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余談6 晃と哲司と大輔と

官能的かつ濃密なときを大輔と過ごした逸朗は深夜になるまで血が騒ぎ、眠れずにいた。

すでに健やかな吐息を漏らして眠っている大輔の寝顔を愛おし気に眺めながら、その髪を艶っぽく触れていた。


そろそろ滾った血も落ち着きを取り戻しつつあるころ、ベッドサイドに置いてある大輔のスマホがふわりと光った。

すぐにマルーン5が流れ出す。

逸朗の好みではないが、大輔曰く


「気分が上がるんだよね」


という曲は着信音である。

画面には大輔の大学時代の友人の名が出ていた。

深い眠りに入る前だったのか、ん、と声を零して大輔が微かに動いた。

起こそうか、逸朗が迷っているうちに着信が切れた。


僅かにホッとして逸朗は大輔の頬に指を這わせた。

寝かせてもおきたかったが、なにより友人との接触は抵抗があった。


しかし安堵もつかの間、すぐにまた着信音が鳴り出した。さすがに諦めた逸朗は愛してやまない男の肩を軽く揺すった。


「大輔、電話だ」


その声に大輔は反応し、眠そうな眼をごしごしと指で擦った。


「誰から?」


甘ったるく掠れた声がほんの少し舌足らずに聞く。それだけで逸朗の奥で警鐘が鳴り響く。自制しないと、また彼を襲ってしまいそうだ。


「晃、だそうだが」


晃…と口の中で呟き、すぐにぱっと眼を見開いた。


「晃!!」


慌ててまだ鳴っているスマホを手にして耳に当てた。


「晃?」


『大輔か?』


ふたりのやり取りは聴覚の優れているヴァンパイアには丸聞こえだ。大輔もそれは知っているが、気にしない。

聞かれて困ることなど、ひとつもないから。


「どうした?」


『あぁ、もう寝てたよな』


大輔の話し方に寝起きだと勘付いた晃が申し訳なさそうに言った。逸朗はすぐに顔を顰めた。あの可愛らしい話し方を自分以外のものが聞いたことが些か許せないのだ。


「うん、寝てたけど、起きたから、いいよ。なに?大事なことでしょ?」


夜中だ。

ほぼ真夜中だ。

お互い社会人になってから数か月に一度の頻度で会ったり、電話したりする程度の友人になっている。大学時代とは違うのだ。

なにかなければこの時間には掛けてはこないだろう。


『あぁ、うん、ちょっと話しにくいんだけどさ』


言い淀む晃に逸朗がさらに眉を顰めた。それに気付いた大輔は彼の身体に凭れるように添い寝する。すると冷たい腕がそっと大輔に巻き付いてきた。


「とりあえず話してみて、聞いてみないとなんだかわかんないから」


『そうだよね、実は哲司のことなんだけど』


「哲司?」


その名を聞いて、柔らかく抱きしめていた腕にぐっと力が入った。

少し苦しくて、大輔は身動ぎする。


『あ、うん、哲司。あいつさ、肝臓壊してさ、ちょっとヤバかったんだけど』


「それ、知らない」


『うん、言ってないから。で、さっき哲司のお母さんから電話で、あと半年もないらしいんだわ』


「……」


寝ぼけているからなのか、大輔の頭に晃の言葉が入ってこない。

半年もない?


