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54 マリアンとジョシュアとクレモン密会する

大輔がジョシュアによって連れ去られる前日。

ジョシュアは研究室から休みを貰って、ドイツのとある城にいた。

さる高貴な方との拝謁のために。

通された謁見の間で跪いたまま、首を垂れて待っていた彼の耳に優雅な衣擦れの音が聞こえたので、さらに深く礼をした。


「お会いできて光栄です。僕のために時間を割いていただき恐悦至極にございます」


侍従を後ろに従え、玉座に鎮座する堂々たる姿の女にジョシュアは片膝をついたまま敬礼した。


「マリアン・バング閣下にお伝えしたき儀がございます」


かつては煌びやかに飾られた広間だったろう、この場所はいまや見る影もないほどにうらぶれたありさまだった。

本来はその威容を誇るためにあったであろう絵画もなく、壺もない。

あるのは名残ともいえる毛足の長い絨毯のみ。しかも模様も定かでないほどに手入れがされた様子がなかった。玉座、と言えば聞こえがいいが、ほんの少し上段にあるだけの、ただの木製の椅子である。褒めるところといえば重厚な雰囲気があることしかない。

それでもマリアンと呼ばれた女は充分な貫禄と気品を周囲に振りまき、己の周りにかつての栄光を映し出すかのようだった。


「申してみよ」


落ち着いた柔らかい声がなにもない空間に心地よく響く。


「サー・ウィリアム・ピーター・ヴァンヘイデンが近いうちに瓦解致します」


意外なことを聞いたのか、扇で口元を覆ったまま、マリアンが玉座から少しだけ身を乗り出した。

玉座の後ろに控える侍従の、耳があるにもかかわらず表情ひとつ変えない態度に、ジョシュアはこの者の前で何を口にしても問題ないと判断した。

マリアンから多大な信頼を得て、この場にあることが窺われる。


「異なことを…」


果たして話を止めることなくマリアンは応えた。

ジョシュアはそれなら、と躊躇うことなく続けた。


「いえ、彼は壊れます。エックハルト様がそれだけのことを致します。そしてお聞き及びかもしれませんが、サー・ウィリアムはかの聖女の如き血を得てしまいました」


「なんと…!」


「そうなっては彼を処するのも苦労致します。閣下のお力でヴァンヘイデン一族すべてを掌握し、サー・ウィリアムを討ち取る準備を始めるべきではないかと進言致します」


一度も顔を上げることなく、ジョシュアはマリアンの高貴な足元一点だけを見つめて言った。


「定例会ももう間もなく、行われるはずです。僕のようなものがいつ行わるのか、知る由はありませんが、そう遠くない日であるのはわかります。そのときにどうか、ヴァンヘイデン一族をバング一族に取り込まれますよう…」


「そなたは確か、かつてのツェペッシュ一族のものであったか?」


「さすがはマリアン閣下、覚えておいででしたか」


彼女の眼が細く眇められる。

目の前に傅く男の、本来の狙いを見抜くように。


そしてふっと笑んだ。


「そうか、そなたにとって、あれは敬愛の対象にはならなんだか」


そして口元を覆っていた扇を振った。


「下がるがよい。あとは良きに計らおう」


「はっ!」


頭を下げた姿勢のまま、ジョシュアは後ろへするすると下がった。そしてそのまま退室する。


「ヴァンヘイデン一族か、目障りと思っていたところ。どのように話が転がるものか、楽しみよの」


呟いたマリアンに、玉座の横手から返答があった。


「ヴィクトー様を排除し、サー・ウィリアムを消し、ヴァンヘイデン一族を手に入れたあと、いかがなさるおつもりですか?」


ローブ姿の男が現れ、マリアンへ敬礼をする。

彼女の後ろに控えている侍従がはじめて表情らしきものを浮かべると、男に対して深々と頭を下げた。

それに鷹揚な態度で、ローブの男が掌をひらひらと振ってみせる。マリアンがそんなふたりにちろりと視線を投げた。


「なに、そう難しいことは求めておらぬ。我らが手を取り、生きやすい世の中になればよい。おぬしとて魔術会のトップになりたいだけであろう、クレモン」


名を呼ばれたクレモンはマリアンの言葉に些か嫌悪感を抱いたが、すぐにそれを覆い隠すように眼を伏せた。


「いえ、わたくしはトップになりたいわけではありません。秘術を知りたいだけなのでございますよ。魔術会の長にだけ伝えられる秘術を」


ローブをさらに目深に被り、己の内心がわからぬように表情を隠したクレモンは周囲に視線を走らせ、目障りなのではなく、かの一族の膨大な資産目当ての癖に、と心で嘲笑うが、利害が一致している限り、彼は砂城の女王の前に跪くことを厭わない。

なぜならヴィクトーが引退を宣言したとき、当然後釜は自分だと信じていたのに、あろうことか師は長年心より尽くしてきたクレモンではなく、まだ年若い男を指名すると言い出したのだ。

魔術のセンスがある、とただそれだけのことで。


クレモンは胸の奥底にあったなにかが割れる音を、そのときに聞いた気がした。


「クレモン、あれをどう思う?私はなかなか見込みがあると思っているのだよ。私の跡を継ぐにはいいと、思わないか?」


公に発表される前にヴィクトーをどうにかしなくてはならない、そして周囲にはすでにクレモンこそが後継者だという認識がある、今のうちに手を打たなければならない。

だからこそ老いを気にしだしたヴィクトーに禁術を囁いた。

さらにヴァンパイアの血の作用を仄めかした。


人でありながら、不死に近い存在になれるのかもしれない可能性を耳打ちし、罪を唆した。


面白いようにヴィクトーは若さに執着をみせた。

クレモンは後継者問題に意識がいかないように、師を常に監視した。


やっとその努力が結実しようとしている。

それを誰にも邪魔をさせるわけには行かない。


その強い決意を瞳に宿したまま、クレモンはマリアンに会釈ひとつするとローブを翻して去っていった。


それを見送ったマリアンは小さき男よ、と見下したように扇の下で嘲笑すると、付き従っている小男にクレモンに付いていくよう扇で指示を出してから、静かに玉座から降りた。

クレモンから聞いた策と、己の間諜から仕入れた情報を照らし合わせる仕事が待っている自室へと足を向ける。

手にあるものを使って、かつての栄光を取り戻す算段を立てるのはマリアンにとって、いま、なによりも楽しいことだった。


思わず口許を綻ばせてしまう。

それすらも扇で隠し、彼女は眼だけを艶やかに歪めていた。

あまりにも美しく、禍々しい笑みは数少ない侍女を怯えさせるには充分すぎるほどのものだった。


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