71 逸朗、ご褒美をおねだりする
「一体、だれ得選択だっつうの!」
と行きの機内で大々的にハワイに対する文句を垂れ流していたヘンリーもホノルル空港に到着して、首にレイをかけられると、途端に態度が軟化した。
「まぁ、悪くないんじゃないの」
と鼻歌でも歌いそうなほどの急上昇のご機嫌をみせている。
夏のロンドンは肌寒い日が多く、薄い上着が必須の土地柄にもかかわらず、ヘンリーはTシャツもしくはタンクトップ一枚のことが多かったので、確かに南国ハワイは辛いだろうと思ってはいた。
どうやらアランもヘンリーも暑さは苦手らしく、目的地を聞いたとき、だれよりもショックを隠し切れない様子で項垂れ、ニップルシールでも貼ってパン一で過ごそうか、と真剣な顔をしてふたりで話し合っていたくらいだったから、いろんな意味で心配はしていた。
日本育ちの俺はハワイの夏は逆に涼しいくらいで、気持ちがよかった。
ほぼ28℃の気温を保ち、乾季でもときおりのスコールが降るとはいえ、日本の梅雨時期ほどの湿気はない、非常に過ごしやすい環境だった。
空港からリムジン3台に乗り込んだヴァンパイアご一行はホノルル中心街を抜けて、閑静な別荘地へと走り抜けていく。
窓の外を眺めながら、生のダイヤモンドヘッドに感動していた俺は逸朗の肩に頭を預けた。
「ホテルじゃないんだね」
「別荘を借りた。すでに人も入って、すぐにでも休めるように手配させた。疲れてないか?」
腕を回して、預けた頭を優しく包み込みながら、逸朗は俺の眉毛にキスを落とした。
「ちょっと眠いくらい」
ホノルル到着がロンドン時間の深夜だったので、普段なら確実に寝ているのだから、仕方ない。あふり、と欠伸を漏らした俺の頭を柔らかく押して膝を枕にしてくれた。居心地のいい態勢を探るように身動ぎして、ほんのり温かい逸朗の膝の上でもう一度欠伸をした。
「まだ少し、着くまでは時間がある。ゆっくり寝るといい」
それから運転手に遠回りして時間を稼ぐよう伝えた逸朗の声を最後に、俺は夢の中に完全に落ちていった。
起きたときには窓一面に海が広がる眺望の、ベッドの上だった。
「すごい…」
跳ね起きて俺は窓まで走った。
右手側にダイヤモンドヘッドが見え、晴渡った空が映り、境界線がわからないほど碧い海に強い太陽が当たって海面がきらきらと輝いている。
ふと下に視線をやれば、大きなプールがあって、すでに楽しそうに小百合が狼と泳いでいた。
「ヴァンパイアにハワイって、似合わない…」
呟いた俺の耳元でふわりと空気が動いた。
「起きたのか?大輔も泳ぐか?」
驚いて振り返れば、とても満足そうに微笑む逸朗が立っていた。
「今回は同じ部屋にしたからな」
言われて部屋を見渡せば、俺の荷物と一緒に逸朗のものも置いてあった。
嬉しいのと恥ずかしいので、俺は思わずはにかんだ。
「見事な景色だな、この日差しの下にいるのはやはり似つかわしくないか?」
拗ねたように逸朗が囁き、俺は慌てて首を振った。
「イメージがね、やっぱり闇のイメージがあるから、ハワイの明るさにはそぐわない感じがしてたけど…」
窓からの燦燦と照り付ける日差しを浴びている逸朗を、一歩下がって見てから、
「意外とそうでもないな、って今、思ったよ」
と眩しそうに眼を細めて俺は言った。
窓の外の、これほどの眺望以上に逸朗のほうが煌めいていて、ずっと眩しいくらいだ。こんなにも美しい生き物なのか、と改めて俺は実感して、胸がいっぱいになった。
「小百合たちは泳いでるみたいだけど、ヘンリーたちは?」
「アランには仕事を任せているから遊ぶ暇はないな。ヘンリーにはガブリエルの稽古の相手をしてもらっている。どちらが稽古になるのか、わからないくらいだが。2日後に迫っているから準備にそれぞれ忙しいみたいだ」
