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余談3 幸せは灯台下暗し

エミリアは鏡の前に立って、己の全身を眺めまわした。

美しく均整の取れた肢体、肩からなだらかに膨らむ豊かな乳房、そこから急激に細くなる華奢な腰、さらにもう一度盛り上がりをみせる尻、そして真っ直ぐに伸びた健やかな脚。

どこをとっても完璧の一言で表現されるしかない、素晴らしいスタイルの上には知的さはないものの、恐れをなすほど整った顔がのっている。

大きな瞳に影ができるほどの睫毛、穏やかにカーブ描いた魅力的な眉に、整形でもしたのかと疑いたくなるほど形のいい鼻と唇。

唇に至ってはうっすらと開かれただけでも、その蠱惑的な艶めきに居並ぶ男性みな、腰を抜かすほどの色気を漂わせている。


その上たっぷりのブルネットヘアがさらに彼女の美しさに拍車をかけていた。


「なのに、私はウィリアムを男に奪われたの?」


エミリアの頭からはそのショックが拭い去れないままだった。

豪奢な城を失い、一族だと養ってきたヴァンパイアは離散し、アイスラーという家名は残されても名だけにすぎず、ヴァンパイア一族からは追放され、野良だと蔑まされる存在になってもなお、彼女の心に残るのは、逸朗が自分ではなくただの人である男を選んだ、という事実だった。


今、彼女は執事であったロルフが用意した屋敷に滞在している。

もともとこの屋敷はロルフの父の持ち物で、ヴァンパイアと成ったときに手切れ金代わりに親から渡されたものだった。

息子を化け物と呼び、縁が切れるなら屋敷をくれてやる、と詰られた際に手にした屋敷で、これをどう扱ったものかと思いながら、その父が亡くなってからも住むこともなく手入れだけして保存してきたのだが、この期に及んで役に立つとは思わなかったロルフは、このときはじめて親に感謝した。


ロルフをヴァンパイアにしたのはエックハルトだった。

それも自宅の庭を散策していたときに颯爽と目の前に現れたエックハルトが一瞥して


「役に立ちそうな男だな」


という一言で、その場から攫われ、ヴァンパイアに成ったという経緯である。

記憶は曖昧ながらも激しい飢餓感に苛まされた強烈な記憶だけは残るほどの苦痛のあと、執事教育を施される毎日に辟易したロルフが家恋しさに何とか逃げ出し、戻ったとき、エックハルトから脅されていた両親が敷地にすら入れてくれずに言ったのが、あの言葉だ。

玄関で申し訳なさそうに首を垂れる執事を前に、ロルフは2階の窓から飛んでくる父の言葉に総身を冷やした。


「化け物!二度とこの家に来るな!おまえはもう息子ではない!」


そして豪華な装飾の施された鍵を投げつけて


「これが手切れ金だ!」


言われた彼は項垂れてアイスラー家に戻るしかなかった。

父が亡くなり、家が没落したと知ったとき、すでにエックハルトの右腕になっていたロルフはオークションで売りに出された家系図を手にした。

そこには己の名が削られており、それを目の当たりにしたとき、アイスラー家のために生きようとやっと心が定まった。

運命に翻弄された人生だと、ロルフはつくづく思った。


やっと己の自由が利くようになったころ、思わぬ行動により、エックハルトが死に、激動に流されるように気付けばエミリアの執事に収まっていた。


「ロルフ、私は綺麗だと思うのだけど…」


もう何時間も鏡の前でポーズをとり続けていたエミリアが紅茶を手にしたロルフが入って来たのを眼にして聞いた。

それには頷くだけで応え、彼はテーブルに茶器をセットした。


「エミリア様、宜しければ休まれてはいかがですか?」


現在、アイスラー家の財産は没収されることもなく、またヴァンヘイデン家から投資のスペシャリストが派遣されて資産を減らさないように指導してくれるため、不自由のない生活は送れている。

逸朗に思うところはなくはないが、ロルフは同じ男として懐の大きさに感銘を受けてもいた。伴侶を害され、己自身をもモノのように扱われたにもかかわらず、かなり寛大な処置だったと今更ながらに感じ入っていた。


定例会のときはどう報復してやろうかと、復讐心に燃えてみせたが、いざこの生活がはじまってみると、ロルフとしては実に快適なものになった。


なによりエミリア様のお傍で健やかな姿を拝見して過ごせる幸せを超えるものはありません。


ロルフは思って、顔を赤らめた。


いつ頃からだろう。

ロルフがエミリアに気持ちを寄せるようになったのは。

はじめて会ったのはヴァンパイアに成ったばかりの頃だった。戸惑いばかりの生活の中、訳も分からず執事教育が始まり、毎日が辛いどころのものではなく、ほぼ地獄のようだと泣き暮らしていた頃だ。

