーサンだ。
「メアリ、今偶然聞こえちゃったんだけど、今の話って本当?」
「? 話って?」
「だから誰からもプロムに誘われて無いっていう話」
突然の乱入者に三人組が訝し気な目を向ける、彼等にとってはふざけて楽しんでいる最中に割り込まれ、邪魔されたような感じなのだろう。
「ハァ・・本当よ、だから何?」
ちょっと考えれば分かるだろうに、イーサンにまでそんな事を言われるとは思わなかった、しかしイーサンはそれを聞くと、「じゃあ僕と一緒に参加しない?」と言ったのだ。
「えっ!?」
一瞬とまどう私、それと同時に3人組が絡んでくる。
「おい、お前一体誰だよ、いきなり出てきて何言ってやがる」
「僕はイーサン・ミラー、メアリの友達だよ」
「本当にそんな海賊みたいな奴を誘うのか? 目が悪いんじゃないのか? ああ、だから眼鏡なのか」
三人組のリーダー格のジェイクが傷跡をアピールする様に自分の額を指でなぞり、馬鹿にしたような態度でイーサンを侮辱する。
「君達には関係ないと思うけど、それとも君もメアリを誘うつもりだった?」
「そんな訳ねぇだろ!!!」
ジェイクの身長はイーサンより頭1つ分大きい、体重も1.5倍は有るだろう、そんなジェイクに凄まれてもイーサンは引かなかった、しかしよく見ると顔が引きつっている、やっぱり怖いのだろう。
剣呑な雰囲気に、周りからも「警備員呼んだ方がいいんじゃない?」などと言うヒソヒソ声が聞こえてくる。
この学校には警備員が居る。
彼の体躯はまるでプロレスラーの様で、校内で揉め事が起こると警棒を持った彼がすっ飛んでくる、だから三人組がいかに体力的に勝っていても暴力に訴えることは出来ない。
周りの雰囲気を察したのかジェイクたち三人組は、下品なFワードの文句を呟きながら不機嫌そうに教室から出ていった。
「ふー・・・あの三人の事は聞いてたけど、メアリも大変だな」
「震えてるじゃない、あんなの無視すれば良いだけなんだから・・でもありがと」
イーサンは私がが絡まれているのを見て助けようとしてくれたのだ、一応お礼を言っておく。
すると横に居たエマが私の脇腹を肘でつついて来る。
「ん? なに?」
「ん? じゃ無いでしょメアリ、返事をしてあげないの?」
「何が」
「だから~、プロムよプロム、誘われたでしょう」
「あ・・・」
でもあれはジェイクの嫌味を止める為の方便では? そう思ってイーサンの方を見ると、イーサンは大勢のいる前で誘ってしまった事に気が付いたのか少し照れたような顔をしていた。
ジョークと言う訳でも無いのか・・・どうせ誘われることは無いと思って何の準備もしていないし、ムードもへったくれも無い誘いではあったけど、誘われた事は事実だ。
「こんな直前になって・・・私、何の準備もして無いわよ?」
「それはゴメン、だけどメアリならもうとっくに誰かに誘われていると思ったんだ」
プロム会場ではダンスをするだけでなく、友達と卒業前の最後のパーティーを楽しんだり一緒に記念写真を撮ったりする、私だって参加できるなら参加したかった、イーサンはそれを叶えてくれるらしい・・まあ単純にイーサンにも相手が居なかっただけかもしれないけど。
「・・・・オーケイ、一緒にプロムに行きましょ、エスコート宜しくね?」
「うん、分ったよ! 当日家まで迎えに行くから!それじゃまたホームでね」
私が笑顔で軽くため息をつきOKすると、イーサンは嬉しそうな顔でそう言って自分のクラスに帰って行った。
「良かったじゃないメアリ、これで一緒にプロムに参加できるわね、当日は一緒に写真を撮りましょ!」
「やったわね、メアリ!」
エマとソフィアも一緒にプロムに参加できることを喜んでくれた。
「ところで・・・・今のってイーサン・ミラーよね、コロンビア大に受かったって言う・・・受ける授業も全く被ってないのにどうやって知り合ったの?」
「あ、それは私も気になる!」
「あ、えーと、イーサンとはボランティア先の老人ホームが同じで・・・」
それから私は好奇心を刺激されたエマとソフィアにイーサンとのの事を根掘り葉掘り聞かれる事になった、怪我をする前はこうして三人で集まって男の子の話題で盛り上がったりもしたが、最近は二人が私に遠慮をしてあまりそう言う話題には触れてこなかった。
久しぶりの感覚に私は思わず笑ってしまったが、二人が面白そうにニヤニヤしながらイーサンの事を聞いてきて、それには流石にちょっと困ってしまった。
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プロムに参加できることになったのは嬉しいのだが、参加できると思っていなかった私はその為のドレスも何も準備していなかった。
髪型はアニスに頼めば今からでも予約を受け付けてくれると思う、しかし問題はドレスだ。
パーティードレスは高価いので、一般的にはレンタルで用意するのだが、良いドレスは早い者勝ちなので他の娘達が半年前から準備して居たりするのを考えると、レンタルショップにはもう残り物しかないだろう、サイズも合わないかもしれない。
しかし私が「プロムに誘われたんでドレスを用意しないといけないんだけど・・」と、両親に話を切り出すと、「まあ!!それじゃ一番良いドレスを買わないとね!」と、ママは大喜びし、パパは「・・・・そいつは中々見る目があるな」と言いながら一瞬微笑んだ後、少し複雑そうな顔をした。
ただでさえ治療費で金銭的負担をかけてしまっているので、誰かにドレスを借りられないか聞いてみたのだが、両親に「ドレスはこれからパーティーや友達の結婚式とかでも度々着るものだから、良いものを一つ買っておきなさい」と言われた。
