余談7 大輔のワガママとミーナの恋1
長くなりそうなので5回に分けて投稿します。
宜しくお付き合いください。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
あまりにも思ったような結果がでない実験ばかりが続き、大輔の苛立ちは頂点にまで達しかけていた。同じようにサポートしてきたジョシュアはひたすら無駄かと思うほどのラットを処分していく主の様子を心から気の毒に思い、心が閉鎖する前に気分転換を申し出た。
「大輔さま、一度はじめから見直すためにも旅行とかいかがですか?」
言われた大輔はあの突貫工事のような弾丸ドイツキューピッドツアーから一度も旅行に行ってないことに気付いた。
「行きたいけど、実験、あるし」
躊躇いつつも大輔は正直、いまの状況に逃げ出してしまいたいほど辟易していた。逃げてはいけない、と言い聞かせて毎日なんとかラボまで足を運んでいたが、完全に打つ手のない状況にどこから打開すべきか、考えあぐねていたのも事実だった。
だからため息ばかりが漏れる。
「実は遺伝学会がフランスであって、それに参加したいと僕は思っていたんですけど、言い出せなくて」
上目遣いでジョシュアは大輔を覗き見ながら、学会要項をスッと差し出した。
学会、と口の中で呟き、すぐに瞳がキラキラと煌めいた。
何気ない表情なのに、こうして黒瞳が瞬くように煌めくと、思わずぞくりとするような色気を醸すようになってきたな、とジョシュアは身近でみてきたからこそ、最近よく感じるようになった。
「行きたい!」
要項に一通り目を通した大輔の即答にジョシュアはにこりと笑んだ。
「では、ウィリアム様に上手に許可を貰ってくださいね」
イギリスでともに研究に勤しんでいたときより、護衛となってからのほうが言葉が丁寧になったジョシュアに幾分の寂しさを感じつつも、大輔は元が騎士なんだから仕方ないのか、と諦めてはいるが、やはりこういう少しお強請りテクニックのいる案件を話すときは砕けて欲しい、とも思った。
なんとしても許可を捥ぎ取るだろうと踏んだジョシュアは学会参加の手続きをするために席を外し、大輔はすぐにでも許可を得るため、逸朗のもとに向かった。
逸朗はゴードンを伴って、大学の自室にいた。
理学部の方はあまり足を踏み入れてはないが、文学部は逸朗に会いに来ることがそれなりにあるため、多少の懐かしさがありつつ慣れた感じに大輔は迷いなくキャンパス内を歩いていった。
逸朗のドアを軽やかにノックすると、ゴードンの声が中に入るように応えた。
「お邪魔します」
なんとなく学生気分に戻った大輔は、いつかもこうして呼び出されて伴侶と呼ばれた遠い日を思い出しながら開けたドアから顔を入れた。
それをちらりとデスクから見た逸朗がぱっと顔を輝かせて大きく微笑んだ。
今からお強請りするつもりの大輔には眩しすぎる笑顔で、さらに入室を躊躇ってしまう。
「来たのか!どうした?」
嬉しそうに手招きして、逸朗はデスクから立ち上がった。その様子を見ていたゴードンが、これでは仕事になりませんので、お茶でも用意して参ります、と低く呟き、出ていった。
「うん、ちょっとお願いがあって」
いくらか阿るような言い方にほんの僅か、逸朗の眉が顰められた。警戒心が胸のうちで動く。
「なんだ?」
あくまでも表情は穏やかに、口許には爽やかな笑みを貼り付けて、でも眇める瞳は油断なく、己に向けられたものに大輔は切り出しかたを間違えたか、と早くも焦った。
「あのね、実験が全然うまくいかなくてね、ちょっとちゃんと勉強が必要かな、て」
視線を合わせられない。
伏し目がちに少しずつ逸朗に近付き、大輔は彼の手に自分のをそっと重ねた。
たったそれだけを愉快に思うのか、逸朗の眉がふわりと上がった。
「でね、学会があるんだって、ジョシュアが言ってて、遺伝学会だからなんかヒントがあるかもだし、行きたいんだけど」
どんな無理難題を言われるかと、密かに身構えていた逸朗は学会か、と囁き、肩の力を抜いた。
そして傍に来た大輔を強く抱き寄せ、その頭にキスを降らせた。
