60 大輔、イギリスに帰る
「狼に荷物が届いたよ」
ここは小百合が狼と隠れたロンドン郊外の屋敷。
屋敷というか、かなり広大な土地の中にぽつりと建っている城。
母屋から離れたところにちゃんと塔がある、中世ヨーロッパの映画でしか観たことがないような、左右対称の本物の城の中だ。
ヴァンヘイデン家の持ち城で、現在の主はアランだそうだが、実際に使っているのは逸朗だった。アランはフランスに居城があって、普段はそこにいるらしい。
今は定例会に向けての証拠集めと、今回起こった様々な出来事に関わった人物の洗い出しと、その目的を探るためにこの城に住み着いている。
離れとして使われている塔には小百合と狼が、城の左翼側を俺と逸朗が、右翼側をアランとヘンリーがそれぞれの居室を構えていた。
ダンカンは俺の護衛として隣室を与えられ、ゴードン以下の使用人たちは城の3階部分が居室として与えられていた。
けれど、それぞれの部屋にいるのはおよそ寝る時だけで、日中のほとんどを1階の食堂か、サロンで過ごしていた。
助かった安堵感とエックハルトの悲惨な最期を目撃したショックで気を失った俺が起きたときには、この城の自分に宛がわれた部屋の、なぜかソファで逸朗に抱きしめられていた。
すぐ横に巨大で寝心地の良さそうなベッドがあったのに…
目覚めてすぐに逸朗の顔が目の前にあるのはかなり心臓に悪くって、せっかく起きたのに、すぐにまた気を失ったらしい。
ゴードンが、坊ちゃんはあちらでお待ちください、これでは大輔さまがさすがに気の毒でございます!と注意しているのが、遠のく意識の中、聞こえた気がする。
次に気付いたときにはちゃんと一人でベッドに寝ていた。
部屋にはだれもおらず、近くに人の気配もなく、ただカーテンの開けられた窓からは触れたら切れそうなほどの二日月が夜空に浮いているのが見えた。
その美しさに無性に泣きたくなって、ひとりベッドに俯せて、声を殺して泣き続けた。
「だれから?」
「日本から、ケンジって人」
狼の問いかけにふと現実に戻った俺は答えて、後ろに続く使用人を振り返った。
あまりにも大きな荷物だったので、使用人がサロンまで運んでくれたんだ。
一抱えもある箱が3つ、ひとつずつを丁寧に掲げるようにしてサロンの中央にあるテーブルの上に置かれた。
「ケンジから?じゃ、あれだな」
サロンの端でゆっくりと本を読んでいた狼が、サイドテーブルに本を開いたまま伏せて置くと荷物の傍までやってきた。
興味があった俺は退室せずに、そのまま覗き込むように狼が荷物を開けるのを見守っていた。ダンカンはつまらなそうに入り口に寄り掛かるように立っている。
あれでも一応は護衛のつもりらしい。
ミーナがイギリスには行かない、と宣言し、アランの居城で療養という名の居候を決め込んだことでずっと不機嫌が続いている。
逸朗の嫉妬心のせいで、城から適齢期の女性が排除されていることが、さらにダンカンの機嫌を悪化させているらしいことは察せられたが、その文句は逸朗に訴えてほしいと、俺は思っている。
がさがさと中に入っていたものを包んでいる包装紙を剥がすと、出てきたのは額装されたなにか、だった。
丸い図案が描かれたものが一つの額におよそ7つ。
それが3個。
小首を傾げた俺に狼がよく見えるように抱えてくれた。
よくみると図案の画かれているのは革だ、というか、皮?
