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9 彼女との時間

「ほんと、ムカつくのよ」


唇を尖らせたまま、彼女はさっきからずっと就活の愚痴を零し続けている。

俺はコーヒーを飲みながら、ひらすら頷いて聞いていた。

ころころと変わる表情が可愛くて、横に座る彼女の髪を漉きながら、どのタイミングでキスをしようか考えていた。

ほとんど右から左に流れる話は聞いているだけで残ってはいない。

彼女も意見を求めてはいないのだから、それでいいのだろう。話すだけ話してストレスを発散させればすっきりする。こんなところで意見を言われても嬉しくもないだろう。

求められているのが癒しであることを俺はちゃんと知っている。

だから小さな微笑みを口元に浮かべたまま、ただ話を聞いているだけ。


散々話してすっきりしたのか、彼女は何気に部屋を見回した。


「なんか、妙に物が少なくない?引っ越しでもするの?」


「うん、もしかしたらシェアハウス、みたいな感じになるのかもしんない」


同じように部屋を見回し、俺は言った。

いつの間にか俺の部屋からは必要だと思われるものだけ、消え失せていた。テレビとか、財布とか、いかにも泥棒が喜びそうなものは残っているので、盗まれたわけではないのだろう、とは思っている。

俺も戻ってきて、妙に整然とものの少なくなった部屋を目の当たりにしたときは自分の部屋かどうか、何度も確認したくらいだから、彼女が驚くのも無理はない。


「シェアハウス?」


「なんかね、一緒に住むことになりそうな感じなんだけどさ、それがまたすっごい部屋なんだって。エレベーターで上がってドアが開いたらもうそこが部屋でさ、でっかい居間が広がってるわけ。それ以外の部屋はまだ見てないんだけど、そこに一人で、ってのはさすがにもったいないなとは思ったよ」


「なんかすごい話。一緒に住む人はどんな人なの?」


小首を傾げる彼女の瞳が小さく揺れている。


「大学の准教授。めっちゃ綺麗なイケオジ。いつも女子に囲まれてる感じの人」


「え、准教授?!」


「そ、先生さま」


軽く言って、俺は笑った。

彼女の目がまんまるに見開いて、とっても可愛かったから。


「なんで?どうしたらそうなるの?研究関係が一緒なの?」


「いや、文学部の先生だしね、まったく分野外だけど、なんか成り行きっていうか、俺もよくわかんないんだ」


「そんな適当なことでいいの?」


「ま、俺だし?」


茶化した俺の肩を彼女は拳で軽く殴る真似をした。

でも一緒に住む相手が男だと知って、少し安心したように瞳が緩んだ。


そりゃそうだよな、その相手から求愛されてるなんて思わないよな、と結構な罪悪感で息が詰まりそうになる。けれど俺はそれを彼女にはみせない。

そんなことを話しても仕方ない。

俺がそれを受け入れると決めたわけではないのだから、今は彼女に話す必要のないことだ。


大きく両手を挙げて伸びをした彼女は、さてと、と呟いてから立ち上がった。


「え、帰るの?」


今からラブラブタイムかと期待していた俺は調子の外れた声を上げた。


「うん、癒されたし?もうちょっと頑張れる気がしてきたから、やっちゃおうかなって」


彼女がにっこりと笑う。

笑うと目が細く弧を描き、大きく開いた口の横にちょこんとえくぼが現れる、その顔が可愛くて、俺はたいていのことを許してしまうんだ。


「そっか、残念だけど、仕方ないね」


「早く決めて、さっさと羽根伸ばしたい…!」


「そのときはぜひともお誘いください」


恭しく言って、二人で笑った。


玄関まで彼女を送りながら、そっと腕の中に抱き寄せ、俺は軽く唇を合わせた。

するとちょっと躊躇った後、彼女の腕が俺の首へと巻き付いてくる。それを合図に舌を彼女のそれに絡めた。

しばらく息もつかないほど、深くキスを交わして、やっと俺は彼女を離した。

潤んだ瞳がうっとりと俺を見つめ、頬はほんのり染まっている。たぶん、今日イチで綺麗なんじゃないか、と俺は満足した。


「またね」


艶めいた声音で囁いてから彼女は去っていった。


「うん、また」


呟いて俺はほんの少しの荷物をまとめるために部屋へと戻った。


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