あまりの辛さに逃げ出す算段をしていたとき、ふと窓の外を見た彼の眼に、今まで見ただれよりも美しく咲き誇る薔薇のようなエミリアが視界に飛び込んできた。

その衝撃は200年経っても鮮烈で、忘れようもない。


彼女はただ庭園を歩いていただけだったのに、ロルフは眼を離すことが出来なくなった。

そして当時の執事にだれかと問えば、名前だけは聞いたことのあるエミリアだった。


エックハルトの縁戚の令嬢。

そして当主を争うだけの実力をお持ちの尊き女性。

加えてあの美貌。


その彼女がもう永いことヴァンヘイデン家のウィリアムに恋い焦がれていると知ったのも、彼女の名前を知ると同時のことだった。

エミリアの名前が出たあとに必ずウィリアムの名前が噂として流れるのが定番だったからだ。


それほどだれもがエミリアが逸朗を慕っていると、そして事有るごとに彼を誘惑していると、噂していたのだ。


あまりの身分違いに、ロルフはすぐに諦めた。

親から勘当されたとき、一番最初に頭に過ったのはエミリアだった。

戻れば彼女とともに過ごせる、と。

逃げるときに後ろ髪惹かれた理由も彼女だった。

もうこれで会えなくなるかも、と。


けれど結局、ロルフは戻り、気付けば彼女の執事として傍にあるようになった。

アイスラー家が没落しようとも、変わることのない関係だと思っていたのに…


「ロルフ、おまえは確か、シュナイダー家の生き残りだったな?」


投資家を派遣するために来訪したアランから突然聞かれたロルフは長年聞かなかった名前が己のものだと認識するのに時間がかかった。

そしてそれがかつて名乗ったものだとわかったとき、少しの希望に胸がときめいた。


「家格は別にしても資産だけはあるのだから、今後はロルフ・アイスラー・シュナイダーと名乗り、シュナイダー家を再興させて、いずれウィルの許しがでたときにでもヴァンパイア一族として名を連ねることを考えておくといい。まぁ、あれの伴侶に話をすればすぐにでも許してやれ、と言うだろうがね」


