82 アラン、決着する
ノックに反応したベルトランがドアを開けようとノブに手を掛けたとき、マリアンがヒステリックに止めた。
「勝手になにをする!ベルトラン!」
己の名を呼ぶ主に視線をやることもなく、ベルトランは躊躇いなくドアを開けた。
そこにはだれもが想定していなかった人物がにこやかに微笑んで立っていた。その小脇には比較的大きな額を抱えている。
「狼…!」
ケンジがすぐに彼の傍まで走り、感極まったように肩を抱いた。
狼はケンジの背中を片手でゆっくりと撫で、よく頑張ったね、と労った。
「まさか、狼が…」
不定期とはいえ、何度も開かれた定例会に人狼の出席は少なかった。不参加を表明する手紙がほとんどで、よくて議題に対する書類の提出があるくらいだった。
たまに出席の連絡が来ても、大抵は代理のものが来る始末。
狼とは名ばかりで、実在しないのではないか、というのが冗談ともつかず、実しやかに囁かれていたほど、その存在は秘していた。
それがこのタイミングで現れるとは、だれもが予想しない出来事だった。
ましてやその狼の後ろに、どこの一族にも属さない日本でヴァンパイア一族を率いる小百合がいる。
どの頭の中も理解が追い付かずに、混乱の極みだった。
「私が参加するのはじめてだからね、困惑させてしまったね。けれど、今日の私は参加者じゃないんだ」
予想以上に緊張感のない様子で言う狼の言葉にだれも言葉を挟むことはできない。
「私自身が証拠として来てるんだ、まずはこれを見てもらおうか、きっとクレモンならわかると期待してるんだ」
なにに媚びることもない狼はクレモンを敬称すら付けずに呼んだ。それを誇らしげにケンジが眺め、ついで狼が示そうと手にした額を支える手伝いをした。
クレモンが息をのんだ音が静かな部屋の中に木霊した。
そこには見事な魔法陣が描かれた人の皮膚が額装されていた。
あまりにも見覚えのある魔法陣に、クレモンは恐怖を感じて、腰を抜かして床に座ったままの尻で一歩後退った。
「わかるよね、これ、あなたの作品でしょ」
微笑む狼の瞳が一層の黒を纏う。
それがクレモンに与える恐怖の色合いを濃くする。
なんて美しいのだろう、と小百合は惚れ惚れする想いだった。
「これはうちの若い子たちに押された刻印なんだ。ヴァンパイアと違って残るからね、証拠として提出させてもらうよ」
額を割れたテーブルの上に斜めになってはいるが、なんとか置いた。
それから思い出したかのようにぽんと掌を打ち合わせた。
「これだけじゃないから、隠蔽なんて無駄なこと、しないほうがいいよ」
それだけを言って、ケンジが譲ってくれた椅子に鷹揚に座った。その彼に寄り添うように小百合が立ち、ふたりの特別な関係を周囲に示した。
さらにダンカンがヴィクトーを連れて入ってきたとき、これ以上ないくらいの混迷を極めた。クレモンはもう悲鳴を上げて、逃げ出そうと足掻くし、マリアンは茫然自失で、試合放棄の体だった。
エミリアはまったく状況についていけず、ロルフはその説明すら面倒になっていた。
これほどの準備をしてきたヴァンヘイデン家に勝つ術があるわけがなかった。
この場に参加するまで、今までの定例会と何ら変わらないとなんの準備もなく来たロルフはすべてを諦めようと、覚悟した。
「ではヴィクトー殿、思うことがあればお話し願いたい」
アランの声に押されたようにヴィクトーが語り始めた。
「魔術師は魔術の残渣を宿すことで人より僅かに長寿で若くいられるが、それにも限度がある。私は120歳を迎え、自分の老いに焦りを感じ始めた。後進に譲るための時間を残すべきだと考え、クレモンに後継者指名を願い出たら、まだまだ私に頑張ってほしい、と禁術を勧められた。いけないと思いつつ、自分の欲に負け、私は動物を使って禁術を行い、この歳までやってきたが、それにも限界を感じていた。けれど一度若返ってしまえば、麻薬のように私を捕え、後戻りできなくなっていた。そんなとき、クレモンがヴァンパイアの血に不死の妙薬があると言った。私はその可能性にかけた。しかし気付けばヴァンヘイデン家に喧嘩を売っただけで、追われる身となった。アイスラー家が匿ってくれたが、こうして捕まってみると、今はとても楽になった。自分のした罪はすべて認める。そこにクレモンの存在があったことも、私は証言する」