「え、なに?半年もないって、どうゆこと?」


『余命半年宣告されたんだって』


「…え、ちょっと理解できない」


『気持ちはわかるけど、話はここからだから』


「……」


黙った大輔に、聞く気があると判断した晃がため息をついたあと、すぐに話を続けた。


『それで最後に会っておきたい人は?っておばさんが聞いたら、大輔、おまえに会いたいんだって』


「俺、に?」


逸朗の瞳に深紅が混じり、赤く光っていくのが薄闇の部屋の中で目立つ。

大輔がそれを見ながら、仕方ないよね、と首を振った。


そして最後に哲司に会った日のことを思い出していた。


イギリス短期留学からの帰国後、本格的な伴侶になったことで、大輔は自分の部屋を解約し、完全に逸朗の部屋に移り住むことを決めた。

それで要らない家具を捨てたり、ごみを出したり、必要なものをまとめたり、という作業を手伝うという名目で、久々に3人で大輔の部屋に集まっていた。


そのときに大輔は逸朗と付き合っていること、そして今後は彼と一緒に生きていくつもりがあることを晃と哲司に話をした。


ルームシェアをする時点で多少は怪しいと思っていた晃は意外にもすんなりと受け入れたことに自分自身でも驚いていたが、相手が逸朗なら、しかもかなりの溺愛ぶりを聞かされては必然だったか、とただ納得しただけだった。


しかも…


「あれ、なに?」


晃が親指で指したのは玄関のドアの前で面倒そうに立っているダンカンだ。

どう説明しようか悩みながら


「あれはダンカン。俺の、護衛?」


なんて大輔が言うものだから、確かに溺愛だな、と晃は乾いた笑いを漏らした。

しかし大輔のこの恋愛事情に過剰反応したのは哲司だった。


「なんで?おまえ、女の子、大好きじゃん!今更、男となんて、言われたらっ!」


声を荒げて、すぐに片手で眼を覆い、天井を仰いだ哲司は耳まで赤く染めて上げて、唇を噛んだ。

晃が場の雰囲気を読んだのか、困ったように哲司の肩をぽんと軽く叩き、ダンカンを連れて買い出しという名目で部屋から出て行った。


微妙な空気が流れ、大輔の困惑は増した。


「えっと、そりゃ、驚くよね。俺だって自分でもびっくりだったし。でもべつに今でも女の子は好きだよ。ただ逸朗が特別だってことで…」


「なんだよ、それ!」


強く言って、哲司は大輔の肩を掴んだ。


「なんだよ、それじゃ、俺が諦めた意味が、わからなくなるじゃん!」


そして掴んだ力のまま、哲司は大輔の唇に自分のそれを押し付けた。

なにが起こったのか、理解できない大輔は加えられた哲司の力に逆らう気力もなく、押し倒された。

乱暴に、けれど切実な悲哀を込めて、哲司のキスは深くなっていく。

大輔は慣れた逸朗のものではないものが自分の舌を絡めとる感覚にはじめて何が起きているのかを理解した。


そして自分の中に現れる、哲司に対する嫌悪感。


震える身体を必死に動かして、大輔は抵抗した。

もう、友人だった哲司は彼の中には存在しなかった。いまはただ、自分を害するだけのもの。

そう思うと、さらに抵抗する腕に力が籠った。

根底に大輔への溢れんばかりの気持ちがある彼はあまりの大輔の抵抗に一瞬、迷いを感じ、押え付ける唇が緩んだ。


「やめろよ!」


僅かな隙をついて哲司の唇から逃げ、堪らず叫ぶ。

けれど今度は両手を押さえつけられ、完全に組み敷かれた。

そして哲司の額が大輔の胸に乗せられた。


「ずっと、ずっと好きだったんだ。友達としてでもいい、傍にいられたらなんでもいい、そう思ってきたけど、お前が好きになったのが、あいつなら、俺だっていいじゃないか!」