他人事のように放って、逸朗が俺を後ろから抱きしめた。背中に当たる逸朗の低い体温が身体の奥底で燻っている欲を心地よく刺激してくる。
「逸朗は…」
幾分掠れた声が欲情した俺の中を曝け出しているようで、恥ずかしくなった。当然のように逸朗はそれに気付いたらしく、首筋に唇を押し当ててきた。
「やることはやった。あとは任せるのが私の仕事だ」
低く甘い声が耳に熱い。
「ずいぶんとよく働いたと思うのだが、そろそろ褒美が欲しい」
腹部に回された彼の手がゆっくりとシャツの中を這う。
ぞくりとした快感が全身を一気に巡った。
「…時間があるなら。いいんじゃない?」
吐息のような声しか出ない。
すると嬉しそうに声を上げた逸朗が軽々と俺を横抱きにして、ベッドに運んだ。
「こうして抱くのは久々な気がする」
逸朗の弾んだ声がしたかと思うと、俺はすでに大きな波にのまれるように愉悦の中へと沈められていった。
ダイヤモンドヘッドに陽が沈むころになって、ようやく俺はベッドから起きた。
隣には深く瞼を閉じて眠っている逸朗がいる。
長旅の疲れとひと運動したあとの快い疲労がぐっしょりと水を吸った綿のように身体に纏わりついているが、それがとても幸せだった。
彼の髪を漉き、肩までシーツを掛けてやる。
鏡の前に立ち、映った姿を見れば、あちらこちらに逸朗の独占欲を知らしめる印が赤黒く付いているのがわかる。それは見えない位置ばかりで、ちゃんと約束を守ってくれていることが俺は嬉しかった。服を付けてから、ベッドに戻り、身動きひとつしない彼の頬にキスをした。
お腹が空いたな、と思いながら部屋から出た。
寝たまま連れてこられた俺はこの建物をまったく把握していないので、廊下に出ててはじめて自分が2階にいたことに気付いた。
確かに窓からの眺めを考えれば1階ではないよね、と独り言ちる。
階段を降り、居間を抜けるとキッチンがあった。
アイランドキッチンを中心にした、白亜のキッチン。
あまりにも綺麗で、使うのを躊躇いそうだ。なにかないかと冷蔵庫を開けたところに、使用人らしき女性に声を掛けられた。
「なにかお探しですか?」
最近、ことごとく女性を遠ざけられていたこともあって、声を聞いただけで俺はびっくりして冷蔵庫の扉を閉めた。
「すみません!」
「謝らないでください、驚かせて申し訳ありませんでした。こちらで滞在中のお世話をさせていただきます、マカナと申します」
ぺこりと頭を下げた女性は顔をあげてにっこりと微笑んだ。
年の頃は50歳前後だろうか。
笑うと出来る目尻の皺とえくぼがとても可愛らしい人で、小柄な身体からはエネルギーをたくさん発散させていた。いかにもよく働きます、といった感じだった。
実際、彼女はよくできた使用人で、ゴードン並みになんでも熟した。
俺が小腹が空いたことを伝えると、お夕食まですこしお時間がございますから、軽食でもお作りします、と言って、あっという間に小さなハンバーガーと珈琲を用意してくれた。
小さな袋のポテトチップスを添えられた軽食はとても美味しくて、もっと食べたいくらいだったけれど、夕食に出たロコモコがさらに美味しかったので、あのくらいにしてよかった、と心底ホッとした。
現地で調達した凄腕のメイドだということで、彼女はヴァンパイアではなく、俺と同じただの人だった。それがまた嬉しくて、逸朗と一緒にいないときは彼女の後ろを付いて回るくらい気に入った。
邪魔にもせず、ときどきは手持無沙汰の俺に手伝いを頼むような、気さくな女性で、俺はこのまま連れて帰りたいと真剣に考えるくらいだった。
俺が気に入ったのがわかったのか、逸朗は渋い顔をしていたが、完璧になんでも熟す彼女がなくてはこの別荘が回らないこともわかっていたので、基本は無関心を装っていた。
そうして2日が過ぎ、定例会の日がやってきた。




