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76 逸朗、ジョシュアを大輔の騎士と認める

2階に上がって少しだけ開いているドアから、するりと入った俺はベッドサイドまでテーブルを運び、トレーを置いた。


逸朗はまだ寝ていた。

横向きになったまま、まるでそこに俺がいるかのように腕を抱えていた。

長いまつ毛がときおり震えて、唇がきゅっと締まった。

あまりにも綺麗な寝顔で、起こすのが勿体ないくらいだ。

どうしようか、少し迷ってから、俺は逸朗の肩を揺らした。


「おはよ、朝だよ、起きて、逸朗」


なぜか囁くように言って、これじゃ起きないか?と思う。

今度はちょっとだけ強く揺すって、同じように声を掛けるが起きてこない。

逸朗がこれほど深く眠るのも珍しいので、あり得ないと思いながらも体調が悪いのかと心配になった。

彼の額に手を置いて熱を確かめても、相変わらずの低体温。


「ごはん、冷めちゃうよ、マカナのパンケーキ、美味しかったよ」


言いながら、俺は逸朗の髪を漉いた。

なかなか起きてこない逸朗にどうしようかと思っていたとき、急にくつくつと笑い声がして、その長い腕が伸びてきた。

あっという間に捕まった俺は気付けば彼の腕に包まれていた。


「おはよ」


蕩けそうな瞳で挨拶をする逸朗の胸を俺はぱしりと叩いた。


「起きてたな!」


「大輔の気配だけで起きる。でも起こしてほしい気もするし、迷ったが寝たふりした」


屈託なく言って、俺にキスをした。それを受け止め、返しながらも、ぱしぱしと彼の胸を叩くのはやめてやらない。痛い、痛い、と絶対に痛くないくせに訴えてきたので、起きてご飯を食べるように促した。


「それで、出掛ける準備はできたみたいか?」


「アランたち?」


それに逸朗は片眉を上げてみせる。だから俺は肩を竦めて言った。


「ゴードンが着替えさせてた。アロハシャツとハーフパンツにサンダルで行くって言ってて」


「やっぱりな、昨日の買い物のときからおかしいと思っていたよ」


定例会に着ていく服がない、と大騒ぎしていたふたりを連れて、逸朗は車を出して中心街に買い物に出掛けていったのは知っていたけれど、まさかアロハシャツを買うのを止めないとは思っていなかった。

だいたいあのゴードンが定例会用の服を準備していないことすら意外だったから、さっき用意してあると聞いて、だよね、と安心したくらいだ。


「おかしいと思ったら止めなきゃ!」


それには悪びれもせず


「まさか本気で着ていくとは思わないだろう」


と、言いながら起き上がった。テーブルに用意された朝食のパンケーキにたっぷりとはちみつをかけた逸朗は無造作にそれを口に放り込んだ。

ハワイに来てから少しだけ逸朗は厳格な態度が薄れていて、ゴードンもそれは気にしていたが、俺はその仕草に顔が赤くなることに抵抗があった。

あまりにも綺麗で、ちょっとだけ粗野な感じに色気が混じって、本当にいい男っぷりなんだ。胸がときめく感覚が湧き出るように俺の中から溢れてくる。

紅潮した俺を見たくて、わざとしているんじゃないか、と実は思っている。


「逸朗もここに待機ってゴードンが言ってたけど、今日はなにする?」


彼から視線を外して窓の外を眺める俺に、くすりと笑った逸朗が予定はない、と囁いた。


「待機は待機、だからな。ここで定例会のサポートに入る。ハワイ島の牧場を貸し切ってやるらしいから、どの程度のサポートが出来るのかわからないが…」


俺が注いだカップを齧るように口にした。カップの縁に歯が当たってかりりと音が鳴る。


「アランに何かあれば次の当主は私だ。同じ場所に本来はいるべきではないんだ。普段はアランはフランスから動かないし、逆に私はフランスへは行かない。そうやって一族を護ってきたから、今回のようにずっと一緒に行動をするのは本当に久々で、いいものだな、と思った」