一気に言い放ったヴィクトーは心底ホッとしたように俯くと、ぽろりぽろりと涙を流した。かつて己を支え、尽くしてくれたクレモンには一瞥も与えなかった。
あるのは悔恨だけだ、とヴィクトーは思った。
「エックハルト殿とヴィクトー殿の、ヴァンヘイデン家を害する話、かつウィルの伴侶を拐かす相談、さらにウィルの血を求めていることが話し合われたデータをここに提出しよう。あぁ、もちろん、これはコピーだがね」
アランがゴードンから渡されたCDをマリアンに投げて寄越した。それはマリアンの胸に当たり、そのまま落ちた。
次にダンカンが持ち込んだ書類が提出され、そこにもクレモンが関わった形跡と、アイスラー家がヴァンヘイデン家に仇為す証拠があった。
もうロルフも項垂れるしかない。
エックハルトのしでかしたこととはいえ、言い逃れのしようもない。
クレモンは床に座り込んだまま、白目をむいている。
さらに追い打ちをかけようと、アランが口を開いたときマリアンが扇を己の手にぱしりと打ち付けた。
一斉にその場のすべての眼が彼女に注目した。
「それではクレモンに処罰を、ヴィクトーにも追って処罰を、アイスラー家には弁解の余地もないので断絶を、そして…」
さっさとこの場を取り仕切って逃げる気でいるらしいマリアンをアランは笑い飛ばした。
「ふざけてもらっては困る。当然バング家にも処罰を願おう」
アランの瞳に鮮やかな赤が混じり、見事な輝きを放った。
「なにを根拠に!」
叫んだマリアンの後ろから、予想外の声が静かに流れた。
「バング家の困窮は著しく、屋敷を維持するのも難しい状況で、屋敷内の貴重な品々はすでに売り払われ、もうマリアン様の装飾品すらありません。ドレスにまで手を出さなくてはならないところまで追い詰められ、使用人も雇えず、一族のヴァンパイアを養うことすら困難になっております。あちこちの借財が膨れ上がり、首も回らない有り様でございます。先日もクレモン様がいらして、ヴァンヘイデン家の資産を手に入れるため、策をマリアン様に授けておられました。さらにクレモン様が齎す様々な情報の見返りにバング家のヴァンパイアを貸し出されておりました。その名簿もございます」
悲鳴にも似た声を上げたマリアンが振り返り、ベルトランの頬を扇で打った。それでもベルトランは真っ直ぐにアランを見つめたまま、足元の鞄から分厚い書類を取り出し、高く掲げた。
「これらが証拠の品でございます。借用書に、これまで売られました品々の目録、そしてお屋敷を抵当に借りられた証文もございます。先ほど申し上げました名簿もこちらにございます。さらにマリアン様とクレモン様のご相談の様子を録音したものもございます。なにもかも全て謹んで提出致します」
「なんてことを!なんで、そのような!!」
噛みしめた唇から血が流れているマリアンは給金もいらないから傍に置いてほしいと訴えてきた男をもう一度扇で殴ろうとした、そのとき目の前に立ち塞がったアランによって止められた。
「なっ!」
「やめてもらおうか、これは私の大事な友人でね」
言ってベルトランを優しく見つめた。
「もったいないお言葉でございます、アラン様」
「なにを言う、私にとって人の友人は少ないと以前も申したであろう」
先程まで王のように振舞っていたアランの雰囲気が柔らかなものに一瞬にして変わる。
それを感動したように潤んだ眼で、ベルトランは見上げた。
かつて己を拾い、先日は体の不調まで治してくれた主をひたすら見つめる。