そう言われて、これからはもう「友達が結婚する」とか、そう言う事が現実に起きるようになって来るんだな、と思うと「卒業するんだ」という事が事実として感じられてくる。
しかし、そんな事とは関係なくママは純粋に喜んでいるようで、娘のドレスを選ぶのがよっぽど楽しかったらしく、むしろ当事者の私よりもはしゃいでいた。
それからプロムまで2週間、ドレスを用意して美容院を予約、小物も揃えてプロムへの準備を整える、そしていよいよその当日がやって来る。
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プロム当日____。
今日はイーサンが迎えに来てくれることになっている為、私は朝からママにも手伝って貰いながら準備に追われていた。
この日の為に準備したパーティードレスに袖を通し、普段はあまりしない化粧だってキッチリと。
髪型はフォーマルなドレスに合うように前髪を上げてアップにする為どうしても傷跡が丸見えになってしまうがそれは仕方がない。
ファンデーションを塗っても隠し切れず、はっきりと傷が有る事は分かってしまうのだが、整形手術のおかげか誰もが目を背けたくなるほど気持ちが悪いという程でも無いと思う。
一応パパとママにも確認してもらったけど「OK,パーフェクトよ」と言って貰えた、まあ親の欲目かもしれないけど。
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そうこう言っている間に約束に時間になり、窓から外を見ていたママが「あら、まあ・・・頑張ったのねぇ・・」と可笑しそうに呟いてこっちを振り返った。
「お迎えが来たみたいよ?」
意味深な笑みを浮かべるママにつられて私とパパが窓の外を見ると、そこには立派なリムジンから降りてくるイーサンの姿がある。
パパもなんだか嬉しそうに「彼は見栄の張りどころを解ってるみたいだな」なんて言っている。
私は混乱した。
イーサンは16歳になってすぐ免許を取ったと言っていたし、迎えに来ると言うんだから車なんだろうと思ってはいたがこれは意外過ぎる。
確かに「プロムにリムジンで参加する」と言うのは、一部スクールカースト上位の生徒の中ではある種の伝統的な演出だし、女生徒の中には憧れたりする娘もいる。
しかしイーサンはそんな事をするキャラクターでは無かった筈だ、高級車はレンタルするのだって高価いのだ。
戸惑う私にママが何だか懐かしそうな表情で笑いながら「メアリの為に頑張って見栄を張ってくれたって事でしょ、準備はいい?」と聞いて来る。
「ちょ、ちょっと待って」
私は慌てて洗面所の鏡の前の戻ると、自分の格好に変な部分が無いかもう一度チェックする。
「準備ができるまで僕が出迎えよう、なに、こういうのは父親の役目だ」
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玄関からイーサンとパパのやり取りが聞こえてくる。
「こ・・ここ、こんにちは、どうも、イーサン・ミラーです、きょ、今日は、プロムで・・その、メアリを迎えにきました・・」
「やあ、良いリムジンだね、初めまして、メアリの父だ。メアリはまだもう少し時間がかかるみたいでね、女性の支度には時間がかかるもんさ、それまで少し話でもしよう」
パパはイーサンとは違って体も大きくて体育会系だ、イーサンは緊張してカチコチになっていて、それを見ているママが、また可笑しそうに笑った。
「ねえメアリ、早く行ってあげたら? あのままだとイーサンはプロムに行く前にヘトヘトになっちゃうわよ?」
「あ、うん、行ってきます」
最後に髪を軽く撫でつけると、私はママに軽くキスをして玄関に向かう。
「お待たせ」
柄にもなく緊張してそう言うとパパが振り返って大げさに私を褒める、私は何だか照れ臭くなって曖昧に笑いながらイーサンを見た。
イーサンは流石にそこまでする勇気は無かったのか、タキシードでは無く普通のスーツだった。
こう言っては失礼だけどスーツ姿のイーサンがリムジンの横に立っていると、まるでボスのリムジンの運転をする為に雇われた運転手のように見えてしまう。
それでも、そんな似合わない事までして見栄を張ってくれたことが少し嬉しかった。
イーサンはカチコチに緊張しながらも、私と目が合うと少し安心したのか、ぎこちなく褒めてくれた。
「その・・・き、綺麗だよ・・・すごく」
「そう? ありがとう」
私だって一応これでも頑張ったのだ、頑張った事を褒めてもらえるのは嬉しい。
「イーサンも似合ってるわ、素敵よ」
「そ・・・そうかな」
私がそう言うとイーサンがホッとしたような顔で肩の力を抜くのが分かった、うん「運転手みたい」とか思ってしまったのは取り消す、彼だって頑張ってくれたのだ。
彼にエスコートされて助手席に乗る前に、私はサイドミラーに映った自分の顔・・・その額をチラリと見る。
そこにはやはり「チラリと見た」だけでもすぐに分かる大きな傷跡。
だけど私はもうその傷跡を見て落ち込むのは止めた。
この傷跡はキンツギだ。
この傷を含めて今の私は一つの作品で、これからもその傷が消えることは無い。
だけどメアリ―・スミスと言う作品を大切だと思ってくれる人達によってとても丁寧に、愛情を持って修復されたその傷跡を見て・・・・・それを「綺麗だ」と、そう言ってくれる人だって、中にはきっと居るのだ。
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