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66 逸朗、ヘンリーに妬く

俺の中をジェットコースターのように駆け回っていた感情の波が、流される涙の量に比例して落ち着き始めた頃、縋りついていたヘンリーのTシャツはびたびたに濡れていた。

我に返って慌てた俺は自分の袖で拭ったが、そんなものでどうにかなる程度ではなく、小さくごめん、としか言えなかった。


それでもヘンリーは笑って許してくれ、ずっと俺の背中を撫で続けてくれていた。

この慰めがなければ、俺はどうなっていただろう、とふと思った。


「ウィルも罪なこと、するよな。でも許してやれよ、あいつは不安で仕方ないんだ」


ヘンリーの言葉に小首を傾げる。

続いてダンカンが肩を竦めてから、俺の横にしゃがみ込んだ。


「毎晩、ウィリアム様は大輔さまが寝たあと俺の部屋に来るんすよ」


呆れたような、可笑しいような、微妙な笑みを口元に浮かべて言うダンカンの言葉にも俺はやっぱり首を傾げた。


「わからないんすね。大輔さまの気持ちを確かめたくて、エックハルトのやつにどんな態度でなにを言ったか、毎晩毎晩毎晩毎晩、おんなじことを聞きに来てるんすよ」


ヘンリーが目を丸くする。

どうやら新情報だったらしい。


「おまえさん、それは、ちょっと、ヤバいなぁ」


「でしょ!だからデータ化して渡したんすよ、それ以来は来てないっすけど」


かかか、と笑うダンカンの腕をばんばん叩きながら、ヘンリーも笑った。

脳が情報を拒否しているのか、ふたりの会話についていけない俺は軽く頭を振った。

抱き締めていた腕を緩め、俺の肩に手をやって離したヘンリーがぐしゃりと頭を乱暴に撫でた。細められた瞳が心配の色に染め上げられていて、俺は奇妙な安堵感を覚えた。


「ウィルはな、大輔の気持ちをいつでも確かめたいんだ」


「でも、俺、ちゃんと、伝えてる、つもり…」


俺に小さく頷いて


「大輔がそのつもりでも、たぶん、足りてないんだよ、表現が。だからおまえさんを試したくなるんだ。さっきのはやきもちを妬かせたかっただけだと思うぞ」


驚いた俺がヘンリーを見て、ダンカンを続いて見る。

ふたりともにやにやとしながらも、真剣な眼で頷いていた。


これが嫉妬というものか、とこのときになってはじめて知った。


そう思ったら、俺の中でふつふつと怒りが湧いてきた。

ふざけるな、と口の中で呟く。

猛然と立ち上がると、俺はヘンリーに逸朗はどこか、と聞いた。自室に戻ったんじゃないか、との答えを聞いて、荒々しい足取りで彼の部屋に向かった。

怒りで肩が上がり、肩で風を切る歩き方、ってこういうことをいうのかな、なんて感情とは別の思考が無関係に浮かんだ。


意外と冷静だ、と自覚して、さらに勢い付いて俺は逸朗のドアをノックもなしに乱暴に開け放った。


「大輔?」


ソファで項垂れていた逸朗が弾かれたように顔を上げた。

虚ろな瞳が不安と恐怖に揺れていた。


それを見た瞬間、俺の全身をえもいわれぬ快感が走り抜けたのを自覚した。


これは優越感、というのだろうか。

なにを恐れることもない逸朗が、俺の一挙手一投足に感情を乱されていることに俺は愉悦を感じているのか。

だとしたら逸朗の行動を怒る筋合いもない。

俺だって似たようなもんじゃないか。


これほど愛してると想っている彼を不安にさせるなんて、そのほうがずっとダメな男じゃないか。


急に俺は可笑しくなった。

込み上げる笑いを必死に抑えながら、長躯を小さく屈めている逸朗に近付いた。


「さっきの、ちょっと嫌だった」


目の前に立ち、いつもより低く彼に語り掛ける。

びくりと逸朗が震え、上目遣いで俺に視線を投げてきた。


「ちょっとっていうか、かなり嫌だった」


暗く沈んだ色を浮かべた逸朗の瞳が伏せられたまつ毛に溶けていく。


「だからこれからはちゃんと言うよ、俺は逸朗が好き。逸朗以外ありえないくらい、好き。だからこれからはちゃんと拒否して、あういう姿は見せないで」


驚いたように一瞬、瞳を上げてから、すぐに俯く。そして拗ねたように呟いた。


「泣いていたのか?」