悲愴に喘ぐ叫びが大輔の力を根こそぎ奪っていく感覚がした。

嫌なのに、こうしていることすら恐怖でしかないのに、哲司を振り払うことができない。

いろんな感情が大輔を襲い、ぼろぼろぼろぼろ、涙が止めどなく流れた。


哲司が我に返ったようにぱっと顔を上げて、大輔をみたが、すぐにその唇を塞ぎにきた。

思わず顔を背ける。


「逸朗だから、俺は、男だからじゃなくて、逸朗だから!」


それが哲司に大きなショックを与えたように、彼の顔が切なく歪む。そして悲痛に喘ぐ。


「俺は哲司だ!哲司を好きになればいいじゃないか!」


気持ちの大きさに、そして想ってきた長さに、重さに、大輔の呼吸は止まりそうだった。

飲まれてしまいそうな哲司の、爛々とした瞳に今までにない恐怖を感じた。


「だから、俺は、逸朗じゃないと、もう、無理なんだって!」


最後の叫びを、掠れながらも上げた俺の眼に、唐突にダンカンが映った。


「ちょっと、これは、ヤバいっすよ」


覗き込んできたダンカンが片手でひょい、と暴れる哲司を持ち上げる。

その後ろには呆気に取られた晃が、両手にコンビニの袋を提げて立ち竦んでいた。


「すいませんね、うちのボス、溺愛するだけじゃなくって、アホほど嫉妬深いんすよ。しかも無慈悲。命あるうちに逃げた方がいいっすよ」


ぽい、と実に軽々と哲司を玄関に投げ、ダンカンは大輔の手を引いて起こした。

その瞳には懸念の色が浮かび、幾分か不安そうに揺れていた。


哲司が途端に紅潮して、大輔を一瞥すると、あとも振り向かずに走り去っていった。

それが哲司を見た最後だった。



『おまえもさ、いろいろと思うところはあると思うけどさ、たぶん、あいつ、謝りたいんだよ』


晃の声で大輔は過去から戻った。

そうか、電話していたんだ、とスマホを持ち替える。


「うん、わかった。会いに行く」


その言葉に逸朗が過分に反応を示す。

それはそうだろう、と大輔は思う。

大輔から哲司にされたことは一切口にはしなかったが、その様子に違和感があった逸朗はダンカンから詳細を聞き出していた。

そして殺してやる、と出掛けようとした彼を止めたのはジョシュアだった。

そんなことをすれば大輔さまがウィリアム様ををどう思われるか、よく考えてください、と言って。


伴侶として、あのとき以上に愛が重くなっているいま、会うことは逸朗にとっては許されることではなかった。

それでも逸朗は黙っている。

口を開けば、大輔の思いとは反することを迸ってしまいそうで…


「ただし、逸朗と行く。そうじゃなきゃ、行かない」


強く、その声は断固とした意思をのせて、大輔は言った。


『当然だな、じゃ、メールするから、なるべく早く行ってやってくれ』


それで深夜の電話は終わった。


朝までまんじりともせずに、それでもふたりは抱き合って夜を過ごした。

言葉はなかった。

電話を切ったあと、しばらくして、メールが届いた。

病院の名前があった。

皮肉にも、逸朗が経営に携わっている大きな総合病院だった。


「行くなら早い方がいい」


マカナが作った朝ご飯を食べていたとき、ふいに逸朗は決心したように言った。

大輔がそれに小さく頷いた。


「一緒に行ってくれる?」


「もちろんだ。ひとりでは行かせない」


たったそれだけを交わして、またふたりは無言で食事を続けた。マカナも常にないふたりの様子に何かを感じ、口を挟むことはなかった。


「久しぶり、哲司」


哲司は個室のベッドに半身を起こして横になっていた。

顔色は黒く、頬はこけている。

見覚えのある顔立ちはすっかり変わっており、ただ爛々と光る瞳が食い入るように大輔を見ていた。

短髪にしていた髪はかなり伸びて、さらに彼の爽やかだった印象を変えていた。

それでもこれは哲司だった。

大学時代、いつも一緒に馬鹿をやっていた、哲司だ。


「大輔…」


張りのある男らしい声は弱弱しく掠れたものになっていた。

それでも僅かに耳に懐かしい音がした。


「知らなかったよ、病気だって。もっと早く言ってくれればお見舞いもできたのに」


