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56 はじめまして、ミーナ、そしてダンカンは妖怪女好き

俺の眼は、いま、点になっているはずだ。


壁を蹴り壊し、囚われのミーナをかなり乱暴ではあるが解放し、砕けた骨で歩けない彼女を横抱きにして颯爽と壁に開いた穴から戻ってきたダンカンは男の俺から見てもとても格好良かった。

異臭を纏った彼女をそっと床に下ろし、治りつつある手足を労わるように摩っている彼の紳士的な態度に感動すらしていた。


なのに…


「ミーナ、痛くなぁい?ごめんねぇ、さすがの俺でもあの手錠をぶっ壊すのは無理だからさぁ、こんなやり方しかできなかったけど、怒ってるぅ?」


俺は何を見せられているのだろうか……


聞いたこともない猫なで声で、ダンカンはミーナにすり寄り、触り、撫でまわし、その瞳はボロボロになった衣服から零れそうな胸元に集中している。

鼻の下が伸びて、口元にはいやらしくにやけた笑顔を張り付け、眼はだらしなくへにゃりと下がりきっていた。


汚れた髪が脂で固まり、ドレッドヘアのようになっている彼女はとても嫌そうに自分の頭を撫でてくるダンカンの手を払った。


「もう、ほんと、変わんないね、妖怪女好き!」


眉根に皺が縦に寄る表情が妙に色っぽく、その色気に当てられたようにダンカンがくふふ、と気味の悪い笑いを漏らした。


「ミーナがいて嬉しいんだもぉん、可愛いねぇ、可愛いねぇ」


くねくねと腰を振って、まるでご主人様に久々に会えた犬のようだと俺は呆れた。

ダンカンの執拗な手と視線から逃れようと身をくねらせたミーナと眼が合い、俺は盛大にひきつった顔で笑顔らしきものを浮かべて目礼した。


くんくんと小鼻をひくつかせ、納得したように彼女が頷いた。


「あなた、ウィリアム様の伴侶なのね」


匂いだけで感知するってヴァンパイアの能力というのは恐ろしいというか、便利というか。それほど嗅覚が鋭いなら、今現在彼女が纏っている不潔な香りは耐えられないではないかと、ほとほと心配した。


「はじめまして、大輔っていいます。ダンカンの護衛対象です」


一応、ダンカンに仕事を思い出させるためにも言ってみる。

それに対して舌打ちを返しながら、ちろりと俺をねめつけてきた。

そうそう、これがダンカンだよね、と妙な安心感を得る。


「今朝から急に屋敷から人がいなくなって、私に血をくれる人もいなくなったから、困ったなって思ってたんだけど、ウィリアム様の伴侶じゃ、血を分けて、ってお願いも出来ないわね」


嘆息して、疲れたように壁に頭を預けたミーナが呟いた。


「俺の、飲むぅ?」


言ったダンカンの頭をグーパンで殴り倒す。

強い、ヴァンパイアの女の子!


「あんたのなんか飲んだら、下手したら死ぬでしょ?バカなの?あんた、バカなの?」


「えへへ…」


もうダンカンがアホにしか見えない。

ここから逃げるべきなのに、逃げる手段が思いつかないくらい思考回路がショートしている。

あの壁を蹴り壊せるなら鉄格子くらい、映画みたいにくにゃりと曲げたりできるんじゃないの?くらいしか、対策を思いつかない自分の頭を俺は抱え込んだ。


「ところでさ、ダンカン、このあとどうするわけ?私、たいして役に立たないよ、この状態だもん」


隙あらば彼女を触り倒そうとしているダンカンは一瞬きょとんと固まった。


あぁ、あれは、まったく、今の状況を忘れてる顔だなぁ……


呆れて俺は長いため息を吐いた。


「そうだ!逃げようと思ってたんだ、すっかり忘れてたよぉ、ミーナで頭いっぱいになっちゃったぁ!」


いや、可愛く言われても…気持ち悪いだけだから……


「あんた、ほんとにバカなの?この状況でよくそんだけヌケていられるよね!」


まったくその通り!