綺麗に鞣された、どうみても人の皮膚だった。
「え…?」
引き気味に一歩下がると、可笑しそうにくつくつと狼が笑う。
「証拠だよ、うちの若い子たちに書かれてた魔法陣だね。ケンジが剥ぎ取って鞣して額装までするとはちょっと驚いたけど、確かに効果的かもね」
じっとその皮を観察して
「タトゥーだと聞いていたけど、これは焼き印にみえるね。それにしても綺麗な魔法陣だ、知っているかい?魔術師にはそれぞれ自分の魔法陣の画き方ってのがあるらしいんだよ。これを見ればきっとすぐにだれのものが、魔術師ならわかるだろうね」
「確かに証拠の品だね」
「だろう、きっとアランが喜ぶね」
狼がポケットからスマホを出すと、メールを打ち始めた。
きっとアランとヘンリーに人狼サイドの証拠の提出を知らせるものなんだろう。その姿を眼にしたダンカンが首だけを廊下に出すと、口笛で使用人を呼んでいた。
あの呼び方は失礼じゃないかと、目撃するたびに思うのだけれど、だれも咎めないので、俺も我慢することにしている。
呼ばれた使用人が届いた額をアランの部屋へ運ぶように指示を受けている。
「小百合は?」
その名を口にすると、ダンカンは異常なまでに直立不動に姿勢よくなるし、狼はそれを見て苦笑を漏らすのだが、独占欲で言えば逸朗といい勝負の狼なんだから、きっと内心はどろどろと嫉妬心を燃やしているんだろうと、勝手な想像をする。
「いま、席を外しているだけで、すぐに戻ると思うよ。さっきウィルに呼ばれて行っただけだから」
「そっか、定例会とかいろいろ落ち着いたら、ゆっくり話したいんだけど…」
「伝えておくよ、きっと小百合も喜ぶと思う。江戸時代のこととか、興味があるって話を聞いてから、たくさん話したい、ってウィルにも訴えてたから」
もちろん速攻で却下されてたけどね、と言われ、俺は真っ赤になった。
最近、あちこちで逸朗ネタで揶揄われることが多かった。エックハルト相手に誘惑してまで勝とうとしたことが一部でかなり好意的に受け取られたせいかもしれない。
結局は俺の血の香りにヴァンパイアの本能が負けた、ってだけなんだけど。
「さ、小百合さまぁ!」
突然、素っ頓狂な間の抜けた声が響いた。
振り向くと、優雅なワンピースを纏った小百合がサロンの入り口から中に入ろうとしていて、ダンカンが相変わらず腰をくねくねしながら、エスコートしようと手を出しているところだった。
すぐ横からふふふ、と狼の口から洩れる声がしたが、ちらりと窺ってみれば、その黒い瞳は眇められ、まったく笑っていなかった。
ダンカン、エスコートはやめろ、エスコートはやめろ、エスコートはやめろ、と呪文のように唇を動かさずに小声で訴えてみたが、聞こえるわけもなく、実にスマートな動きで狼が小百合を迎えにいき、ダンカンを押しのけた。
ダンカンがミーナを好きであれな感じになってしまうのかと思っていたが、どうやらそれは大いなる勘違いで、女性とみればあれな感じになる節操のないタイプだとわかってからは、俺は彼を同じ男として同類にみるのはやめていた。
あれはさすがに男のサガで片付けるには酷すぎる。
「あら、大輔さま、いたのね」
軽やかに微笑んで、小百合は今日も綺麗だ。
「いつものはっきりした色合いのワンピースも素敵だけど、淡いピンクもよく似合ってるね、とっても綺麗だ」
すっかり外国カブレになった俺は出会った女性は褒めておけ精神が過剰に教育されていて、会うたびに綺麗だ、と言うようになった。
特段、嘘をつかなくても小百合は充分に美しいので、するりと言葉が出てくる。
言えば、嬉しそうに麗しい唇が弧を描いて、頬を染める彼女の姿を見られるので、俺としてはかなり役得な感じだった。
「上手になっちゃって。大輔さまみたいに素直に言われると照れちゃうわ」
と言いながら両手で頬を包み込む姿がまた可憐で、微笑ましく思う。
狼が彼女の腰に手をやって、耳元で何かを囁き、キスをする。
きっと小百合のあまりの可愛さに、内心身悶えているんだろう。
そう思うと、可笑しくて、俺は小さな笑いを漏らして、いつも退散することにしている。
あんな可愛い小百合をだれの眼にも触れさせたくないだろうと、慮って。
決戦はもうすぐなのに、俺の周りにはとても穏やかな時間が流れていた。