拗ねるように、昔と変わらないように、意識しながら大輔は言った。

逸朗は病室のドアの前で待ってもらっている。

いま、ここにいるのは哲司と大輔だけだった。


「来てくれたんだな」


こけた頬を釣り上げるようにして笑って、彼は絞り出すように言った。少し自嘲気味な笑み。


「来いって言ったんだろ、来るにきまってるよ」


いつも通り、と心に言い続けていないと平常心を吹き飛ばしてしまいそうになりながらも大輔はなんとか笑顔を作り出す。


「ありがとう、俺、ずっと謝りたかったんだ」


くしゃりと顔を歪めた。たぶん、泣いたのだろう。すでに泣くだけの体力もないのか、涙を流すことすらできずに、哲司は泣いていた。


「いいよ、もう、気にすることじゃない」


「俺はずっと気にしてた。大輔と、俺があんなこと、しなければ、もっと一緒に、いられたのに、ずっとずっと後悔してた」


途切れ途切れに、苦しそうに吐き出す。

体力的に苦しいのか、精神的に苦しいのか、もしくは両方か。

思うだけで大輔の息まで苦しくなった。


「いまでも好きなんだ、大輔と会わなくなって、でもやっぱり諦めきれなくて、あいつといる姿を見たりして、やっぱり俺は許せなくて、でも本当はずっと一緒に笑ってたかった」


「うん」


ごめん、と言いかけて、大輔は口を噤む。

謝れば傷付くのは哲司だと、思うから。


「死ぬってわかったとき、やっぱり大輔に会いたかった。謝るのを口実にしてでも、俺は大輔に会いたかった。好きなんだ…忘れられなくて、ずっと好きで…」


とうとう哲司は嗚咽を漏らした。

泣く力もないはずなのに、えぐえぐと声を上げている。


大輔は彼の傍まで行き、その痩せて背骨と肩甲骨の浮き出た背中をゆっくりと撫でた。

泣きそうになる自分を必死で抑える。


「…幸せか?」


背中に大輔の温かい手を感じた哲司が小さく零した言葉。


「うん、幸せだ」


囁くように大輔は告げ、労わるように彼の肩を優しく叩いてやった。


「そうか、晃から、様子はずっと聞いていたんだ。正直、ムカついてたよ」


「なんだよ、それ、じゃ、聞くなよ」


くつくつとふたりで笑い合う。

こんな時間を、また過ごせることがあるとは思ってもいなかった。


「だよな、でも気になって。もしも捨てられてたら、俺が迎えに行こうって、ずっと狙ってたんだよ」


「しつこいな、そういうのに興味ない、って顔してたくせに」


いつも哲司は恋愛話になると、俺は興味ないからな、とか面倒だな、と投げたような態度だった。


「お前のこと以外、興味ないってだけ」


そう言って彼は吹っ切れたような満面の笑みを浮かべた。

それは大輔にかつての彼を思い起こさせるには充分なものだった。

いろんな思い出が突然蘇り、一瞬眩暈を覚える。


「でもやっと、吹っ切れそう。あの世に持ち込まずに済みそうだよ」


疲れたように枕に頭をのせて、彼はゆっくりと眼を閉じた。

大輔は哲司に、そっか、と呟き、また来るね、と言って病室をあとにした。


それから3日後、晃から哲司が亡くなったとメールを貰った。

医者の宣告よりも随分早かったが、大輔と最後に笑い合えたことで悔いがなくなったんだろう、と晃のメールは締められていた。

居間でそのメールを読んでいた大輔はふと窓の外をみた。

眼下に広がる公園は名残の桜で満たされており、奇しくも吹き上がる風に見事に花弁を舞わせていた。

春の終わりを告げるかのように。

その潔い散り様に、大輔は胸を抉られた気分だった。

儚くも美しい景観に耐えられなくなり、彼は自室に駆け込んだ。


その夜は、大輔はひとり自室に籠り、哲司のためだけに泣いた。身体中から水分を出し切るくらいに、泣いてやった。

それが大輔にできる供養だと、確信していたから。


逸朗は、その慟哭を大輔の部屋のドアに背中を預けて一晩中、聞いていた。

これくらいしか、できることがなかった。


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