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68 大輔、狼の名を知る

「お気の毒には思いますが、今回は放って置かれなさいませ、大輔さま」


テーブルの上にそれぞれのカップを置きながら、ゴードンがさらりと言いのけた。

茶菓子に俺の好きなチョコレート菓子が添えてある。

市販品のもので、青いパッケージにペンギンの絵が描いてある商品なのだが、例のエックハルトにはじめて会った日に買って以来、気に入って食べているものだった。

甘みがきついのだが、ミルクティに合わせると殊の外美味しくって、病みつきになる味だった。嬉しくて、逸朗から無理やり下りると、絨毯の上に直接座ってから紅茶にミルクを入れて、さっそく頂く。


「ジョシュアが辛い環境になければ、俺は今すぐでなくてもいいよ」


紅茶を啜って、チョコレートを流し込んでから言った俺にゴードンは満足げに頷いた。


「定例会のその日はきっとアイスラー家も手薄でしょう。もとよりわたくしはその日に忍び込む予定でしたので、ついでにそのときにでも助けられたら助けておきますので」


「はじめて聞く作戦だが?」


アランと逸朗が珍しく声を合わせて問い詰めた。同じように片眉を小さく上げて。

それに笑顔で応えたゴードンが


「ええ、大輔さまにされたことをあの程度の謝罪で許してはわたくしの沽券にかかわりますので、それなりのお仕置きをさせていただくつもりでございました」


と飄々と言った。もちろん坊ちゃんに迷惑の掛からない程度で、と付け足すのは忘れない。


「ありがとう、ゴードン。あなたに怪我がない限りでお願いします」


ぺこりと頭を下げて、礼を言った。

呆れた顔で俺を見るアランに、にっこりと笑顔を返す。

その様子に、伴侶らしくなった、と囁いた逸朗がくしゃりと俺の髪を乱した。実に自慢気で愉快そうだった。


なにを優先すべきか、俺にだってわかっていることはある。

子供じみた自分だけの感情で、一族を振り回すことは逸朗の伴侶として避けるべきなのもちゃんと理解している。

だからせめて胸の奥がどろどろと渦巻き、今すぐにでも助けたい、と叫びそうになっていても、俺はいつもの通りにこにことチョコレートを食べ続けていた。

それしかできない自分が情けないが、ヴァンパイア相手に出来ることは決まっている。

邪魔にならないようにするだけだ。


これが俺の精いっぱいの戦い方だった。


ヴァンパイア同士の話し合いが始まりそうだったので、ヘンリーに声を掛ける名目で俺は席を外した。ヘンリーの自室に向かい、逸朗の部屋で会議だって、と伝えてから、俺はサロンに降りて行った。


サロンには小百合が優雅に座って、本を読んでいた。

珍しいことに狼がいなかった。


ふと視線を上げた小百合が、ふわりと微笑み、自分の目の前にある椅子に俺を誘ったので、素直に腰を掛けた。


「面白いお客様がいらしたようね。ダンカンが送っていったと聞いたけれど、帰ってくるのかしら?戻らない場合は私が大輔さまの護衛をしましょうか?」


軽やかに紡がれる言葉が心地よく、俺は思わずこくりと頷いていた。


「エミリア・アイスラーが来たんだ。詳しい話は…」


「あの、愚かな女の話は結構よ、聞くだけ無駄。どうせ自分だけの感情で迷惑も考えずに動いているのでしょ、昔からそうだもの。変わらないのも罪よね」


抑揚はいつものままだけど、小百合と話していて普段は感じない寒気が漂う。

空気を変えたくて俺は周囲を見回した。


「狼は?」


「部屋で寝てるわ。今朝早くまでケンジに送る手紙が書き終わらなくて、眠ってないの。返事を寄越せって言われて、ペンを持ったはいいけれど、書くことがないって私がベッドに入るまでに一行くらいしか書けてなかったから、苦労したんじゃないかしら」


思い出したのか、ふふふ、と笑みを漏らした。


「彼って当たり前だけれど、ちゃんと名前があるのよ。あまりその名で呼ばれることはなくなったみたいだけど、よかったら今度、呼んでさし上げて」


「いいの?嫌がらない?」


「大輔さまなら嫌がらないと思うわ。茂というの。当時人気ナンバーワンの名前だったんですって。あっちもこっちも茂だらけで嫌ンなる、って以前言ってたわ」


「小百合も名前で呼ぶの?」


「ふたりのときは、ね」


意味深に言われて、俺はなんて呼んでいるのか、聞きたい欲求を抑えるべきか、悩んだ。

うんうん、唸る俺に小百合は可笑しそうに口元を押さえて笑い


「しーちゃん、って呼ぶの。すごく喜ぶのよ、でも大輔さまは呼ばないでね、私が怒られちゃうから」


とウインク付きで教えてくれた。


しーちゃん!


あまりにも狼の雰囲気に合わない呼び名に俺の肩が震える。


「私のことはさゆちゃん、って呼ぶのよ、ふたりのとき限定で」


そして楽しそうに声を上げて小百合は笑った。


しーちゃん、さゆちゃん、と呼び合うふたりを想像して、意外と悪くないと俺は思った。

むしろとても幸せそうな時間が想像できて、ほんわかとした気分になる。


「いいね、とっても、すごくいい」


「大輔さまも試してみたらいかが?」


悪戯っ子のように眼を細めて俺を見た。

いち、とかだと犬の名前っぽいかなぁ、とかいーちゃん、は呼びにくいなぁ、など考える。


「いちくん、とか呼んだらどんな反応するかなぁ…」


ふたりで無言のまま想像をめぐらして、同時に首を振った。


「やめておいたほうがいいかもしれないわ」


「そうだね、呼んだその日の夜が怖い」


「私はその翌日のウィル様の浮かれっぷりが恐ろしいわ」


視線を合わせて、弾けたようにふたりで大笑いした。

俺の気持ちを確認するためだけに、エックハルトとのやり取りを毎晩ダンカンに聞きに行くような逸朗だ。特別な呼び名を付けたときの彼の喜び方はきっと常軌を逸するだろう。絶対にほかの人たちに迷惑を掛ける自信がある。

やっぱりそれはやめておこう、と思いつつも、いつか不意打ちで呼んでみたい衝動に駆られる自分を幾分か持て余してしまった。


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