余談8 ナタリーの魂
学会の会期が終わる頃、大輔を追い掛けて逸朗が屋敷まで飛んできた。そして挨拶もそこそこに拐うように伴侶を連れてパリ市内の屋敷に籠り、蜜月を送っていると報告を受けたアランはため息とも苦笑ともつかない声にならないものを小さく漏らした。
ジョシュアは困り果てたように荷物をまとめるとふたりを追って慌ただしくパリへ向かい、来たばかりのゴードンはシモンとの旧交を温めるといって、屋敷に滞在することになったので、代わりにマカナがダンカンとともにパリまで行ってしまった。
それをにやにやと見送ったミーナまでが様子を見たい、とついていってしまったので、あれほど賑やかで楽しい雰囲気だった屋敷が急に火が消えたかのように暗い闇に落とされた感じだった。
アランは悄然と項垂れた。
ゴードンとシモンがいるだけでは華もなにもない。ひたすら黒い雰囲気が屋敷に纏わり付く。
実際、ふたりはアイスラー家を崩壊させたゴードンの話で大盛り上がりをみせている。
いっそのこと己もパリまで足を運ぼうか、と考えたが、長年の防衛本能がそれを許さなかった。
もう命を狙われることもないだろう、と頭で理解していても身体が反応する。
逸朗と同じ時同じ場にいてはヴァンヘイデン家のためにはならない、と。
なにかあってもどちらかが生き残ればいいのだ、と一族主体の考えが身体を隅まで支配していた。
意図せずアランの口から切なげに吐息が溢れる。
屋敷のなかは常に人の気配があるが、アランは孤独だった。それはヴァンパイアに成ってから続いていた。
人であったときは逸朗の従者としての未来があった。両親があり、逸朗の両親からも頼られ、可愛がられていた。
ヴァンパイアに成ってからしばらくはまだ良かった。逸朗が侯爵として家を護っていたから、その補佐として横に控えていられたからだ。
だが人としての寿命を終えると逸朗が宣言し、縁戚のものに侯爵位を譲ってからアランは独りになった。
ヴァンヘイデン家の当主として一族を纏めるように仰せつかり、アランはヴァンヘイデン家のヴァンパイアたちを取りまとめるようになった。
逸朗は完全に影となり、彼の一族を造り上げて、ヴァンヘイデン家を護るために戦い始めた。
同じ時を生き、同じ家を護るふたりは違う道を歩みながら同一の目的のために闘う同志になった。
以来、もうすでに幾年月が経ったかもわからないほどの時間を独りで過ごすようになっていた。
けれど逸朗も己と同じように孤独のなか、一族のために頑張っているのだと、アランは自分を慰め、奮闘してきた。
そんなときに伴侶を得た、と連絡が入ったのだ。
あの逸朗が溺れきって正直危うい、と知ったときは天地がひっくり返ってもこれほどは驚かないだろう、とアランは思った。
アランも彼のはじめての伴侶を知っている。
それを見殺しにしたことも。
彼女の意思だと逸朗は内心では悶えながらも、淡々とアランに言ったが、そうではないことを彼は理解していた。
あのとき、彼女と手を取り合った場合、ヴァンヘイデン家はかなり危険な状況に追い込まれたはずだった。
それほどまでに内政に関わるだけの地位に彼はいたのだ。
結局、逸朗は伴侶ではなく一族を選んだ。
なのに今度の伴侶は一族を蔑ろにしても得難いものだと、憚ることなく公言し、あまつさえヴァンパイア一族全てを敵に回すような態度だった。
結果、長年権力だけを振りかざしてきたバング家の口を閉ざし、やたらに一族に好戦的だったアイスラー家を潰し、さらに新たに興したシュナイダー家に恩を売り、他種族との交わりを絶っていた人狼とは仲良くなり、積年面倒だと敬遠してきた魔術師からの忠誠を得た。
一族すべての力を集結し、それぞれが各々の責をきちんと果たした結果、ヴァンヘイデン家の没落というバッドエンドを回避したが、ひとつ判断を間違えば、ひとつ情報を得られなければ、ひとつ敵方に有益な情報が渡るのを阻止できなければ、どう転んでいたのかわからないほど、綱渡りだったのは間違いのない事実だった。
大輔ひとりのため、一族が一丸となって動いたのだ。
逸朗が一族を見返ることなく、伴侶に溺れたせいで。
そしてそれほどの激情を全身に溢れさせて伴侶を愛している逸朗を再び眼にして、アランの孤独がより深まってしまったのだ。
イギリスでふたりの姿に触れてから、アランはどうしようもないほどの寂寥感に苛まされていた。
とてつもなく寂しかったのだ。
はじめは気付かなかった。
傍にヘンリーもいたし、なにより忙しくて己の心の底など覗く暇もなかったのだから。
しかし、すべてが片付いてみれば、アランを包む孤独に否応なしに気付かされた。
だからこそフランスに戻ったときに、かつて城のなかを明るく照らした少女の存在にアランは救われた。
ヴィクトーの屋敷から助け出されたミーナを客人扱いで城に滞在させているのは、彼女の幼き頃の姿をアランが見ているからだった。ミーナの明るさにアランの心は軽くなったのだ。
けれどまた独りになってしまった。
ミーナは戻ってくるだろう。けれど逸朗の、大輔以外を瞳に映さない、あの熱に浮かされた態度に触れて、アランの寂しさは一気に加速したようだった。
今こそ伴侶が欲しいと強く感じた。
最近、イギリスのヴァンパイアたちのなかで伴侶とまではいかなくても結婚という人ながらの制度を取り入れて互いに指輪を交換して疑似伴侶になるものが多いと聞いたが、ひどく納得できた。
そう思って、アランはかつて己の心を限りなく羽ばたかせ、動かした女性を思い浮かべた。
「ナタリー…」
申し訳ないことをした、と何度も悔やんだ。
いまでもアランは彼女を思い出したくないほど愛していた。
彼女を思い描くと、あの蛮行の際に身体を貫いた悦楽、快楽、そして純粋なる憤怒を同時に思い出す。
それが耐えられなかった。
さらにアランはあのとき、やってはならない愚行をも犯していた。
あのままであればナタリーの魂はいずれアランのもとに還ってきたかもしれない。
けれど壊してしまったと気付いたときに、アランは彼女に己の血を注いでしまったのだ。
これは誰も知らない事実だった。
ナタリーの身体に入ったアランの血は修復をはじめたが、失った血が多すぎたのだろう。
修復できずに彼女は逝ってしまった。
人ではなくヴァンパイアとして。
その魂は永遠に地獄に囚われたままで。
逸朗はナタリーの魂の器が現れると信じているが、アランはそんな奇跡は起きないと知っている。
この孤独は続くのだ。
アランはひとつ首を振って、ワインをこくりと喉に流した。
「それでいいんだ、俺はそれだけのことをナタリーにした。この孤独が彼女への償いになるなら、俺は耐えられる」
けれど…
思ってアランは自嘲した。
たまにでいい、本当にたまにでいいから、俺を寄り掛からせてくれる女が欲しい。慰めてくれる身体と心が欲しい。
…そして出来れば愛して欲しい。
俺も愛せればなおいい。
そんな出逢いをアランは願い、誘われるように眠りに堕ちた。