そう言って、私の方からも会には報告しておくから、とアランは去っていった。


この日を境にロルフは守るべき一族を得た。

そして身分違いと諦めていたエミリアを一族として迎えるだけのものも得た。

いまや彼は大輔さえ認めればヴァンパイア一族を率いる当主となれる立場にある。


いまだ逸朗に振られたショックを隠さないエミリアを眺め、ロルフは彼女こそが伴侶だと確信しているが、それを彼女に気付かせるにはどうすればいいのだろう、と考えた。


この生活に突入したとき、途方に暮れた彼女は放心したまま、この屋敷の広間の中央に立ち尽くし、


「私、あなたがいないと人としてもヴァンパイアとしても生き残れないのね」


と呟いたのだが、次第に生活に慣れてくれば、その言葉を忘れたように逸朗への想いを口にするようになっていた。


あのときに、ロルフ・アイスラー・シュナイダーと成れていたら…


何度も思い、後悔したが、こればかりはタイミング。

どうにもなるものでもない。


ロルフがまたもや諦めようとしたとき、思わぬ来訪者が玄関の呼び鈴を押した。


「突然、ごめんなさい」


玄関を開けた先に立っていたのはエックハルトが求めたせいで身を滅ぼす原因となった男だった。

そしてエミリアの目下の恋敵でもある。


「大輔さま…」


本人に会うのははじめてだったが、ごく普通の青年に感じるにしては不思議なほどの欲望が芽生えるのを感じたロルフはその先の言葉を発することができなかった。

今すぐにでもこの男の血を飲みたい、と焦がれるほどに願い、これがエックハルトを自滅に導いた聖女の如き血のなせる業か、と思い至った。

そしてそれを得た逸朗に思わぬ嫉妬を抱く。


「少し、お話をしたくて来ました」


言った男の後ろには構えるように鋭い視線を飛ばしているジョシュアがいる。

彼のことはロルフもよく知っている。なんといってもアイスラー家の塔で監禁したことがあるのだから。


「ジョシュア様も、いらしてたんですか」


「いつかは世話になった」


低くぶっきらぼうな声で放つように言うと、ジョシュアは大輔の前に出た。


「エミリアには用はない。あるのはおまえだけだそうだ」


その後ろで大輔がジョシュアの袖を引っ張る。それに眉を動かして応えた彼は渋い顔をしたまま言葉を投げた。


「エミリアの同席を許してもいい」


正直なところ、ジョシュアは大輔をエミリアに会わせたくはなかった。

あれは嫌な女だ、と認識しているだけに、大切な主を護るためにも断固反対だった。

それを言うならドイツまで来ることすら抵抗した。

しかし


「それなら一人でも行く」


とパスポートを手に飛行機へ飛び乗ろうとする大輔をなんとか宥めすかし、一緒に来ることになったのだ。

逸朗にバレたら…と思うと、あまりの恐怖にロルフの話を教えたアランに怒りがふつふつと湧いてくる。

このままフランスに渡って、ぼっこぼこにしてやろうか、と道中何度も考えたくらいだ。


「これは失礼致しました、玄関で立たせたままとは、どうぞ中へお入りください」


慇懃にロルフが言って、ふたりは中へと入った。

物珍しいのか、大輔は感心したように周囲を見渡す。ジョシュアは早くどこかへ座らせろ、と圧を掛けた眼でロルフを睨みつけていた。


ふたりを応接間へ通すと、ロルフは幾分悩みつつ、エミリアへ話を通しに行った。

すると彼女は突然その瞳に闘志を燃やし、応接間へと駆け出して行った。

溜息をひとつ、吐いたあとロルフはもてなすためのお茶を準備しにキッチンへ向かった。


「こんな、普通の、男なの?」


戦意喪失したかのようなエミリアの声が応接間のドアをノックしようとしたロルフの耳に届いた。

けれどその声に彼を渇望する熱が籠っているのが彼にはわかった。

やはり彼女も彼の血を飲みたくて仕方ないのか、と思いながらノックした。


「やはり血なの?それとも魂なの?伴侶ってなんなの?」


混乱を来したように言葉を紡ぐエミリアに唖然とした表情で大輔は黙っていたが、ロルフが入って来たのをみて、すぐに笑顔を浮かべた。

特徴のない、当たり前の微笑みに当てられたようにロルフもエミリアも眩暈を覚えた。

これの傍にいて普通でいられるジョシュアに思わず尊敬の眼差しを送ってしまう。


「ヴァンパイアのほうがその件に関しては詳しいと思いますけど…」


一応は答えておかなければ、と思った大輔がエミリアに言うが、もうそれどころではない。

彼女は彼の血の匂いに完璧に参っていて、憎いと思う気持ち以上に恋情を抱き始めていた。それが行動にも出て、気付けば大輔の隣に座り、腕を絡めて胸を押し付けていた。

ジョシュアがそれを苦い顔で睨み、エミリアの身体ごと抱え上げ、大輔の向かいのソファに投げた。そして本来護衛である立場ではあり得ないが、彼の隣に坐した。


「ジョシュア!女性に対して失礼だよ!」


小声で叱る主にジョシュアは一礼しただけで返した。

投げられたエミリアは驚きに大輔への渇望を一瞬忘れたようだった。

ホッとしてロルフは茶器をそれぞれの前に置いた。


「それでお話とは?」


己もエミリアの横に座り、話を促した。


「アランから聞いたんだ。一族の当主になるのに俺の許可がいるって」


「違います、大輔さま。ウィリアム様のお許しが必要ですが、大輔さまが許せば即許されるのでは、という話でして」


横でジョシュアが補足説明を小声で囁く。それに深く頷いて、


「それって、結局俺が許せばいいってことでしょ?」


と囁き返していた。

この主従も大概の関係だな、とロルフは己を棚に上げて思う。


「とにかく俺としてはもう怒ってないし、これから先、いちろ…えっとウィルに手を出さないってことならシュナイダー家の再興は問題ないって言いに来たんだ。ついでに」