思わずおおいに同意して、俺は大きく何度も頷いた。


「で、どうすんの?」


ダンカンがゆっくりと立ち上がると、名残惜しそうにミーナの胸を一瞥してから俺のところまでやってきた。


「とりあえずなんか考え、あるんすか?」


いつも通りの冷ややかな眼で、俺を見下ろす。

逸朗がこれを俺の護衛に付けた理由がやっとわかった気がした。

なにが起ころうとも、こうして同じ牢に閉じ込められようとも、全人類が死に絶え俺とふたりだけ残されようとも、ダンカンは俺に一筋の興味も持たないだろう。

いや、むしろ男ふたり残されたことに絶望して死ねないくせに死のうと無駄な努力をするだろう。

逸朗からしたらなによりの安全牌なんだ。

強くて、忠義心があって、俺に興味がない。

最高最適の人材、それがダンカンなんだ。


妙に納得した俺は、そんな些細なことにすら逸朗の愛情を感じ取り、こんなときなのに気分が高揚した。戦う勇気が、逃げる気力が湧いてくる。


「さっきちょっと思ったんだけど、壁を壊せるなら、あれも壊せない?」


指さしたのは目の前の鉄格子。

しかし意外にも彼は首を振って否定した。


「あれ、結構、特殊な呪がかかってるみたいなんすよね。触ると力が入らない感じで、壊せる気がしないっす」


逆に言えば、その呪を外せば壊せるってことか。


思って、俺は格子に近付いた。

よくよく観察する。

今朝がたから人がいなくなった、ということだから、俺たちに監視の眼はない。

もしかしたら監視カメラみたいなものはあるのかしれないが、それがあっても監視画像を見る人がいなければ、ないも同じだ。

ひとしきり観察して、さらに俺は格子から手を伸ばして、格子に続く壁にも触れてみた。

すると指先にかさりと何かが当たった。


紙?


何かが鉄格子のすぐ横の壁に貼り付けられており、爪を立ててそれを剥がしにかかる。

わりと強固に張り付けられていたので、俺は少し苛立って、ひっかけた爪をそのまま下ろして引き千切ってやった。

その瞬間、ばちりと音がして、鉄格子の半分がキラキラとガラスの粉を蒔いたように光った。


「え?なに?」


自分でやっておいて、しばし固まる。

緊張したままの身体を動かすことなく、しばらく様子を探った。

だれも来ない。

なにも起きない。


ちらりとダンカンに視線を送ると、ミーナを庇うようにして立っていた彼は反対側の壁のほうへ顎をしゃくってみせた。

なるほどね、そっちのほうにもあればやっちゃえってことね、と呟きながら俺は格子から手を抜いた。鉄格子の両端に貼ってあるらしく、もう片方にも触れると同じような紙の手触りを感じた。

今度は躊躇いなく、破り捨てる。

すると先ほどよりも大きな破裂音が響き、さらに眩く光が散った。


「やったっすね!」


黒い笑顔を鉄格子に向けたダンカンが嬉しそうに寄ってきて、両手で鉄格子を掴んだ。

身体中の筋肉が盛り上がるほど力を入れて、低く唸ったが、鉄格子はびくともしなかった。


くにゃりと曲がるのを楽しみにしていた俺はちょっぴりがっかりする。


「しょうがないっすね」


言うが早いか、ダンカンが身を曲げて、大きく咆哮した。

途端に彼の身体が大きく膨れ上がるかのように、脈動し、風にあおられたように髪が乱れた。瞳が赤く輝き始め、さらに筋肉が膨張する。


俺は腰を抜かしそうだった。

そこにいたのは紛れもなくヴァンパイア。

人の姿で欺いていない、本来の彼らの姿。

逸朗の部屋でかつて眼にした、あの獰猛で美しい、獣ともいうべき生き物。


逸朗は優雅で美しく、そして荒々しかったが、ダンカンはひたすら獣だった。

これで正気を保っているのか、甚だ疑問に思うほどにその姿に情緒はなかった。


けれどにやりと笑ってみせた彼をみて、ちゃんとダンカンなんだと感じた。

決してそれ以外のなにものにも成ってはいない。


その姿で彼はもう一度鉄格子を掴み、低い唸り声を再度上げた。


今度は熱に溶かされたように、ぐにゃりと格子が容易く曲がった。


「やるじゃん」


ミーナに言われて、彼はすぐに人化し、腰を振りながら振り向いた。


「惚れなおしちゃうぅ?」


「惚れてないから、直すこともない」


冷たく言い放たれて、さらに身悶えるダンカンを見遣って、俺は男という生き物の哀しさを目の当たりにした気分だった。


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