そこには敬愛の色しか浮かんではいない。
アランから頼まれ、ヴィクトー及びクレモンとバング家に二重スパイとして潜入したベルトランはやっと肩の荷を下ろした気分で、一礼するとその場から去った。
それを見送ってから、アランは部屋全体を見渡した。
エミリアは放心しているし、ロルフに至っては諦めの境地にいた。
ケンジも狼も面白そうに笑みを浮かべて成り行きを見守り、小百合はひたすら幸せそうに狼に熱い視線を送っていた。
ゴードンからはかつて感じたことのない尊敬の眼差しが発せられ、マリアンは…
「なんてこと、これほど周到に、罠を張り巡らすとは…」
マリアンは去ったベルトランから情報を得ていたことを、そしてその裏取りをしなかったことを、この場ではじめて後悔した。
逸朗が伴侶を拐われて狂乱したと、その意趣返しに狂気のあまりアイスラー家を破壊したと、これに関してはアイスラー家に非は少なく、ヴァンヘイデン家にも落ち度があると。
それだけではない。
ヴィクトーは世界中で苦しむ人々のためヴァンパイアで実験していると、ヴァンヘイデン家のヴァンパイアの質が低下して各地で人狼を率いて暴れていると、このままではまたかつてのように迫害が始まると。
だからこそ、いま、バング家がすべてのヴァンパイアの上に立たねばならないと、そして立つのは気高き血を持つマリアンであると、ベルトランはとうとうと語ったのだ。
耳に心地のいいベルトランの言葉を、マリアンは何もかも信じた。まったくそれが真実であると、疑うこともなかった。
まさか、それすらヴァンヘイデン家が仕掛けた罠だったとは、砂粒ほども気付かなかった。
あまりの己の愚かさに、悄然と肩を落とすしかない。
ふぅと一息吐き、アランは心の中で逸朗にやったぞ!と叫んでいた。
「では、私から提案をしよう」
低い声が響き渡り、ヴァンヘイデン家に後ろ暗ところのあるものたちが一斉に身体を硬直させた。
「まず人狼には感謝の意を表する。お互い辛い事実もあったが、今後は協力し合って生きやすくしたいと願う」
これには狼が艶然と微笑み答えた。
「こちらこそ、頼みます」
それに頷いて
「それからアイスラー家にはヴァンパイア一族からの離脱を言い渡す。願うものがあればヴァンヘイデン家に受け入れるが、でなければ勝手に生きるがいい」
それは後ろ盾をなくすことを意味し、ヴァンパイアとして非常に生きにくいことを示唆した。いかに強く不死擬きであろうと、組織に所属しなくては生きていくのは難しい。
言外に下るか、死ぬか、を問われたようなものだった。
エミリアは放心したまま、アランの言葉を理解する力も残っていはいない。ロルフがアランの言葉に頷き、のちほど答えを出す、と呟くことしかできなかった。
「バング家には援助を申し出よう。ただし、今後一切ヴァンヘイデン家には口出し無用、さらに会における権力は当家に移譲してもらう」
にたりと笑って
「希望があれば、ウィルに頼んでバング家の身の立つように継続的な援助もしよう」
と、屈辱的な言葉を口にした。それはもはやヴァンヘイデン家の配下に収まり、指示を得て稼ぎ、援助した分を返済していけ、と言っていた。
「ウィルが頂に立つのではない、私がおまえたちの上に立つのだ。かの者の血が為したのではなく、私の力がこの状況を作ったのだ」
ウィルの指示だけど、と心の中で思いつつ、アランは睥睨する。
「そしてこの状況にまで追い込んだのは他ならない、貴様たちだ。ヴァンヘイデン家に手を出さなければ、当家も動かなかった。これは因果応報、それを踏まえて、逆恨みなどはしないでもらいたい。もっとも…」
ここでアランは嘲笑して
「逆恨みで動いても、それ以上の報復は覚悟してもらおう。ヴァンヘイデン家は降る火の粉は遠慮なく徹底的に払うのが主義だからね」
この場でアランに逆らう気の起きるものはすでに一人もなかった。