そこまで言ってから大輔はとても爽やかな笑顔を向けてエミリアにカバンから出した書類を差し出した。


「ウィルには構わない証拠として、エミリア・アイスラー・シュナイダーになることが条件で、ヴァンパイア一族への再加入を許可しようと思って、これが書類」


「は?」


予期せぬ話にエミリアは混乱した。もともとさほど頭の回転の速い方ではない彼女は己の理解の及ばない話になるとすぐに脳停止する癖がある。


「つまりね、ロルフと一族を再興して、ヴァンパイア一族にもう一度名を連ねるのはどうか、ってこと。ここにサインしてくれれば、すぐにでも承認するけど」


大輔が指した先には書類の最後に空いている空間。それもふたり分。

ロルフとエミリアがサインすべき空欄があった。

ロルフの心が騒めき、踊る。

そしてちらりと横にいるエミリアに視線を送った。

千載一遇のチャンスとはこういうことを言うのではないか、思ったロルフはすぐにでもサインをしたかったが、エミリアは少しずつ理解してきたのか、美しい顔が歪み始める。


「それは私にウィリアムを諦めろってことかしら?」


「俺からしたらまだ諦めてないの?って感じだけど」


正面から受けてたった大輔を護るようにジョシュアが身体を前に出す。ロルフは期待に膨らむ胸とはべつに一触即発の雰囲気に居た堪れない気分になった。

ヴァンヘイデン家のおかげで生き延びている意識があるだけに、やはりここは逆らうべきではない、という執事魂が蘇る。


「私はずっとウィリアムをお慕いしてきたのよ!」


「でも俺が伴侶だし、ウィルは俺にしか興味ないよ」


感情なく言い放つ大輔の言葉にエミリアは唇を噛みしめた。口惜しさが彼女の瞳を震わせている。


「エミリア様…」


何とか諫めようと声を掛けたとき、唐突に窓が割れる音が応接間に響いた。


驚き、顔を上げたロルフの視界に、片手を額にあてて首を振るジョシュアが映った。


「こんなところにいるとは、まったく、いつもいつも予想外のことをしてくれる」


低く甘い声が大輔を刺し貫くように発された。

振り仰げば、そこにいたのは逸朗だった。


「逸朗!」


窓から悠々と登場した逸朗は躊躇いなく大輔のところへ行き、ジョシュアをねめつけた。慌てて彼が立ち上がり、伴侶の横を譲る。

すると満足げにそこへ座り、逸朗は人目などないかのように大輔を愛で始めた。

伴侶の肩を抱き、鼻で頬を撫で、唇を首筋に這わせ、肩を抱いてない方の手は忙しなく大輔の腿を愛撫した。


目のやり場に困るほどの愛情を目の当たりしたロルフは困ったようにジョシュアをみたが、彼はそれに首を振ってから言った。


「もう慣れましたよ、これが通常運転ですから」


その言葉に逸朗はにやりと笑ってから、大輔にねっとりと熱いキスをした。

やめて、と抵抗する彼の身体は心とは裏腹に逸朗へと絡みつくようにうねっている。


こんな醜態をみせられたエミリアの心情を、やっと慮れたロルフが彼女を守ろうと振り向いたとき、彼はもう一度彼女に恋をした。


彼女はその美貌から一切の感情を消し去って、眼前に繰り広げられているものを眺めていた。そしてその整った口から思わぬ言葉を囁いたのだ。


「私、間違ってたわ、全然違ったわ」


キスを終えた逸朗がとろんと瞳を蕩かせている大輔を抱え込み、エミリアに向き合った。

そして真意を問うように眉を少し上げてみせた。

そんな表情も魅力的な男だと、ロルフは思ったが、すぐにエミリアのセリフで己の劣等感は吹き飛んだ。


「ウィリアムにこんなこと、されたいとは思わないわ」


「ならばだれならいい?」


面白そうに問う逸朗の言葉にエミリアは呆然としたまま、横で心配そうな顔で座る男に視線を向けた。


「ロルフ、あなたなのね?私、あなたを愛してるのかもしれないわ」


思えば彼がいなければ自分は生きていなかったと思った。

いつだってロルフがエミリアを守ってきたと、だれよりも大事に接してくれたと、そして今でも傍にいてほしいのは彼だと、エミリアは気付いたのだ。


「エミリア様…」


「ロルフ、エミリアと呼んで。私、あなたと伴侶になりたい、伴侶ってこういう気持ちなの?それとも私が鈍いのかしら?」


そうだとも言えず、ロルフは困った顔で彼女を見つめた。

そしてふたりの視線がテーブルに置いてある書類に注がれた。


「エミリア、それでは私の伴侶となって、シュナイダー家の一員となりますか?」


声が上ずるが、ふたりともそんなことには気が回らない。


「ええ、お願い。サインをさせて」


胸ポケットから万年質を取り出したロルフは愛しいエミリアに渡す。


「お願いします」


するすると美しいサインが空欄を埋めていく。

エミリアのあと、ロルフも流れるようにサインを終えた。


「これで大輔の仕事は終わったな。では帰るとするか」


機嫌よく言った逸朗は力の抜けたままの大輔を横抱きにして立ち上がり、ジョシュアに書類を回収するよう指示をしてから颯爽と屋敷を去っていった。

まるで嵐のような出来事だった。


そう思えば窓の一枚や二枚、と思いつつ、ロルフはあとで窓の修理代は絶対に請求してやろうと心に誓った。


でも今はそんなことはどうでもいい。

やっと欲しかったものを手にしたのだから。


それもウィリアム様のおかげで…


忌々しくも思うも、やはり男として勝てない、とロルフは感じた。

器量も容姿も、なにもかも。


あれと張り合おうとしていたエックハルトが気の毒に思うほどだった。


ロルフは横で幸せそうに微笑む愛しの人をみて、その手を握り、ゆっくりと今までの時間を取り戻すかのように唇を合わせた。

エミリアははじめての幸福感に包まれ、切ない吐息を漏らした。


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