63 アラン、特効薬になる
呼び出しておいた客が来訪した旨を伝えにきたゴードンがアランの書斎のドアをノックした。すぐに中に入るように応えば、侍従のお仕着せを着た男がおずおずと入室してきた。
デスクの上の書類から視線を上げたアランが、にっこりと笑顔をみせてソファの一つに座るように促した。
ゴードンが使用人に指示した茶菓子と紅茶をテーブルに置いて、音もなく下がっていく。
どこか途方に暮れたような、恐縮した風をみせる男が勧められるままソファに腰かけて茶菓子のひとつを口にした。
ゆっくりとデスクから立ち上がり、アランは男の向かい側のソファに深く座った。
そして優雅に紅茶を飲む。
ローズの香りを立ち昇らせた紅茶が心地よく喉を流れて、思わずうっとりと眼を細めた。
その表情があまりにも美しく、呆然として男は見入ってしまった。
「さて、先日はよくやってくれたね。礼を言いたくて呼び出してしまったこと、申し訳なく思うよ。本来はこちらから伺わなくてはならなかったのに、来てくれてありがとう」
いつもの張り上げるような騒々しさはなく、静かに落ち着いた態度でアランは礼を言った。
大輔がこの光景を見たら、そんな外用の顔があるなら俺の前でもしてよ!と文句を言うだろうと考えただけで、アランは可笑しくて小さな笑みを漏らす。
「きみがヴィクトーの屋敷で暴動を起こしてくれたおかげで時間が稼げたんだ。助けるべき人を無事に助けることができた。おまけまでついてね。本当に助かったよ」
あのまま暴動がなく、ヴィクトーに呼び出されなければ、大輔がエックハルトになにをされていたのか、想像に難くないだけに想像したくない。
想像が実現していた場合の逸朗の狂気がいかほどか、考えただけで後始末が恐ろしい。
目の前に座る、この男に感謝してもしきれないくらいの気持ちがあった。
「いえ、突然、暇を出されて今から路頭に迷う、というものもおりまして、なんとかしたい気持ちもございましたし、アラン様には拾っていただいた恩義もございました。どうみても状況がおかしなことになっているのはわかりましたし、実を申しますと若い男性を運び込むヴァンパイアも目撃しておりました。ヴィクトー様のお屋敷でヴァンパイアをお見掛けすること自体が異常事態でございました。そうこうしているうちにアラン様の部隊がお屋敷を包囲されたのがわかりましたので、これはアラン様のお役に立てるチャンスではないかと思ったまででございます」
慇懃な態度で男が軽く頭を下げて言った。
手には茶菓子を持ったままだが、アランはそんな些細なことは気にしない。
この男はエックハルトとヴィクトーの会話を録音し、暇が出された後はタイミングを計って暴動を誘導した、なかなか知恵の働くものだった。
実に有用にアランの役に立ったといえる。
「そう言ってくれると嬉しいもんだな」
破顔して、アランは男に望みを聞いた。
すると男はごくりと生唾を飲み込み、意を決したかのように顔を上げてアランを見つめた。
その眼には真剣な光が宿り、ある程度のことは叶えてやらなくては、とアランに思わせるだけのものはあった。
幾分か躊躇ったあと、男はソファから落ちるように下に座り込むと、床に額を付けるほど頭を下げて叫んだ。
「望みを叶えてくださるというなら、俺をヴァンパイアにしてください!」
思わぬ願いにアランは絶句した。
目端の利く男だと、重宝して使っていたのは確かだった。
そしてズタボロになっていた男を拾い上げ、恩義を感じさせた上で人間にしかできない仕事を割り振ってきたことも。
けれどほんの少しもヴァンパイアとして仲間に引き入れるつもりはなかった。考えもしなかった。
そう思わなかったということは大輔の説を信じれば、アランの中のウイルスが目前の男を適合者と認めていない、ということになるはずだ。
適合者でなければ感染はしないだろう。
つまりはヴァンパイアとは成れない。
どう答えるべきなのか、アランは迷った。
床に額ずいた男は小さく震えたまま、動かない。
ぐっと握りしめられた両手からは血の気が引いているかのように真っ白になっている。
握りしめた手からつぶれた茶菓子が零れ落ちているのが、アランの眼には哀れに映った。
「なぜ、ヴァンパイアに成りたいのか、聞いてもいいだろうか?」
静かに降ってきた言葉に恐縮したように身体を縮めた男は額ずいたまま訴えた。
「アラン様に拾われて、俺は12年、働いてきました。もっとお傍でお役に立ちたいと常日頃から願っておりますが、年齢的なものか、俺の身体が思うように動かなくなりつつあります」
酒と薬でボロボロになっていた男はこの12年で一見したら健康体になったようにみえるが、その実は昔の悪行に身体のほうが反乱を起こしかけている状態だった。
すでに40を超え、以前のようなパフォーマンスを維持するのも難しい。
ヴァンパイアに成れば、アランとともに生きる道があるかもしれない、と願ってしまった。
「してやりたい気持ちはあるが、確実に成れるものでもないのはわかるか?」
それに返事はない。
「それよりもきみが思うほどこの身体も付随する責任も、いいものではないよ」
男の額は床にくっついたまま、やはり動きはない。
「もう少し、よく考えるといい。ただ、考えるだけの時間をきみに与えよう」
大輔の言葉がアランの耳に蘇る。
『ヴァンパイアの血は人にとっての万能薬でもあり、特効薬でもあるわけです』
アランは立ち上がるとデスクの引き出しから護身用のナイフを取り出した。
そして額ずく男に、その姿勢のまま上を向いて口を開けるように言った。
ぴくりと身体を震わせた男がおずおずと身体を起こし、目の前に立ったアランの顔を見上げた。そして言われたとおりに口を大きく開けた。
「動くな、きみに危害は加えない」
低く伝えたあと、アランは男の口の上で手首を切った。
どぼどぼと血が流れ、男の口の中へと吸い込まれていく。
その様子を眺めながら、これで男の身体が少しでも健康体になればいい、とアランは願った。
俺の血が彼の特効薬になれば、俺は少し救われるかもしれない。
そう考えただけでも、アランの心は軽くなったような気がした。
しばらく流れた血は傷が塞がるとともに滴ることもなくなり、顔中を血だけにした男は呆然とアランを見つめ続けていた。
「これで少しは時間を稼げるはずだ。よく考えて、それでも成りたいなら前向きに検討するよ。それまでは人として、俺に仕えてくれると嬉しい。それにまだやるべき仕事も残っているだろう」
ぱちりと魅力的なウインクをしてから、にかっと大きく笑って
「俺には人の味方が少ないから、貴重なんだ、きみのような存在は」
言って、下がるように手で示した。
男は慌てて立ち上がると、涙を堪えるように唇を噛みしめ、ぺこりと一礼してから部屋を出て行った。
彼が人間としてアランに死ぬまで仕えようと決心するのは、体の不調が嘘のように消え失せた、翌日のことだった。