ほわりと自分のスパイシーな香りと愛しい彼の甘い血の豊香が鼻を擽った。
「行くがいい、それは研究者の特権だしな」
鷹揚に許して、彼の顎に指をやる。
そしてゆっくりと顎を持ち上げ、唇を重ねた。
「で、いつで、どこだ?」
場合によっては、途中合流して近くの温泉でも入ってゆっくりしてもいい、などと内心で考えていた逸朗に大輔は弾けるように楽しそうに言ったのだ。
「再来月、フランスだって!」
「なんだと?!」
この後が大変だった、と大輔はげんなりした気分で思い出す。
イギリスに残してきたヴァンパイアたちは逸朗の一族なので、定期的に報告があり、あまり心配してないが、フランスのアランのところのヴァンパイアたちの様子は当然問い合わせない限り大輔の耳には入らない。
だからこそ今回の学会に行きながら、アランのところに滞在し、ヴァンパイアたちの様子を見てきたかった。
なによりアランに会いたかった。
アランの最初の伴侶のことを知ってから、彼に会っていろんな話をしてみたいと思っていた。
だから大輔はいろいろと提案し、なんとか逸朗から許可を得ようと必死になったが、頑なに首を縦には振ろうとしなかった。
渋い日本茶を持って帰ってきたゴードンが、部屋に入るなり状況を察知してそれぞれの前に茶碗を置くと、今度は無言で出ていく有り様だった。
結局、大輔は奥の手を使うしかないのか、と覚悟は決めるが、これから迎える夜を思うだけで、すでに身体が疲れる。
それも仕方ない、とため息とも吐息とも着かない息を吐いた。
僅かな疼きさえ、胸の奥になければ、それはこれほどまで艶っぽさを撒き散らしはしなかっだろう。その吐息が逸朗の心を煽るようにさらに火をつけたが、大輔はそんなことに思い至りもしない。
だから許可を得るための交渉をはじめる。
なるべく最終手段の奥の手を使わないで済むように祈りつつ…
心配ならジョシュアだけでなく、ダンカンも連れていく、できればマカナも連れていきたい、泊まるのはアランのところにする、毎日連絡するし、3週間以内には戻る、と条件を連ねたが、それには
「ダンカンを連れていくのは当然だし、影としてガブリエルだって付ける。マカナが行くのも賛成だ。大輔の管理ができるからな。アランのところ以外に泊まるのは有り得ないし、毎日連絡するのは必須だ。私としては1日3回は電話して貰わねば安心できない。なにより3週間だなんて長過ぎる。そんなに離れていては私が発狂するぞ」
とすべてに追加意見が出された。
発狂するとまで言われて、大輔は呆れたように首をふるりと振ったあと、上目遣いで逸朗を見つめ、諦めて最後の手段を使った。
「なんでも言う通りにする。けど3週間は絶対に必要。だから発狂しそうになったら逸朗が会いに来て。俺も淋しいんだから、嬉しいよ」
ここでちょっと言い淀み、こくりと喉を鳴らした。
そして、大輔はとっておきの笑顔を満面に浮かべて言った。
「いいでしょ、いちくん」
あざとく小首まで傾げて。
ふいに逸朗の意識が飛んだように彼の美しいブラウンの眼がくるりとまわった。
そして眼を閉じて、空を仰いだ。
肩が微かに震えていたが、そのまま少しも動くことなく、逸朗がたった一言囁いた。
「わかった」
大輔ははぁ、と大きく安堵の息を吐いた。
これで許可は得た。両手を高く上げてガッツポーズを繰り出す。
そして逸朗が衝動的な想いに突き動かされる前に大輔はこっそりと部屋から脱け出してきた。廊下で窓の外を眺めていたゴードンに帰ることを告げると、茶目っ気たっぷりの瞳を寄越して
「大変お上手にやりましたね、おめでとうございます。わたくしどももあとから駆け付けられますよう、準備を進めておきます」
と、にこやかに宣言された。
それには乾いた笑いを返しておいた。
こうして大輔ご一行さまはフランスへと旅立つことが決定した。
ちなみにこの夜は一睡もさせては貰えず、翌日はほぼ一日起き上がれるなくなるほど大輔が疲れ果てたことは、彼が使った最後の手段が本当の意味でリーサルウエポンだったことのいい証明なったと、ゴードンはにやにやしながら考えていた。