くしゃりといつものように俺の頭を撫でた。


「大輔のおかげだな、こんな時間がアランと取れたのも、ヘンリーがアランと行動できたのも。きっとあれも喜んでいるだろう、アランは父親みたいなものだから」


「俺はなにもしてないけど」


「いるだけで役に立つってことだな」


さすがは私の伴侶だ、と嬉しそうに俺の頬を撫でた。気恥ずかしくて、なんだか面映ゆい気分で逸朗の腕に額をつけた。きっと俺の顔は真っ赤だったろう。


意気揚々と車に乗り込むゴードンを先頭に殺気を放ったヘンリーたちが出立したあと、俺は暢気にプールで泳ぐことにした。

一緒に泳ごう、とジョシュアを誘ったが、警護上、水の中にいては初手が遅れる、との理由で彼はプールサイドに直立不動で立ち尽くしている。

すぐ傍には逸朗がチェアに座ってタブレットをいじっていた。しばらくネット検索していたらしい逸朗がふと視線を上げてジョシュアを見た。

まだ彼はジョシュアを許してはいない。俺が騎士になることを受け入れたため、仕方なく護衛として置いてはいるが、信用はしていないらしい。

ジョシュアとふたりになる時間は絶対にないように、慎重に人を配置していた。

今も本当は陽射しを浴びながら泳ぎもしないプールサイドでネット検索する必要もないのに、定例会に人を奪われたので、逸朗が俺の警護としてチェアに座っているんだ。


護衛のための警護って意味があるの?と思いつつ、一緒にいられることも、心配して傍から離れられないのも、俺にとっては嬉しくて、ついついにやけてしまう。

陽に焼けて赤いのか、羞恥心と歓喜で赤いのか、自分でもわからなかった。


「ジョシュア」


低く逸朗が呼び、すぐにジョシュアが反応して、彼のもとまで進み出た。


「私には騎士の誓いをしなかったのに、大輔にはしたらしいな」


淡々と感情も抑揚もなく、視線は手元のタブレットに注いだまま。

聞いている俺が思わずビクつくくらい、周囲の空気が冷たくなった。


「はい、勝手ながらお許しも得ず、申し訳ありません」


ちろりとねめつけてから、逸朗は小さく首を振った。


「いや、咎めたわけではない。大輔に誓ってくれたことは喜んでいるんだ、これでも」


だれが見ても喜んでいるようにはみえない態度で言って、困ったように髪をかき上げた。


「つまりだな、その…」


言い淀む彼が面白かったのか、強気にもジョシュアはくすりと笑んだ。


「裏切った僕が誓った理由がお知りになりたい、で、宜しいでしょうか?」


うむ、まぁ、そんなところか、などとごにょごにょ呟く逸朗にジョシュアは跪いた。


「僕は造り手を弑したあなたを今でも苦しめてしまいたい、と思う気持ちはあります」


俺も逸朗もはっとして穏やかに言い切った彼に視線を投げた。プールの中で固まった俺の身体が降り注ぐ陽射しでも温められないほどに冷やされていく。


「でも大輔さまと出会わせてくださったウィリアム様には感謝もしているんです。僕は大輔さまに忠誠を誓いました。それは僕が生涯をかけてでも仕えるべきお方だと感じたからです。大輔さまは僕に生きる希望と楽しさをくださいました。死ねないことを嘆いていた僕に生きるための理由を与えてくださいました。それだけで僕は忠誠を誓う価値を見出せたんです。これが大輔さまにはお誓い申し上げましたが、ウィリアム様には捧げられない理由です。ご納得いただけますか?そして僕を彼の騎士だとお認めいただけますか?」


渋い表情で唇をきつく閉じた逸朗のもとへ、俺は泳ぐようにして近付き、プールからあがった。すぐにジョシュアの横に立ち、彼の肩に手を置いた。

それを咎めるように睨んだあと、長いため息を吐いて、逸朗は頷いた。


「許すも許さないもない。大輔が騎士だと認めたならそれ以上のことはない。私の騎士にならないこともツェペッシュを罰したときからわかっていたことだ。今後、大輔を傷付けず、護ってくれるなら、それでいい。ただ…」


そこまで言って、逸朗はジョシュアの肩に乗っている俺の手を持ち上げると自分のほうへ引っ張った。倒れこむように俺は彼の胸へと飛び込む。


「過剰な接触は控えてもらいたい。それはおまえのためでもある」


要はスキンシップはジョシュアの命に係わるよ、っていう脅しだね、と膝の上に抱きかかえられながら俺は呆れたように思った。

本当にヴァンパイアの独占欲は面倒だ。


「重々承知しております」


苦々しく笑って、ジョシュアは離れると先ほどまでの定位置で警護を再開した。

膝の上にのせた俺の耳元に、逸朗が満足げにキスを落としてから、低く甘い声で囁いた。


「おまえも気を付けることだ、余計な死体を増やしたくはなかろう?」


暑いくらいのハワイの太陽の下なのに、一瞬で俺の全身を寒気が襲った。


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