俺の眼は真っ赤だろう。そうでなくても逸朗は俺が泣いていたことはわかったはずだ。


「ヘンリーの胸で泣いたのか?」


続く言葉に俺は嬉しくなった。

自分で嫉妬させておいて、その結果ヘンリーの胸で泣いた俺にやきもちを妬くなんて、どれほど可愛い生き物なんだろう。

思う反面、バカじゃないかとも思って、俺は逸朗の髪をくしゃりと乱した。


「それは自業自得、因果応報ってやつでしょ。自分で仕掛けておいてヤキモチ妬くなんて、大人じゃない。かっこ悪いよ」


表情とは裏腹の言葉がするりと口から突いて出て、堪らず俺は声を上げて笑った。

逸朗がぱっと顔を上げて、見開いた眼で俺を見つめた。

そんな彼を両手いっぱい広げて抱きしめた俺は耳元でいつも逸朗がしてくれるように囁いた。


「そんな逸朗も好きだよ」


耳に唇を押し当て、


「どんな逸朗だって好きだ」


頬にキスを落とし、


「淡々としてる外向きの逸朗も好き」


瞼にもキスをする。


「俺の前でしかみれない逸朗のことはもっと好き」


そう言って鼻にキスをしようとした俺の顔を逸朗が両手で包み、唇を合わせてきた。

軽く触れあうだけのキスが次第に熱を帯び、俺のすべてを吸い尽くすかのように荒々しく、貪られていく。

息つく間もなく、力強く抱きしめられて、俺は呼吸困難になりかけて、眼を白黒させた。

それでもその時間が愛おしく、幸せで、またぽろりと涙が流れた。

涙腺の破壊が進んでいるのか、と不審に思うほどすぐに泣けるのが自分でも嫌になる。

逸朗がそれを優しく舌で舐めとった。


「すまなかった。大輔のことになると、私は冷静な判断ができなくなる」


ふふふ、と俺は笑って


「まるで初恋だね」


と、愛しい彼の髪を漉いた。その言葉に茶目っ気たっぷりの瞳を俺に向けて逸朗がにっこりと笑んだ。


「知らなかったのか?大輔は私のはじめての恋の相手だ」


俺の身体が固まる。


「私がはじめて愛した相手でもある」


照れたように俯いて、小さく逸朗は微笑む。


「こんな想い、私は知らない。愛しいと思うのも、閉じ込めておきたいと思うのに嫌われたくなくて自由を与えてしまうのも、どんな些細なことでも知りたいと願うのも、私の気持ちを知ってほしくて24時間伝え続けたいと思うのも、大輔の隅々まで把握したくて仕方ないのも、世界中に私のものだと知らしめたいのも、大輔のためならこの世のすべてを敵に回してもいいと思うのも…なにより大輔が大事だと思うものが私にとっても大切なものになっていることも、すべてが私にとってはじめてのことなんだ」


自分でも戸惑うばかりだよ、と呟き、彼は息を細く吐いた。

俺の中で、感情が爆発する直前まで高まり、彼の胸に顔を埋めた。


「ごめんね、そんな、強い、想いだとは、思ってなくって」


嗚咽が漏れる。

涙の間から言葉が途切れ途切れに紡がれる。

掠れた俺の声が、自分でも切なく耳に響いた。

そっと背中に置かれた彼の手が、ゆっくりと上から下へと撫でおろされる。


「謝ることはない。悪いのは私だ。はじめての感情に自分でも浮ついていたと思っている。もう大輔を泣かすようなことはしたくない。できれば私の胸で、こうして泣いてほしいが、私の前では笑ってくれるのが一番嬉しい。だから、もう、泣くな」


その優しい言葉に頷いたとき、アランが開け放したドアから顔を覗かせた。


「取込中のようだが、すまない、ちょっといいか?」


「…ダメでも入ってくるだろう」


憮然とした声音で逸朗が言って、アランに向かい側のソファを勧めた。

俺は慌てて顔を拭うと、席をはずそうと立ち上がったが、逸朗に腕を取られて、そのまま彼の膝の上に座らされた。

恥ずかしくて真っ赤に全身が染め上げられるが、俺は我慢することにした。

きっとこういうところで彼が不満を抱いていたからだろうと、思ったから。


アランが面白そうに俺を一瞥してから、衝撃的な言葉を口にした。


「エミリアがおまえと結婚したいそうだ、ウィル」


え?ヴァンパイアって結婚っていう概念があったの?


このときの俺はかなりの間抜け面だったと思う。


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